余話5ー1 二人で密談 1

余話5 二人で密談


 それはマハー・パルディアを出発する前の出来事である。

「全く、どうしてわたくしがこのような雑事を……」

「ご迷惑をおかけします」

「全くです!」

 黄金の宮殿の近くにある離宮にて、サハ・シェーラが愚痴りながらも使用人を連れて部屋の整理を行っていた。

 この離宮は男子禁制の建物であり、歴代の帝がめとった女性を住まわせる場所となっている。

 今代の帝である紅蓮帝の正室であるサハ・シェーラもこの離宮に住んでいるのだが、ここにもう一人、客人がやってくることになったのだ。

 それが、鎮波姫である。

「紅蓮帝も過保護すぎますわ。いくら客人とは言え、離宮に部屋を用意する必要なんてありませんでしょうに……ああ、違います。その荷物は向こうに。そちらの椅子は向こうに」

 ぶつぶつと文句を垂れつつも、サハ・シェーラは使用人にキビキビと指示を送りつつ、自分でも家具などを動かしている。

 その様子を黙って見ながら、鎮波姫は肩身の狭い思いをしているのであった。

「あ、あの、私も何か手伝いましょうか」

「結構。客人の手を煩わせたとなれば、帝の正室として名折れです。……本来ならばこのような準備も事前に完璧に済ましておくべきですのに……」

 鎮波姫の部屋の準備は急に決まった事であった。

 当初の予定ではアラドと同じく、町にある宿に泊めるはずだったのだが、紅蠍の事件で町の中も信用できなくなってしまった。

 ならば黄金の宮殿に部屋を用意するのはどうだろう、となったのだが、宮殿は離宮とは逆に女性を避ける風潮がある。

 官職についていない女性が黄金の宮殿を歩き回るのは、普段は避けるべき事である、との暗黙の了解があるのだった。

 先日、サハ・シェーラが宮殿内まで紅蓮帝を迎えに行ったことがあったが、あれは例外だったというわけだ。そもそも、あれは紅蓮帝が約束をすっぽかしていたのが悪い。

 そんなわけで、急遽、鎮波姫の部屋が離宮に用意されることになったのだが、その準備に関してももっと早く出来たはずなのだ。紅蓮帝がカードゲームにハマったりしなければ、連絡はとどこおらなかったはずなのである。

 直前までその連絡が通らなかったのも、元をただせば紅蓮帝の……いや、紅蓮帝にカードゲームを教えたアラドの所為であった。

「ふぅ、何とか様になりましたわね」

 一通り片付けが終わった部屋。アラドが宮殿内に用意してもらった部屋よりも一回り小さいようだが、それでも鎮波姫一人で使うには広すぎるほどであった。

「さぁ、鎮波姫と仰いましたか。こちらへどうぞ」

「え、あ、はい」

 サハ・シェーラに勧められ、鎮波姫はテーブルにつく。

 小さなテーブルにはかわいらしいお菓子の乗った皿が用意されており、鎮波姫の対面にサハ・シェーラが座ると、すぐに使用人がお茶を用意してくれた。

「あ、ありがとうございます……ですが」

「どうして、などと問わないように。あなたは客人、わたくしはあなたの世話を紅蓮帝より仰せつかった身。あなたはこの離宮で過ごす間、一切のわずらわしさを感じず、むしろ離宮から離れがたい感情でいっぱいになりながら、倭州へと旅立つのです」

 サハ・シェーラはホストとして鎮波姫を受け入れるつもり満々なのであった。

 いや、受け入れるというよりは、最上級のもてなしで迎える、と言った方が正しい。

 鎮波姫が離宮に滞在するのはわずかな期間であるが、その間にルヤーピヤーシャでも最高の接待で浸し、最高の生活に溺れさせ、骨の髄まで贅沢で満たしてやろうという魂胆なのである。

 それは半分仕事として、もう半分は急にこんな仕事を押し付けてきた紅蓮帝に対する当てつけのつもりでもあった。

「鎮波姫は倭州の出身と伺いましたが、倭州では湯浴ゆあみの習慣はありまして?」

「あ、はい。湯を沸かす事はあまりありませんが、水で身体を清めるのは毎日です」

「であれば後ほど、離宮の大浴場へご案内いたしましょう。広いお風呂でくつろぐのは格別の気分に浸れますわ」

「そうなのですか。楽しみです」

「大浴場の準備が整うのもお時間を頂きますが、それまではお茶と茶菓子でおもてなし致します。どうぞ、お好きなだけ手に取ってくださいまし」

 お菓子の乗った皿を勧められ、鎮波姫はおずおずとそれに手を伸ばす。

 倭州では全く見られなかった類のお菓子である。

 どうすることが作法として正しいのかもわからない。

「手で取ってよろしいのですか?」

「ええ、こんなことでお客様に恥をかかせるようなことは致しません。食器が必要ならば、当然用意していますわ」

 確かに、言われてみればここには手拭き用のナプキンはあっても、ナイフやフォークのようなものはない。

 サハ・シェーラが鎮波姫を試すつもりであればともかく、彼女の心積もりはそうではない。

 しっかり客人としてもてなすからには、何一つ嫌な思いをさせるわけにはいかないのだ。

「ルヤーピヤーシャの焼き菓子は素手で食べるものです。お手元の小皿に刻んだ果物もありますから、お好みで乗せて召し上がってください」

「で、では。いただきます」

 サハ・シェーラに勧められる通りに、鎮波姫は焼き菓子を手に取り、小皿の果物を乗せて一口食べる。

 そうするとサクサクとした焼き菓子と柔らかい果肉の食感が織りなすハーモニーと、小麦の甘みと果物の甘酸っぱさが織り交じった味が口の中に広がり、自然と笑顔が零れてしまった。

「あ! 美味しいです!」

「そうでしょう。ルヤーピヤーシャでも最高級品です。お茶も最高のモノを用意していますから、そちらもどうぞ」

「こちらは以前も飲ませていただきましたが、倭州のお茶とは違って、甘くて好きです」

「へぇ。倭州のお茶というのはどういうものなのですか?」

「倭州のお茶はもっと苦みが強いですね。作り方によって差異があるのですが、甘いお菓子に合うように味が作られているようです」

「倭州のお菓子というのも気になりますわ」

「私がよく口にしていたのは列島のお菓子なんですが、こちらは甘みが強いんです。甘い皮で甘い餡を包んでいて、口当たりは柔らかく、もっちりとしているので、お茶と一緒に食べるのが良いんですよ」

「なるほど……今度、取り寄せてみたいですわね」

「あ、でも列島のお菓子は日持ちがしないので、ルヤーピヤーシャまで持ち込むのは難しいかもしれませんね……」

 列島の菓子は生菓子と呼ばれるほどに足が速い。

 それゆえに列島から倭州本土への持ち込みもあまりなされないぐらいなので、ルヤーピヤーシャまで持ってくるのはまず不可能だろう。

 だが、サハ・シェーラが倭州に興味を持ってくれるのは、なんとなくうれしい。

「簡単なものなら私でも作れますが、材料の調達も難しいでしょうし、滞在期間もそれほど長くありませんしね……」

「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取らせていただきますわ」

 笑顔で遠慮されてしまう。

 どうやらサハ・シェーラも他のルヤーピヤーシャ人と同じように、他の国民を見下している節がある。しかも彼女は紅蓮帝と同じく、神の血を濃く受け継いでいる神人だ。自分を特別視する感情は強いのだろう。

 鎮波姫に対してもあまり心を開いておらず、おもてなしをしてくれるのも紅蓮帝からの仕事を受けたから、という以上の理由はないようだ。

 鎮波姫としても、ごくわずかな期間、同じ建物で過ごすだけの人物である。

 交流を深める必要は特に感じられなかったので、このままでも良いか……と思ったのだが。

「しかし、サハ・シェーラさんも大変ですね。紅蓮帝の命とは言え、本意でもないのに私の対応なんて……」

 そこまで言って、鎮波姫は『皮肉っぽかったか』と言葉を切った。

 別に嫌味を言うつもりはなかった。単純に、サハ・シェーラも大変だな、と思っただけだったのだ。

「す、すみません、他意はないんです」

「……そ――」

「そ?」

「――そうなんですのよッ!!」

 怒られるかと思いきや、サハ・シェーラは身を乗り出して鎮波姫の手を強く握った。

 その表情には今までのツンとした冷たさはなく、悔しさに滲むようであった。

「さ、サハ・シェーラさん……?」

「別にあなたの接待をするのが嫌なわけではありませんわ。これまで帝の賓客ひんきゃくをもてなしたのは何度もありました。ですがそれは、帝も多忙を極め、国政を担うのに余事へ心を割かぬよう、彼の仕事を補佐するためだからです!」

「そ、そうではないんですか?」

「今、あの人が何をしていると思います!? アガールスからの客の部屋で札遊びですわよ!?」

「ふ、札遊び……!?」

 それは鎮波姫も予想していない事であった。

 紅蓮帝ともあろう人物が仕事を放っぽり出して、カードゲームに興じているとは。

 しかも、その相手がアラドだと言うではないか。

(アラド様、こんなところまで来て、遊んでらっしゃるのですか……!?)

 アラドにも仕事があったはずだ。

 それはアガールスの平和を維持するため、ひいてはアスラティカ全体の平和を勝ち取るための会談であったはず。

 任務の責任は重大で、アガールスの諸領主の反対を押し切ってこちらにやって来たはずなのである。

 にも拘らず、カードゲーム……だと……!?

「詳しくお話を窺ってもよろしいですか……?」

「ええ、もちろんです!」

 約束をすっぽかされて、カードゲームを優先されたサハ・シェーラ。

 任務に邁進まいしんしていると信じて送り出した相手が遊び半分だと知った鎮波姫。

 二人の境遇は、どこか似通っていた。


****


「その時の紅蓮帝、挙句の果てになんて言ったと思います? 『ああ、そうだったな』ですわよ!? ふざけんじゃねーですわッ!! こちとら、約束すっぽかされてるんですわよ!?」

「それはひどい! 厳重に抗議すべきです! いいえ、最早実力行使もやむをえません!」

「ええ、その時ばかりは手が出そうになりましたわ! ですがわたくし、そこはグッとこらえましたわ。暴力で解決するのは最終手段ですもの」

「そうですね、理性的な判断、お見事です」

 最早、皿に乗せられたお菓子は七度目のおかわりを経ており、お茶の方はポットが何度交換されたか数えてすらいなくなっていた。

 鎮波姫とサハ・シェーラの周りで使用人が慌ただしく走り回り、彼女らのお菓子やお茶が途切れないように細心の注意を払っていた。

 少しでも二人の邪魔をしたなら、その怒りの矛先が向かってくるのではないかと、戦々恐々なのである。

 そのため、可能な限り迅速に、しかし極限まで物音を立てず、二人の雑談……というか愚痴を邪魔しないように環境の整備に腐心しているのであった。

 だが、そんな愚痴も一段落ついたのか、サハ・シェーラはカップに注がれていたお茶を一気に飲み干した後、小さくため息をつく。

「ふぅ……少し喋り疲れてしまいました」

「それだけご苦労なさったのでしょう。心中、お察しします」

「いえ、聞いて下さっただけでもありがたいですわ。……鎮波姫さんにはどこか、近しいものを感じてしまいますわ。まるで親姉妹と話をしているような……」

「恐縮です」

「ですが……あなたは倭州人なのですよね? 肌の色も、顔の形も、私たちとは全然違いますもの」

「はい。私は生まれも育ちも倭州の列島。血筋にアスラティカの人間はいません」

「それなのに不思議です。あなたからは神人と同じく、貴き血を感じますわ……」

「それは……」

 鎮波姫は、一度言葉を切る。

 神人であるサハ・シェーラが鎮波姫に近しいものを感じているのは、おそらく姫の血筋が魔海公との契約を結んでいることに関係しているのではないか、と思っている。

 神人は神に由来する血を受け継いでいるのに対して、姫の血筋は魔物の王との契約を結んでいる。そこに何かしらの関係があるのではないか、と思ったのだ。

 だが、それを言えばサハ・シェーラは怒ってしまうだろうか。

 倭州人にとって、魔海公は凄まじい力を持った、神にも等しい存在であるが、アスラティカの人間にとっては海魔と呼ばれる魔物を統べるものである。

 魔物はアスラティカにとって忌むべき害獣と同等の存在である。

 そんな魔物の王と神を同一視してしまえば、神を貶める行為であると判断されるだろう。

 なので、

「私にはサハ・シェーラさんのような、貴い血は流れていませんよ」

 と、お茶を濁す。

 しかし、苦笑した鎮波姫の手を、サハ・シェーラが握った。

「いいえ、たとえあなたが神人でなくとも、わたくしはあなたにとても親しみを覚えています。兄弟姉妹のいなかったわたくしにとって、あなたはそれに比類ひるいする存在と言えましょう!」

 ものすごく短時間で、サハ・シェーラの心を開いてしまったらしい鎮波姫。

 真剣な眼差しを向けられ、彼女の言葉には嘘も冗談も含まれていない事を実感し、鎮波姫は笑いかけた。

「身に余る光栄です、サハ・シェーラさん」

「そうだ! 殿方は意気投合した相手とさかずきを交わし、義兄弟の契りを交わすそうですわ。わたくしたちも、義姉妹の契りを交わしましょう。お酒はありませんから、このお茶で!」

「え、ええ……よろしいのですか、私なんかと……」

「何を仰います! わたくしたちは最早、心の友です! さぁさ、お茶をお持ちになって!」

 グイグイと勧められ、鎮波姫はお茶の入ったカップを手に持つ。

 それを見てサハ・シェーラもカップを持ち、一つ咳払いをはさんだ。

「それでは……ええと、どうしたらよいのでしょう?」

「えっと、乾杯、とか?」

「そうですわね! 乾杯!」

 二人はカップを掲げ、そのあと、お茶を全て飲み干した。

 それは最早、単なる乾杯でしかなかったのだが、二人にとっては義姉妹の契りを結ぶ儀式なのであった。

「ふふ、これでわたくしたちは義姉妹ですわ。……でも、どちらが姉でどちらが妹なのでしょう? 鎮波姫さん、おいくつ?」

「えっと……こういうのは年齢で姉と妹を決めるものではないと聞きます」

「あら、ではどうやって?」

「二人の関係性を見て、敬うべきが上、そうでないものが下となるようです」

「ふむ……では、わたくしたちは双子ということにしましょう」

「……へ?」

「わたくしたち、どちらも立場があいまいですもの」

 確かに、二人は出会って間もない。

 どちらが敬うべきで、そうではないのか、判断がつかない。

 加えて生まれも育ちも海を隔てた別の場所。価値観も違う二人が、簡単に目上を決めるのは不可能であった。

 そもそも、こんな短時間で義姉妹の契りなど結ぶべきではない、というのは黙っておこう。

「ですから、わたくしたちはどちらが上でもなく、下でもない。双子ですわ!」

「ふふ……サハ・シェーラさんは面白い事を仰いますね」

「さん、は要りませんわ、鎮波姫。わたくしたちは姉妹なのですから!」

「そうですね、サハ・シェーラ。私の事も鎮波とお呼びください。これからよろしくお願いします」

「ええ! わたくし、初めて姉妹が出来ましたわ!」

「一人っ子、なんですね」

「ルヤーピヤーシャ人は大概がそうですわ。一般に、この国の出生率はとても低いんです」

 それは長命種の運命とも言うべきか。アガールス人より何倍も長生きするルヤーピヤーシャの人間は、その出生率が三分の一程度と言われている。

 長い戦乱の息抜きとなっている現在でも、アガールスとルヤーピヤーシャで人口を比べれば半分ほどに収まっており、従軍出来る人間ともなれば、さらに比率は低くなるだろう。

 紅蓮帝が抑戦令を発布したのも、そのあたりに一因がある。

 逆に、アガールス側から見れば、ルヤーピヤーシャ軍の頭数が少ない事は有利に働き、これまで両国が五分の戦いを続けて来られたのは、人数差によるところも大きい。

「そういう鎮波はどうなんですの?」

「私も一人っ子です。ですから、姉妹が出来たのは嬉しい」

「それは良かったですわ!」

 満面の笑みを浮かべるサハ・シェーラ。

 使用人が新しく用意したお茶とお菓子を受け取りつつ、

「さぁ、次は鎮波の番ですわ」

 と話を促してきた。

「私の番、というのは?」

「きっとあなたにも愚痴の一つや二つ、あるでしょう? 今度はわたくしがそれを聞いてあげましょう、と言うことです」

 言われてみれば、今まで話していたのはサハ・シェーラばかりだ。

 鎮波姫は聞き役に回ってばかりで、大してお茶も進んでいない。

 しかし、鎮波姫の抱えている愚痴は、サハ・シェーラのモノとは全く毛色が違う。

 何せ国を追われ、亡命中の姫である。

 その愚痴は重たいものになってしまう。こんなお茶会の席には似合うまい。

 だが、ここで何も話さないというのも、興を削いでしまうだろう。

 どうするべきか……と悩んでいると、

「鎮波にも意中の殿方の一人ぐらい、いるでしょう?」

「え!?」

 思いもよらぬパスを出されてしまった。

 そうか、愚痴を聞くというのは、恋バナの延長線であった。

 サハ・シェーラの愚痴も紅蓮帝に関するものばかりだ。

 ということは、彼女は男女関係の愚痴を望んでいる、ということか。

 そう言われると、それはそれで困る。

「意中の男性……ですか。正直、よくわからないのです」

「良くわからない……?」

 鎮波姫はカップの取っ手を親指でなぞり、少し言葉を選ぶ。

「これまで、私は男性とは隔絶した生活を送ってきました。……あ、いえ、別に出会いがなかったわけではないのですが、出会う男性をそのような目で見ることははばかられる環境だったのです」

 鎮波姫が征流殿で過ごしている間、倭州本土からやってくる人間はたくさんいた。

 その中に州を預かる太守も多くおり、太守は男性が務めることが多い。

 そのため、男性と出会う機会は多かったと言っても良い。

 だが、やってくる男性は太守。彼らと結ばれるとなれば、それはかなり政治的な事である。

 鎮波姫は倭州のトップに君臨する崇拝の対象。姫と結ばれる太守というのは、それだけの格と実績を必要とする。

 逆に太守側から見ても、姫に結婚を申し込むなんてことは、相応の覚悟と準備をもって行うものであった。倭州が乱れている現状で、そのような覚悟も準備も整えるのは不可能であった。

 白臣が金象を勧めてきた事もあったが、鎮波姫にその気があったとしても色々と無理があったのである。

 しかし、そんな込み入った事情をサハ・シェーラに話しても、色々とこんがらがるので端折っておくとしよう。

 大事なのは倭州での生活での事ではなく、アガールスに渡ってからの話なのだ。

「気になっている男性は……います」

「きゃ~! そうなのですね!」

「しかし、これが恋と呼べるものなのか、わからないのです」

 鎮波姫の気になっている男性というのは、もちろんアラドの事だ。

 アガールスで初めて出会った時、倭州ではありえなかった行動に苦笑してしまった。

 亡霊に襲われた後、彼の気持ちを正直に伝えられた時には驚かされた。

 マハー・パルディアに来る前、別行動を取る直前に立ち寄った市場で、一時は大変心が乱される出来事もあった。

 アラドの事を考えると、平静ではいられないことが多々ある。

 だが、これは恋なのか?

「私には恋の経験がありません。異性との交流がこういうものなのか、それとも単に環境が目まぐるしく変わったことで気持ちが追いついていないだけなのか、未熟な私には判断が出来ないのです」

「ふぅむ、つまり、それが恋なのかどうかを確かめたいわけですわね」

「えっと、別に確かめたいわけでは……」

「聞いたことがあります。その気持ちが恋かどうか確かめるには、その殿方が誰か別の女性と一緒にいるところを想像してみると良い、と」

「別の女性?」

 その想像は難しくなかった。

 何せ、実際にその場面を目の当たりにしているのだから。

「その時、鎮波がモヤッとした感情を覚えたなら、それは恋だそうです」

「……ッ!」

 モヤッとどころか、ルクスに生命の危機を感じ取らせるほどのプレッシャーを放っていたのは、鎮波姫本人は気付いていないのだが、それでも彼女が不快感を覚えたのは記憶にある。

 だとすれば、鎮波姫が抱えているこの気持ちは――

「わたくしも幼いころから紅蓮帝の妃になることを決めていたので、恋というものはしたことがありませんから、本当かどうかはわかりませんけれども」

「そ、そそ、そうなんですね……」

「あら、どうしましたの? そんなにお茶をかき混ぜて」

 自分の気持ちに名前がついてしまったことで、鎮波姫はそれを自覚してしまった。

 鎮波姫は、恋を知ったのだった。


****

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