35-3 メインキャラというラスボス 3
その日の夜。
スラム街の闇を走る一つの影があった。
夜闇に紛れるように、誰にも見つからないように。
まるで誰かに追われているかのように、逃げるように走るその影は、スラム街の奥まった場所までやってくる。
そこにあったのは一軒の平屋。
廃屋ばかりのスラム街にあって、ドアや窓がしっかり備え付けてある、奇妙な一軒家であったのだが、影はそのドアを乱暴に開ける。
「くそっ! どうしてだ! どうして失敗した!」
小声ながら、その声には焦りと怒りが滲んでいた。
自分の策は完璧であったはずだと言わんばかりだったが、その自信の裏返しが今の大きな感情なのだろう。
影は室内の奥まで早足で進み、とある棚の前で止まる。
「ええと、ああ……なんだったか……お、おおぷんせさみ!」
影が合言葉を口走ると、魔術の光が溢れ、棚がひとりでに動き出す。
その奥から現れたのはまたドア。
そのドアをくぐり、階段を下るとそこは紅蠍のアジトがあった。
「相手を見誤っていました」
「ハルパライアも、アンザークも、メイリールも……死んだってのか」
アジトに逃げ帰っていた凛周の報告を受け、シャスガキフが表情をゆがませる。
そこから滲む感情は複雑で、どうにも読み取るのは難しい。
その隣に立っていたフォジェは、貌無しの名の通り、表情は読めないのだが冷静な声で話をつづける。
「では、今後はどうする」
「これ以上、この都に留まるのは危険です。追撃が来る前にラスマルスクへ逃げ、そこから倭州へ……」
「仇を取らないのか!?」
凛周の言葉に、シャスガキフが掴みかかった。
「三人もやられたんだぞ! 仲間が!」
「私だって悔しい思いはあります! ですが、武闘派三人が軽々と殺され、私も総魔権僧相手では手も足も出ません……ッ! 他に、方法がない……ッ!」
「……蓮姫はなんと言ってるんだ!?」
「連絡が取れません。ここからも私たちが判断するしかないでしょう」
紅蠍の後ろ盾となっているはずの蓮姫だが、彼女とはここ最近、まともに連絡が取れなくなっている。
その原因はわからないが、連絡が取れない以上、紅蠍は独自の判断で動くしかない。
「お、俺は奴らに復讐したい! 仲間を殺されて、このまま逃げてられるか!」
「やめてください。ラスマルスクではあなたが頼りなんです。あなたがいなければ、倭州への渡しもつきません」
「だったらお前らも付き合え! アイツら全員殺して、大手を振ってラスマルスクに帰るんだよ! 簡単だろうが!」
「あなたは! 実際に対面してないからそういうことが言えるんです!」
暴走しかけているシャスガキフに対し、凛周が声を荒げた。
彼女は実際に総魔権僧と立ち合い、その実力差を痛感した。
あれは、ちょっとやそっとで勝てる相手ではない。
「あれは、私たちに手に負えるようなものではないんです……。あなたまで死んでしまっては、ハルパライアたちに顔向けが出来なくなる」
「凛周……」
凛周とて仲間を思う気持ちは同じだ。
叶うことなら復讐も成し遂げたい。
だが、それが無理だということは痛いほどに理解してしまっている。
ならば死んでしまった者に対し、自分たちだけでも生き残ることこそが最大限に報いる事になるはずだ。
これ以上、仲間を失うようなことは避けたい。
「……わかった。俺が悪かったよ。無理を言った」
「いえ、わかってくれたのなら、それで良いんです」
「シャスガキフ、凛周、少し静かに」
話がまとまったところで、フォジェが声をかけてくる。
彼が耳を澄ますと、上階から物音が聞こえてきた。
「誰か来ている」
「まさか、誰か生き残りが……!?」
「ありえません。私が魔術で確認しました」
「じゃあ、誰が来たってんだよ?」
困惑する紅蠍メンバーの前に、その物音の主が現れる。
階段を下って現れたのは、ジャルマンドゥであった。
「き、貴様ら、ラスマルスクに逃げるのだろう!? 私も連れて行け!」
「ジャルマンドゥ!? どうしてここに!?」
「紅蓮帝に私の事がバレた! このままでは、私の身も危ういんだ!」
「そうではない! 不用意すぎると言っているんです!」
「なに!?」
「案内ご苦労」
戸惑うジャルマンドゥの背後から、さらに多くの物音が聞こえてくる。
鉄のこすれる音は重々しく、しかし駆け足の足音は軽快に階段を駆け下りてきていた。
現れたのはルヤーピヤーシャの正式印が捺された鎧を纏った、正規兵であった。
「ぐ、軍がどうしてここに!?」
「貴様の後を追ったのだよ。少し火をつければ、すぐに巣へ戻ると思ったのだ」
「この声……」
ジャルマンドゥと紅蠍を取り囲んだ兵士たちを割り、不敵な笑みを浮かべて現れたのは紅蓮帝その人であった。
「紅蓮帝! どうしてこんなところに!?」
「親代わりであった貴様の最期だ。看取るのがせめてもの温情であろう」
「最期……!?」
「次は許さん、と言ったが、あれは嘘だ。貴様への沙汰はすでに決まっている」
紅蓮帝はジャルマンドゥにわざとプレッシャーをかけ、更に見逃す事を
ジャルマンドゥはその策にまんまと踊らされ、紅蠍のアジトまでのこのこやって来て、後ろから兵士が尾行しているのも気付かずに魔法の合言葉まで喋ってしまったのである。
「さて、ジャルマンドゥへの処罰の前に、貴様に用がある」
へたり込んだジャルマンドゥをスルーし、紅蓮帝は凛周へと向き直った。
「貴様、倭州の人間だな」
「……」
「不敬だな。帝の言葉に答えぬとは……」
紅蓮帝の鋭い視線に苛立ちが見えた。
「あまねく全ての人間は、我の前に頭を垂れるべきだ。倭州の人間であろうと、例外はない」
無遠慮に、不用心に、紅蓮帝は兵の人垣の中から凛周へと近付く。
そこはすでに兵士たちの庇護の外になっており、不意打ちを仕掛ければ勝てそうなタイミングであった。
仮にも暗殺者である紅蠍がそれを見逃すわけもない。
「……紅蓮帝ッ! 覚悟ッ!!」
飛びかかったのはシャスガキフ。
お手製の毒をたっぷり塗り込んだ短刀を構え、紅蓮帝へと飛びかかった。
……のだが。
「下衆が。誰が動いて良いと言った」
「はゴガフ……ッ!」
紅蓮帝がシャスガキフを睨みつけるだけで、それが起こる。
地下にあるアジトは薄暗い場所であったのだが、そこを快晴の空の下のごとくに照らす閃光。
瞬間的に走った光は、しかしただそれだけに留まらず、轟音と、衝撃と、熱を伴って膨張する。
それは爆発であった。
真っ赤な炎を伴って魔力が一気に爆ぜ、その爆炎によってシャスガキフの身体が舐めつくされる。
周りにいた兵士や凛周たちですら強い熱を感じるほどの熱量を、極至近距離で受けたシャスガキフは、纏っていた衣服、持っていたナイフはもちろん、皮膚、肉、骨に至るまで瞬間的に燃やし尽くされる。
同時に襲い掛かる爆発による衝撃によって、バラバラになったシャスガキフの身体はアジトの隅っこの方にまで吹き飛ばされた。
肉片や血液が放射状にバラまかれ、地下水を赤黒く濁らせた。
それが、瞬く間の出来事である。
「全く、貧民街とはやはり教育の行き届かぬ場所だな。我の言葉も待てぬとは」
「……詠唱破棄魔術……!? ありえない、あんな威力……ッ!」
魔力の流れを感じ取ることが出来る魔術師であった凛周は、紅蓮帝が詠唱破棄魔術を行使したことを理解していた。
だが、腑に落ちるには至らない。
何故なら、あの威力は常識外れであったからだ。
詠唱破棄魔術とは全く詠唱を必要とせず、身振りも魔法陣すら使用しない魔術。
魔力によって詠唱をまかない、強引であれど瞬発力に優れる詠唱破棄魔術は、常識的に考えて威力は抑えめになるものだった。
通常、魔術の発動にだけ必要となる魔力を、詠唱破棄にも回すために、複雑な術式の魔術が行使が出来ないためだ。
だが、神人である紅蓮帝には、そんな常識は通用しない。
常人から見れば無尽蔵とも思われるほどの魔力量で、強力な魔術であっても詠唱破棄で行使することが可能なのである。
「さて、そこの倭州人。我の問いに答えろ」
「……」
凛周が言葉を発さなかったのは、先ほどとは違い、発することが出来なかったのだ。
圧倒的な紅蓮帝の実力を前に、言葉をなくしたのである。
「蓮姫に関する情報を全て吐き出せ。これは勅命である」
「な、何を……」
「口答えは許さん。
一切の反論を許さない紅蓮帝の物言い。
しかし、それに凛周が従う事はない。
「蓮姫などという人物に心当たりがない」
「……ふん、虚偽など通じると思ったか」
紅蓮帝が指を鳴らすと、一筋の熱線が走る。
ほぼ真っ白な光を放つその熱線は、凛周の傍に立っていたフォジェの眉間を貫いた。
「……は」
超高熱の熱線に眉間を貫かれたフォジェ。
皮膚はおろか、骨まで容易く貫通したそれは、当然脳をもとろかせる。
たった一つの指パッチン。
それだけで容易く人の命が失われた。
「ふぉ、フォジェ!」
「お仲間は全て失ったようだな」
「ぐっ、貴様……ッ!」
「余計な口を挟むな」
もう一度、紅蓮帝が指を鳴らすと、熱線が凛周の太ももを貫いた。
「が……あああああッ!」
肉がただれる感覚を味わった凛周が、痛みに声を上げて跪く。
動けなくなった凛周の前に立ち、紅蓮帝はその顔面を蹴り飛ばした。
「黙れ、耳障りだ」
大怪我を負った人間に対して、あんまりにもあんまりな物言いであった。
しかし、敵対する人間を前に、紅蓮帝は一切の容赦をかけない。
「もう一度だけ言うぞ。蓮姫に関する情報をすべて吐き出せ。簡潔に、手短に」
紅蓮帝の言葉に、やはり凛周は答えない。いや、答えられない。
凛周は最早声を上げる事も出来ず、地面に転がったまま立ち上がる事も出来なかった。
「はぁ……どこまでも手間をかけさせてくれる。仕方がない、不本意ではあるが総魔権僧から受け取ったモノを使うか」
そう言って紅蓮帝が取り出したのは、魔法陣が描かれたスクロール。
リュハラッシ謹製の『対象の記憶を盗み見る』という魔術が組み込まれている。
スクロールは使用者が使えない魔術であっても、スクロールの作成者が術式を組み上げることが出来れば、魔力を通すだけで使用が出来る。
魔法陣では組み上げる術式に制限があるものの、使うことが出来ればかなり便利な代物であった。
今回の場合も、凛周の記憶を読み取る術は蓮姫の情報を引き出すのにとても便利だ。
「貴様の記憶、覗かせてもらおう」
「……ッ!」
凛周には術式を読み解くような余裕はない。当然、それを解呪するような余裕も。
このまま何もせず、魔術にかかるのを許容してしまえば、蓮姫に関する記憶が読まれてしまうだろう。
それは蓮姫の計画に、少なからず影響を及ぼしてしまう。
凛周はそれを良しとしなかった。
(蓮姫様、凛周はここまでです……ッ!)
意を決し、奥歯を強く噛む。
そこには小さな薬が埋め込まれており、噛み潰せば中からシャスガキフの毒が溢れてくる仕組みとなっている。
シャスガキフの毒はグンケルを即死ギリギリに追い込み、魔術による延命行為がなければ本当に即死していた程度の威力を持っている。
つまり、これは凛周による自決であった。
****
翌日。
黄金の宮殿の謁見の間に、再びアラドとリュハラッシが呼び出される。
玉座に構えていたのは当然、紅蓮帝。
「というわけで、蓮姫に関する情報は得られなかった」
「惜しかったな。まさかそんなお手軽に自決する手段を握っていたとは」
「暗殺者であれば、ある程度は用意しておくでしょうな。強い毒を調合できる人間が身内にいればなおさら」
暗殺者であれば依頼人の情報も暗殺対象の情報も、隠しておかねばならない情報はいくつでも持っているだろう。
それを尋問などで聞き出されないよう、自ら命を絶つ手段を隠し持っているのは良くあることだ。
今回はその中でも特に即効性の高い手段が取られ、リュハラッシが用意してくれたスクロールも無駄になってしまったということだ。
「それで、ジャルマンドゥ殿……いや、ジャルマンドゥの動機は何だったんだ? ヤツは抑戦令には肯定的だと思ったが」
アラドの疑問はもっともであった。
ジャルマンドゥは抑戦令に対して賛成派のように見えていた。だが、紅蠍の雇い主は抑戦令反対派であろう、という見立てがあったはずだ。
であれば、ジャルマンドゥは容疑者から外れるはずだ。
「……ジャルマンドゥの家はもともと、
「紅蓮帝はそれを知ってたんだろ? どうしてジャルマンドゥを放っておいたんだ?」
「……さて、我が目も曇ったということか」
アラドには紅蓮帝とジャルマンドゥの関係性を知る由はない。
二人が疑似的な親子関係であったことを知れば、きっと紅蓮帝の苦悩もわかるだろう。
だが、紅蓮帝からそのことを明言することはない。
他人を相手に自分の弱みを見せる必要もない。
黙ってしまった紅蓮帝を見て首を傾げつつ、返答がもらえないなら、とアラドは話を進める。
「しかし、ジャルマンドゥもそうだが、奴らはラスマルスクに逃げてどうするつもりだったんだ? あそこは罪人の流刑地だろう?」
「アラドラドは知らんのも当然だが、最近、ラスマルスクから地域外へと罪人が流出しているらしい」
「どうやって? 暗黒郷にでも逃げ込んでるのか?」
「いや、行き先は倭州だそうだ。どういうカラクリかはわからんが、倭州人は大海を安価に渡る術を持っているらしいからな」
アスラティカの常識で言えば、沖に出る船は海魔と呼ばれる海の魔物によって沈められる。
国が運用するような鉄甲船でなければ、海の藻屑と化すのがオチだろう。
だが、倭州には魔海公との契約がある。その証たる鎮波姫がいた。
そのお蔭で、倭州人は海の恩恵を最大限に受けることが出来ていたのだ。
海からの恩恵を
しかし、それは鎮波姫がいたころの話だ。
「とはいえ、最近は犯罪者の流出が止み、代わりに船の残骸のようなものが海岸に流れ着くことが多くなった。おそらく、我が奴らを見逃し、奴らがラスマルスクから倭州へ漕ぎ出したとしても失敗していただろう。もしかしたら貴様の連れている姫とやら、本物かもしれんぞ」
「俺は疑っていないがな」
「それは私もです」
アラドの返答にリュハラッシも頷いて答える。
鎮波姫の正体について懐疑的なのは、この場では紅蓮帝のみのようだ。
「楽観的で羨ましい限りだ。……しかし、貴様らには今回の件で世話になった。何か褒美を取らせねばならんな」
紅蓮帝は独裁者でありながら独善的ではない。
仕事をした人間にはきっちりと褒美で報いる。もちろん、悪事を働いた人間には罰を以って処断する。
今回、紅蠍を壊滅し、他の犯罪者たちに見せしめを行えたのは、アラドとリュハラッシの仕事も大きい。
二人が褒美を得るのは当然であった。
しかし、リュハラッシは頭を下げて一歩下がる。
「私は
「ふむ、そうか。ならばアラドラドよ。何か欲しいものはあるか?」
「えっと……なんでもいいのか?」
「常識的な範囲ならばな」
アラドの言動は突飛であることを、この短い期間の付き合いで良く知っている紅蓮帝。
先に釘を刺しておいたとしても安心は出来ないが、忠告だけはしておく。
だが、アラドの返答は決まっていた。
「倭州へ渡る船の用意だ」
「……貴様、倭州へ行くのか?」
「俺じゃなくて、鎮波姫を倭州へ帰すんだ。そう約束している」
「他人のために、我からの褒美を使うと?」
「鎮波姫のためだけじゃない。これは俺のためにもなる」
約束を果たし、鎮波姫の役に立てば、きっとアラドに好感を抱いてくれるだろう、という下心バリバリであったが、それは明言しないでおこう。
「アガールスにも鉄甲船があるだろう。それではダメなのか?」
「金がかかりすぎる。私用で使うには財布が心許ない。それを紅蓮帝が肩代わりしてくれるなら、俺としては言うことがないな」
「……ふむ。良かろう」
ルヤーピヤーシャとしても鉄甲船の運用は一大事である。
アガールスと同じく莫大なコストがかかるし、そもそも海軍の要でもある。
それを他国の人間を倭州へ送り届けるためだけに運用するというのは、紅蓮帝と言えど難しい判断だろう……と思ったのだが、意外と返答が早かった。
「ホントに良いのか? ダメだったら代案を考えるぞ?」
「くどい。我が良いと言えば良いのだ。貴様が考え直すというのであれば取り下げるのは構わんぞ?」
「いやいや! じゃあ、それで頼む!」
一時は無理筋だろうな、と思っていた倭州への渡航。しかもルヤーピヤーシャの財布で。
これが叶うのであれば、願ってもない事だ。
アラドは内心小躍りしながら、紅蓮帝に頭を垂れる。
「恩に着るよ」
「いや、これは貴様の仕事に対する正当な報酬だ。恩を感じる必要はない」
「そうだったな。じゃあ、ありがたく受け取る」
ニッコニコのアラドを見下ろしつつ、紅蓮帝は頬杖をつきながら、口元を緩めた。
「貴様を見ていると、変に腹芸をするのもバカらしくなるな」
「は? どういう意味だ?」
「バカもたまには得だ、と言っている。貴様のそれは美徳と言えるのだろうな」
「……誉め言葉か?」
「わからんからバカだと言っているんだ」
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