34-3 致命の罠 3

 ガキン、と鋼同士のぶつかり合う音と共に、火花が散る。

 また、わずかな血しぶきも。

 西門前の通りでの刃傷沙汰、アラドはあの窮地の中にいながら命を繋いでいた。

「ワッソン!」

「ぐっ……!」

 アラドが目の前に迫る影からの斬撃を弾いたすぐ後ろで、ワッソンがもう一人の襲撃者に目掛けて飛びついていたのだ。

 魔術が使えなくなったワッソンに出来ることは、アラドの肉壁になること。

 その身体でもって主の命を救ったのであった。

 だが、それには相応の代償も伴う。

 飛びかかっていた影の手に握られていた刃が、ワッソンの身体に深々と刺さっていたのである。

 ワッソンと刺客はそのまま地面を転がり、アラドから離れる。

 アラドはワッソンに駆け寄りたい所であったが、目の前にも敵はいる。

「ワッソン! 大丈夫か!?」

「あ、アラド様、ご自分の身を案じて下さい!」

「アラド! ワッソン! くそっ!」

 敵の奇襲を受け、グンケルも参戦しようとしたのだが、その身体は毒の影響もあって思うように動かない。

 その間にも、ワッソンが組みついた敵の刃が、もう一度ワッソンに降りかかろうとしていた。

 ワッソンに体術の心得はほとんどなく、組みついた状態を保つのが精一杯だろう。相手への反撃など望むべくもない。

 このままではワッソンが死ぬ。

 そう思った時である。

「やれやれ、騒々しいですね」

 ゆっくりと馬車のドアが開き、聞きなれない声が降ってくる。

 あの馬車に乗っているのは、鎮波姫と永常のはずであった。

 だが、聞こえてきた声はそのどちらでもない。

「う、うおぉ!?」

 謎の人物が馬車から顔を出すのとほぼ同時に、ワッソンが組み付いていた刺客が奇妙な声を出す。

 見ると、その手に握っていたナイフが宙に浮かび上がっていたのだ。

「魔術!? しかし、この場の魔術は……」

 紅蠍の魔術師によって解呪されるはず。

 それでも魔術が使えているということは、ワッソンを凌駕りょうがしている敵の魔術師よりも、更に上手うわての魔術師でなければならない。

 そんな人物がこの場に都合よく現れるわけが……。

「紅蓮帝からおかしな打診があったと思えば、まさかこういうことだとは」

 馬車からゆるりと降りてきた人物は、この場の状況をしっかりと把握していた。

 西門からマハー・パルディアを脱出しようとしていたアラドたち。それを待ち伏せしていた紅蠍。

 そして、その場に居合わせるように図られた自分。

「アラドラド卿、微力ながら賊の掃討そうとうに助力いたしましょう。この総魔権僧リュハラッシが」

 馬車に乗っていたのは鎮波姫でも永常でもなく、リュハラッシであった。


****


 黄金の宮殿に乗りつけた馬車から降りてきたのは、若い女性と男性二人組。

 見た目はルヤーピヤーシャ人ではなく、倭州人の様子。

 それを見て、ジャルマンドゥは目を丸くしていた。

「総魔権僧ではない……!?」

「我が取り計らった。紅蠍をたばかるためにな」

「ぐ、紅蓮帝……」

「奴らは魔術師の優位を以って、アラドラドたちを完封したと思っただろう。だが、そこに現れるのが総魔権僧であったなら、泡を食うであろうな」

 紅蓮帝は紅蠍がアラドたちを待ち伏せするのを看破し、さらにその上を行く一手を打っていたのである。

 リュハラッシと鎮波姫たちが別行動を取るのは本当だが、その内訳は全く逆。

 西門から入ってくる馬車にリュハラッシを、宮殿に来る馬車には鎮波姫たちを乗せるように指示していたのだ。

「これでアラドラドの方に刺客が行ってなければ、我の杞憂きゆうだった事になるが、それはそれで良い。だが、もしもアラドラドと紅蠍が事を構えていれば、奴らは今頃一網打尽であろうな」

「そ、そうですな」

「ところで、ジャルマンドゥ。貴様には教えていなかったことがある」

「なんでしょう……」

「紅蠍に暗殺された地方を任せていた貴族だがな。やつらのほとんどはまだ生きている。我が先手を打って影武者を立たせ、暗殺されたように見せかけたのだ。流石に数名は紅蠍の手にかかったが、多数はマハー・パルディアにかくまっている」

 最初に起こった暗殺から二件ほどは、流石に紅蓮帝と言えども先手を打つことが出来なかったのだが、そこから続いた連続暗殺事件は、ほとんどが失敗に終わっていたということだ。

 現在でも元の地方貴族は生きており、紅蓮帝の一声があればすぐに人事異動が行われ、元の体制に戻ることになっている。

「何故このことを貴様に教えなかったか、わかるな」

「……」

 ジャルマンドゥは黙して答えない。

 紅蓮帝の真意には気付いている。だが、頷けない。

 それが自分を死地に追いやることを理解しているからだ。

 だがどの道、最早逃げ場はない。

「暗殺された地方貴族の後任の指名、アラドラドたちの泊まる宿の指定、そして今回の馬車を分ける策。全て貴様の案だったな」

「……はい」

「貴様は我をどの程度馬鹿だと思っていたのかは知らんが、それも貴様が我の親代わりであった事のよしみとして目をつむってきた」

 紅蓮帝はジャルマンドゥの肩を叩く。

 そして彼の耳に口を近づけ、ささやくように言う。

「三度、見逃した。次はないぞ」

 身体の芯から凍えてしまうようなその声に、ジャルマンドゥは言葉が返せない。

 固まったジャルマンドゥをおいて、紅蓮帝は部屋をあとにした。


****


「アラドラド卿、私は魔術師の対応とケガ人の手当てに手一杯です。他を任せてもよろしいですかな?」

「上等だ。感謝するぜ、総魔権僧様よ!」

 リュハラッシの参戦で形勢が変わった西門前の状況。

 怪我を負ったワッソンはグンケルによって引っ張られて戦場の外へ、アラドをはさむようにして刺客二人が立つ。

 リュハラッシは馬車の付近から魔術を行使し、距離の離れたワッソンの怪我の治癒と、どこにいるかもわからない魔術師の対応をしているらしい。

 目に見えない魔術戦というのは、一般人からはわかりにくい事もあるのだが、静かな様子に見えて解呪合戦が行われていることも往々おうおうにある。

 ちなみに、魔術は対象との距離が近ければ近いほど簡単で、効果が高い。離れた距離でワッソンに対する回復魔術を行っているリュハラッシは、流石総魔権僧と言うべき技量であった。

「グンケル、ワッソンを引っ張って、総魔権僧殿の方へ!」

「わかってる!」

 アラドたちの邪魔にならないように移動を続けるグンケルだが、やはり身体が本調子でないのか、移動には時間がかかりそうだ。

 二人の移動が終わればリュハラッシのリソースも他所へ回すことが出来るはず。

 それまではアラドが一人で前後に構える刺客二人を相手するしかない。

 とはいえ、背後の刺客はリュハラッシの魔術によってナイフを奪われ、現在無手。さして脅威でもない。

 であれば、アラドは目の前の一人に注力できる。

「さてお二人さん。早いところかかってこないと、形勢は悪くなるばかりだぜ?」

 アラドの挑発に、しかし刺客の二人は動揺した様子を見せない。

 ポーカーフェイスは基本スキルなのだろう。

 だが、アラドの言ったことは事実。ワッソンの治癒が終了すれば、リュハラッシが戦況に介入してくる。そうなれば優劣は完璧に逆転するだろう。

 何せ、魔術師の質が状況に直結するというのは紅蠍の魔術師の言葉なのだ。

 ならばこそ、少なからず焦りがあるはず。

 紅蠍にとっての勝利条件は、アラドを殺すこと。これが一番の近道である。

 ここでリュハラッシやワッソン、グンケルに手勢を割くより、目の前のアラドに注力するのが上策だろう。ならば、リュハラッシが回復に専念している今がチャンスでもある。

「来ないなら、こっちから行くぞッ!」

 次の手を悩んでいたのか、戦端を開かない刺客に対し、アラドから突っ込む。

 目の前にいる刺客に対し、剣を構えて斬りかかったのだ。

 刺客はそれに反応し、隠し持っていたナイフを投げつけてくる。

 アラドはそれを余裕で回避しつつ、更に間合いを詰め、刺客を剣の届く距離に収めた。

「おらっ!」

 胴を薙ぎ払うかのような一撃。

 横薙ぎの一閃は、しかし刺客の剣で受けられる。

 アラドの一撃は、見た目よりも重い。

 その踏み込みは石畳を踏み割るかのように強く、剣閃は流麗で鋭い。

 日々の鍛錬によって生み出される至高の剣戟を受け止めた刺客は、相応に腕の立つ剣士であった。

(俺の一撃を、完璧に受け止めている。小柄に見えるが、相当やるな)

 自らの放った一撃を止められ、アラドは心中で相手を称賛した。

 重たい一撃を受け止めるのには、それなりの技術を要する。体重に差があればなおさらだ。

 アラドよりも幾分小柄に見える刺客が、その一撃を受け止めたのは、あらゆる関節でもって衝撃を緩和し、ゼロに還したのである。

 これには類稀なる体捌きの才能と技術を要するだろう。

 そこいらの戦士であれば、その一撃を受け止めきれずに薙ぎ払われるか、そうでなくとも勢いに圧されて体勢を崩しそうなものである。

 だが、目の前の剣士はそうならない。

 加えて、アラドの機先を制した投げナイフ。

(こいつ、あの時出くわしたヤツだな……ッ!)

 なんとはなしに悟る。

 あの時、スラム街で相対した剣士が、この目の前の刺客である。

 何の根拠もない、単なる直感であったが、アラドはこれを信じた。

 これまで何度も死線を潜り抜けて培った直感は、アラドにとっては何よりも信用できる根拠だったのだ。

(ならば、相手にとって不足は――)

 アラドが気を引き締めるのと同時、寒気が全身を襲う。

 反射的に地面を転がり、アラドはその場を退いた。

 起き上がったその目が捉えたのは、まるで軌跡が目に見えるかのような一撃であった。

(背後に立っていた刺客……いつの間に得物を!?)

 アラドの一撃を目の前の刺客が受け止めている間に、後ろに立っていた刺客が音もなく忍び寄り、アラドに斬りかかっていたのだ。

 アラドの動物的な直観が働かなければ、今頃首筋を掻き切られていただろう。

(そうか、さっき投げてた短刀……ッ!)

 後ろにいた刺客が持っているナイフ。あれは目の前に立っていた刺客が投げたナイフであった。

 あの投げナイフはアラドへの先制攻撃と、仲間への武器供給を担っていたのだ。

しかし、その奇策もアラドの鋭い勘と身体能力で回避した。

 絶体絶命の窮地を何度も乗り切った。

 ここからは反撃の時間だ。

「お前らが俺を殺しうる好機は何度もあった。だがそれを掴むことなく、今も俺は命を繋いでいる」

 ゆっくりと剣を構え、刺客二人を視界に収める。

 数的不利は覆せていないまでも、ここからは負ける気がしない。

 何せ彼は百戦錬磨の将、アラドラド・クレイリウスなのだから。

「天は俺に味方し、お前らは見放された。これまで順調に仕事をこなしてきたようだが、悪事のツケを払う時が来たようだな」

 実はその仕事というのも、紅蓮帝の暗躍によって成功に見せかけた失敗になっているのだが、アラドがそれを知る由もない。

 ともかく、ここで紅蠍を討ち果たす。


「メイリール、退路の確保を頼む」

「……は? 何を言っている」

 アラドに襲い掛かった刺客二人、ハルパライアとメイリールは、こそこそと密談を始める。

 初撃、二撃目共に奇襲が失敗に終わった。

 暗殺者としては絶好のタイミングであったのにもかかわらずだ。

 さらに言えば毒殺に失敗し、偶然果たした接近遭遇の際にも暗殺に失敗している。

 これはもはや、紅蠍の手に余る対象であるという事だ。

 論理的な理由ではなく、仕事にケチがついたという話だ。ここまで来たら、暗殺に成功する未来が見えてこない。

 この件からは手を退くのが賢い判断であろう。

 紅蠍のリーダーとしてハルパライアは撤退を判断する。

「こいつは標的として手に余る。仕事は諦めるぞ」

「何を言う! 私とお前なら、奴を凌ぐことは可能だ!」

「無理だ。先ほどの一撃を受けただけで、身体がいうことを聞かない」

 先ほどのアラドの一撃。それを受け止めたのは、それによってアラドの動きを止め、そのうちに背後からメイリールの一撃でしとめる。そういう算段であった。

 だがそれすらもアラドの常識外れの勘と体術によって凌がれた。

 勝負にツキがあるとすれば、今、それは紅蠍の側にはない。

 加えて、ハルパライアの防御は見事というより他なかったが、それは想像以上に彼の身体にダメージを与えていた。

 類稀なる体裁きによる衝撃吸収であったが、それを充分に外へ逃がすことが出来ていなかったのだ。それもまた、想像の上を行ったアラドの膂力りょりょくによるものである。

 もう一度、同じ芸当をしろと言われてもまず不可能だった。

「な、ならば私が殿しんがりを請け負う! お前がすぐに撤退すべきだ!」

「ダメだ。これは命令だ。凛周と合流してシャスガキフたちが用意しているはずの退路へ向かえ。あとは俺とアンザークで引き受ける」

「ハルパライア!」

 食い下がるメイリールだが、ハルパライアの判断は覆らない。

 手を掲げ、バックアップに回っているアンザークへと合図を送る。


 その様子を見て、アラドは潮目しおめを感じた。

 敵は何かアクションを起こすつもりである。

 それを易々と見逃す理由もなかった。

「何をしようとしているか知らんが――」

 無遠慮に、一歩。

 石畳を踏み割るほどの踏み込みで、両者の間合いを一気に詰める。

 まるで一陣の突風かのような勢いを以って、刺客二人を剣の間合いに収める。

 普通の剣士ならば、どちらか一人に狙いをつけ、まずは片方を切り捨てるだろう。

 だが、アラドの構えは先ほどと同じく横薙ぎ。

 その構えから『一刀で二人とも薙ぎ払う』という気概きがいが感じられた。

 実際、それをやるだろう。

 常人のモノとは思えないアラドの膂力。それは人二人を一刀で薙ぎ払えるほどに、常識外れである。

 加えて、ダメージを負ったハルパライアは、もう一度アラドの全力の一撃を受け止めることが出来ない。上手く動かない身体では回避もままならないだろう。

 これで決着――かと思いきや。

 あらぬ方向からまたも投げナイフが飛んでくる。

 今度は上方向から。

 アラドはそれを回避するために構えた剣を収め、刺客二人から距離を取る。

 見上げると、建物の窓から飛び降りてくる人影を見つけた。

「新手か。次から次へと」

 先ほど、ハルパライアが出した合図に呼応したアンザークである。

 窮地であったハルパライアとメイリールを助けるために、投げナイフで横槍を入れたのだ。

「メイリール!」

「……くっ!!」

 アンザークはアラドに飛びかかりながら、メイリールに声をかける。

 事態は動き始めた。ここでメイリールが足踏みをしていては、最悪全滅であった。

 ゆえに。

「先に行く! 必ず追いついてこい!」

 メイリールはきびすを返して通りから路地へと消えていった。

「ほぅ、勝ち目無しと見て退却、お前らは殿か」

「充分に時間稼ぎをさせてもらおう!」

 剣を受け止められたアンザークは、アラドを蹴り飛ばして空中を舞う。

 アンザークの体格は良く、相応に体重もあるはずなのだが、その全体重をかけた蹴りを受けてもアラドはビクともしない。

 逆に、アンザークが着地をするタイミングを狙って剣を構えているぐらいであった。

「させるかッ!」

 だが、そこは紅蠍のコンビネーション。

 すかさずハルパライアが割り込み、鋭い斬撃を放って牽制していた。

 それを回避するため、アラドはまたも二人から距離を取る羽目になる。

「チッ、やはり人数差はやりにくいな。一筋縄ではいかんか」

「今だ!」

 アラドが仕切り直しのために距離を取って剣を構えなおすのを見て、ハルパライアが懐から花火を取り出す。

 摩擦によって火をつけられる導火線に手早く着火し、それを空に高々と打ち上げた。

 乾いた音と共に花火が破裂し、大きな音が通りに響き渡った。

 これこそ、紅蠍全体に向けた撤退の合図である。

 そしてハルパライアとアンザークにとっては正念場の始まりでもあった。

「さぁ、しばらく付き合ってもらうぞ、アラドラド・クレイリウス」

「……はは、暗殺者とまともに会話するとは思わなかった」

 声をかけられたアラドは、小さく笑う。

「どうだ。降参するなら俺から紅蓮帝に口利きをしてやろう。棟梁の首を差し出せば量刑が甘くなるかもしれないぞ」

「ふざけるな、仲間を売るような人間は、うちにはいない」

 アラドの提案にはアンザークが声を荒げて返答する。

 どうやら降参の意思はないようだ。

「ならば最早容赦の余地なし。お前ら全員、血祭りにあげるが……恨むなよ」

 地の底から響いてくるような声音。その声にハルパライアもアンザークも気圧されていた。

 暗殺者として胆力は鍛えてきたつもりだったのだが、その自信がものの見事にへし折られる。

 二人が相対している『それ』が、人間に思えなかったのだ。

 アラドの表情には、すでに将ではなく修羅の相が宿っていた。

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