34-2 致命の罠 2
来たる翌日。
紅蓮帝から流された情報は町中にも伝わっているようで、マハー・パルディア中で神槍領域からの客人が来るとの噂で持ち切りであった。
神火宗は民衆にも根付いていた宗教であるが、雷覇帝が起こした神の頭環事件以来、ルヤーピヤーシャの帝室と神火宗の仲は微妙な雰囲気が流れている。
雷覇帝が
両者の親交が復活すれば、ルヤーピヤーシャ国民も何の憂いもなく神火宗を信仰できるという話だ。
故に、今回の総魔権僧の来訪は民衆の感心も強く集めている。
だからだろうか、総魔権僧を乗せた馬車がやってくるより以前に、黄金の宮殿の付近には多くの人間が集まっている。
「ここまで歓声が聞こえてくる……表には都の住民が全て集まっていてもおかしくないな」
「そうなれば都市機能が停滞してしまうので、即刻解散してほしいものですな」
宮殿の裏口ではアラド一行が西門へ向かう準備をしていた。
その見送りにはジャルマンドゥが来ている。
「では、ジャルマンドゥ殿。あなたにも世話になったな」
「いえ、私は何も。アラドラド殿の帰路が平穏なものになるよう、祈っております」
「ありがとう。それでは」
軽く会釈しつつ、アラドたちは裏口を出て西門を目指す。
ジャルマンドゥは彼らの姿が消えるまで見送り、静かに宮殿内へと戻った。
アラドたちは宮殿を出た後、人目の少ない路地を通って西門を目指していた。
路地は奇襲の可能性があるが、表通りでは人ごみがある。
相手は暗殺者である。奇襲も怖いが人ごみに紛れて接近された方が危険だ。
気付いた時にはすでにナイフが身体に刺さっていた、なんてことは避けたい。
人が少ない路地であれば誰かの接近には気付くことが出来るだろう。
「ワッソン、探査魔術はどうなっている」
「近くに不審な動きをしている人物はいないようです。妨害魔術の気配もなし……ただ、潜伏されているのであれば、発見は難しいかと」
「いや、充分だ」
ワッソンが周りの人間の動きを察知する魔術を行使しているのだが、今のところ怪しい動きをしている人間はいないようだ。
だが、相手にはワッソンを遥かに上回る魔術師がいる。
その魔術師が潜伏魔術で探査魔術から隠れているのであれば、ワッソンでは発見できないであろう。
だがそれは最早仕方のない事である。
ワッソンではどうにもできない魔術は、アラドでもグンケルでもどうしようもない。
潜伏されているのであれば、なるようになるしかないのだ。
「アラド、もうすぐ表通りに出る予定の地点だ」
「ああ。二人とも、人ごみに注意しろよ」
「了解」「わかってらぃ」
そうして三人は表通りに出る。
そこは、思ったよりも
現在は昼前。門の付近は都に出入りする馬車などでごった返してもおかしくはない時間だ。
しかし、驚くほど人通りが少なく、見た限り、通りには人影は一つもなかった。
お蔭で、やってくる馬車をすぐに発見できた。
「あれが迎えの馬車か」
「グンケル、病み上がりがお先にどうぞ」
「ちっ、
自分の状況をよくわかっているグンケルが、こちらに走ってくる馬車へと近付き、乗り込む準備を始める。
だが、そこに
「アラド様!」
「……ッ!」
探査魔術を使用していたワッソンがいち早く異変に気が付く。
アラドが声を掛けられ、すぐに周りを警戒すると、路地から滑るように走り込んでくる影が一つ発見できた。
地面に張り付くように低い姿勢のまま、マントを羽織った影がアラドへと急接近してくる。
マントの陰から陽光を反射する何かも見えた。
おそらく、刃物。
アラドが対応のために抜剣したのとほぼ同時、何かが頭上から影を落とす。
通りを形成する一等地に建っている建物の窓から、何かが飛び込んできたのだ。
アラドがそれに気付けたのは、類稀なる勘の鋭さによるもの。
しかし、それに気付けたとして、対応するのは難しかった。
地面を滑るような影は前方下から、飛びかかっている影は後方上から。
前後、上下からの同時攻撃。
しかも、更に状況は悪くなる。
不穏な影がアラドに襲い掛かるのと同時に、ワッソンの魔術がかき消される。
明らかに外部からの干渉。魔術の解呪であった。
一瞬でワッソンの魔術を妨害するその手腕は、明らかにあの時の魔術師によるもの。
この場でワッソンが役立たずになった瞬間である。
これは、明かな窮地であった。
****
一方、黄金の宮殿内にある一室。
紅蓮帝が謁見のための準備をするための部屋だが、ここからならば宮殿の表の通りが見えるようになっていた。
紅蓮帝はその窓際に立ち、外の様子を眺めている。
「紅蓮帝、そろそろ馬車が見える頃かと」
「ああ、わかっている」
ジャルマンドゥが紅蓮帝を呼びに来ると、紅蓮帝の方はすでに準備万端で、いつでも謁見の間に行ける様子である。
「紅蓮帝、
「先帝が起こした事件で関係がこじれた神火宗との親交か……正直あまり興味はない。奴らもルヤーピヤーシャに領域を構えながら、治外法権を主張している組織。アスラティカ全てを平らげる我にとって、アガールスと同じく、盗みに入った家に居座る賊のようなもの」
「では、神火宗との親交は断絶したままだと?」
「それでは民が納得しまい。我とて民を苦しめる
「彼らはそれを良しとはしないでしょうな」
神火宗が厄介なのは、アスラティカの各地に領域と呼ばれる土地を所有していながら、その土地を含む一帯を治めている
為政者から見れば自分の土地を奪われ、利益をむさぼられ、それでいてそれに対して何もすることが出来ないでいるのである。
それは神火宗の持つ『魔術』という特権による所が大きい。
魔術師は神火宗によってしか生み出せず、神火宗での研究が魔術師にとって成長のための一番の早道である。
アスラティカでは領域外のどこであっても、魔術の体得は不可能であり研究は難しいものになっている。
これによって神火宗は魔術師という強大な戦力を有し、その戦力が一か所に集中しないよう、アガールスにもルヤーピヤーシャにもまつろわない事を宣言しているのである。
もし、神火宗がどちらかに肩入れすれば、それは一方的な結果をもって決着するだろう。
戦争の早期終結には繋がるかもしれないが、虐殺が起きれば反感を買う。
神火宗は腐っても宗教。民衆を幸福に導くことが命題であるとし、不幸な民を生み出す一助になるのはよろしくない、と考えているのだろう。
「では、いかがしますか?」
「向こうの出方次第だが……ジャルマンドゥ、貴様はどう思う?」
「私は帝の意思に従うまでです」
「ほぅ。……貴様は本当に良き臣下だと思っている。我がまだ幼い頃からずっと帝室に尽くしてくれている」
「はい、雷覇帝の
確認であるが、ルヤーピヤーシャ人は寿命が長く、アガールス人と見た目は似ていても、実年齢には大きな
実際、ジャルマンドゥもアガールス人の計算で言えば五十代程度に見えるのだが、その実年齢は二百歳を超えている。
紅蓮帝も二十代に見えて百二十歳くらいである。
ジャルマンドゥは紅蓮帝が幼いころから帝に仕えており、紅蓮帝が赤ん坊の時から面倒を見ている親代わりのような存在であった。
「懐かしいですな。紅蓮帝が小さい御子であったのが、つい昨日のように思い出されます」
「貴様がいなくては、今の我もいない。そう思っている」
「もったいないお言葉でございます」
「……だからこそ、あれを見てほしいものだ」
紅蓮帝が窓の外を指さす。
ジャルマンドゥが不思議に思いながら窓に近づき表の通りを見ると、そこには丁度、神槍領域からやってきた馬車が宮殿の前に停まるところであった。
「何かおかしいところが?」
首をかしげるジャルマンドゥであったが、紅蓮帝は黙ったままだ。
そして、すぐに表情がこわばる。
「あ、あれは……」
馬車から降りてきていたのは、総魔権僧リュハラッシではなかったのである。
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