34ー1 致命の罠 1

34 致命の罠


 黄金の宮殿の廊下を、靴音高らかに歩く人影が一つ。

 ヒールの高い靴を履き、普段着でありながら豪奢なドレスとアクセサリーを身に着けているその女性は、明らかに身分の高い人物であった。

 浅黒い肌は神人である証拠でもあり、ルヤーピヤーシャでは貴族の中でも位が高い立場であろう。

 名をサハ・シェーラという。

 彼女は難しい顔をしながら一直線に廊下を進み、とある部屋の前までやってくる。

 そこはドアの前に数人の衛兵がおり、警備が厳重なように見えたのだが、サハ・シェーラの姿を見た衛兵は慌てて敬礼し、道を開けた。

「紅蓮帝はこの中に?」

「は、はい」

「では」

 手短に確認を取った後、サハ・シェーラはドアをノックする。

 ……だが、返事はない。

 サハ・シェーラも少し待ったのだが、全く反応のないのにしびれを切らし、勢いよくドアを開けた。

「紅蓮帝!」

「……おや」

 中にいたのは紅蓮帝、そしてアラド一行。

 医療術師の施術の甲斐があり、回復したグンケルもそこにいた。

「どうした、サハ・シェーラ。そんなに血相を変えて」

「紅蓮帝がいつまで経っても来ないから、迎えに来たのです!」

「む、もうそんな時間か」

 サハ・シェーラがテーブルを見ると、そこにはカードが置かれてある。

 見れば紅蓮帝とアラドの手にも手札がある。

 紅蓮帝はアラドとこのゲームを始めてから、ずっとハマっているのである。

 暇さえあればアラドの部屋を訪れ、カードゲームに興じるようになっていたのだ。

「紅蓮帝、この女性は?」

「ああ、我が正室のサハ・シェーラだ。貴様には紹介していなかったな」

「ああ、奥方様だったか。これは失礼。申し遅れた、俺は――」

「アラドラド・クレイリウスでしょう。知っています」

 つっけんどんな対応を受け、アラドは少し面を食らう。

 サハ・シェーラはジロリとアラドを睨みつけた後、すぐに紅蓮帝に詰め寄る。

「公務が終わったのはわかります。しかし、そのあとはこの部屋に直行というのはどういうことです!? 今日はわたくしと食事をする約束でしょう!」

「忘れていたわけではない。少し遊びに興が乗ってしまっただけだ。……おい、アラドラド、これを最後にしよう」

「紅蓮帝!」

 まだゲームをつづけようとする紅蓮帝に憤慨ふんがいしたサハ・シェーラは、彼の持っていた手札を取り上げてテーブルにたたきつけた。

「ああ、今の手札は良かったのに……」

「遊びとわたしく、どちらが大切なのです!?」

「はっはっは、紅蓮帝。女性を怒らせると怖いぞ。さっさと行ったらどうだ」

「貴様……さては手札が悪かったな? 試合が没収となって僥倖ぎょうこうと言ったところか」

「さてさて、それはどうかな」

 アラドは手札を確認される前にそそくさとカードを混ぜ、山札をシャッフルする。

 実のところ、図星であった。ゲームが流れて良かった、と心底ホッとしていた。

 サハ・シェーラの来訪は、アラドにとって幸運に働いたのであった。

 紅蓮帝の方ももう一勝負という雰囲気でもなくなったので、ため息をつきながら立ち上がる。

「サハ・シェーラ、今回は許すが、今後は我のやることに口を出すならば――」

「大口を叩く前に、約束をお守りになったらいかがです!? それとも、ルヤーピヤーシャの帝は女性との約束を守れなくとも勤まると、アガールスにまで喧伝けんでんなされるおつもりですか!?」

「ぐっ……」

「紅蓮帝、女性と口喧嘩で勝とうとは思わんことだぞ」

「さっきから貴様はなんなのだ、妙に達観しおって……」

 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるアラドに、紅蓮帝はバツの悪そうな顔を見せる。

 いつもは帝としてふんぞり返っている紅蓮帝が、女性に対して弱腰になっているというのが、アラドにとっては面白いし、紅蓮帝にとっては見られるのは不本意なのだろう。

 そんな紅蓮帝を腕を引っ張り、サハ・シェーラは強引に連れ出そうとする。

「とにかく、すぐに来ていただきますから!」

「わかったわかった。……あ、いや、もう少し待て」

「紅蓮帝!」

「いや、必要なことだ」

 サハ・シェーラの腕を優しく解き、紅蓮帝はアラドに向き直る。

「明日、神槍領域から顕世権僧の名代として総魔権僧が来る、というのは教えたな」

「ああ、それと一緒に鎮波姫と永常が来るんだったか」

「ああ。貴様には同行者を迎え、そのままアガールスに帰ってもらおうと思っている」

「帰る? 冗談だろ。紅蠍とはまだ決着がついていない」

「また部下の命を危険に晒してまで、か?」

 紅蓮帝がグンケルをチラリと見る。

 彼は紅蠍の暗殺に巻き込まれ、毒を飲んで死にかけていた。

 回復したのは紅蓮帝の尽力あっての事であり、下手をすれば普通に死んでいただろう。

「貴様は良いかもしれんが、部下の無事を思うのであれば、ここは退くべきだと思うがね」

「……グンケルはどう思う」

 紅蓮帝のいうことはもっともだ。

 だが、アラドの中には逃げ帰るのに抵抗がある。

 そこで、グンケルの意見を求めたのだが……。

「俺も仕返しをしてやりたい! ……のはやまやまなんだがね。毒の後遺症か、まだ身体が上手く動かねぇ。このままじゃアラドのかせになっても手伝いは出来ねぇ……」

「そうか……」

 通常生活に問題はないのだが、激しい運動をすると動きがぎこちなくなるというグンケル。

 このままでは紅蠍への復讐どころか、護衛としての仕事を全うするのすら難しいだろう。

 アガールスに帰れるのならば、その方がいいだろう、と考えていた。

 紅蓮帝の提案は渡りに船だったというわけだ。

「わかった。紅蓮帝の意見に従おう」

「賢明だな。ついては、紅蠍の目をごまかすために客を乗せた馬車は宮殿に迎え入れる。紅蠍にも貴様の連れが神槍領域からやってくるのは伝わっているだろうから、貴様も宮殿にて客を迎えると思われているだろう」

「……そこで裏をかき、隠れて別行動を取って、そのままアガールスに帰るって事か」

「その通りだ。貴様の連れを乗せた別の馬車を、マハー・パルディアの西門から入るように手配してある。貴様は誰にも見つからないように宮殿を出て、西門へ向かうのだ」

 紅蠍を宮殿に集中させておいて、隠れて脱出したアラドは都の西門へと向かい、鎮波姫たちと合流した流れで、そのまま馬車で都を脱出、南へ向かってアガールスへの帰路につくということだ。

 これならば紅蠍を欺きつつ、スムーズにマハー・パルディアを脱出できる。

「紅蠍がそれに引っかかるかね?」

おとりの情報はすでに流している。奴らの耳にはすでに入っているはずだが……」

「真の情報も伝わっているかも」

 紅蠍の情報源は未だに不明だ。

 どこから情報を得ているのかわからない以上、どの程度の情報収集能力を持っているのかもわからない。

 もしかしたらこちらの企みが全て筒抜けになっている事も可能性としては大いにあるのだ。

「紅蠍の目を欺く事を考えれば、貴様らに護衛をつける事も出来ん。策が上手くいくかどうかは運次第、と言ったところか」

「最後に頼るのが運というのは、なんともしっくりこないな」

「札遊びで我に負け越しているからか?」

「馬鹿言うな。札遊びの勝敗は五分だ」

 実際、イカサマを速攻で看破されたあとの勝率は大体五分である。

「とにかく、貴様には我の策に従ってもらう。これ以上、我が都で好き勝手はさせんからな」

「俺はあまり好き勝手はしてないが……」

「勝手に貧民街に出かけた挙句、死にかけて帰ってきた男の言葉とは思えんな。……確かに伝えたぞ。従わぬのなら、これ以上貴様らの命の保証は出来ん」

 それだけ言うと、紅蓮帝はサハ・シェーラを連れて部屋を出て行ってしまった。

 反論する余地もなく、アラドはこの策に乗っかるしかなさそうであった。

 幸い、グンケルもワッソンも異論はないようである。

「ルヤーピヤーシャから逃げ帰るみたいで気に食わないが……仕方ないか」


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