17-3 兆し 3
「来た!」
一方、ルクスは殺到してきた敵と相対していた。
敵の移動速度は、先ほど見た通り。
複数人の手練れを前にして、それをすり抜けて鎮波姫を捕縛するほどに機敏だ。
だが、同時に打たれ弱さも見てきた。
「ある程度の攻撃力を持った魔術であれば、簡単に迎撃することが出来る! なら、僕にだってそれは可能のはずだ!」
『思いあがるなよ、小僧。先ほどのはたまたま上手くいっただけであろう』
内から響く声が、ルクスの言葉を
確かに、ルクスは魔術の経験が浅く、先ほど、魔力に指向性を持たせた時のように成功するとは限らない。
「だったら、あなたも……いや、お前も協力してくれ」
『私を利用するつもりか? 先ほどは私の言葉を聞かなかったくせに?』
「だが、ここで僕がやられて困るのは、お前も同じだろう?」
看破されている。
内なる声は実体を持たず、また身体の支配権もない。
ルクスがやられて困るのは、内なる声もまた同じなのだ。
『クク、強かになったものだ。だがそれもまた一興』
「この難局、僕とお前で乗り切るぞ!」
内なる声も、ルクスの事を欺こうとした。
鎮波姫を身代わりにするため、言葉巧みにルクスを敵から隠そうとした。それはルクスの本意に沿わない行動であった。
そして今、今度はルクスが内なる声を利用し、操ろうとしている。
短時間に劇的な成長を遂げたルクスに、心なしか、内なる声にも喜色が見られるようだった。
『ルクス、貴様は魔力を練り上げるのに集中しろ。私は術式を組み上げる』
「でも、呪文や魔法陣では……」
『わかっている。ルヤーピヤーシャの人間に気取られるのは私としても具合が悪い。先ほど貴様がやったように、貴様の体内に魔力を隠したまま、術式に魔力を通す』
「出来るのか?」
『侮るなよ、貴様に出来て、私に出来ないわけがあるまい』
「なら、頼む」
正直、ルクスも自分でやってみて初めて、事の難しさを理解していた。
ルクスが組んだ術式は本当に原始的で、初歩とも呼べないほどの難易度のものだ。
それでも体内で術式を組み上げ、魔力を通すのがこれほど難しい事だとは、やってみるまで実感できなかったのだ。
やっていることは詠唱省略と同じような事だが、身体の内側と外側で術式を構築するのに、これほど手間に差異が出るとは思わなかった。
もし、もう少しでも術式の難度が上がれば、ルクスの技量では手に余るだろう。
それを内なる声が担当してくれるのならば、ありがたい。
『ルクス、敵が来るぞ! 集中しろ!』
「わ、わかった」
ルクスの目にもその姿を見ることが出来た。
空を飛ぶ敵は、ルクスの目線の少し上を猛スピードで飛び、こちらへ向かってくる。
「数が増えている……!? さっきは十数体だったのに、今は二十くらいまで!」
『また光塵とやらが影響したのかもな。だが、やつらは所詮、死にぞこない。我らが力を合わせれば、二十や三十など物の数ではない! 行くぞ、ルクス!』
「……ッ! おうッ!!」
ルクスは自分の内側で確かに術式が出来上がるのを実感した。
それは自分が今まで操った事のない程、長大で複雑な術式。
その術式を成立させるには、膨大な魔力が必要になるだろう。
だが、その魔力もここにはある。
「おおおおおおおおおッ!」
ルクスのやることは単純で簡単だ。
内なる声が組み上げた術式に、一気に魔力を流し込むだけでいい。
チリチリと、胸の内側が焼けるような感覚を覚える。
身の丈に余る魔力が、窮屈な肉体に組み上げられた術式に籠められ、肉を焼くような熱を放っているかのようである。
しかし、その熱もまた、痛みや苦しさではなく、熱狂に似た感情に近い。
不思議な高揚感は、術式に魔力が注がれるたびに全能感に変わっていく。
(僕たち二人なら……ッ!)
『不可能なことなど、ないッ!!』
目前へと迫る敵の一団。
だが、ルクスにはすでに恐怖も不安もなかった。
出来上がった魔術は、すでに敵を捉えようと臨戦態勢を整えているのだから。
『仕上げはルクス、貴様の仕事だ。呼べ、その名を』
「我、招来せしは闇に潜む捕食者! その歯牙にて我が前の敵を蹂躙せん!」
術式に刻まれた最後の一節をルクスが叫んだ瞬間、ルクスの背後に煙のような闇が浮かび上がる。
まるで夜空を背負ったかのようなその光景は、後方にいるであろうルヤーピヤーシャの従者たちの視界すらも通らないだろう。
広範囲に広がった闇の煙の中には、複数の光の粒が現れ始める。
それは夜空に輝く星と呼ぶには、少し禍々しさがすぎた。
『ナニカ ジュツヲ……!』
『サセハセン!!』
魔術の発動に感付いた敵は、ルクスに迫るスピードを上げ、地面を滑るように飛んでくる。
だが、彼らがルクスに手が届くより前に、闇の煙の中に潜んでいたものが動き始める。
煙を断ち割るように、まるで流れ星が飛翔するかのように、そこから飛び出したのは煙をそのまま纏ったかのような、黒く黒く、闇を凝縮した獣であった。
獣は物理法則を全く無視し、その四足を地面につけることなく、空中を疾走して敵にかじりついた。
喉笛を嚙み千切られた敵は、その瞬間に光塵のような光の粒となって消えていく。
『ガッ……!』
『ヒルムナ! マオウノ ウツワハ メノマエダゾ!!』
闇の煙から飛び出てきた獣を見て、敵の気勢は少し削がれたように見えた。
しかし、それでも突進をやめるつもりはないらしい。残った敵は、今もルクスへと向かってきている。
数で攻めれば勝算はあるとでも思ったのだろう。
だが、それは甘い見積もりだ。
「出し惜しみなしだ! 一気にいくぞ!」
『やってやれ、ルクス!』
ルクスが両手を広げると、闇の煙の中に浮く星々のような光が、一斉に揺らめき始める。
それは明確な殺意を帯び、殺到する敵を迎撃するかのように、煙の中から飛び出してきた。
その数、優に五十は超えている。
『グ オォ!!』
『バカナ ワレラガ……ッ!』
馬鹿正直に真正面から突撃してきた敵の一団は、ルクスの放った闇の獣を回避することも出来ず、その牙、その爪の餌食となる。
食い破られ、切り裂かれ、貫かれ、敵の一団は瞬く間に雲散霧消したのであった。
『オォ……クチオシヤ……。マオウノ ウツワ ヲ マエニシテ……』
『ココロザシ ナカバデ ニドモ シヌ トハ……』
敵の一団は口々に捨て台詞を吐きながら、その身体を魔力の粒子へと変えていく。
彼らは二度と再生せず、そのまま何事もなかったかのように、静寂だけを残して消え去っていった。
「……っぷは! はぁ、はぁ……」
敵の姿が見えなくなった後、ルクスは緊張の糸が切れたように、その場にどっかりと尻もちをついて荒い呼吸を隠しもしなかった。
身の程を上回る魔力の行使、自らの技術を凌駕する難易度の魔術の運用、そして死地に対面した緊張と興奮。
それらから一気に解き放たれ、身体の力が抜けたのだ。
「な、なんとかなった……」
『本当に綱渡りであったがな。……ククッ、本当に、面白い宿主を見つけたものだ』
「お前も……協力してくれて、ありがとう」
『礼を言われるほどの事もない。貴様が言ったように、貴様に死なれて困るのは私も一緒だからな』
あざけるように笑った声であったが、しかしルクスには確かな連帯感があった。
内なる声との協力は、ルクスに心地よさを与えてくれたのだ。
もう少しだけ、仲良くなっても良いかな、と思ってしまうくらいには。
「なぁ、お前に名前はないのか? 呼びかける時に不便なんだけど」
『貴様はもう知っているだろう?』
「あれ? 名乗ってもらったっけ?」
『明確に名は名乗っていない。しかし、呼ぶのにはちょうどいいのがあるだろう? 先ほどの敵は、貴様を『魔王の器』と呼んだのだ。ならば貴様のうちに在る私は、そう――』
声は変わらず、おどけるように笑いながら、言葉を続ける。
『魔王だよ』
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