17-2 兆し 2
「ルクスくんがついてきていない……」
先行したアラドは、チラリと後方を窺う。
一緒に駆け出したはずのルクスが、いつの間にか見えなくなっているのだ。
迷うほどの距離ではないが、注意するべきか。
いや、そんなことをしていては、鎮波姫を見失う。
現在、空を飛んでいる敵は、風の魔法で鎮波姫を拘束しつつ、ものすごいスピードで空を飛んでいる。
向かう先は、アルハ・ピオネ方面。
このまま追いかけていれば、いずれ森へと侵入するだろう。
そうなれば木々に阻まれて空を窺うことも出来ず、またまっすぐ走ることも出来なくなればスピードも落ち、追跡するのは不可能となる。
「それまでに決着をつけなきゃならんってのに……」
アラドにはこの状況を打破する術がない。
魔術を扱えないアラドは、遠距離への攻撃手段を持たず、また敵は複数であり、鎮波姫が敵の至近距離にいる。
もし遠距離攻撃の手段があったとしても、鎮波姫を傷つけないという保証はない。
とにかく、まずは鎮波姫と敵の距離を放す必要がある。
だが、どうやって……?
「一か八か、剣をぶん投げてみるか……?」
それでも、鎮波姫に当たらないという保証もない。
手詰まりか、と思った、次の瞬間。
後方から発される圧倒的なプレッシャー。
何十、何百と死線を超えた歴戦の戦士であるアラドでさえ、そのプレッシャーには本能的な反射をしてしまった。
すなわち、足を止め、腰を落とし、剣の柄を握る。戦闘態勢である。
だが、不思議なことに敵意は感じない。これは、ただの圧力だとすぐに認識を改めた。
「なんだ、これは……!?」
そうなってくると、一連の現象が謎になる。
敵が潜んでいたならば単純明快だ。
奇襲を仕掛けてくる敵を切り伏せればいい。
だが、これはそうではない。
単純な圧力。それはどう表現したらいいのか……圧倒的な存在感とでも言おうか。
それは、そう。
アガールスの馬軍領域で、ルクスを初めて見た時の感覚を、そのまま何倍にも強力に膨れ上がらせたような――
「そうか、これは……ルクスくんの魔力なのか!?」
魔術の素養を持たないアラドにすら、本能的に危機感を覚えさせるほどの、圧倒的な魔力。
それがルクスから放出されたのである。
馬軍領域で感じた圧力よりも強力ではあるが、これは間違いなかった。
「初めて出会った時ですら、魔力を隠していたってのか……」
初対面の時でも不思議な圧力を感じてしまったが、今回はそれをはるかに凌駕する。
これが全力のルクスなのだとしたなら、それは神人にも匹敵する魔力であった。
『グ ググ……?』
そして、強力な魔力を浴びた敵の一団は、途端に動きを止める。
捕らえた鎮波姫よりも強い魔力が、後方から放たれたのである。
『コノ マリョク……マチガイナイ……!』
『マオウノ ウツワ!! ソコニ イタカ!!』
気付いたのならば、あとは直線的であった。
鎮波姫を捕縛していた風の魔術をパタリと止め、一個の群体のように密集していた敵は、再び散開して地面へと急降下し始める。
「あっ!!」
短い悲鳴のような声。
風の魔術が解除され、鎮波姫の身体は空中に放り出されたのだ。
「あ、ヤバい!」
それを見たアラドは、慌てて地面を蹴る。
自由落下を始める鎮波姫。その真下にはクッションになりそうなものなどない。
木々を遥かに越える高さから放り出され、そのまま地面に叩きつけられれば、たとえ武人の国、倭州の出身である鎮波姫と言えど無事ではいられまい。
「ま、間に合えぇぇぇ!!」
冷や汗をかきつつ、アラドは全力でダッシュし、鎮波姫の落下地点へと飛び込む。
とは言え、地面ギリギリで受け止めても意味がない。アラドの腕力だけで、その落下スピードを軽減できるほど、自然の法則はヤワではあるまい。
彼女を空中で受け止める必要がある。
そう思った瞬間には、アラドは渾身の力で地面を蹴り飛ばし、鎮波姫に向かって飛び上がる。
「鎮波姫ッ!」
「あ、アラドラド卿!」
その腕は間一髪、鎮波姫を抱きかかえることに成功した。
だが、
「うおぉぉ!!」
「きゃあ!」
着地はスマートとはいかず、二人そろって地面を転がる事となった。
だが、それでも落下するままに叩きつけられるよりかは、大分マシな着陸となっただろう。
ゴロゴロと転がった後、アラドはすぐに起き上がり、鎮波姫を見る。
「大丈夫か、鎮波姫!」
「は、はい……」
覆いかぶさる形となったアラドに顔を覗かれ、鎮波姫もなんとか、といった体で答える。
「ケガはないか? 魔術による影響は?」
「えっと……今のところ、別に」
「そうか……良かった」
アラドが鎮波姫のつま先から頭のてっぺんまで眺めてみても、特に異常は見当たらない。
地面を転がったために汚れはついているぐらいだろうか。
「すまん、鎮波姫。俺たちが油断したばかりに、危険な目に遭わせた」
「いえ、謝っていただくほどの事では……それよりも……」
「そうだな、ルクスくんが心配だ」
「え、あ、はい……」
立ち上がったアラドは、鎮波姫に手を差し出す。
少しの逡巡の後、鎮波姫もその手を取り、静かに立ち上がった。
少し頬の火照りを覚えながら、それをごまかすように小さく咳払いを挟みつつ、口を開く。
「先ほどの強力な魔力……ルクスくんのものなのですか?」
「ああ、おそらくな」
「そのせいで敵はルクスくんを標的に……」
「鎮波姫を救うために、自分の身を危険にさらすとは、見上げた根性だ」
敵の操る魔術は、鎮波姫を捕縛し、その他の術師を寄せ付けないほどに強力であった。
圧倒的なまでの魔術師としての力量を持った敵。それを目の当たりにしながら、それでも囮を引き受ける。そこに不安や恐怖がないはずがない。
だが、ルクスはその役を引き受けた。
アラドをして見上げた根性と評するに値するだろう。
「だからこそ、ここで見捨てるわけにはいくまい!」
「もちろんです。助けていただいた恩は、しっかりと返します!」
アラドと鎮波姫は互いに頷き、ルクスの元へ急いだ。
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