14-2 奇妙な塵 2

 一方、来賓用馬車。

「お、あれがアルハ・ピオネか」

 馬車の窓から外を眺め、アラドがそんなことを呟く。

 窓の外に広がっているのは、広い大地と青い空、そしてその空へと聳え立つように存在している大きな山であった。

 その山こそアルハ・ピオネと呼ばれる霊山である。

「神の頭環事件、その舞台となった山か。この目で見るのは初めてだな」

 それを聞いて、帝の従者はアラドの顔を見た。

「アラドラド卿は頭環事件の時は……」

「まだ子供だったから、概要くらいしか知らない。なんせ十数年も前の話だ」

「そうでしたか。……いやはや、ルヤーピヤーシャの人間は、アガールス人とは成長の速度が違うもので。アラドラド卿もアルハ・ピオネに挑戦した一人かと」

 そう言って苦笑する従者の年恰好は、アラドと同じくらいか、それよりも下のように見える。

 だが、実際はそうではない。

 ルヤーピヤーシャの国民は、そのほとんどが神の血を受け継いでいる。

 そのためアガールスの民と比べて長い寿命を持ち、強靭な肉体と高い魔術適正を持ち合わせているのだ。

 つまり、一個体の人間としては、アガールス人よりもルヤーピヤーシャ人の方が優れていると言えなくもない。

 そんなルヤーピヤーシャを相手に、何十年何百年も戦争を続けていたアガールスという国は大したものだな、とアラドは心中で自賛した。

 話を戻すと、長寿であるルヤーピヤーシャ人は、成長の速度もアガールス人とは違う。

 若く見える従者も、実はアラドより年上だったりするのである。

 事実、彼はアルハ・ピオネを攻略する帝の軍に従軍し、戦場を経験していた。

「あのころ、私はまだ一兵卒でしたが、雷覇帝の隊に編成されたことは人生の誉れです」

「じゃあ、貴殿もアルハ・ピオネの頂上へ行ったことがあるのか」

「いえ、途中で負傷し、下山を余儀なくされました。そのため、頂上までは登っていません」

「残念だな、頭環を砕いた時の様子を教えてほしかったもんだ。神の作ったモノを、人間が破壊するだなんて、そうそう見られる場面じゃないだろうからな」

「そもそも、神具を壊そうとするだなんて、雷覇帝でないと考えつきますまい。そういう面でも実に革新的なお方でした」

 従者の目には、きっと在りし日の雷覇帝の幻影が浮かんでいるのだろう。

 それだけ彼にとって、本当に素晴らしい思い出なのだ。雷覇帝の人望がうかがえる。

 そんなことを考えながら、アラドが車窓から、もう一度アルハ・ピオネを眺める。

「……ん?」

 すると、上空がかすかに光ったように思えた。

「いかがしました、アラドラド卿」

「いや、アルハ・ピオネの上空が少し光ったような……鳥かな?」

「光った? いえ、それは鳥ではないかもしれません。少し失礼」

 アラドの言葉を聞いた従者は、すぐに御者に指示を送る。

 すると、馬車はその場で急停車した。

「なんだなんだ、どういうことなんだ?」

 アラドと同じく、車窓から外を覗き込んだ従者は、空に輝く何かを見て渋い顔を浮かべる。

「間違いない、あれは『光塵こうじん』と呼ばれる現象です。ここ最近は見なくなったと思ったんですが……」

「危険なのか?」

「振れ幅があります。最悪死ぬ場合も」

「そりゃ……ヤバいな」

 従者による端的な説明を受け、停車の理由を納得する。

 光塵というのがどういうものなのかはわからないが、知っている人間がいるのならばその指示に従うべきか。

 従者は少し思案した後、馬車のドアを開けた。

「少し外の様子を見ます。光塵の量が少なければ、このまま突っ切れるかもしれません」

「状況を確認するのに、どのぐらい時間がかかる?」

「申し訳ありません、明言は出来ません。何せ、光塵という現象自体が不確定要素の塊みたいなものです」

「なるほど、じゃあ、ここでちょっと休憩だな」

 見通しの立たない先行き。だが、それでもアラドは悲観したりはしない。

 従者とともに馬車の外へ出て、周りの景色をぐるっと眺めた。

「これがルヤーピヤーシャの町の外か。少し埃っぽいかな」

 そこは見渡す限りの荒野。いくらか草木が生えてはいるが、水気のない地面は、少し風が吹けば土埃が舞う程度であった。

 ルヤーピヤーシャは険しい土地である。

 アガールスのように平地が多いわけではなく、山谷が多く、地面は乾いているところが多い。

 作物の育ちもそれほど良くはなく、強い植物でなければすぐに枯れてしまうぐらいだ。

 逆に言えば、天然の要害とも言える。

 山々に囲まれた場所に建てられた城や砦は、攻め入るのに難しく、守るのに容易だ。

 そのため、ルヤーピヤーシャは堅固の国でもあるのだった。

「どうしたんですか、急に停まって」

「おぉ、ルクスくんか」

 後続の幌馬車から降りてきたルクスが、アラドに近づいてくる。

 一応、アラドはアガールスの筆頭領主なのだが、彼の人柄ゆえか、ルクスもあまり畏まった様子がなかった。

 傍についていたグンケルとワッソンも、フレンドリーなルクスを咎めないのが、アラドの扱い方を物語っているかのようだ。

「少しの間、休憩だよ」

「何か事故でもあったんですか?」

「いや、そうではなくて」

 ルクスの不安を笑い飛ばしつつ、アラドは空を指さす。

「ルクスくんも見えるか? 空に光ってるモノがあるだろ」

「え? あ、本当ですね」

 空を見上げると、アルハ・ピオネの付近にキラキラと陽光を反射する何かが見える。

 それはまばらではあるが広域に広がっており、相当な量であることが窺えた。

「あれは光塵というらしい。なんでも、ヤバい代物だそうだ」

「アラド様も良く知らないんですか?」

「ルヤーピヤーシャ特有の現象だろう。俺は見たことも聞いたこともない」

「私からご説明しましょう」

 御者や護衛の騎士に指示を送っていた従者が、アラドとルクスに近寄ってくる。

「あの光塵というのは、雷覇帝が頭環を砕いた際に発生した塵です。もっと言えば、頭環の破片ですな」

「へぇ……でも頭環事件は十数年も前の話だろ? まだあんなところを漂ってるのか?」

「だから最近見かけなかったはずなのです。破片は全て風に流されたと思っていたのですが……」

 十数年もの間、あのあたりに滞空しているとなれば、やはり神の力の宿った道具には、不思議な力が宿っている、ということなのだろう。

 そもそも、物質の破片が空を漂うというのも不思議な話なのだから、その時点から常識でモノをはかることがナンセンスなのかもしれない。

「十数年前、頭環事件が起きた当初にも光塵は発生しました。それが風に流されて麓の村などに降りてきた際、住民に様々な変化があったのです」

「それが、最悪死亡するってやつか」

「そうです。ですが良い側面に働く事例もありました。持病が改善したとか、数十歳若返ったとか、他にも神火に適合したなどの例も報告されています」

「ほぅ」

 それを聞いていたワッソンが、小さくため息を漏らした。

「どうした、ワッソン」

「いえ、神火の適合の是非というのは先天的なものと言われています。後天的にはどうやったって適合できない、と。それが後天的に神火に適合したとなると、神火宗の常識がひっくり返りますよ」

「そうか、そういえばワッソンも神火宗で学んだんだったな」

「ええ、そうでなければ魔術師にはなれませんから」

 フィムの弟子でもあるワッソンは、クレイリアの魔術師である。

 元々、神火に適合し、神火宗に認められて領域で修行を行い、そののちにアガールスで仕官先を探した結果、クレイリアにたどり着いたという経緯がある。

 彼が神火宗の知識があるのも当然であった。

 それを聞いて、ルクスはふと思う。

(光塵の影響……僕が魔術を使えるようになったのも、それに近いものなのだろうか?)

 ルクスは神火に適合したわけではない。

 彼の故郷であるフレシュの村には何度か神火宗の僧侶が訪れる事があったが、その際にもルクスには目もくれなかった。

 それはルクスが盲目だったことが原因か、それとも僧侶に認められるほどの資格を持たなかった故なのか……ミーナがルクスの内に魔術師としての素質を認めなかったという事は、おそらくは後者なのだろう。

 だが、今のルクスは身の内に膨大な魔力を宿し、魔術を行使できる。それは謎の声による影響のせいなのか、それともまた別の原因があるのか。

 ルクスの頭の中の声は黙して語らず、答えを得ることは出来なかった。

 そんなルクスを横に、ワッソンは鼻息荒く、光塵という現象に興奮しているようであった。

「もし光塵とやらを研究できれば、神火宗の学問にも多大な影響を及ぼすでしょう」

「しかし、神槍領域ですら光塵の研究は諦めたのですよ」

 少し興味を持ち始めていたワッソンに対し、従者は首を横に振る。

「それは、どうして?」

「先ほど申し上げたように、光塵に触れれば最悪死にます。そして、その症例は魔術師に多い。おそらく、元々の魔力量に関係しているのだろう、という話でした」

 魔術師になるためには、神火への適合が必要である。

 そして、その資格にはその人間が持つ元々の魔力量というのが深く関係していた。

 全ての人間には魔力を生成する器官が備わっている。そこから生み出される魔力量が多ければ多いほど、神火と適合する可能性が高い。

 しかし、そういう人間ほど光塵が影響した場合、悪い結果に陥る事が多かったのだという。

 神槍領域の魔術師たちは、当然神火に適合しており、生成する魔力量も高い。

 となれば、研究をしたがる人間こそ、光塵の影響で死亡リスクが高いわけだ。

「最悪の場合を免れても、後遺症が残るほどの重大な症状が発生したり、そうでなくとも光塵に長く触れ続ければ症状は際限なく悪化し続けます。神火宗はこれを早々に『神の頭環を砕いたことに対する、神罰である』と断定し、光塵に触れることを禁止しました」

「なるほど。そういえば、頭環事件は神火宗にとって面白くない出来事だった、ってフィムが言っていたな」

 神の頭環は、神々がこの世界に遺した最後の神具である。

 それを雷覇帝が破壊した件は、神の不興を買う可能性がある、ということで、神火宗はルヤーピヤーシャを強く批判していたのだ。

 頭環事件によって発生した光塵は人体に悪影響を及ぼす可能性がある。それを、神罰として受け入れたのにはそういう背景があるのだろう。

「そういうわけで、同行者に魔術師も含んでいますし、そうでなくとも光塵に触れればどんな影響が出るかわかりませんので、ここはいったん、光塵の様子を窺います」

「……ってことだそうだ、ルクスくん」

「はい、わかりました。後ろのみんなに伝えてきます」

 説明を受けたルクスは、幌馬車の方へと駆けて行った。

 若さゆえのフットワークの軽さをうらやましく思いつつ眺めていると、入れ替わりにこちらへ歩いてくる影が一つあった。

「君は……永常か」

「アラドラド卿、少しよろしいですか」

 何やら神妙な顔をしている永常。

 それを見ていると、少し嫌な予感がした。

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