15ー1 とんでもない 1
15 とんでもない
光塵の所為で休止をやむなくされた一行。
馬車は停止し、ルヤーピヤーシャの人間は誰もが光塵の様子を注意深く眺めている。
そしてアラドたちは――
「永常! 無用に衝突するのはやめろとあれほど――」
「いいえ、姫様。これは単なる交流ですよ。模擬試合なんですから」
永常とアラドが向き合い、お互いに訓練用の木の剣を持っていた。
というのも、休憩が始まってすぐ、永常がアラドに模擬試合を申し込んだのである。
事前に鎮波姫から、あれほど無暗に敵を作る必要はない、と言われていたにも拘らず、だ。
しかし、永常にとってもここばかりは譲れなかったのだ。
何せ、一行のリーダーであるアラドの力量を、未だに確認していない。
武人である永常にとって、アラドの力は見ておかねばならなかったのである。
「だ、大丈夫なんですか、アラド様?」
「ん、おう。まぁ、永常がこうしないと納得できないっていうんなら、仕方ない」
木の剣を手渡したルクスが心配そうに尋ねたが、アラドの方は
「でも、永常さんは鎮波姫さんの守士ってヤツなんですよね? 多分、相当腕に自信があると思いますよ?」
「それならこっちだってクレイリアって武門の
「そうかもしれませんけど……」
「心配性だな、ルクス少年。まぁ、黙って見ときな。男には戦わずにはいられない事があるんだ。それが命のやり取りでないなら、受けない理由はない」
にっこりと笑うアラドに、ルクスは臣下の苦労の一端を見た気がした。
一方で、鎮波姫はグンケルの腕をつかむ。
「やめさせてください。私の臣下が無礼を働いたことは謝りますから」
「姫さんも心配かい?」
「そりゃそうです! 万が一、アラドラド卿に傷でもつけようものなら……」
「あっはっは! そりゃいい。アラドがケガをするなら、そりゃ良い薬ってもんだぜ」
鎮波姫の心配を、やはりグンケルは一笑で飛ばす。
それを見て、鎮波姫は目を丸くする。
「あ、あなたは笑いますけれど、永常とて守士です! あなた方にとっては馴染みは薄いかもしれませんが、倭州で守士と言えば武人の
「おうさ。そうでなくちゃ困る。何せクレイリアだって武人の家柄だし、その筆頭たるアラドが剣を合わせるんだ。相応の格がなくちゃな」
「そうじゃなくて……」
「姫さん。わからねーかな? 武門の棟梁ってのは、その守士の筆頭とやらと、同格かそれ以上って事だぜ? アンタの心配はお門違いだ」
「でも万が一ということもあるでしょう!」
「アンタの言う通り、守士が武人の誉れなら、その勝負で傷がついたところで、箔になるにしろ恥じゃねぇ。アンタが必要以上に心配することじゃねぇさ」
取り付く島もない。
グンケルはもちろん、ワッソンですら審判を進んで務めるほどに、この余興に乗り気らしい。
二人の様子を見ていると、心配している自分が馬鹿らしくなってきて、鎮波姫はかぶりを振った。
「もう知りませんからね」
「はは、まぁ、姫さんの心配はありがたく受け取っておくさ。ただ、考えてみてくれ」
「……何をです?」
「フィムフィリスってウチの参謀は、とんでもなく心配性だ。特にアラドの事になると相当気をもむらしい」
港を出る前に一緒だったフィムのことは、鎮波姫も少し知っている。
確かにアラドの事を気にかけては胃を痛めている様子ではあった。
「その、フィムフィリス殿がなんだというのです?」
「いろんな事情があるとはいえ、フィムフィリス殿がアラドの傍を離れて別の人間をつけてルヤーピヤーシャまで行かせるってのは、どういうことだと思う?」
「……アガールスの方々の考えはわかりません」
「難しく考える事ぁないさ。フィムフィリス殿は単純に、アラドの力を信用してるんだ」
いくら信用しているからと言って、とまで口に出かかったが、鎮波姫は言葉を飲み込んだ。
こうなったらもう、何が何でも永常にはアラドをギャフンと言わせてほしいまである。
****
「ルールは単純、相手に参った、と言わせた方の勝利。それ以外は良識の元に、各々加減してください」
ワッソンが両者の間に立ち、ものすごく簡単にルールを確認する。
アラドも永常も、その説明に対して首肯で返し、剣を構えた。
「……お?」
永常の構えを見て、その奇異さにしかし、口元をゆがめる。
「それが倭州の剣術か?」
「さて、どうですかね」
アラドの質問をはぐらかす永常。
彼の構え方は、確かに独特であった。
かなりスタンダードに、片手中段に構えたアラドに対し、永常は剣を左手に持ち、さらには逆手に握っていたのだ。
まるで短剣でも扱うかのような構えを見て、そこに作為を感じるなという方が無理である。
(構えからして、まともに撃ち合うつもりはないってことだな)
木の剣は普通のロングソードサイズ。あれを逆手で振り回すとなると、順手で構えているアラドと比べて、正面切ってのチャンバラはいささか分が悪い。
となれば、永常は剣を受け流すように使い、本命は別にあるということだろうか。
(なんにせよ、ワクワクするじゃねぇか)
根っからの武家であるアラドにとって、知らぬ戦術との対峙は恐怖であり、また成長の機会でもある。
そしてどちらかと言えば、恐怖よりも楽しみの方が強い。
「どう出てくるか、ますます気になる! かかって来いよ、永常」
「……それでは!」
かなり低い姿勢から、地面を滑るような突進。
永常が左手に構えた剣も、その態勢では防御に使うこともままならないだろう。
それを理解せずに行動をするほど、守士という肩書は甘くあるまい。
そう思ったアラドは、だが永常に対してまっすぐに受け答える。
素早く振り上げた剣を、
鋭い斬撃は空気を絶ち割り、ビュン、と涼しい音を立てる。
間近であればその剣閃を捉えることは難しく、突進の途中の永常ならばなおさらであろう。
だが、それが永常を捉えることはなかった。
アラドの目前で、永常が急に進行方向を変えたのである。
おそらく、アラドが剣で迎撃することを予測していたのだろう。でなければ回避などまず不可能であった。
アラドの行動まで織り込み済みの突進。アラドは永常にまんまと乗せられた形になる。
しかも永常のスピードがグン、と一段階上がったようにすら見えた。
(速いな。しかし……ッ!)
アラドの右手に回り込んだ永常。そちらはアラド側からしてみれば、目視しづらい方向である。剣を振り下ろした腕が邪魔で、死角が多いのだ。
それでも気配までは殺し切れていない。
足音、服のすれる音、呼吸、空気の流れ。あらゆる要素から、アラドは永常の現在地を限りなく正確に把握している。
ゆえに、そう
「そこ……ッ!」
振り返りざまに横なぎの一閃が振り抜かれる。
だが、それすらも空を切った。
永常はすでにアラドの背後から消え失せており、アラドはその影すら掴めなくなっていたのだ。
(思った以上に速いのか。守士は
自分の認識と現実との差を埋めながら、アラドは引き続き永常を探る。
常にこちらの死角へ、死角へと移動し続けている永常。
必殺の瞬間までこちらへの攻撃を仕掛けてこないつもりなのだろうか。
ならば――
「こちらが機を待つと思いましたか?」
「……ッ!?」
アラドが気を抜いたタイミングで、背後から永常の声。
死角を取り続けていた永常が、足を止めているのである。
反射的に振り返り、剣を振るったのだが、それもまた空振り。
しかも不意打ちであったために、多少バランスが崩れてしまった。
それは普通ならば、ほとんど意味をなさない僅かな崩れであったが、達人同士の立ち合いでは些細なミスすら致命傷になりうる。
そして、今アラドが対峙しているのは、倭州の武人の誉れである。
「ぐっ!?」
剣を振りぬいた腕が、永常の左手でひっかけられる。
そしてそのうえで足をかけられ、首に腕が回された。
跳ね上げられたアラドの脚は高く地面を離れ、大きく体勢が崩れる。
このままでは倒れる。そう思った時にはすでにアラドは次善の手を打っていた。
引き倒される勢いのまま身体をひねり、地面を転がるようにして転倒を防いだのだった。
すぐさま起き上がり、もう一度永常と正面から相対する。
「はぁ……はぁ……あ、危なかった」
「……そうか、しまったな」
あのまま倒れていたなら、アラドは確実に負けていただろう。
いや、なんなら永常がその気ならば、もしかしたら一本取られていたのかもしれない。
それが出来なかったのには、理由があった。
「永常、なんか妙な感じだったな」
傍から見ていたグンケルは、その動きの不自然さに気付いていた。
永常は明らかに悪手を取っていたのだ。
アラドの虚を突いた時点で、相手の体勢を崩すのではなく、致命の一撃をくわえる事も出来たはず。
おそらく、体勢を崩しにかかったのは、勝利をなおさら確実にするための一手だったのだろう。
だが、その一手を挟んだおかげで、アラドは首の皮一枚をつなぐことが出来た。
それにはアラドの驚異的な身体能力も関わっているのだろうが、そうでなくとも永常はもう一手早く勝負を決することが出来たはず。
「なんだったんだ、アレ」
「……永常の扱う武術は、軽装にて鎧武者と戦うための技術です」
首をひねるグンケルに対し、鎮波姫が注釈を入れた。
「おそらく、アラドラド卿も戦に立つような鎧装備をしていれば、先ほどのような動きは出来ないでしょう? 馳側の武術は、鎧武者を無力化させ、そのうえで確実なとどめを刺すのが定石なのです」
「ああ、なるほど」
アガールスでも倭州でも、戦に立つ戦士ならば、鎧兜を身に着ける。
土地の文化の違いによって、いくらかの差異はあるだろうが、鎧一式であればどちらも数十キロの重さになるはずである。
アガールスに関して言えば、フルプレートを身に着けるとなると、大人一人を身体中に巻きつけているような重さになるのだ。
その状態で、今アラドが見せたような軽業を行うことは不可能だろう。
きっと永常によって地面に倒され、起き上がるのも困難になっていた。
逆に永常にとっては、鎧による重量が増えた相手というのは、組み伏せるのには慣れた相手だと言える。
腕力を使って強引に引き倒すのではなく、相手の重心を崩し、バランスを失ったところに圧力をかける事によって相手を倒す技術。柔術と呼ばれる技術をもってすれば、変に重量を増やした相手などはむしろ格好の的ですらある。
もしここが戦場であったなら、そしてお互いに戦の準備をガッチガチに固めていたとしたら、負けていたのはアラドだ。
鎮波姫の説明で納得したグンケルは、ニヤニヤと笑いながらアラドに声をかける。
「おーい、アラド。どうやらお前、戦場なら死んでたらしいぞぉ」
「わかってるよ。チクショウ」
アラドにもそれはわかっていた。
だからこそ、この模擬戦もアラドの負けなのだろうな、と思っていた。
のだが。
「私はまだ勝ったとは思っていませんよ」
永常はまだ構えを解かない。
確かに完全な勝利とは言えなかっただろう。状況から見て、アラドが完全に分の悪い状況であったが、しかしどんな形であろうと
その結果で満足できるのならば、守士は倭州武士の誉れとは呼ばれまい。
そんなわけで、永常はやる気満々である。
審判であったワッソンも、アラドを見据えていた。
「くそっ、俺だってこのままじゃ終われないさ!」
クレイリアの領主として、アガールスの筆頭領主として、このまま土をつけられた状態ではいられない。
「永常、今ので終わっておかなかったこと、後悔させてやるぞ」
「望むところです。私も、アラドラド卿がこの程度だとは思っていません」
薄ら笑いを浮かべる永常。
どうやら、気をよくしているらしい。
「その鼻っ柱、へし折ってやる……ッ!」
侮られたままではいられない。
アラドは意識を改め、剣を握りなおした。
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