9-2 宗教侵略 2

「神火宗の倭州侵略、か」

 トゥーハット領の宿で話を聞いていたフィムが唸る。

「フィム、何か知っているのか?」

「私も神火宗の内情には詳しくないが、しかし……十数年前にルヤーピヤーシャで騒動があっただろう?」

「騒動……神の頭環とうかん事件か」

 十数年前に起こった神火宗がらみの事件と言えば、思い当たるのはそれしかなかった。

 神の頭環事件とは、神の頭環と呼ばれる神器がルヤーピヤーシャの国内に現れ、アガールスの人間も強引にルヤーピヤーシャへと侵入し、神の頭環を争奪した事件の事である。

 神の頭環には神の力が宿り、それを戴冠したものは全知全能の力を持ち、この世を統べるであろうといういわれすらついていた。そんな代物であったから、アスラティカの誰もがそれを欲しがったのだ。

 しかし、これを最初に手にしたルヤーピヤーシャの先代帝、雷覇帝は神の頭環を破壊した。

 神によってもたらされた神器を破壊した雷覇帝は、これによって本当の意味での人間の世が始まると宣言したのだが……それは神の火を信仰対象としている神火宗にとっては困ったものであった。

 そもそも、神火宗の崇める神の火とは、神からもたらされた絶えることのない火である。

 その力は神に由来し、神の恩恵によって神火宗は成り立っている。

 しかし、雷覇帝は神がもたらした神器を破壊し、神の思し召しに唾棄だきしたのだ。この行為は神に対する冒涜であり、ひいては神火宗に対する敵対行為に等しかった。

 この神の頭環事件によってルヤーピヤーシャと神火宗の関係は最悪と言えるまでに悪化し、ルヤーピヤーシャ国内に存在している神火宗の領域である神槍領域は強引に治外法権を得るに至った。

「神の頭環事件と、今回の倭州侵略、何か関係があるのか?」

「あの事件は人間が神に反逆した決定的な事件だとされた。神火宗は神の頭環事件のあと、神の加護がなくなり、神の火が途絶える事を危惧していた、なんて噂がささやかれるぐらいには。そして、新たな神の火を探しているとも」

「……その新たな神の火とやらを、倭州の中に求めたのか」

 現状、神の火が消えてしまうような予兆は見られないが、今後はどうなるかわからない。

 何せ雷覇帝の行ったことは、神に対して明確な離反行為である。

 神の機嫌を損ねれば、領域にある神の火が消えてしまう可能性はゼロではない。

 そして神の火が消えれば魔術師は魔術を使えなくなり、神火宗は宗教としての力を大きく失うことになるだろう。

 それを危惧し、神火宗は自分たちのあずかり知らない神の火を求めたのだ。

 神火宗の知らない神の火があれば、それは雷覇帝の暴挙を知らない神の力に由来する神の火なのではないかと思ったのだろう。

 そして倭州という新天地。神火宗がそこに神の火を求めてもおかしくはない。

「そのあたり、神火宗の人間としてはどう思いますか、ミーナ修士」

 フィムに話を振られ、ボケっとしていたミーナは肩を跳ねさせた。

「えっ!? えっと……私はヒラなので、ちょっと深いところの話までは……」

「何か噂話とかでも聞いた覚えは?」

「現在の顕世権僧であらせられる龍戴様が、倭州の言葉で名前を変えたことは、神火宗が倭州に対して友好を示している、という事だ、とはおっしゃっていました」

「それは確かに、アスラティカ全体に対して、そういう態度を強調している節はありましたね」

 神火宗が倭州へ進出し始めた時、神火宗のトップである顕世権僧のアリュータイが龍戴へと名前を漢字に改めたと同時に、全世界に向けて言葉を発した。

 それが倭州との友好である。

 神火宗は倭州と親交を深め、共に手を取って両者の繁栄を求めたい、などと言っていたが、倭州側からは大した反応はなかった。

 倭州の内情が鎮波姫の言った通りならば、その反応は当然と言えば当然だろう。

 そして実際の神火宗の動きを見るに、おそらく、龍戴の真の目論見も倭州の宗教侵略であり、公に発した宣言は建前にしか過ぎないのであろう。

 しかし、信徒であるミーナにしてみれば、そんな話を手放しで信用することは出来まい。

「龍戴様が倭州に対して友好を示したのならば、宗教侵略や、倭州に新たな神の火を求めたという話は……」

「まぁ、どっちにせよ、神火宗の教えを広めて信徒を獲得するという目的であっても、宗教侵略はある程度必要なわけだからな。目的は綺麗に着飾った方が良い」

「アラド、もう少し歯に布を着せなさい」

 困惑するミーナを前でも、全くオブラートをかぶせないアラドの物言いに、フィムが難色を示す。……とは言っても、フィムの思っていることも同じようなことだ。

 龍戴の思惑が公言通りだったとしても、倭州の宗教支配だとしても、どちらにしろ方法は変わらないのだ。

「も、もしかしたら無理に布教などはしないのではないでしょうか? 強引な布教活動は不和の種になるみたいですし」

「だとしたら、神火宗の布教は倭州西岸で止まるだろうが……」

「そこは鎮波姫のお話の続きを聞きましょうか」

 倭州の内部事情はアガールスの人間には知る由もない。

 だがこの場には倭州出身の人間がいるのだ。二人に聞くのが一番手っ取り早いだろう。

「あ、すみません、鎮波姫。続きをお願いします」

「いえ、私も知らないアスラティカの事情を知れて勉強になりました。……では、続きをお話します」


****


 征流殿の謁見の間にて行われた太守との会合が終わった後、鎮波姫は征流殿の中にある私室に戻っていた。

 そこには二人の男が護衛のためについている。一人は馳側永常、そしてもう一人は彼の父親である馳側はせがわ白臣しらおみであった。

「して、どうするつもりですかな、姫?」

 初老の男性、白臣に尋ねられ、鎮波姫は書をしたためていた手を止める。

「まずは泰の動きを牽制します。西部や南部が浮足立てば、泰はすぐにでも侵攻を始める、というのは先ほどの会合で話した通りですから」

「姫が書を送れば、やつらは止まりますかな?」

「泰にとっても、神火宗の宗教侵略は面白い事態ではないでしょう。それを西部と南部だけで解決するとなれば、静観するのは悪くない話のはずです」

 泰の太守である万鬼ばんきという男も、代々の姫を信仰する熱心な姫信者だ。

 今回の神火宗の侵略も、事実を知れば憤慨ふんがいこそすれ、それを助長することはあるまい。

 さらに泰のリソースを削らずにその事態が収拾されるとなれば、泰にとってもメリットの多い話である。無下にはすまい。

 鎮波姫の返答を受け、白臣は一度頷く。

「泰の事は良しとしましょう。しかし実際に神火宗を追い返す策はございますか?」

「神火宗の宣教師はすでに西岸に上陸しているようです。ここから彼らを追い返すのは難しいでしょうね」

「西部には商人気質も多いですからな。外の人間との交易に躍起になっていたと聞きます。そこに宣教師が混じっていても気付かないでしょうな」

 倭州人とアスラティカ人の顔立ちは一見してわかる程度には違う。倭州の都にアスラティカ人が混じっていたとしても、それを見つけ出すだけならば簡単だ。

 しかし、それが商人であるのか、神火宗の宣教師であるのか、を判断するのは、今の鎮波姫たちには難しかったのだ。

 何せ、神火宗の人間の纏うローブには、必ず刺繍が入っているなんて言う事実すら浸透していないのである。その上で神火宗の宣教師が変装までし始めたなら、もはや宣教師だけを摘発するのは不可能だろう。

「民の思想にも介入するのは難しいです。彼らが神火宗になびいたのであれば、それも致し方のないこと。そして、神火宗に染まった民を倭州から追放するわけにもいきません」

「であれば、いかがします?」

 民は国の礎である。それを追放するのは下策も下策であろう。

 かといって宗旨しゅうし替えをした人間に、元の宗教に戻れというのも難しい話だ。神火宗に魅力を見つけた人間を引っ張り戻すのは相当なコストを必要とするだろう。下手を打てば姫の信仰対象としての格にも関わる。

 こちらの魅力を大きく見せるのは難しい。となれば取れる策は相手のネガティブキャンペーンだろう。

「倭州の民にとって、戦に貢献できるか否かというのは、大きな判断基準になります。その点において、私たち代々の姫は倭州の武人に様々な恩恵を授けてきました。神火宗にもそれに似た力があると聞きますが、それが姫のものより劣っていると思わせれば、神火宗になびいた民を取り戻せるでしょう」

「単純明快ですな。ですが、それゆえに効果的でしょう」

「つまり……神火宗に戦を仕掛けるのですか?」

 鎮波姫と白臣の会話に、永常がようやく追いつく。

 鎮波姫の策とはつまり、簡単に言えば神火宗にケンカを売ることである。

 長い間、倭州は内部で延々と戦を続けてきた。それは彼らの価値観を作り上げており、強いものこそ正義、という常識を確固たるものとした。

 そこに来て『魔術師』という存在を生み出すことが出来る神火宗というのは、武人にとっては確かに魅力的なものであろう。

 であれば、鎮波姫がやることは一つ。

 魔術師など戦を左右するものではない、と示すだけだ。

「列島の戦力を出します。白臣、永常、ついてきてくださいますね?」

「ええ、もちろん。ワシは姫の盾となり」

「私は姫の剣となりましょう!」

 馳側親子の快い返事を受け、鎮波姫は倭州西部へと出陣する。

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