9ー1 宗教侵略 1

9 宗教侵略


 倭州。ルヤーピヤーシャから南東の海に浮く大陸である。

 大きな陸地といくつかの島によって構成され、アガールスやルヤーピヤーシャとほぼ同等の陸地を持っており、その内部はいくつかの州と呼ばれる領地によって構成されていた。

 倭州では絶えず戦が行われており、国という体裁を整える前のアガールスに近い状況であり、国民のほとんどが武人の気骨を持っている。

 そのため縦の関係が強く、上に立つ人間のいうことは絶対という風潮がある一方、上昇志向も強いために下剋上が発生することもままあるという、戦国時代が極まったような国であった。

 そんな倭州とアスラティカ大陸の交流が始まったのは、極々最近のことである。

 ルヤーピヤーシャとアガールスの戦争が激しさを増した頃、両国共に海運技術の重要性を見直しはじめ、海の魔物に負けない船でもって長距離航行を可能にした。

 それと同時に、ルヤーピヤーシャは今まで探索を行ってこなかった海への冒険をはじめ、そして倭州を発見するに至ったのである。

 そこからルヤーピヤーシャと倭州との交流が始まり、それを追いかけるようにして少しずつアガールスとの交流も始まった、という経緯を辿り、現在でもアスラティカ大陸と倭州の関係は探り探りといった状況であった。

 倭州側からしても、急に現れた海の向こうの存在に対し、最初こそ少しの恐れを抱いていたが、同じ人間だとわかれば対等の関係を始め、現在では船による貿易を行う程となっている。


 事件が起こったのは、紅蓮帝が抑戦令を発布してからほどなくであった。


****


 倭州の東の海に浮く島々、通称『列島』と呼ばれる地域には、倭州にとって、とても重要な要素がいくつも揃っていた。

 まず、複数の州が存在している倭州において、精神的支柱、または信仰の対象とされる人物がいる事。

 そして、その存在だけがふるう事が出来ると言われる神器があり、それを収める社が存在していること。

 最後に禁足地と呼ばれる、何人も立ち入ることの許されない島があることが挙げられる。

 その列島にいる重要人物こそが、鎮波姫であった。


 鎮波姫の住居も兼ねる、列島でも最大の建物である征流殿せいるでん。その謁見の間にて倭州の大陸からやってきた州のリーダーである太守が幾人か、集まっていた。

 彼らは大陸で覇を競う武人の筆頭である。相応に強面こわもての男たちが、今回は戦を抜きで一つの部屋に集まり、顔を突き合わせている。それには当然、理由がある。

「お待たせいたしました」

 剣呑けんのんとした雰囲気の謁見の間に、女性がしずしずと入って上座に座る。

 すだれに顔を隠された状態ではあったが、その場にいた全員に、それが鎮波姫だと理解が出来た。

 彼女の姿を見るより前に、太守たちは一斉に両手を床につき、頭を下げる。

「楽になさってください」

「御意」

 鎮波姫の許しを得て、太守たちは面を上げる。

 この通り、倭州において太守よりも権力を持つ者こそ、鎮波姫なのである。

 そんな彼女に対し、太守たちが集まって謁見しに来たのは、現在の倭州がのっぴきならない事情を抱えているからである。

「それで、お話というのは?」

「姫もご存じでしょう。アスラティカの連中が、倭州の西岸にて我が物顔で活動をしているのを」

 現在、倭州の西岸はアスラティカ大陸と一番近い位置にあるため、西岸の一部の港を解放して、そこで貿易を行っている。アガールスにおけるトゥーハット領と同じような状況である。

 貿易自体は割と滞りがなく進んでいるようであった。何せ、以前確認した通り、アスラティカ側には海賊などはまず存在していないため、商船を騙って貨物を狙う悪人はおらず、逆に倭州側からすればアスラティカの作った技術の結晶とも言える鉄甲船に襲撃を仕掛けるのは不可能であったからだ。

 また、この交易は両者にとってかなり有益なものであった。

 物理的な隔絶を置いたまま、数千年の時を刻んできた全くの異文化が、初めて交流しているのである。お互いにお互いの良いところを吸収し、自分たちの土地をより良く発展させるための糧とする。そこにあったのは正しい異文化交流であった。

 一点だけ問題となったのは神火宗が倭州内へ入り込もうとしている事であった。

「アスラティカの宗教……神火宗とか言ったか。やつら、倭州西部の土地へ入り込み、布教活動を開始しておる。我々には鎮波姫がいるというのに、やつらお構いなしだ」

「しかも、事もあろうに、西部の州内にはやつらになびく人間も出てきたと聞く。……姫、ここは何か手を打たねば、アスラティカに侵略の糸口を与えますぞ」

 太守たちの心配しているのは、つまりはそこである。

 神火宗による宗教侵略。

 これまで、倭州は代々の姫を信仰の対象として崇め、一種の宗教として扱ってきた。

 そこに急に現れた神火宗が、倭州の西部を中心に布教活動を始めたのである。

 宗教というのは思想だ。人の考え方というのは判断の基準にもなる。

 判断の基準を掌握するということは、すなわち支配に他ならない。

 もし神火宗の思想が倭州全土を支配したならば、それは神火宗による倭州侵略ということになるのである。西部の現在の状況というのは、神火宗によって遠回しに戦争を仕掛けられているのと同義なのだ。

 だが、正面切っての戦争とは全く勝手が違う。

 何せ相手は武力を用いていないのだ。

 今まで倭州内で行われてきた戦争と言えば、武力と武力のぶつかり合いである。

 そこへ急に宗教侵略が行われたため、太守たちはどう対処していいのかわからなかったのだ。

 結果として、現在の倭州西部には、神火宗の拠点とも言えるべき領域の建設予定地が下見されている程の状況となっている。

 太守たちが軍を率いて神火宗を排除するのは簡単かもしれない。だが、それでは民意を得ることは難しいだろう。

 神火宗が行っているのは土地への侵略ではなく、民の心への侵略。太守たちが神火宗を追い出したとしても、民の心に植え付けられた神火宗への信仰までは奪えない。そうなると、無理に神火宗を追い出した太守への反感へつながることも考えられる。

 国は民をいしずえとしている。民意が離れてしまえば国は立ち行かない。しかし神火宗を放っておけば国は侵略される。

 太守たちは困り果てて鎮波姫に助力を求めにやってきたというわけだ。

「神火宗の連中が西部に足がかりを得たならば、そこを橋頭堡きょうとうほにルヤーピヤーシャの帝がやってくるのも想像に難くありません。姫、どうか我らに力を貸し下さい!」

「太守の方々の意見はわかりました。確かに、憂慮ゆうりょすべき事態でしょう。……しかし、かの国の帝は抑戦令を布いたはずです。自ら発布した令を破ってまで、帝が倭州へ攻めてくることは考えにくいと思います」

「やつらが何を考えているかはわかりません! その令とて、いつ反故ほごにされてもおかしくありませんぞ!」

 怒声にも似た大声が謁見の間に響く。戦場を駆ける太守たちの声は、良く通るものだ。

 しかし、そんな立ち上がらんばかりの勢いでまくしたてる太守に対し、鎮波姫は努めて冷静だった。

「他国の帝とは言え、同じ人間。相手にも守るべき民がいるとすれば、自ら発した公の言葉を軽々しく反故にしたなら、民を裏切ることに繋がりましょう。帝とて、それを解さないわけもありません」

「し、しかし、姫……」

 至って静かな語り口の鎮波姫を見て、太守たちも少し鼻白はなじらむ。

 語気も弱くなり、お互いに顔を見合わせるぐらいであった。

 だが、帝が民を思って令を重んじるように、姫が太守の心に寄り添わない道理はない。

「ですが、神火宗の動きについては対処しなければならないかもしれません」

「姫……!」

 ルヤーピヤーシャ本国に関しては、倭州に攻め込んでくる可能性は低いと見ている。

 だが、実際に宗教侵略をしてきている神火宗に関しては、これは早急に対処すべき問題であると考えていた。

「我ら倭州の父祖が築いてきた土地と歴史を、何も知らぬ海向こうの連中にけがされるわけにはいきません」

「では、姫もご助力いただけますか!」

「私の力がどの程度役に立つのかはわかりませんが、事態の収拾に協力いたしましょう」

 神火宗の侵略が起きているのは倭州の西岸、そして列島は倭州大陸の東の海に浮いている島々である。

 全く逆の位置で起きている事件に対し、鎮波姫がどの程度役に立てるのかは本当にわからないところではあったが、倭州の危機に対して立ち上がらないわけにはいかない。

「この件、たいには私から話を通します。各太守の皆様は神火宗の動きを警戒しつつ、軽挙は慎むように」

「すぐには動かないのですか……?」

「西部や南部が浮足立っていては、泰はすぐに動き出すでしょう。そうしたならすぐに飲み込まれますよ」

 鎮波姫の言葉を聞いて、太守たちも顔を見合わせながらうなずく。

 泰とは倭州東部に存在している強大な州である。

 現在では倭州の四分の一以上の領土を獲得しており、少し前までは倭州統一に一番近い州とまで言われていた。

 現在はその侵略の手を止め、国力の回復に努めているようだが、他の州に付け入る隙を見つければ、すぐにでも動き出すだろう。

 太守たちはそれを良しと考えていない。そのため、鎮波姫の言葉に納得したのだ。

「では、我々は州に戻って対策を講じます」

「ええ、よしなに」


****

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る