8-2 異国の姫 2
「本当に何を考えているんだ、君は!」
スコットジョーに用意してもらった宿へ移動したアラドと、倭州人二人を迎えたのは、アラドの副官であり、クレイリアの二番手とも呼ばれるフィムの怒声であった。
やたら広い部屋は、高級マンションの一部屋の様ですらある。流石は領主をもって最高級と言わしめる宿、ということだろうか。
そのリビングにて、事情を聴いたフィムがアラドに声を荒げたわけである。
「やはり私もついて行くべきだった! なぜ私はアラドを一人にさせてしまったのか! そしてこれからルヤーピヤーシャでも一人にしてしまうのか!!」
「仕方ないだろ。フィムがいないと、クレイリアが立ち行かない」
「君も少しは
全く政治能力を持たないアラドは、ほとんど
実際の政務はフィムをはじめ、政務官が務めており、アラドは彼らの書類を確認してサインをするぐらいしかしていないのである。
そのため、今回もアラドがルヤーピヤーシャへ越境してもクレイリア領の運営は問題ないわけだが、フィムとしては心労この上ない話であった。
アガールス国内であっても今回のような厄介事を起こすのだ。これが他国となればもっと大きな事件になるのではないかと、今から気が気ではない。
「はぁ……いや、済んでしまったことはもう何も言うまい。だが、くれぐれもルヤーピヤーシャでは大人しく仕事だけをこなしてくれ、頼む」
「わかってるって。……それよりも、だ」
大人しく椅子に座っている倭州人二人に目を向ける。
絶賛身元不詳であるが、一応本人たちは倭州の姫とその従者を名乗っている。
それに対して、当然のようにフィムは懐疑の視線を向けた。
「アラドはこの二人が姫と従者という話、どの程度信用しているんだ?」
「半々ってところだな。姫の気風に確かなものは感じた。……だが、やっぱり手放しで信用できる話ではないな」
アラドは自分の審美眼というものにある程度の自信を持っていたが、それでもやはり倭州の姫がアガールスの港町に流れ着いたなどと、すぐに信用できる話ではない。
アラドでも半信半疑なのだから、フィムにしてみれば全く嘘八百だと思っているぐらいだ。
「そんな二人をルヤーピヤーシャへの旅程へ連れて行くなんて、私は賛成できないな」
「そういうと思ったぜ」
「そうすることに何の利点がある? 私には危険ばかりが増えるだけだと思うが」
「確かに、見ず知らずの人間を連れて行くのは危険かもな。だが、それを言えばルクス少年やミーナ修士の事だってそうだ。俺とあいつらは知り合って間もない。倭州の二人と比べてもどんぐりの背比べだぜ?」
「彼らの事はブルデイム大権僧が証してくれただろう。倭州の二人は半分罪人だぞ」
現状、誰の証明も受けることは出来ない倭州の二人。客観的に見れば密入国を図った人間である。
しょっ引かれてもおかしくない人間を、それでも他国への旅へ連れて行くのにはリスクがあってもメリットはないだろう。
「それでも、俺は二人を連れて行くつもりだ」
「だから、どうして?」
「二人をこの町においておけば、きっとスコットジョー卿は二人を拘束……最悪の場合は処刑もあり得るだろう。俺は二人にそんな目にあってほしくない」
「その理由を聞いているんだが?」
「俺は、単純にその姫が気に入ったんだよ」
スコットジョーを前にして凛とした態度をとっていた鎮波姫。その冷静かつ毅然とした姿に、アラドは一目惚れしてしまっていたのだ。
それは人間として尊敬できるという意味でもあるし、女性として好意の対象であるという意味でもある。
「もし、本当にお姫様なら、俺は半分困る。何せ、この女性を娶りたいとすら思っているのだから」
「馬鹿な事を言うのは休み休みにしてくれ……頭が痛くなってきた」
「とにかく、俺はこの二人の身柄を預かったんだ。二人が落ち着くまでは面倒を見る責任があるってわけだな」
それはミーナがルクスに対して抱いている気持ちに近いものだろう。
誰かの命を、生活を預かる。それには相応の責任が発生する。
アラドの場合の責任の取り方は、いろいろあるだろう。
「さて、一応確認しておきたいんだが……アンタたちは構わないのか? 俺が勝手にルヤーピヤーシャまで連れていくってことにしちまったが、何か問題があればクレイリアの方で匿うことも出来る」
部屋の中で大人しく椅子に座っていた二人に、アラドが向き直る。
アラドは一応、クレイリアの領主である。そんな彼ならば無理に二人を国外へ連れ出してまで自分の手の届くところへ置いておく必要はないのだ。
自分の領地であるクレイリアで匿っておけば、しばらくの間は危険が及ぶようなことはないだろう。
アラドはその選択を、二人に託したのだ。
質問を受けた鎮波姫は、静かに答える。
「いえ、ルヤーピヤーシャへ行くなら、私たちも連れて行っていただきたい。倭州人がこの町からアガールス側へ出るとなると、相応に許可が必要なのでしょう?」
鎮波姫の発した言葉アスラティカの共通言語。その練度はアスラティカのネイティブを思わせるほどであり、一切のよどみがなかった。
そのことに感心したのはアラドだけではなく、フィムもほぅ、とため息を漏らしていた。
「お姫様はアガールスの言葉も話せるのか」
「一応、倭州の姫として、各国の言語は一通り学ばせていただきました」
「アラドにも見習ってもらいたいな」
「俺は筆頭領主だが、アガールス全土の王じゃない。倭州の姫と比べれば格落ちだろ」
「そういうことを言っているんじゃなくてだな……」
肩を震わせるフィムを放って、アラドは話を続ける。
「アンタたちをクレイリアに移すのには確かに許可も必要だろうし、多分相当渋られるだろう。だが、どうしてもっていうならクレイリアの力でどうにかしてやる」
「そこまでしていただくと、こちらとしても心苦しいと思います。一度助けていただいただけでも感謝しているのですから」
「こっちが勝手にやったことだ。アンタたちは気にしなくていい……って言っても無理か」
あのままスコットジョーに捕らわれ、牢屋生活を余儀なくされたなら、いつ外に出られるかわかったものではない。
それをすぐに自由の身にしてくれたとなれば、感謝してもしきれないだろう。
「じゃあ、返礼の一環として教えてくれないか?」
「何をです?」
「アンタたちの国、倭州で何があったのか」
「……そうですね。事情を説明しておきましょう」
どうして倭州の姫である鎮波姫がここにいるのか。どうして従者を一人しか連れていないのか、どうして海を漂っていたのか。
わからないことだらけであるが、本人たちから聞けるのならば、それほど確実なことはあるまい。
「あのぉ」
「うん?」
話が始まろうかという時、おずおずと手が挙がる。
そちらを見ると、ミーナとルクスがいた。
「私たち、ここにいていいんですかね?」
「僕らも聞いていい話なんでしょうか?」
「別に構わないんじゃないか? 鎮波姫たちに不都合がなければの話だが」
「……彼らも船旅の共なのですか?」
「ああ、一緒にルヤーピヤーシャへ行くことになっている」
「ならば共有しておきましょう。かの国でももしかしたら、事件に巻き込まれるかもしれませんから」
「はは、きな臭い話じゃないか。……聞かせてくれ」
「はい、それでは、事の発端は――」
鎮波姫は静かに事のあらましを話し始める。
それは倭州で起きた大きな政変でもあり、またアスラティカ全体に暗い影を落とす、重大な話でもあった。
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