倭州回想編

8ー1 異国の姫 1

8 異国の姫


 ルヤーピヤーシャの現在の帝、紅蓮帝が発布した抑戦令。

 それは単に戦の抑止のためだけではなく、各国の治安や国力の回復を目的としたものでもあった。

 長く続いた戦によって疲弊した土地や国民に対し、休養や再生の時間を作る。それには自国だけの力ではなく、各国の協力が必要であろう。

 そのためにアガールスでも他国との交流を目的とし、南東部沿岸の領、トゥーハット領の港が開かれている。

 この領にはルヤーピヤーシャの他に、倭州からの船がつくこともあり、多人種が入り混じって交易が行われる、アガールスでも最大の貿易港となっていた。


****


「いやはや、アラドラド卿ともあろう方が、難儀なものですな。こんな丁稚でっちの仕事を好き好んでやるだなんて」

「丁稚じゃ成り立たないから、俺が出向くんだよ。会議を聞いていなかったのか?」

 トゥーハット領における最大の港町、エーテルベンに建てられた領主の館にて、トゥーハット領主、スコットジョーが豪華な椅子に座ってアラドを迎えていた。

 アラドはアガールスの筆頭領主という立場にあるが、それでも領主という立場においては同等なのだ。ゆえに、領主会議の席も円卓が採用されている。

 だからこそ、スコットジョーはアラドを前にして椅子から立ち上がることもない。何せ、ここは彼の領なのだから。

「いやいや、聞いていたとも。帝と直接話すためには相応の肩書きが必要、という話だろう? だが、かの国にそれほど義理立てをする理由もわかりかねるね」

「今は抑戦令の最中なんだ。お隣さん同士、仲良くできるところはそうしておいて損はないだろう」

「……まぁ、今更会議の決定に不服を申し立てるつもりもないし、これ以上は言葉を重ねんさ。こちらも船を用意してしまったからね」

「仕事が速くて助かる」

 アラドがルヤーピヤーシャへ向かうための方法として、海路を選んだ。

 陸路で国境を渡るとなると、両国ともに雰囲気がピリピリしている。国境線付近では、未だに盗賊事件と見せかけた小競り合いが続いているという報告もある。

 抑戦令が敷かれてもなお、末端の統制までは取り切れていない……というよりは、長く続きすぎた戦に対して急にストップをかけても、気持ちまでは止められないのだろう。

 それに比べ、海路は比較的安全だ。

 元々、アガールスもルヤーピヤーシャも水上の技術よりも地上の技術を重視していたため、船の運用などはあまり得意ではなかったのだ。

 というのも、沿岸はともかく、沖の方には海中に強力な魔物が生息しているからである。

 脆い船で漕ぎだそうとしたなら、その途端に海の藻屑になるぐらいの凶暴な魔物が大量に存在しているせいで、アガールスもルヤーピヤーシャも水上技術の発展は遅々として進まなかったのであった。

 結局、戦が進み、海運の重要性が増した最近になって、海の魔物にも負けないような強固な船が開発され、ようやくまともな航行が出来るようになり、そのおかげで倭州を発見することも出来たのである。

 また、そんな強固な船は所持をするのも運用するのも、大量のコストが必要であり、賊がおいそれと所持できるようなものではないため、海路は比較的安全なのであった。

 そのため、先日の領主会議でもアラドの移動手段として海路が挙げられ、可決されたのである。

 コストはかかるが、筆頭領主の身の安全には代えられない、ということだろう。

「さて、アラドラド卿の準備がよろしければ、明日にでも出港できるように準備させているが、どうするね?」

「早ければ早い方がありがたい。パッと行って、パッと帰れたら最善だな」

「それを先方が許すかどうか、だな」

「紅蓮帝だって抑戦令を発布した手前、事を荒立てはするまいよ」

 アラドという筆頭領主がノコノコと自分の国にやってきたとあれば、戦時であれば捕虜として捕まえて、あとは煮るなり焼くなり、おいしく料理する手段は選り取り見取りだろう。

 だが、ルヤーピヤーシャはそのトップたる帝が抑戦令を発布した事実がある。

 それを自ら反故にするには強力な理由が必要になってくるだろう。

 アラドが越境しただけでは、その理由として弱い。

 ゆえに、下手に拘束される恐れは少ないだろう。

 それどころか、今回の渡航、ルヤーピヤーシャに謁見の話を打診したところ、出迎えから道中の馬車の手配までしてくれるらしい。丁寧すぎて逆に勘ぐってしまうぐらいだ。

「では、すぐに出港できるようにしておこう。明日は港の方へ向かうといい」

「わかった。何かと恩に着る」

「領主会議の決定だ。恩を着せるつもりはない。何より、相応の報酬は頂いているからね」

 トゥーハット領は商人の領である。港が貿易港として機能しているのも、その象徴であるだろう。

 ゆえに、その領主たるスコットジョーも損得勘定で動く人間であった。

 領主会議から要請によって船を出す以上、会議の運営資金からトゥーハット領に対して、多額の報酬が支払われているのだ。この利益を得て、トゥーハット領はまた一層潤うだろう。

「さて、アラドラド卿にはこのエーテルベンにて最高級の宿を用意しておいた。クレイリアの宮殿には及ばないかもしれんが、我々で最大のおもてなしをいたしましょう」

「ありがたいが、ウチの屋敷なんて宮殿と呼べるほどのもんじゃないぞ。俺を含め、武家は粗野そやな人間が多いからな」

「ならばなおのこと、贅沢というものを楽しんでいただきたい。きっと、クレイリアの発展にも繋がるだろうよ」

「はは、確かに文化の一つも覚えて帰らないと、部下に舐められるかもしれんな」

 そんな談笑をしている最中、バタン、と謁見室のドアが開かれた。

「スコットジョー様! た、大変です!」

「どうした、騒々しい。アラドラド卿の前だぞ」

「し、失礼しました……ですが……」

 そう言って、現れた兵士は彼の背後にいた二人の人物を部屋に入れる。

「む……その二人は?」

「つい先ほど、沿岸に流れ着いておりました。顔立ちからして、倭州の人間かと」

「倭州人も最近は珍しくもあるまい。それがどうしたというんだ」

「それが……眉唾まゆつばなのですが、この二人は小舟でもって、遥か沖から流れ着いた、と複数の証言が上がっています」

「小舟で……? 何かの見間違いでは?」

「いえ、集団幻覚の魔術でなければ、証言の数からして間違いないかと」

 海の脅威というのは、先ほど確認した通りだ。

 沖には大量の魔物がおり、小さな船で漕ぎだせば秒で沈められるはずである。

 しかし、この倭州人二人は、小舟で沖からやってきたという。

「本当に魔術でもかけられたのでは?」

「神火宗の僧侶が言うには、そのような魔術がかけられた様子はない、と……」

「ふむ……」

 俄かに信用しがたい話ではある。

 だが、それだけ多くの人間が証言しているのであれば、おそらくは何らかの種や仕掛けがあって、それを成し遂げたのだろう。

「アラドラド卿、少し時間をいただきたい」

「ああ、構わん」

 スコットジョーに断りを入れられ、アラドは部屋の脇へと移動する。

 その後、兵士に背中を押され、倭州人二人はスコットジョーの目の前に突き出された。

 二人は、男女である。

 少し衣服が汚れたり破れたりしているが、元の生地も装飾も美しく、仕立てのいい着物であったことが窺える。

 また、男性も女性も、とても見目麗しく、若い。

 海を漂流しているのは、かなり不自然に見えた。

「そこな倭州人二人、身元を明らかにせよ」

 スコットジョーは流暢な倭州語でもって、二人に質問を投げる。

 すると、二人は少し顔を見合わせ、男性の方が一歩前に出る。

「私は馳側はせがわ永常ながつね。そして、このお方は倭州を預かる姫、鎮波姫しずなみひめにございます」

 永常と名乗った男性の言葉を聞いて、スコットジョーはハン、と鼻を鳴らした。

「馬鹿なことをいうな。倭州の鎮波姫が、どうして海を漂い、我が領に流れ着いたりする?」

「それには事情があります。我々は……裏切られたのです」

「一体誰に?」

陽浪州ようろうしゅうの太守である金象きんしょうとその一派……やつらは鎮波姫を失墜させ、倭州を我が物にしようと画策し、姫を亡き者にしようとしたのです」

 永常は常に真剣な顔をしている。

 だが、スコットジョーの元に、倭州のクーデターの情報など入ってきてはいない。

 そもそも、倭州は年がら年中、内乱で騒がしい国である。太守と呼ばれる権力者たちが大陸の覇を競い、日々、戦いに明け暮れている。

 そんな中でも、倭州の姫と言えば特別な存在であると聞いている。姫は倭州の支配者などではなく、精神的な支柱、もしくは信仰の対象であるとされていた。

 その姫に刃を向け、さらには倭州を我が物にしようなどと、金象という人物はかなり大それたことをし始めたようだ。

 だが、ならばその情報が流れてこないのはおかしい。

 いくら情報を隠蔽しようとも、ある程度は流れてくるもの。その尻尾すらつかめないほどとなると、よほど隠蔽が上手いか、もしくはその事件そのものが降ってわいた話ということか。

 しかし、これが全て永常の口から出まかせならば、全て片付く。

「そんな嘘八百を並べ立てて、よく言い逃れが出来ると思ったものだ」

「う、嘘ではありません! 本当なのです!」

「よしんば、その話が本当の話だったとして、貴様らの身の確かをあかせなければ、許可なく越境してきた密入国者として処断せねばならん。何かないのか?」

「先ほど、兵士に奪われたほこが、姫様の姫様たる証。戴冠たいかんの鉾にございます」

 スコットジョーは兵士に目くばせだけで確認を取る。

 すると、確かに兵士も頷く。

「女の方は確かに槍のようなものをもっていました。当然、危険なので没収しましたが……」

「それが倭州の姫たる証拠になりそうなのか?」

「私にはちょっと……儀礼用の装飾槍には見えました」

「一応、持ってきてみろ」

 スコットジョーに言われ、兵士はすぐに鉾を持ってくる。

 目の前に差し出されたのは、確かに装飾の施された、綺麗な鉾であった。

 だが、それがどう鎮波姫の身元の確かを表せるか、となると首をかしげてしまう。

 何せ、倭州はつい数年前から交流が始まったばかりであり、かの国の文化なども判然としていないところも多い。

 姫として即位するために鉾を受け継ぐなんて話も、これまで聞いたことはない。

「ふむ、確かに素晴らしい鉾ではあるが、これだけで信用しろというのは難しいな」

「そんな……!」

「貴様らの詳細が明らかになるまで、密入国者として逮捕する。しばらくは地下牢行きだな」

「ぶ、無礼な! 鎮波姫に向かってそのような……ッ!」

「よしなさい、永常」

 スコットジョーの沙汰に不服であった永常がいきり立つのに、鎮波姫だと紹介された女性は静かにそれを制する。

「私たちの話を急に信用しろというのも無理な話。今は、命があるだけでも幸運だと思わなければ……」

「しかし、これでは親父殿も浮かばれません! 我々の脱出に協力してくださった破幻はげんさまにだって……ッ!」

「今は耐えるのです。いつか好機は訪れます」

 鎮波姫に窘められ、永常は拳を震わせながら、しかし口は噤んだ。

 その様子を見ていて、アラドは『ほぅ』と唸る。

「スコットジョー卿、この二人の身柄、俺が預かってもよいだろうか?」

「はぁ? 急に何を言い出すんだ、貴卿きけいは」

「俺は倭州の言葉にあまり明るくはないが、少しはわかる。今の話の流れも、大まかには理解できた。……そのうえで、この女性の風格に惚れた」

「またわけのわからないことを……」

 アラドの突拍子もない発言は今に始まったことではない。

 領主会議の場でさえ、たまに会議をかき回すような発言をしたりするのだから、きっと彼の領民も苦労しているのだろうな、と簡単に推察できるくらいだ。

 それが今、この状況でも起こったのだ。

「血気盛んな若い従者を、短い言葉でしっかりと諫める。上に立つものの能力としては充分じゃないか。俺は彼女が姫であるというのも、少し信用できる気がする」

「貴卿はもう少し人を疑った方がいいのではないか? この世の中、善良な人間ばかりではないぞ」

「わかっているさ。俺は俺の審美眼に自信を持っているだけだ」

「だからと言って、ここで捕らえた罪人を、貴卿の一存で自由にするわけにはいかない」

「対価は支払おう。それに、二人が何か問題を起こせば、クレイリアが責任を持つ」

「対価、というと?」

「船を用意してもらうのに、領主会議から支払われた金があったな。あれと同額を、クレイリアから支払おう」

 アラドの発言を聞いて、スコットジョーはポーカーフェイスを保ったが、一緒に聞いていた兵士は目を丸くした。

 船を運用するのには、本当に大金がかかるのである。

 アラドをルヤーピヤーシャへ送るための一隻を動かすだけでも、小さな町一つが吹き飛ぶ程度の金が動くのである。

 それを、どこの誰とも知らない倭州の人間を二人、保釈するためにポンと出すというのだ。

「アラドラド卿……貴卿の領民に同情するよ」

「安心しろ、ウチの人間はもう慣れてる」

「だったらなおのこと、だな。……よろしい、対価は必要ない。貴卿の領民の苦労に免じて、タダでお二人の身柄をお渡ししましょう」

「おぉ、太っ腹じゃないか、スコットジョー卿」

「正直、彼らが単なる密入国者であるならまだしも、もし本当に鎮波姫とその従者であれば、私の手に余るだろう」

 倭州人の彼らの言葉が本当ならば、倭州は今、相当な政変が起こっている。

 倭州の有力人物らしき男が一人、クーデターを起こして、それが半ば成功しているのである。

 アガールスから見れば、文字通り対岸の火事ではあるものの、一つの国がひっくり返るほどの事件の当事者となると、一領主であるスコットジョーとしては抱えておくのは難しいと判断したのだろう。

「難局に商機あり、とは商人の言葉だが、しかしこれほどの大事となると、危険の方が高いように思えてしまうな」

「なんだ、スコットジョー卿も案外、この娘の言葉を信用しているんじゃないか」

「可能性の話だよ。……しかし、貴卿はこれからルヤーピヤーシャに渡るんだろう? 二人をどうするおつもりかな?」

「もちろん、連れていくさ」

 さも当然のように答えるアラドの言葉に、もはやスコットジョーも絶句するしかなかった。


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