6-3 最前線に至る脅威 3
「魔力の流れが……?」
ベルエナの防壁の上で通信を受け取ったフィムは、ふむ、と唸る。
「フィムフィリス殿、何かありましたか?」
「怪鳥の真下で戦っている騎士からの通信です。怪鳥の真下では魔力の流れがおかしい、と」
「それが怪鳥の特殊能力、ということでしょうか?」
「そうかもしれません。検証のため、何度か魔術を――」
「ベルディリー様!」
ベルディリーとフィムの相談を割るように、自警団員の声が響く。
驚いて顔を上げると、怪鳥が妙な動きをしていた。
今まで停滞していた怪鳥は、大きく翼を動かし、高度を上げたのである。
「距離を取るつもりか!」
「魔術の射程外に……!?」
魔術にも射程がある。杖や呪文によって束ねられた魔力は、放たれた瞬間にほどけ始めるのである。
ゆえに、長射程の魔術や大火力の魔術には、強力な魔力を必要とするのだ。
このまま怪鳥が高高度まで飛び上がり、そこから急降下されると厄介なことになる。
「高所から急降下されれば、いくら動きを止めたとしても、そのまま落下されるだけでベルエナの被害は免れません!」
「そのうえ、読み通りに怪鳥の特殊能力が、真下の魔力の流れを歪ませるものだとしたら、下からの魔術は効果が薄い……」
「……フィムフィリス殿。力をお貸しください」
「どうするおつもりですか!?」
「私の究極の魔術をお見せします。ですが、それには多少時間がかかります。それまで、魔術師隊で時間稼ぎを」
「……了解しました」
とは言え、魔術師隊にできる事も少ない。
なぜならば怪鳥は射程の外。魔術自体も弱体化される。
この状況で時間稼ぎなど、どうしようものか。
だが、そんな状況でもフィムは笑みを浮かべる。
「魔術師隊、集合してください」
フィムの号令でクレイリアの魔術師隊と自警団の魔術師隊が一斉に集まる。
中心に据えられたフィムは、短く呪文を唱えると、魔術を発動させた。
一瞬にして周りが明るくなり、防壁の床に巨大な結界のようなものが発生したのだ。
「魔力が集中する簡易領域を作りました。この中で魔術を行使すれば、いつもより強力な魔術が発動できます。射程も伸び、威力も上がるはずです」
「おお、心強い!」
「ベルディリー様の魔術が完成するまで、我々で怪鳥の動きを止めます。先ほどのように、怪鳥の目の前に魔術をぶつければ、きっとヤツの動きは止まるはずです」
「そのあとはどうします……? あれが落ちてきたら……」
「魔法陣に収まらなかった魔術師で、物理防壁を築いてください。それである程度は着地を逸らすことが出来るでしょう」
おそらく、それだけで被害を抑えるのは無理だ。
フィムもそれをわかっているが、しかし口には出さない。
きっとベルディリーの魔術がどうにかしてくれる。そう信じるしかなかった。
だが、上官の弱音は士気の低下につながる。フィムがここで後ろ向きな態度を示すわけにはいかない。
「魔術師隊、詠唱開始!」
ベルディリーの代わりに号令を出し、魔術師たちは一斉に杖を構え始めた。
それを見てか、怪鳥も少し動きが変わる。
魔術を脅威と見ているのか、あまり高度を上げない状態から足を突き出し、ベルエナへと急降下を始めたのである。
それはベルエナ防衛隊にとって、幸か不幸か。
距離が近づくことで魔術の効果は増す。だが、急降下が早まればベルディリーの魔術の完成に間に合わないかもしれない。
どっちつかずの状況ではある。だが、それでも希望は捨てない。
「放てぇっ!」
フィムの号令とともに、魔術が斉射される。
それらは怪鳥の顔面に向かって飛び、もう一度光の帯を作り出した。
怪鳥が降りてくるよりも速く、光の矢は怪鳥の顔面に命中し、爆ぜる。
青白い光が走り、爆発音を
「か、怪鳥が止まりません!」
「物理防壁!」
怪鳥の動きは止まらず、そのまま重力にひかれながら急降下を続けている。
魔術の次弾が間に合わないと判断するや否や、フィムは魔術師隊に物理防壁を展開させた。
ベルエナの西部を丸々覆ってしまうような巨大な物理防壁が展開され、そんじょそこいらの投石器などでは破れない程の魔術が完成したのだが……。
『ギョアアアアアアアアア!』
怪鳥の叫びとともに、突風。
怪鳥がその巨大な翼で物理防壁を仰ぐと、その鉄壁とも呼べる魔術が
「くっ、やはりあの羽ばたきで魔力の流れをゆがめているのか!」
突風の範囲内では、魔術が弱体化される。
怪鳥の真下で魔力の流れが歪むのは、ヤツが羽ばたきによって強風を起こしているからであった。
しかし、これは逆にチャンスでもある。
物理防壁は崩れ去るだろう。だが、怪鳥の動きもまた、羽ばたきによって急制動されたのだ。
羽ばたいたことによって急降下の勢いが止まり、怪鳥はもう一度空に舞い上がる。
余裕が出来た。
「ベルディリー殿!」
フィムが振り返りながら、ベルディリーに頼むように叫ぶ。
一方、ベルディリーはと言えば、防壁の一部に作られた塔の頂上へとやってきていた。
そこにはある程度の空間があり、中央には魔力を凝縮させた結晶が浮いている。
床には深く刻まれた魔法陣。そしてベルディリーの手には、彼女の体躯をゆうゆう越すほどの巨大な杖が握られていた。
その杖を振りかざすと、ベルディリーは踊るようにステップを踏みながら、歌うように呪文を詠唱し始める。
『天を裂く咆哮、雲間を走る閃光、』
儀式にはいくつも方法があるが、そのいずれも魔術を完成させるための呪文の役割を果たす。
声による詠唱もその一つであるが、身体の動きによってもその役割は成せるのだ。
『瞬きも許さぬ刹那の刻、その支配者たるは誰ぞ』
ベルディリーが行っているのは、声による呪文詠唱と、踊りによる詠唱、そして魔法陣を使った刻印詠唱の三重詠唱と呼ばれる高等技術である。
三つすべてに魔力を込めるとなると、かなり強い魔力が必要になるのだが、それも中央にある魔力結晶によって補っている。
それによって発動する魔術は、当然、相当な火力となるだろう。
『我、
詠唱の完了とともに、ベルディリーは杖を高く掲げる。
その瞬間、ベルエナの上空には瞬く間に雲が集まり、辺りをどんよりと暗くした。
先ほどまで瘴気の雲以外に雲がなかったはずなのに、どこからともなく雲が発生し、青い空を黒く染め上げたのである。
同時に雨粒が降り始め、瞬く間に大雨と呼べる程になる。
雨粒は地面に跳ね返るほどの勢いで降り、やおら、グラグラと天が泣き始めた。
チカチカと閃光が瞬き、辺りを一瞬、ホワイトアウトさせる。
雲の中を稲妻が走り、轟音と共に光を降らせているのだ。
「そうか……羽ばたきは下にしか突風を吹かせない!」
雨粒に構わず、空を見上げていたフィムは、ベルディリーの魔術の狙いに気付く。
下からの魔術では効果が薄いのならば、怪鳥よりも上から降る魔術ならば、その影響はないのである。
「しかし、これほどの天候操作魔術……流石は領地を一つ任されるだけはある。やはり侮れないな、ベルディリー・ワイス!」
いくつも詠唱を重ね、相応の時間を要するとはいえ、これほどまでに強力で豪快な魔術は、そう何度もお目にかかれるものではない。
魔術師として貴重な体験が出来ている。その感動で、フィムは自然と笑みをこぼしていた。
同時に、爆音。
怪鳥の鳴き声にも勝るとも劣らない轟音が、フィムたちの前に落ち、同時に視界を奪う。
音とともに、いや轟音よりも速く降り注いだのは、目も開けていられないような閃光。
光は空気を切り裂き、文字通り目にもとまらぬ速さで地面を穿つ。
その道中に何者があっても、輝く剣の妨げにはならなかった。
稲妻が、怪鳥の巨大な体躯を絶ち割ったのである。
怪鳥はあれほど耳障りな大声を張り上げていたのに、その断末魔の鳴き声は稲妻の轟音によってかき消されてしまった。
****
稲妻によって身体を焦がされた怪鳥は、そのまま力を失い、瞬時に張りなおされた物理防壁にぶつかって、ベルエナ防壁の外へと落下した。
結果として、ベルエナは無傷で魔物の襲来を防いだのである。
これは大きな勝利だと言えるだろう。
戦闘開始前には絶望的だと思えていたのに、クレイリアという援軍によって、大勝を勝ち取れたのであった。
ベルディリーの魔術によって引き起こされた大雨はすぐに消え去り、辺りには平穏が訪れていた。
魔物の脅威を退けた町人たちは、宴を開いて街道を占拠し、夜が更けてきた今になってもどんちゃん騒ぎをやめようとはしていない。
それを窓の外に見つつ、ベルディリーは領主の館の
「
「誉め言葉として受け取っておこう」
クレイリアからの援軍に感謝を伝えようと、ベルディリーはクレイリアのリーダーを館に招いたのだが、その姿を見て苦笑をこぼしたのである。
「まさかクレイリアの領主が自ら援軍に駆け付けるなんて、思いもしなかったわ」
「俺は頭を使うより、身体を使った方が結果が出るらしい。フィムもそう言ってる」
招かれたのはクレイリア騎士隊を率いていたアラド。そして、その隣にはフィムもいた。
ベルディリーはそのフィムを見て、しみじみと呟く。
「フィムフィリス殿も、ご心労を
「ええ、痛み入ります」
「はは、なんだか短時間で親交を深めたみたいだな!」
二人の様子を見て、アラドはカラッと笑う。
ひょうひょうとした態度のアラドに対し、ベルディリーは少し頭痛を覚えたように頭を押さえた。
二人は今回、初めて出会ったというわけではない。何せ、お互いが領主同士である。
アガールスでは国としての運営のため、領主が一堂に集まって会議をする習わしがある。
その席で、二人は何度も顔を合わせていたのだ。
そして、あろうことか、クレイリア領主はアガールスを代表する領主、筆頭領主と呼ばれる地位にいる。
現在はアラドがその筆頭領主というわけだ。
「あなたが死んだら、アガールスはまた筆頭領主の座を争うことになるのよ? 少しは考えたことがあるの?」
「大丈夫さ。俺はそうやすやすと死なない」
「あなたの戦場での強さは聞き及んでいます。ですが、それでも万が一ということもあり得るでしょう!」
「あーあー、やめてくれ。そういう小言はフィムから聞かされ続けているんだ。それに、今回は褒めてもらいに来たわけだが?」
「……そうでした」
アラドの軽率な行動をいさめるのは、隣にいる副官の勤めであろう。
ベルディリーは本来の目的を思い出し、気を取り直すように咳ばらいを一つ挟む。
「今回は大変助かりました。ベルエナ領を代表して、深く御礼申し上げます」
「いやいや、良いってことよ。大変な時はお互い様ってな」
「今、ベルエナは緊急の状況ゆえ、大した謝礼も出来ませんが、いずれ必ず、確かな形としてクレイリアにお送りいたします」
「気にしないでくれ。モノをたかるためにやったわけじゃないし……それにこの騒動、早期に決着をつけないとやばいことになるかもしれない」
「どういうことです?」
アラドの不穏な言葉に、ベルディリーは眉を動かす。
「ルヤーピヤーシャの帝が抑戦令って出したろ? 今回の瘴気の騒動でアガールス内部で随分と軍が動いているのを見て、帝が『何してんだ』って突っかかってきそうなんだよ」
「こちらが演習などを行っているとでも?」
「演習だけならまだしも、海路なんかを利用してアガールス内部からルヤーピヤーシャに攻め入るつもりなんじゃないか、って警戒しているらしい。そんなまだるっこしい事をするぐらいなら、
紅蓮帝が発布した抑戦令は、アガールス、ルヤーピヤーシャの両国が賛同した正式なもの。
その中で戦の準備などを行えば睨まれて当然である。だが、実際は瘴気や魔物に対応するための用兵。文句を言われる筋合いはない。
だが、他国からこちらの状況が筒抜けになるのも問題である。こちらが慌てている様子を悟られないようにするのも、国としての防衛力だ。
その板挟み状態からいち早く脱出するため、今回の瘴気騒動は早めに解決したいのである。
「これはアガールスの東部諸侯で会議した結果だ。ルヤーピヤーシャに変な因縁をつけられる前に、この騒動を何とかする。そのためにアガールスは一丸となる、ってな」
「なるほど、それはありがたい」
「そういうわけだから、他の領主から見返りをせっつかれても、俺の名のもとに突っぱねてくれよな」
「そうしましょう。助かります」
瘴気による大打撃により、この先しばらくは財政難が続くであろうベルエナにとっては、大変ありがたい申し出であった。
この厚意はありがたく受け取っておくことにしよう。
安堵したようなベルディリーを見て、アラドも少し笑みをこぼしつつ、話を進める。
「しかし、なんだってまた、こんな瘴気が発生したんだか」
「私も詳しくはわからないわ。どうやらアガールスの西岸から発生したようだ、という情報は得たけれど……」
「西岸……あのあたりに特別なモンは何かあったか?」
「漁村の他には……いくつか離れ小島があったかしら。でも瘴気が発生するようなものはなかったはずよ」
「出向いて調べるしかないか……」
「まさかあなた、このまま騎士隊を率いて調査に行くなんて言わないでしょうね?」
「それが一番手っ取り早い」
「あなたは!!」
ガタン、と音を立てて立ち上がるベルディリーに対し、フィムも少し頭痛を覚えて頭を押さえた。
****
しかし、翌日には不思議なことが起きる。
「こんなことが……」
ベルエナの防壁から西の空を見ると、まっさらに晴れていたのだ。
つい昨日まであった瘴気の雲が、文字通り
「す、すぐに調査隊の準備を。他の領とも連携し、西岸を洗いざらい調べ上げて、瘴気発生の原因を追究します」
「了解!」
降ってわいた事態に多少慌ただしくはなったが、それでも今回の事件が解明できる機会を無下にするわけにもいかない。
アガールスは全力を挙げて、西岸の調査に乗り出すのだった。
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