余話1ー1 傷跡 1

余話1 傷跡


「……っ!!」

 薄暗い部屋の中で目を覚ます。

 ぐっしょりと寝汗をかいてしまったようで、気持ちが悪い。

 ……いや、それ以上に夢見が悪かった。

 ルクスはいつの間にか荒くなっていた呼吸を取り戻すように、ゆっくりと目をつむる。

「あれは、夢だったのか……」

 静かな部屋の中、耳鳴りがするようであった。

 ルクスの瞼の裏には、先ほどの夢が映し出される。

もう一度寝なおすのが、少し怖かった。

「水でも飲もうかな……」

「んぅ……ルクスくん?」

「え?」

 水差しを求めて起き上がると、不意にものすごく近くから声が聞こえてきた。

 眠気にまどろんだような声であったが、間違いなくミーナの声である。

 いや、だがありえない。

 彼女は向こうのベッドで寝ているはず……

「毛布はがないでよぉ。寒いでしょぉ」

「どっ……どど、どっ!?」

 どうして、と言葉を紡ぐ事も出来なかった。

 ルクスのベッドに、何故かミーナが入り込んでいたからである。

 少年でありながら耳聡いルクスなれば、こういう状況の事は知っている。

 まだ薄暗い時間、一つのベッドに男女が。いわゆる夜這よばいというやつだ。

「み、みみ、ミーナ様! だ、ダメです! こういうことはまだ早いというか! 僕らはそういう関係ではないというか!」

「何言ってんのぉ? いいから、さっさと毛布返してよぉ」

 顔を真っ赤にして困惑するルクスの文句を許さず、ミーナは彼の首に腕を回し、そのまま覆いかぶさるようにしてベッドに引き込む。

 抵抗もままならず、ルクスはそのまま布団に沈んだ。

 ……のだが。

「……え、えっと」

 そのまま、ミーナは寝息を立てて寝なおしてしまった。

 ルクスは彼女に抱きかかえられたまま、身動きを取る事も出来ずに硬直する。

 何が起こったのか、全く分からなかった。


****


 ベルエナを出発し、順調に路程をこなしていたルクスとミーナ。

 二人が立ち寄ったのは、馬軍領域の道すがらにあるアルダシアという町。

 宿場町らしく大きな街道沿いに発展しており、商店や宿、酒場などがアーケードのように立ち並んでいる。

 二人はこの町で一度、宿を取ることになった。

 ここに至るまで野宿野宿の連続だったし、久々に天井のある場所で寝泊まりしたい、という願望を抑えきれなくなったのであろう。

近くを通った馬車に乗せてもらい、一気にアルダシアまでやってきたのだった。

「この辺はアガールスでも有名な馬の産地なのよ。もともとは遊牧民が暮らしてる場所だったらしくてね。広い平原には馬や草食動物たちが食べやすい草が広く群生してて、そこをそのまま牧場にしてるらしいよ」

「道すがらに見えてたのは牧場だったんですね」

 宿を出て町の中を歩きながら、アルダシア周辺の事を教えてくれるミーナに、ルクスは得心したようにうなずいていた。

 アルダシアの周辺、二人がここまで至る道の付近にも遠目に牧場の柵や厩舎きゅうしゃのようなものが見えていた。しかもそれは一つや二つではなかったのだ。

 いくつもの牧場が点在し、それぞれに多くの馬や牛などの動物が飼育されているようであった。

「フレシュでは農耕用に家畜を飼っていましたが、あんなに多くの馬や牛を見るのは初めてでした……」

「そういえば、ルクスくんの村にもいたねぇ」

 馬や牛を使った農耕器具というのはかなり高価なものであり、メンテナンスに費用もかかるということで、器具自体は村で共有の財産であったのだが、牛や馬などの動物を飼っている家はいくつかあった。

 村の中でも金持ちの家に限るのだが、厩を作って馬を飼育し、村の緊急時の連絡などでベルエナへ移動したい時などに使われた。

 瘴気に追われ、西からやって来た男に貸した事もあった。

「あの子たちも魔物に襲われてしまったんでしょうか……」

「え、あ……いや、大丈夫! 魔物は動物まで襲わないよ!」

「そうなんですか?」

「そう!」

 嘘である。

 神火宗の書物の中でも魔物が動物を襲ったという記述は余裕で存在している。

 なんなら動くものならなんでも襲い掛かるため、振り子であっても飛び掛かってしまうような獣人がいたらしい。

 フレシュを襲った魔物たちも、人間だけではなく家畜も普通に襲っていただろう。

 そして、ルクスの額の目は人間の感情すらうっすら読んでしまう。隠れ潜んでいた盗賊の殺意すら視認してしまうぐらいだ。

 目を泳がせながら冷や汗を垂らすミーナの嘘など、看破できないはずもない。

 だが、

「だったら、少し安心しました」

 ルクスは少し笑って、そう零した。


「それで、今日はどうするんですか? 消耗品を買ったら、すぐに出発ですか?」

 アルダシアのメインストリートを歩く二人。

 通りを囲う商店を眺めながら、ルクスがミーナに尋ねたのだが、彼女は首を横に振った。

「今日からしばらく、この町に滞在するよ」

「え、そうなんですか!?」

 二人の目的地は馬軍領域。アルダシアはまだ道の途中である。

 特に急ぐわけではないものの、急なストップに戸惑ってしまうのも無理はない。

「何かあったんですか?」

「それがねぇ……路銀が底を突いたのよ」

 乾いた笑顔で財布を見せてくるミーナ。

 ルクスが確認しても、確かに小銭ぐらいしかない。

 これから道中で手に入れた毛皮や薬草を売っても、それを消耗品に使ってしまう事を考えれば、余裕がないどころかむしろ消耗品の購入にすら足りていない可能性すらある。

「だ、大丈夫なんですか?」

「全然大丈夫じゃない……昨日、馬車なんか乗せてもらわなければよかった……」

 がっくりと肩を落とすミーナに、ルクスはもうなんと声をかけていいかわからなかった。

 ミーナとしては馬車に乗ってアルダシアで宿を取っても、まだ余裕はあるつもりだったのだ。

 だが、アガールス西部のゴタゴタがここまで伝わってきていたのだろう。

 そのせいであらゆるモノが高騰こうとうしており、全体的に物価がインフレを起こしていたのである。

 当然、馬車の乗り賃も宿代も、ミーナの目算よりもかなり高くなってしまった。

「とりあえず、消耗品の分くらいはお金を用意しないと、出発しても途中で行き詰っちゃうから、人の多い町でお金稼ぎをしなければなりませんよ!」

「でも、お金稼ぎって何をしたらいいんですか?」

「アテはあるのよ。この町にも神火宗の派出所があるはずだから」

 アガールスだけでなくアスラティカに存在している大きな町には神火宗の派出所と呼ばれる施設がある。

 そこには常に神火宗の僧侶が常駐し、魔術師が必要な事態が発生した際に、迅速に対処が出来るようになっている。

 また、各地を行脚している僧侶が立ち寄り、仕事の手伝いなどを行うことも出来るようになっている。いわば、僧侶用の仕事斡旋施設だ。

 基本的に神火宗の仕事はボランティアで行われるのだが、ここでの仕事の報酬は神火宗から支払われており、行脚中の僧侶の稼ぎ口となっている。

「斡旋される仕事は基本的に魔術を必要とする仕事ばかりで、この辺だと馬の病気や怪我を治す仕事だったり、道具の補修だったり……獣の討伐なんかもあるかもね」

「獣狩りなら毛皮や肉も手に入って、副収入になりそうですね」

「それに、派出所では僧侶限定で寝泊まりも出来るのよ! しかもタダ! 今後の宿代が丸々浮くわ!」

「……え、じゃあ昨日も泊まれば良かったのでは……?」

「昨日は町についたのが夜遅くて、宿泊申請が通らなかったのよ……」

 昨日一日、馬車に乗るのも諦めて野宿をし、予定通りにアルダシアにたどり着いていれば、一宿の宿代を支払う事もなく派出所で寝泊まり出来た事を考えると、全てが悪手であった。

「うっうっ……ルクスくん、ダメなおねーさんだと笑ってもいいのよ」

「い、いえ! ミーナ様は立派なお方ですよ!」

「ホントにぃ?」

「ホントホント! 僕、めっちゃ尊敬してますって!」

「良かった……ルクスくんに見限られたら、私生きていけないわ」

 この半月、一緒に旅をしてきて、ルクスもミーナの扱い方をだいぶ心得てきた。


 そんなわけで、アルダシアの神火宗派出所。

 大通りに面した一等地に建っており、今も人の出入りが多くあるところを見ると、やはり神火宗の力の強さが窺えた。

 二人が建物の中に入ると、中の待合室のような部屋にもそこそこ人がいた。

「いやー、盛況ですなぁ」

「皆さん、僧侶の方ですか?」

「半々かしらね。羽織を来てるのが神火宗の僧侶。そうでないのが依頼者でしょうね」

 カウンターのこちら側、ロビーにいるのは十数人程度。

 カウンターの向こう側で対応しているのは僧侶にしても、ロビー側にいる人間は僧侶と一般人で半々ぐらいであった。

 僧侶のローブを見れば、その刺繍はかなり簡素なもので、ミーナと同じく修士である事がわかる。しかも、見た目が新しくくたびれていないローブを来ている僧侶も見受けられ、そういう人間は僧侶になりたてなのだな、というのも窺い知れた。

 ルクスが見れば、その魔力の強さも一目でわかるのだが、なるほど洗練されていない魔力であるのがわかる。

『くくっ、その点で言えば、お前も洗練されきっていないがな』

(……)

 頭の中で響く魔王の声。

 ルクスはそれに答えることなく、カウンターへ向かうミーナの後を追った。

「すみませぇん。修士のミーナと申します。仕事の斡旋を頼みたいんですけど」

「あ、はい。魔力測定の結果はお持ちですか?」

「半年前のものですけど、緑です」

「へぇ、緑! それはそれは優秀なものをお持ちで!」

 町にある神火宗の派出所には、魔力測定をするための道具があり、その判定結果によって個人の魔力発生量を知ることが出来る。

 魔力の発生量というのは個人差があり、それによって扱える魔術も決まってくる。

 魔力量が多ければ多いほど多彩かつ高等な魔術を使うことが出来、魔術師としての格にも関与し、僧侶としての位を上げるためにも重要な要素になってくるのだ。

 その判定結果は色で判別するようになっており、緑は中の下くらい。修士にしては高い方であると言えた。

「私も行脚し始めて長いですからねぇ。緑ぐらいで満足してられませんよ」

「はは、向上心の強いお方だ。将来が楽しみですな」

 ミーナはローブのポケットから緑色になった紙を取り出し、受付の僧侶に見せる。

 それを確認した僧侶は、頷きながら魔術を行使し始めた。

 それは判定紙の鑑定と、僧侶のリストへの登録の魔術であった。

「はい、終わりました。こちらの腕輪をお持ちください。斡旋できそうなお仕事があれば、腕輪を通じてご連絡いたしますので、それまで気長にお待ちください」

「わかりました。……あ、あと宿泊申請もしたいんですけど。二人分」

「それは二階の方へ回ってください。そちらで申請できますから」

「はぁい」

 滞りなく登録は終了したが、今日のところはこれで終了である。

 腕輪をはめながら階段の方へ向かうミーナの後についていたルクスは、少し首を傾げた。

「えっと、終わりですか? お仕事は?」

「終わりだよ。仕事の斡旋はすぐに行われるわけじゃないのよ。順番待ちもあるしね」

 ロビーには複数人の僧侶がいる。

 二人がやってくる前にここにいたということは、ミーナよりも早く登録を行っていたはずだ。

 彼らが仕事を待っているとしたら、ミーナが順番に割り込んで斡旋される事はあるまい。

「魔力判定の結果も関係してくるから一概には言えないけど、やっぱり先に待ってる人が優先されるからね。私たちは気長に待ちましょ」

「気長にしてて大丈夫なんですか……?」

「……まぁ、宿代は何とかなるし」

 派出所での寝泊まりは確かにタダである。

 だが、長期の寝泊まりとなると当然、所員から睨まれるし世間体はかなり悪い。

 金策が早く終わるのならばそれに越したことはないはずである。

「僕も何か、お金になる仕事を探してみます」

「ルクスくんが? 危なくない?」

 全く土地勘もない、人脈もない土地での仕事探し。しかもルクスは少年と言って差支えない年頃である。

 村では普通に野良仕事に駆り出される年齢ではあるが、大人と比べれば単純な力比べは相手にならないだろう。

 悪い人間に騙されたりしたら、事件に巻き込まれる危険もあるだろう。

 ……と、ミーナは考えているのだろうが、ルクスに限ってはそんなことは起きえない。

 何せ、彼の持つ額の瞳は特殊な力をいくつも持っているのである。

 それを駆使したならルクスを騙そうとする人間、危害を加えようとする人間、嘘をつくような人間などは一目でわかる。

 逆に、困っている人を見つけるのにも役に立つだろう。

 ミーナに出来ない仕事も、ルクスにならばこなせる可能性はある。

「心配しないでください。僕だってここまで旅をしてきた自負があります」

 ルクスはそんなことを言いつつ、ミーナが呼び止める隙も与えずに派出所を出て行ってしまった。


****


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