5-2 対抗する手段 2
「お、おかしいわ……」
うっそうとした木々。頭上に所せましと生い茂る枝葉に阻まれ、陽光はほとんど地面へと落ちてはこない。
日が傾いてきたとなれば、それはなおさらで、薄暗い森が本当に暗くなり、カンテラに火をともさなければまともに視界が得られないほどになっていた。
それでもまだ、ミーナとルクスは森の中をさまよい続けている。
「地図の通りなら、もうとっくに森を抜けているはずなのに……」
「もしかして、ですけど、ミーナ様……その地図、あんまり正確ではないのでは?」
「え? え、っと……いや、そんなことは……」
「だって、よく見たら、その地図、フレシュとベルエナまでの距離より、ベルエナとエメリエまでの距離の方が短くありません?」
「嘘……」
こんなもの、よくよく確認せずとも普通にわかったはずなのだが、それでも見落としていたというのはやはり、二人ともどことなく楽観しているのだろう。
旅というのは入念な準備や下調べをしていなければ、こういうことになるのである。
「今から引き返そうにも、日の光も届かなくなったら方角もわからないわ……」
「とにかく、今日のところは野宿の準備をしましょう。このまま夜になったら、本当に何も見えなくなってしまいます」
「そ、そうね。とりあえず焚火の準備と、水の確保。食べ物は……まぁ、ここは保存食を使うべきよね」
保存食は大事にしておくべきなのだが、それでもこんな危機的状況で出し惜しみをしている場合でもない。
ルクスとミーナは手分けをして野宿の準備を始めた。
こんな時でも、神火宗の魔術というのは便利なもので、乾いた薪を集めれば火種はすぐに作れてしまうのだ。
「神火宗で最初に学ぶ魔術ってのはね、火を操る魔術なの」
ルクスが集めてきてくれた薪にミーナが手をかざすと、その手のひらに光が集まる。
「我らが神火よ、その恩恵をここに……」
「わぁ」
ミーナが軽く呪文を唱えると、薪にはすぐに火が灯り、しばらくするとまともな焚火となった。
「すごいですね! やっぱり魔術って便利だなぁ」
「まぁ、こういう時にはラク出来るわよね」
「でも、ミーナ様、今は呪文を唱えたんですね。戦闘の時はそんな呪文はなかったように思えましたけど」
「ああ、まぁ一応、詠唱を省略することも出来るのよ。でも本来はこうやって声に出して呪文を唱えた方が、自分の魔力の消費が少ないの」
「何か違うんですか?」
「うーん、説明が面倒なんだけどね……」
魔術とは本来、自分の中にある魔力を変換して世界に影響し、世の理をちょっとだけ捻じ曲げる技術である。
それは誰かを打倒するための衝撃波であったり、今のように何もないところから火をつけることであったり、結果として発現する事象は様々であるが、根っこの部分は変わらない。
この結果を得るために、代償として自身の魔力を消費するわけだが、消費される魔力を使って世界に影響するために必要なのが術式である。
術式とは魔術の効果や強度を決定づけるモノであり、術式を実際に形作り、そこへ魔力を流し込むことを呪文詠唱と呼ぶ。
詠唱には声によるものやジェスチャーによるものがあり、ポピュラーなのは声による詠唱であろう。
言葉を並べる事によって、世界に対して『自分は世界がこうなってほしいと思っている』というのを告げ、世界は術者から魔力を得て、『じゃあそのようにしてやろう』という結果を返す。それが魔術と呼ばれる技術だ。
「ルクスくんはあんまり買い物をしたことがないから、ちょっと想像しにくいかもしれないけど、魔力がお金、結果が品物、買い手が術者、売り手が世界って感じかしら」
「……つまり、術者が品物を得たいがために、世界に対してお金を使って交渉する、と。それでその交渉の部分が呪文詠唱に当たるわけですね」
「理解が速い……相変わらず、頭は良いわね、この子」
「でも、その呪文を省略するのはどういうことなんです?」
「それもお金……つまり魔力でまかなっちゃうのが魔術なの」
呪文詠唱を用いない魔術というのは、呪文詠唱自体を魔力で置き換えてしまおう、という力技である。
売買のたとえでは難しいが、より多くのお金を支払う事によって、売り手に自分の欲しい品物を理解してもらうという感じであろうか。
「結果として魔力は多く消費してしまうけど、それでも緊急の場合には便利な方法よね。他にも、声による呪文を用いない方法には、紙や地面に呪文や魔法陣をあらかじめ書いておいて、それに魔力を通す方法とか、身体を動かして呪文の代用をする方法なんかがあるみたい」
「へぇ、結構いろいろあるんですね」
「でも一番無難なのが、声に出す方法ね。これが一番簡単だし、間違いも少ない」
「間違いがあるんですか?」
「例えば、紙に書いた魔法陣が変にずれたりとか、身体を動かすにしてもちょっと手順を間違ったり、動きがブレたりしたら、発動する魔術が失敗したり、全く別の魔術になってしまったりとか、いろいろあるみたい。でも、それも声ならあんまり間違いも失敗もないってね」
とは言え、声による呪文も言い淀んでしまったり、言葉を噛んでしまったりなどした場合には失敗することもあるが、魔法陣やジェスチャーよりは練度を必要としない、安定した方法だといえるだろう。
「だから、私はこういう緊急でない場合には、声を使って呪文を唱えるってわけ。魔力は時間が経過したら回復するとはいえ、無限じゃないからね」
「なるほど、勉強になります」
「ルクスくんも、大きな魔力を得たわけだし、魔術の使い方を勉強してもいいかもね」
ボゥアードの魔術によって、その身体の内に膨大な魔力を得てしまったルクス。
現在はその魔力も安定し、ルクスの内側に収まっているようだが、偶然に望まぬ結果として手に入れてしまったとしても、このままでは宝の持ち腐れである。
「馬軍領域についたら、先生を見つけてみるのも良いかもね」
「ミーナ様は教えてくださらないんですか?」
「私は誰かに教えられるほど、魔術に詳しいわけじゃないからね。間違いを教えちゃったら、取り返しのつかない場合もあるもの」
「例えば?」
「魔術の暴発での死亡事故は、毎日のように両手じゃ数えきれないぐらいに起きてるわ」
「……こ、怖いんですね」
「そうよ」
だからこそ、複雑極まりない術式を持つ魔術をルクスにかけたボゥアードの技量は計り知れないのだ。
魔術は常に危険と隣り合わせである。それが難解な術式を持つとなれば、その発動にも相当な技術と知識が必要だ。
それをきっちりとやってのけたボゥアード。それほどまでの魔術師ならば、界隈で名が通っていてもおかしくはないはずなのだが、ベルディリーもその名を知らないと言っていた。
偽名である可能性も考えつつ、彼の正体を探らなければならない。
何せ、あの様子ではまだ、ルクスのことをあきらめたとも考えづらい。
またどこかで襲い掛かってくる可能性も充分あり得る。
「ミーナ様? どうしました? 考え事ですか?」
「え? あ、ううん、何でもないの。ルクスくん、おなか減ったでしょ。すぐに食べられるものを用意するから!」
顔を覗いてきたルクスをごまかしつつ、ミーナは夕食の準備を進めた。
****
夜が、更ける。
暗かった森の中は、本当に漆黒の闇が覆いつくし、少しでも闇に足を踏み入れればそのまま帰ってこられなくなりそうであった。
頼りになる焚火は、今も揺らめいているが、それでもこれが消えてしまったらどうなるのか。
それを考えると、不安でたまらなかった。
バチっと弾ける火の粉が、ルクスを一瞬で現実に引き戻す。
「薪を足そう……」
心なしか、火の勢いが小さくなったように感じ、ルクスは手元にあった木の枝を火の中へと放り込む。
今現在、ミーナは寝ているため、ルクス一人で火の番であった。
先ほどまでミーナは『自分ひとりで火の番をする』と息まいていたのだが、ルクスが何とか言いくるめて休憩を取らせたのである。
その後、ほどなくして寝息を立てて眠りに落ちてしまった。
「相当疲れていたんだろうな……」
ミーナの安らかな寝顔を見ながら、ルクスは苦笑する。
ここに至るまでの旅程で、ミーナには負担をかけっぱなしだった。
ルクスも何か出来ることはしてあげたいのだが、知識も経験も技術も、何もかもがミーナに追いついていない。
そのため、出来ることと言えば、こうやって火の番を代わってあげることぐらいだ。
これぐらいならば、大した知識も経験も技術も必要ない。
「僕も、もっと出来ることを増やさないと……」
このままミーナにおんぶにだっこでは、立つ瀬がない。
ミーナから受けた恩を少しでも返さなければ。そう思うと、幾分やる気が出てくる。
『
「……ッ!」
驚いて、その場で立ち上がる。
誰もいないはずの森の中で、声がしたのだ。
ルクスは周りを見渡してみるが、しかし人影は見えないし、そもそも闇の中に潜まれていては発見することは困難だろう。
「だ、誰ですか!?」
『くく、怯えずとも良い。私とお前の仲であろう』
「この声……僕の内側から!?」
それは、よくよく聞けば聞きなれた声であった。
ボゥアードに術をかけられてから十年。ずっとルクスの頭の中で聞こえてきた声。
どこの誰とも知れない、誰かの声である。
しかし、その声はずっとルクスに呼びかけているようで、その意味を理解することは出来なかった。それはもはや、ルクスという壁に向けて放たれた独り言のようですらある。
なんなら雑音であると言っても過言ではなかった。
しかし、それが今、しっかりとした意味と意思を持って、ルクスに声をかけてきたのである。
それは、ボゥアードが再びルクスの前に現れ、何やら謎の魔術を発動させたあの時以来の出来事であった。
「あ、あなたは誰なんですか?」
『私のことなどどうでもよい。今は自分の身を案じるのだな』
「どういう意味です?」
『鈍いヤツだな。……囲まれているぞ?』
声に言われ、ルクスはもう一度周りを見回す。
しかし、やはり闇の奥は何も窺い知ることが出来ない。
「だ、誰もいません」
『それは人間の目で見ているからだ。お前にはもう一つの目があるだろう?』
そう言われて、ルクスは額を押さえる。
ベルエナにて発現した、ルクスの第三の目。
これは確かに、普通の人間にはない目である。
「これを使えば、見えるんですか?」
『それはお前次第だ』
試すような物言い。
その言葉に、珍しくルクスは少し反感を覚えた。
今まで、ルクスは自分のことを相当低く見ていた。自己評価が最底辺だったのである。
目の見えない状況は、それだけルクスを卑屈にさせたのだ。
しかし、この時覚えた反感は、確かにその声に対してのものだ。
自分を値踏みするようなその言い方が、どうしてか
「僕にだって、出来ます!」
『ならば試してみるといい』
売り言葉に買い言葉のようなテンポで、ルクスは額に巻いていた包帯をクルクルと外していく。
それが全て取り払われた時、ルクスの額にもう一つの目が瞼を開いた。
「うっ……」
すると、奇妙な感覚がルクスを襲う。
視界に妙な靄がかかるのだ。
それは瘴気のようなものとはまた別で、明らかに
「こ、これは……」
『お前の見ているそれは、魔力だ』
「魔力……? いやでも、ベルエナで見えていたのとは全然違う……」
ベルエナの難民キャンプでも、額の目が辺り一帯の魔力を視覚的にとらえることはあった。
だが、その時にはぼんやりと色分けがされている程度で、その場の魔力量の濃淡が見えるぐらいだった。それが今は、ハッキリと見ることが出来る。
ミーナを見れば、彼女が持つ魔力が、草を見ればその草に含まれる魔力が、その強さや量が視覚で認識することが出来たのである。
「こ、これは……!?」
『その力も成長しているのだろう。お前にはその才能があったというわけだ。……もう一度周りを見てみろ』
声に言われるままに、ルクスはもう一度、森の中に視界を巡らせる。
すると、焚火の光が届かないギリギリの範囲のところに、いくつもの
「魔力がいくつも……しかも、この周りを取り囲んでいる!」
『そして、お前にはわかるはずだ。この魔力の帯びている感情も』
「感情……!?」
魔力を表現している靄には、いくつか色が別れて見えていた。
黄色、赤、青、紫……様々な色で形どられた靄だが、しかし焚火の周りを取り囲んだそれらは、おおむね暖色をしている。
暖色とはすなわち、赤や黄色。それらは警戒色としても知られる。
生物の本能に『危機感』を覚えさせる色である。
それが感情であるというなら、それはこちらに対する明確な敵意と読み取れた。
「僕らに襲い掛かってくるつもりなのか……!? もしかして夜行性の獣……!?」
『獣は火を恐れる。これだけ煌々と火を焚いておいて、ひるまない獣はそうはいないだろう』
「じゃ、じゃあ何者が……」
『人だろうな』
声の返答に、ルクスは息をのむ。
確かに、そういう可能性も考えられた。
街道を大きく外れた森の中。そこには野盗が住みついていてもおかしくはない。
『どうする、ルクス? これほどまでに囲まれれば、退路はもうあるまい?』
「ミーナ様を起こさなきゃ……」
『それではあの女に、また要らぬ負担をかけることになるな』
「そ、それは……」
確かに、ルクスはミーナに、要らない負担をかけないようにしなければ、と決意したばかりである。
だが、だからと言って今すぐどうにか出来るわけではない。
今は何もできないルクスが、いつかはミーナに恩を返そうという話だ。
「今、この場は、ミーナさんの助力がなければ、切り抜けられない……」
『……女の代わりに私が手を貸してやろう』
「あなたが……? 信用していいんですか?」
『言っただろう。私とお前の仲だ。十年を共にしてきた我らの絆はそう安くはあるまい?』
手放しで信用していいのか、とも思った。
だが、この時はミーナへの想いがそれに勝ったのだった。
「どうしたらこの場を切り抜けられるか、教えてください」
『よろしい。では教授してやろう』
****
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