4-2 第三の目 2
ベルエナの周囲にできた難民キャンプは、おそらくベルエナの運営が思っていた以上に規模の小さいものになっていた。
ベルエナの領内で、現在瘴気に覆われている人里でも、フレシュと同等の規模のモノが複数、それより小さいモノならばもっとたくさんあるはずなのだが、逃げ延びてきた人間が少ないのだ。
これはおそらく、瘴気に飲み込まれるスピードが速く、魔物に襲われて逃げ遅れた人間が相当数いたことを意味する。
今回の瘴気の侵攻は、それほどまでに唐突で、迅速で、脅威だったのだ。
それを象徴するのが、救護用テントの閑散とした風景だろう。
簡易なベッドロールがいくつも用意されていたが、実際に使われているのは用意された半数ほどであろうか。
救護用テントは主に神火宗の僧侶が常駐し、運用されているようだが、彼らの中にも手持無沙汰な人間が複数いるように見える。
ミーナはベルディリーの屋敷から出た後、この救護用テントを訪れていた。
「あ、ルクスくん」
「ミーナ様!」
テントの中にあるベッドロールの一つに、ルクスが座っていた。
彼は道すがら気絶してしまったこともあり、救護用テントで様子を見てもらっていたのである。
「大丈夫? 身体の方は平気?」
「はい。目が覚めてからは、むしろかなり調子がいいです」
元気にうなずくルクス。その瞳には、確かにミーナを映しているようであった。
「目もちゃんと見えているみたいね」
「はい……なんだか急に視えるものが増えて、混乱してしまいます」
この十年、ぼんやりとした光しか感知できなかったルクスの目は、今、その視力を完璧に取り戻して、視覚情報というモノをガンガン脳に伝えてくる。
それがルクスの頭を混乱させているようで、ルクスは目頭をマッサージする回数がかなり増えた。
「他の人たちは、こんなにいろいろ見えて、よく混乱せずにいられますね……」
「それはルクスくんの状況が特別だったからよ。きっとこれから慣れていくわ。……それで、額の方は?」
「え? ああ、そっちは僕ではちょっとよくわからないんですが」
そう言って、ルクスは自分の額に巻かれた包帯をさする。
先ほど、テントに到着するとすぐにミーナが巻いてくれたものだが、それを彼女自身がゆっくりと外していく。
包帯が全て取れ、ルクスの額があらわになると、
「うっ……やっぱり」
彼の額にうっすらと縦筋が浮かび、そしてそれは明らかな切れ目となる。
そしてゆっくりとその切れ目が開かれると、ルクスの額にはもう一つの目が現れたのであった。
ルクスの額に現れた目は、ギョロリと辺りを
「僕の額、やっぱり目があるんですか?」
「う、うん。ずっとこっちを見てる……」
この目はルクスが目覚めてからすぐに現れたもので、どうやらルクスの意識とは全く別に動いているらしい。
ルクス自身の実感としては、全く何も問題ないそうだ。痛みもかゆみもなく、どこかに異常が見られる様子もない。
ただ、
「うん、でもやっぱり、見えてしまいますね」
「私の……というか、ここら一帯の魔力?」
「はい。ぼんやりとですが」
ルクスの第三の目は、人間から発される魔力を認識していたのである。
それどころか、大気中の魔力濃度の濃淡すら把握しているようで、空間における魔力の濃い場所薄い場所を視覚的に認識できるそうだ。
神火宗の僧侶であっても、他人の魔力量を正確に推し量るのは難しい。
魔術師にとって魔力の差は彼我の実力差に直結する。
それを視覚的に、さらに正確に認識出来るのならば、それは達人の領域であると言えよう。
「これもボゥアードのかけた魔術の影響なのかしら……? ホント、何がしたくてルクスくんにこんなことを……」
「僕はまぁ、便利でいいかな、と思ってますけど」
「ルクスくん……それはさすがに気にしなさすぎでは……?」
現状を受け入れてしまっているルクスを見て、ミーナは苦笑をこぼしてしまった。
「まぁ、ルクスくんの目はわからないから横に置いといて……さっきベルディリー様の屋敷から戻ってくる途中で、避難所の中を少し歩いてみたけど……やっぱりフレシュから来た人はいなさそうだったわ」
「お父さんもお母さんも兄弟も……ハルモたちも?」
「私が見落としているだけなら良いんだけど……」
ミーナとルクスは、フレシュからベルエナまで、街道をまっすぐに辿ってきた。
その途中、テレニアに助けてもらい、馬車によって移動してきたし、自警団にも送ってもらったのだが、その道すがらでフレシュから逃げ延びた人間は一人も見かけなかったのだ。
もしかしたら、先にキャンプにたどり着いているかもしれない、と
明言はしがたいが、もしかしたらフレシュの生き残りはもはやルクス以外にいないのかもしれない。
「で、でもまだ避難所の中でも回ってない場所があるし、次はそっちを見て回ろうかしら」
「……ミーナ様、もういいです。気を使ってくださって、ありがとうございます」
「ルクスくん……」
ルクスもすでにわかっているのだ。同郷の者の末路が。
あの状況、フレシュの村でいち早く逃げ出そうと決断していたルクスの家族ですら、ベルエナにたどり着けなかった。村を捨てることに迷っていた村人などは言わずもがなだ。
きっと魔物たちによって、皆殺しにされてしまったのだろう。
悲しくないわけではない。恨めしくないわけではない。
ただ、そう思ってもどうしようもないことがある、とルクスは思っていたのだ。
「ルクスくんは諦めが良すぎるよ」
「僕のこれまでの人生は、ほとんどが諦めでしたから」
「だったら、これからはもっと貪欲に生きなきゃ! あなたはちゃんと視界を取り戻したわけだし、いっぱしの人間として生きていけるのよ!?」
「貪欲、ですか?」
「そ! 全部が全部、自分の思い通りにならないなんて思っちゃダメ! もっと『自分の手で何かを成し遂げてやる!』って気合いじゃないと!」
「はは、僕がそんな風になれますかね……?」
「なるつもりがあるなら、私が手伝うから! お姉さんに任せなさい!」
胸をはるミーナを見ながら、今度はルクスが苦笑をこぼした。
ミーナの申し出はありがたい。だが、ルクスの性格はこれまで培ってきたものである。
変えろと言われてすぐに変わるわけではない。仮に変わるとしてもどれだけ時間がかかるかわかったものではない。
それをずっとミーナがサポートするとなると、それはもう半分プロポーズみたいなものだ。
「……どしたの、ルクスくん。顔赤いよ?」
「え? あ、いえ……」
妙に意識してしまい、ルクスはちょっと顔をそむけた。
****
「それじゃあ、ルクスくん。今後、私たちは東に向かいます」
「は、はい」
ルクスの身体に特別異常が見当たらなかったこともあり、救護用テントを出て、二人はベルエナを通る街道にやってきていた。
東西へ走る街道をずっと先までたどっていけば、アガールスの国境までたどり着けるのだが、目的地はその途中にある馬軍領域だ。
「元々、私たちは馬軍領域でルクスくんにかけられた魔術を解析してもらう事が目的だったからね。ちょっと遅れてしまったけど、当初の目的を遂行するわ」
「はい。馬軍領域にいる権僧様なら、僕にかけられた魔術がわかるかも、って話でしたね」
「それに、もしかしたらボゥアードの事を知っている方がいるかもしれないし、あの男が何をしようとしていたのかもわかるかもしれないわ」
「上手くいくといいですけど……」
「後ろ向きな思考はダメよ、ルクスくん! 運命は自分の手で切り開くものなんだから!」
「は、はぁ……」
とんでもなく前向きなミーナを見ながら、ルクスも彼女を少しは見習わなくては、と思う。
確かに、後ろ向きにばかり考えていても、気が滅入るばかりだ。
用心は必要だが、臆病は心に毒をもたらすだろう。
ならばある程度楽観的に考えた方が、気持ちは楽である。
「ミーナ様、僕、もうちょっと頑張ってみます」
「お、どうした少年? 急にやる気になったわね。でも、その調子よ!」
「はい!」
気合を入れ直し、二人はベルエナを離れ、馬軍領域へと向かって歩き始めたのだった。
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