4ー1 第三の目 1

4 第三の目


「ようこそ、ミーナ修士。お誘いをお受けしていただいたこと、うれしく思います」

「い、いえ、こちらこそ、ご招待いただきまして……」

 ベルエナの中央部に位置する邸宅街。その中でもひときわ大きい屋敷に、ミーナが招待されていた。

 通されたのは屋敷にある応接室。綺麗なソファとローテーブル、お高そうな調度品が飾られた、ザ・金持ちの応接室といった感じであった。

 その中でミーナを迎え入れたのは年若く、美しい女性。纏っている衣服は仕立ての良く、質の良い生地を使っておりながら、決して派手ではないが、その細部に身元を証す特徴的な刺繍が施されたそれは、確かに神火宗の魔術師であることを現していた。

 彼女はベルディリー・ワイス。ベルエナの領主である。

 ミーナはベルディリーの纏う衣服の刺繍をチラチラと窺いながら、警戒しつつ口を開く。

「ベルディリー様は……権僧であらせられるのですか?」

「ええ、神火宗で修行をさせていただいた際に拝領した位です。ですが、今はベルエナの領主という身でありますから、神火宗とは関係も希薄ですわ」

「そうなんですね。……ちなみに、ボゥアードという権僧に関して、何かご存じですか?」

「ボゥアード……? アガールスの権僧ですか? 聞いたことがありませんね……。もしかしたら私が神火宗を抜けてから権僧となった方なのでは?」

 聞くと、ベルディリーが領主となり、神火宗との関係が薄くなってから数年が経過している。

 その中でボゥアードが出世していたなら、ベルディリーも知らないだろうか。

(いや、でも十年前からボゥアードは高い魔術の技量を持っていたはず。そうでなければルクスくんにかけた魔術の完成度はおかしい。それに、ルクスくんの家に渡していた金品の数々はヒラの僧侶じゃまかなえない金額だし……)

「何か、考え事でも?」

「あ、いえ、すみません」

 ベルディリーに声を掛けられ、ミーナも思考を一旦やめる。

 いくら権僧とは言え、アガールス全体で言っても数百人はいる。ベルディリーがボゥアードのことを知らなくとも無理はない。

「それで、今回ミーナ修士を呼んだ理由なのですが、あなたはあの霧の方角から逃げてきたと聞きました。間違いありませんね?」

「はい、あの霧に飲まれた村から逃げてきたところです」

「ではあの霧の正体については、何か思い当たる節などありませんか?」

「……私は、あれは瘴気だと思います」

 ミーナの答えに、ベルディリーはふむと唸る。

 その表情からは『やはり』と言っているように見て取れた。

「ベルディリー様は、瘴気や魔物のこと、ご存じですよね?」

「修行中に読んだ書物で、幾度か目にしたことがあります。まさかアガールス国内で、本当にそのようなものを目の当たりにすることになるとは思っていませんでしたが……やはり、あなたもそう思いますか」

 ベルディリーの見立ても、ミーナと変わらないようであった。

 瘴気や魔物というのは、アスラティカの北部、ラスマルスクのさらに北にあると言われる魔物たちの森、『暗黒郷』にしか存在しないとされている。

 まともに実物を見た人間など、神火宗の僧侶であってもそう多くはない。

 だからこそ、アガールスの西部にて瘴気や魔物が発生したなんて事象は、にわかに信じがたい事であったのだ。

 だからこそ、現場を見てきた人間から生の情報を得たかったようだ。

 これまでも自警団などから情報を得ていただろうが、自分とは全く無関係の人間であるミーナからの情報も、また貴重なものだったはずだ。

 それを理解しつつ、ミーナは自分の見てきたものを話す。

「私は瘴気の中で、魔物が発生するのを見ました。私が滞在していた村――フレシュは、多くの魔物に襲われて壊滅していました」

「そうですか……。避難所に逃れてきた難民の方々からも、同じような情報を得られました。あなたの見たという魔物は、どのような姿かたちをしていましたか?」

「神火宗に語られる『獣人』そのものでした。身体は硬い毛皮に覆われ、二足歩行をしながら武器を扱う獣のようでした」

「なるほど、もし獣人が書物に記された通りならば、何とかなりそうですね……」

 神火宗の書物に語られる獣人とは、魔物の中でも最低ランクのものだ。

 獣人は大した戦闘力を持たず、原始的な武器を扱うことが出来るが、それほど脅威にはならないと言われている。

 実際、ミーナが見た通り、ベルエナの自警団が易々と獣人を仕留められる程度だ。訓練した人間であれば獣人を相手するのに手間取ることはないだろう。

「ベルエナの周囲には自警団を警戒に当たらせていますが、それである程度は魔物の侵攻は抑えられそうですね。瘴気の広がりも遅くなりつつあるという情報もあります」

「私も見ました。フレシュを覆った時はかなりの速度でしたが、こちらに逃げてくる時には、かなり動きが鈍くなっていました」

「応援が来るまでは、現状維持が出来そうですね」

「応援、ですか?」

「ええ、アガールスの諸侯に打診しました。いくつかは色良い返事をいただけましたので、応援が到着したら瘴気の内部を調査しようと考えています」

 アガールスはいくつかの領に別れた国である。

 それぞれの領ではそれぞれの領主が自治をしており、領境には関所が設けられていたりもする。検問が置かれ、人や物の行き来を監視するのはもはや常識でもあった。

 感覚的には小国がいくつも集合してアガールスという国を作り上げているようなものである。

 当然のように外交が行われ、各領にて交流があるのだが、ベルエナという領は歴代を振り返ってみても、ベルディリーも含めて良い領主に恵まれ続けており、近隣に仲の悪い領はない。

 また、アガールス西部は第一次産業が活発な地域であるため、東部にまで生産物を輸出したりしている。結果として、アガールス全土にてベルエナの評判は悪くない。

 そんなベルエナが救援を求めて来た今、打算的な考えもあるかもしれないが、それでも多くの領主が救援に名乗りを挙げたのである。

「瘴気に飲まれた村も奪還しなければ、ベルエナ以外にも西部を統治している領にとってはかなりの痛手となります。瘴気内の調査は必要でしょう」

「だ、大丈夫なんですか? 瘴気の中はかなり見通しが良くありません」

「大丈夫であるかどうか、というのを判断するのも、調査の目的の一つです。心配せずとも、無理はしませんよ」

「そ、そうですね、差し出がましい事でした……」

「つきましては、その調査に僧侶の人手が多く必要になるでしょう。ミーナ修士にも協力していただきたいと思ったのですが……」

「えっ!? あ、えっと……」

 神火宗の僧侶、魔術師というのは普通の人間よりも魔術が使えるという点において、汎用性が高くなっている。

 修士とは言え、ミーナも魔術師である。一人でも多くいれば対処できる状況は増えるはずだ。

 だが、ミーナにはそれを承諾できない理由があった。

「申し訳ありません、ベルディリー様……。私は、その調査には同行できません」

「理由を伺っても?」

「私と一緒にフレシュから逃げてきた少年がいます。彼は身寄りがなく、私がついていなければ天涯孤独となってしまいます」

「少年一人ならばベルエナで保護しましょう。調査が終わり次第、あなたが迎えに来たら良いのでは?」

「ベルエナの方々を信用しないわけではありませんが、私は彼の家族から受け取った責任を、軽々しく他人に譲渡することは出来ません」

 実際は別にルクスのことを託されたわけではないのだが、それでもミーナはそう考えていた。

 ルクスを一人置いて去っていった彼の家族。彼らがどこへ行ったのかはわからないが、それでも最後までルクスを心配していたスリネイは、ルクスのそばにミーナがいたことで脱出に舵を切ることが出来たのだろう。

 それをミーナは、スリネイからルクスを託された、と思ったのである。

 母が子を他人に託す、というのは、相当重大な決断であろう。

 ならばこそ、ルクスのことを軽々しく扱うのは、ミーナには無理だったのだ。

 そんなミーナの覚悟を聞いて、ベルディリーも柔和に笑う。

「わかりました。事情がおありなのでしたら無理強いはしません」

「すみません、ありがとうございます」

「いえ、実は馬軍領域からも援軍が来てくださると返事をいただいています。きっと大丈夫でしょう」

「馬軍領域からも……!」

 馬軍領域とはアガールスにおける最大規模の領域である。領域とはすなわち、神火宗の支配地とされている。

 諸侯が治める領地がひしめくアガールスの中で、一つの領地とも呼べる広さと権力を持ち合わせるのが馬軍領域である。

 そこからの援軍とは、大量の僧侶を意味していた。

 修士であるミーナよりも強い魔力と、高い技量を備えた魔術師が、ベルエナの救援に向かってきているのであった。

「ミーナ修士、その少年を守るのであれば、ここより東へ向かうと良いでしょう。正直なところ、ベルエナはまだ危険地帯、いつまた瘴気の侵攻が早まるともしれません」

「ですが、東へ向かうにもアテはありません……」

「……あなたは最初、ボゥアードという権僧の事を尋ねましたね? 彼のことが気になるのであれば、馬軍領域へ向かうのがよろしいのでは? 馬軍領域はアガールスにおける神火宗の統括です。そこであれば権僧の情報があるのかもしれません」

「そ、そうですね! ご助言、痛み入ります!」

「お気になさらず。あなたがたの旅路に、神火のご加護のあらんことを」


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