1-2 ルクスという少年 2

 ハルモに連れ出され、外へ出てきたルクス。

 視力を失ったその目では、わずかに光を感じる事ぐらいしかできないが、久々に吹き抜ける風を肌で感じ、多少なりと高揚していた。

 ……動悸どうきが激しいのは、そのせいだけではないが。

「ちょ、ちょちょ、ハルモ……!? もうちょっと速度を緩めたら!? すごく揺れるし、軋みもひどいんだけど……!?」

「大丈夫大丈夫! 誰が作ったと思ってるの!? この私が作ったんだから!」

 だからこそ心配なのだ、とは言えなかった。ここは彼女の持つ無根拠の自信を信用するしかあるまい。

「ちょっと上り坂があるわよ、しっかりつかまって!」

「えっ? えっ!?」

 言うが早いか、ハルモは全身に力をこめ、一気に椅子を押し込む。

 するときしんだ車輪は悲鳴を上げるように回転し、ルクスの体は重力にひかれて背もたれへとよしかかる。

 村にある丘を登ろうとしているのだ。

「どおおおりゃああああああ!!」

 ハルモの気合の咆哮ほうこうが、村いっぱいに響くかと思った。

 近くで聞いてるルクスにとってはいい迷惑だ。

 しかし、彼女はまだ少女。同い年の少年を乗せた椅子を押し、上り坂を登ろうとしているのだから、それぐらいは必要だろう。

 しかし、気合だけではどうしようもないこともある。

 最初は勢いのままにスピードに乗っていた椅子であったが、そのうちだんだんと速度を緩め、ややしばらくもすると止まってしまった。

「は、ハルモ? 大丈夫? 降りようか?」

「ぜぇ……ぜぇ……ううん、平気。はぁ……もう、登り切ったわ!」

 ガタン、と音がして、多少ウィリー気味になっていたルクスの椅子が前足をおろす。

 すると、久々に地面と平行な感覚が戻ってきて、ルクスもようやっと人心地ついた。

 ようやく終わったのか、と思うと、息を落ち着けたハルモがルクスの耳元に顔を近づけた。

「ねぇ、ルクス」

「うん?」

「ここが、村で一番、見晴らしのいい場所よ」

「そう……か」

 そうは言われても、ルクスの目は何もとらえない。

 暗闇の中にぼんやりと白い何かが浮いているのがわかる程度。景色はおろか、色すら判別がつかないのだ。

 見晴らしのいい景色などと言われても……

「この丘はね」

 困惑するルクスだが、ハルモは話を続ける。

「向こうまで続く街道がよく見えるわ。草原を割って、ずっと東の方へ続いているの。あの先には大きな町があるってお父さんが言っていた」

「……近くにある町といえば、ベルエナの町だったね。このフレシュ村や、近隣の村から農作物を買い上げて、さらに東へ売るための、交易の要所だって聞いたことがある」

「そう。そこへ続く街道の両脇には、どこまでも続く草原があるわ」

「アガールスは草原の国だからね。広い平地は酪農なんかにも向いてる」

「んで、さらに向こうにはかすれて山が見える。山は東だけじゃなく、北の方にも、西の方にも見えるわ」

「ここから一番近い山でも、向かうのなら一日歩かなきゃいけないだろうね」

「そして、振り返れば私たちの村、フレシュがあるわ。小さいけど、みんなたくましく生きてる」

「……うん。そうだね」

 丘から見える景色。

 村でも一番見晴らしがいい場所から見えるすべてのモノ。

 ルクスの目はそれらを一つもとらえることが出来ないが、しかし、ハルモのお陰で頭の中には想像が浮かんだ。

「ねぇ、ルクス。きっと、あなたの眼はまた見えるようになるわ」

「……ミーナ様も言ってたよ。馬軍領域にまで行けば、高位の僧侶様がいるんだ。きっと僕にかけられた魔術も解けるって」

「ふん、神火宗の魔術師がなんだってのよ。そもそも、あなたの目が悪くなったのも僧侶のせいじゃない」

「そうだけど……」

「だから私は、あの神火宗の女も――」

「おぉい、二人ともぉ」

 ルクスとハルモの二人を追いかけ、ようやくといった体でミーナが丘へとやってくる。

 それを見て、ハルモは目に見えて顔をしかめた。

「なによ、何しに来たのよ」

「何しにって、あなたたちが心配だったからじゃない」

「心配なんかしなくていいのよ! というか、何が心配なわけ!? 心配な要素なんか一つもないでしょ!?」

「あるわよ。二人だけでこんなところまで来ちゃって……ルクスくんの家からどれだけ距離があったと思ってるのよ」

 振り返ると丘の下に広がっている村の家々はそこそこ小さく見える。

 確かに視力のない少年を連れて出ていくには距離が離れすぎているだろう。

「いくらハルモちゃんがしっかりしていても、ルクスくんは目が見えないんだから。こんなところで何かあったら危ないでしょ?」

「何もないわよ。こんなところで何があるっていうわけ?」

「例えば、魔物が出てきたりとか……」

「はんっ! 魔物って言いました? よく言うわよね、大人は! そうやって言えば子供が怖がると思って!」

「あら、ハルモちゃんは魔物を信じていないの?」

「仮にいたとしても、こんなところに現れるわけないじゃない。お父さんが言っていたわ。魔物は大陸の遥か北の方にしかいないって」

 ハルモの言に、ミーナは困ったように笑う。ハルモのいう通りだったからだ。

 魔物というのは人に害なす獣の事だ。そのほとんどが魔術師と同じように魔力を帯び、特殊な個体となれば魔術に近い異能力を持ち合わせる。

 単一でも脅威度の高い害獣であったが、しかし一切の繁殖能力を持たず、その発生方法は神火宗以外の一般人にはあまり知られていない。そのため、アスラティカ全土で見ても、現在では発見例ですらごく少数だ。

 ただし、魔物もいるところにはいる。

 アスラティカの遥か北方、ラスマルスクと呼ばれる流刑地るけいちよりもさらに北には人知の及ばぬ森が広がっている。

 その森――暗黒郷あんこくきょうには今も数多くの魔物が存在しているという。

 つまるところ、現在では魔物を発見するには暗黒郷におもむくしかないのである。

 しかし、大人たちは子供をしつけるために魔物を引き合いに出し、脅す。

 ハルモはそのはったりをすでに看破していたのだ。

「ハルモちゃんはよく勉強しているのね。確かに、魔物はこの辺りには出現しないかもね」

「そうでしょう? 私にはわかってるんだから」

「……でもね、魔物よりも恐ろしいものはあるわ。これを見て」

 そういって、ミーナはローブの袖をまくり、腕を見せた。

 そこには深々と刻まれた傷跡がある。

 真新しいものではなく、かなり古いもののようだが、生々しさはえげつない。

「こ、これは……」

「これはね、私が巡業中に野盗に襲われた時につけられたものよ。あの時、護衛の人たちがいなければ、きっと私は死んでいたでしょうね」

「そ、それって……人間がやった事なの?」

「その通り。野盗はれっきとした人間。私たちと変わらない、ね」

 アスラティカは長い間、戦続きであった。そのせいで各地は荒れており、同様に人の心も荒む。

 戦で町や村、住んでいた場所が焼かれた人間は大勢おり、彼らが行く当てを失って盗賊に身をやつすことも少なくなかった。

 また、抑戦令の効果で戦は収まったものの、それによって金で戦争をしていた傭兵たちが働き口を失ってしまった。彼らが日銭を稼ぐために商隊を襲うという事件も、毎日のように発生している。

 そんな人間が野盗と呼ばれ、今でも恐れられている。

「野盗はどこから現れるかわからないわ。村の近所だとは言え、安心安全とは言い切れないのよ。人は切羽が詰まると何をしでかすかわからないから」

「……そ、それは……」

「だから、私もついてきたってわけ。あなたたちが自由に丘へ上がってこられるように、私が護衛の代わりって事ね」

「……あ、アンタなんかが役に立つのかしら!?」

「ふふ、尽力しますよ。あなたたちに私と同じような傷を負ってほしくはないもの」

「せいぜい頑張ることね」

 憎まれ口を叩くハルモであったが、どうやらミーナが一緒にいることは認めてくれたらしい。

 ハルモの素直でない態度に、ミーナは小さく笑いながらルクスの隣に腰を下ろした。

「はー、でも疲れたわ。まさかこんな遠くに来ているとは思わないもの」

「ミーナ様は巡礼をしていらっしゃるんでしょう? 歩きには慣れていらっしゃるものかと」

 足を投げ出したミーナがため息をつくのを聞いて、ルクスは意外そうにつぶやく。

「いくら歩き旅に慣れていても、疲れるものは疲れる。人間はそういう風にできているのよ」

「だらしないんじゃない? 私なんか、まだまだ元気なんだから!」

「ハルモはもうちょっと落ち着いた方が……おっと!」

 ルクスがたしなめようとしたその時、ガタン、と音がして椅子が傾いた。

 とうとう、というべきか、椅子の足にくっついていた車輪が軸を外れてしまったのである。

「あっ! 私特製の車輪が!」

「あ、危ない!」

 同時にミーナが立ち上がり、ハルモは転がっていく車輪を追いかけ始める。

 ミーナはルクスの椅子を抑え、何とか彼が転がり落ちるのを防いだ。

「大丈夫、ルクスくん?」

「あ、はい、ありがとうございます」

「アンタたちはそこで待ってて! 私が車輪を取ってくるから!」

「む、無茶しちゃだめよ、ハルモちゃん!!」

 ミーナの忠告を聞いてか聞かずか、ハルモはそのまま丘を下って行ってしまった。

 それを追いかける事も考えたが、バランスの悪い椅子に座ったルクスを一人で放置するのはさすがに無理があった。

「だ、大丈夫かしら……」

「ふふ、ミーナ様の脅し文句が聞いていれば、すぐに帰ってくると思いますよ」

「脅しって……野盗の話?」

「半分は本当で、半分は嘘なんでしょう?」

 ルクスの言葉に、ミーナは目を丸くする。

 きっとそんな反応も見えてはいないルクスは、言葉をつづけた。

「野盗は確かにそこいらにいるでしょう。きっと少し人里を離れたならすぐに襲われてしまうほどに。しかし、フレシュは近所にベルエナという町がありますから」

「……ルクスくんはハルモちゃんよりも頭の回転が速いなぁ」

 フレシュ村の近所が平穏なのは、ルクスのいう通りであった。

 街道の先にあるベルエナは交易の要所。そこは人や物の集まる場所である。

 当然、金のやり取りも多くあり、そこでは多くのいさかいが生まれるだろう。

 その抑止力として、ベルエナには特別な自警団が配置されている。

 彼らは町の安定を保ち、また町の外を巡回して商隊が襲われないように尽力している。

 それはベルエナが交易の要所として機能するための、当然の自衛力でもあったのだ。

 治安の安定しない場所に、人も物も寄り付かない。

 そんなベルエナの近所にある村々は、他所よりも比較的平和になっているという話だ。

「ルクスくんは目が見えないのに、どこでそういう知識を得ているのかしら?」

「目が悪い分、耳はさとくなりました。家族の話や外から漏れ聞こえる会話を聞いていると、自然といろいろ知ることが出来ます」

「ふぅん……」

 それだけフレシュ村の人間が外界の世事に敏感という話でもある。僻地にしては勤勉な村だ。

 また、ルクス自身もよく勉強している。

「でも……」

 急に、ルクスが苦笑を漏らす。

耳聡みみざといのも問題ですね。兄弟や親の会話が聞こえてくると、心苦しくなることもあります」

「ルクスくん……」

 ルクス自身も、家族が彼のことをうとんでいるのを知っている。

 神火宗から金品が送られているのはルクスのお蔭だとしても、彼が家の荷物になっているのは動かしようのない事実。

 親兄弟からルクスの悪口が聞こえてきたなら、それはどれほど心を蝕むだろうか。

 ルクスが今も笑っていられるのは、彼の生まれ持ったメンタル強度による賜物なのかもしれない。

「君は、強いね」

「いいえ、僕は強くなんかありません。ただ、自分で自分の命を絶つ勇気がないだけです」

「ルクスくん!」

 彼の言葉を聞いて、ミーナは大声を上げる。

 驚いたルクスは肩をすくませ、何事か、と首を巡らせる。

「な、なんですか!?」

「自決するだなんて、思っちゃダメだからね!」

「……え?」

「たしかに、君の状況は決して良いものではない。他の人と比べれば、重くて暗くて、へこたれそうになるかもしれない。……でも、死んでいいわけなんてないんだから!」

「……ミーナ様、ありがたいお言葉ですが、僕は……」

「ううん、生きてちゃダメな人間なんていないの。人間だけじゃないわ。生物はみんな、生きる権利を持っているし、それを堂々と行使して良いの! それを自ら絶つだなんて、絶対にあってはいけないわ!」

 それは宗教家であるミーナらしい言葉であった。

 道徳の一つでもある生命賛歌。生きていることに意味がある。生きていることこそ素晴らしい。その上にすべてのものが成り立つ。

 至極当然の道理でもあるのだが、しかし生に対して悲観しているルクスに、どれだけ響くものであろうか?

 死には甘美な誘惑があるのもまた事実なのだ。

 絶望に埋め尽くされた生よりも、そこからの脱却による死。問題の解決方法としては究極なのである。

 ルクスがそれほどまでに死を求めているか否かと言えば、どちらかと言えば否だ。今も彼が生きていることがその証左となっている。

 だが、それがいつ傾くかはわからない。何かの拍子に死の魅力に転げてしまう可能性はゼロではない。

 それを引き留めるのが、ミーナの役目でもある。

「ルクスくん、君の目はきっとよくなる。そうすれば世界も変わるわ。今はあなたを疎んじているかもしれない人たちも、きっと見る目を変える。あなたがいて良かったって思わせることが出来るわ」

「そうでしょうか……?」

「私が保証する。きっと誰もがあなたに一目置くようになるわ!」

 笑いかけるミーナ。ルクスはその顔を見ることが出来ないが、それでも力なく笑顔を返した。

 今はこの優しい僧侶様を信じよう、と思ったのである。

 奇しくも、彼女のセリフはルクスの視力を奪ったあの僧侶とどこか似通ったものがあった、ということに気付きながら。

 ルクスは救い主になる、と嘯いたあの僧侶は、今どこで何をしているのか……。

「おぉい、拾ってきたわよぉ」

「あら、ハルモちゃんが戻ってきたみたいね」

 どこまで転がっていったのか、車輪の捜索にややしばらくかかっていたハルモが、へとへとになりながらも戻ってきた。

「自分で作っておきながら、よく転がる車輪だわ。私ってば天才かも」

「それよりも、椅子は直りそうなの?」

「うーん、道具もないし、難しいかも……って、あら?」

 軸の壊れた椅子から目をそらしたハルモは、丘の下の村に人だかりが出来ているのを見つけた。

 幾人かの村の大人たちが、どうやら来客を見つけたらしい。

「誰かしら……あまり見かけない顔だわ」

「ハルモちゃん、ここから人相がわかるの……!?」

「まぁ、なんとなく。いつも来る行商人さんでもないし……誰かしら?」

「なんだかきな臭いわね。すぐに戻りましょう。ルクスくんは私が担ぐわ」

「えっ! いいですよ、悪いですし!」

「そうしないとまともに帰れないでしょ。さぁ、遠慮しない」

 強引にルクスをお姫様抱っこし、ミーナは丘を下っていく。

 それを追って、ハルモも椅子を引っ張っていった。


****


「そ、それは本当なのか!」

「ああ、間違いない。あんな奴ら、見たことない!」

 水をもらった来客は、それを飲み干した後に鬼気迫った表情を見せた。

「俺の村はもうだめだ。あいつらにみんなやられちまった……! だから、このことを早く知らせなきゃならないんだ!」

「うむむ、にわかには信じられんが……」

「村長、どうします? 馬に余りなんかありませんぜ」

「しかしな、彼のいうことが本当なら、この村だけじゃない、アガールス全体の危機だ」

 村人に判断を求められた村長は、しかし力強くうなずく。

「よし、彼に馬を貸そう。セルベルのところの若いのを貸してやれ。体力もあるはずだ」

「え、そんな……」

「つべこべ言うな! こいつが馬泥棒なら、わしが責任を取ってやる」

「そ、そこまで言うなら……」

「ありがたい! きっと早く自警団を連れてくるからな!」

 来客は礼を述べると、少し休憩のために近くの家へと入っていった。

 彼の乗ってきた馬はすでにスタミナを使い果たしているようで、もはや一歩も動かんという雰囲気に満ちている。

「あの馬にも水と餌を与えてやれ。ここまで大儀たいぎだったろう」

「し、しかし村長、本当に信じるんですか?」

 村長の判断を聞いても、村人たちの懸念は晴れない。

 何せ、事が事なのである。

「あの男、言うに事かいて、魔物が西から攻めてくるだなんて……」

 魔物。それは今や遥か北の暗黒郷にしかいない存在である。

 そんな魔物がアガールスの西からやってくるなど、ちょっとやそっとでは信用出来ない話である。

 何せアガールスは大陸の西側に位置しており、さらに言えばフレシュはその領土の中でも西寄りの位置に存在しているのだ。

 そこからさらに西となると、もはや山と海しか存在していないのである。

「もし、あの男がわしらを騙そうとしているなら、もっと上手いウソがつけるはずだ。それをこんな大法螺おおぼらで突っ切ろうというなら大した根性というもの。……だが、ヤツの言葉が本当ならば、これはベルエナの自警団だけで手に負えるかどうかもわからん」

「そんなこと、本当にあるんスかねぇ……」

「わからん。だが……」

 その時、村長は思い出していた。

 ルクスの視力を奪ったあの僧侶が言っていた言葉、アガールスを襲う未曽有の危機。

 それは確か、西の海より来る、と言われていた。

 しかも、あの預言から十年ほど経過している。僧侶の言っていた時期とも一致する。

 もしかしたら、と思わなくもない。

「これが杞憂に終わればいいんだがな……」

 誰に言うでもなく、村長はつぶやいた。

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