第一部 魔物事件編
1ー1 ルクスという少年 1
1 ルクスという少年
争いが続いていたアスラティカに、一時の平穏が訪れていた。
半年ほど前にルヤーピヤーシャの帝、雷覇帝が
新たに即位した雷覇帝の子、
戦に疲れていたのは誰もみな同様で、土地は荒れ、民も限界であった。
渡りに船、というタイミングで発布された抑戦令は、誰からも快く受け入れられ、結果としてアスラティカから戦が途絶えた期間であった。
神代から続いた戦の歴史から見れば、半年間などわずかな時間であったが、それでもアスラティカの民の荒んだ心に多少なりと癒しを与えた。
****
抑戦令の期間中、日常を取り戻していたアスラティカ全土を行脚する人間が多くいた。
そのほとんどが世界的な宗教、神火宗の僧侶の
神火宗は戦の間も精力的に僧侶の
迎える側の人里も彼らを快く受け入れ、町でも村でも豪華な宴でもって彼らを接待した。
というのも、神火宗というのはそのほとんどが魔術師である。
『神火』と呼ばれる神から授けられた消えない炎から得た力は、人間に人知を超えた理を与え、物理的な事象を捻じ曲げるにいたる。これを魔術と呼称したのだ。
これを使う素質を持つ人間は、神火宗からスカウトされ、神火によって力を与えられ、また修行を経て魔術の力の使い方を覚える。
この魔術によって各地が抱える問題が解決、ないしは軽減されるので、神火宗の僧侶はあらゆるところで歓待を受けるのである。
神火宗にとっても各地へ行脚するのは、魔術師の素質を持つ人間を探すためのヘッドハントの旅を兼ねており、神火宗の名誉向上と同時に行える、
そんな僧侶の行脚は、抑戦令以後は数や頻度が増し、アスラティカ全土にて多くの僧侶を見かけるようになった。
アスラティカの西方にある国、アガールスでもそれは変わらず、アガールスにある神火宗の拠点『
アガールスの西方にある村、フレシュにも僧侶がやってきていた。
「こんにちわ。困ったことはありませんか?」
「おやおや、ミーナ様。朝からご精が出ますな」
アガールスの農村であったフレシュは、日の出とともに村人が畑へと出て野良仕事を始める。
彼ら農民に比べれば、ミーナと呼ばれた僧侶が顔を出した時刻は遅いものであったが、それでも村人は笑顔で彼女に挨拶を返した。
ミーナが最初にフレシュを訪れたのは数日前。滞在中に彼女は村で壊れた農具を直したり、年老いた牛の代わりに荷物を運んだり、様々な問題に対処してきた。そのほとんどが上手くいき、村の活動はいつも以上に円滑に行われた。
その立役者であるミーナに対し、村人がいやな顔をするわけもなかった。
「わしらのところは間に合ってますわ。昨日、作業を手伝ってもらったばかりだし」
「ミーナ様は他を助けてやってくだせぇ」
「そうですか、わかりました」
村人に笑顔で見送られ、ミーナは村の中をぐるっと巡回する。
見たところ、村の人々は作業を円滑に行っている。
この数日でミーナが援助したこともあり、フレシュの農作業は格段にスムーズになったといえるだろう。
もしかしたらこの村での活動は充分なのかもしれないな、などと考えながら、しかしミーナは心配げにとある一軒の家を眺める。
村の端っこにあるその家も畑を持ち、見ると家族が総出で野良仕事を行っている。
しかし、他の家では女性も人手として数えられているのだが、その家では母親らしき姿は見当たらなかった。
「こんにちわ。お加減いかがですか?」
「おや、僧侶様か。直してもらった農具の調子は悪くないぜ」
ミーナの挨拶に、家長らしき男性が答える。
彼の持っている農具は先日、ミーナに直してもらったものの一つだ。
それまでは
本来ならば鍛冶屋にでも持っていかねばならず、鍜治場のないフレシュでは近所の町にまで持っていく必要があったのだ。
それを、ミーナの魔術によって補修され、今では何の問題もなく畑を耕すことが出来ているのだった。
「村の
「それは良かったです。……それで」
実は、ミーナは農具の調子を尋ねたわけではなかった。
いや、農具の調子が気にかかったのも事実ではあるが、それ以上に気がかりな案件があったのである。
彼女の真意を察し、男性は少し顔をしかめる。
「ああ、あいつのことか……。変わらんよ。畑に出てきてないところを見ればわかるだろ」
「そうですか……彼はまだ家の中ですか? 顔を見ていっても?」
「好きにしな。おぉい、スリネイ!」
『はぁい』
男性が呼びかけると、家の中から返事が聞こえ、女性がドアを開けた。
「あら、僧侶様。こんにちわ」
「こんにちわ。……あの、ルクスくんの様子は?」
「……変わりませんわ。せっかく僧侶様に尽力していただいたのに……申し訳ありません」
「い、いえいえ、謝っていただくことでは! むしろ、私の力不足で申し訳ない」
「とんでもございませんわ。……とにかく、中へどうぞ」
スリネイに招かれ、ミーナは家の中に入る。
家の中は綺麗に片付いており、特に床などは人間の動線を塞ぐようなものがほとんどおかれていない。
また、家具もこまめに固定され、ちょっと手をついたぐらいでは動かないようにされている。
僻地の農村にしては相当多くの部品を使っており、それだけで多額のお金がかかっていることが見て取れる。
寒村の農民にとっては、生活を脅かすほどの出費なのが予想されるのだが、この家だけが特別儲かっているようにも見えない。
どこからそのお金が出ているのか、その答えは目の前にあった。
「こんにちわ、ルクスくん。具合はどう?」
「この声……僧侶様ですか? いつも通りです」
家の隅の椅子に座っている少年、ルクスは首だけをめぐらせてミーナを見る。
見る、とはいっても彼の眼は開いていない。彼は声だけを頼りに、ミーナの方へ顔を向けたのだ。
彼は、目が見えない。
ミーナも魔術によって彼の治療を行おうとしたのだが、その努力も実らず、視力は戻らなかった。
だが、原因はなんとなく予想がついていたのだ。
「ルクスくんにかけられた魔術……相当高度なもので、私では到底解呪が出来ない……。きっと領域まで来てくれれば、もっと高位の僧侶様が見てくれると思うんだけど」
「僕のこの目じゃ遠出は難しいですし……」
「でももうすぐ領域から馬車も来るはずだから。それに乗れば、ルクスくんの目もきっと回復できるはずよ」
ルクスの視力が失われている原因には、謎の魔術が関わっているようであった。
彼にかけられた魔術は相当高度なものであり、複雑な術式は解読すら困難であった。
ぺーぺーの僧侶であるミーナには高等魔術の解呪などという芸当が出来るはずもなく、ルクスの視力回復は夢のまた夢だったのだ。
そのため、現状を把握してすぐに馬軍領域へと手紙を出し、馬車を要請したのだ。馬車さえあれば目が不自由なルクスでも安全に領域へと向かうことが出来る。
領域には高位の僧侶も大勢おり、魔術に長けた僧侶であればルクスにかかった魔術の解呪も出来るのではないか、という算段であった。
「しかし、ルクスくんに魔術をかけたとかいうその僧侶……何者なんだろう?」
「わかりません。もう十年も前の話ですが、フラッと村を訪れ、それ以来音沙汰もありませんから……」
十年前のある夜、フレシュを訪れた謎の僧侶はルクスに魔術をかけた。
それは『村の救い主を作り出す』と嘯かれ、村長を含め村民は歓迎したのだ。ルクスにどんな影響があるかも深く考えずに。
結果としてルクスの視力は失われ、この家のお荷物となった。
目の見えないルクスでは野良仕事は愚か、日常生活もままならない。
母であるスリネイはルクスの身の回りの世話をするために手を取られたため、この家の労働力は二人分、失われたことになる。
老若男女の隔てなく野良仕事をしているこの村の家々にとって、二人分の労働力を奪われるのは相当な痛手である。
ルクスの家には、彼を含めて子供が三人いるのだが、兄弟二人はすでに野良仕事を行っている。
ルクスばかりが家の中でのうのうと過ごしているのを快く思うわけもなかった。
しかし、それでもルクスが家から追い出され、口減らしにされないのは、この家に送られてきた金品が、ルクスに宛てられたものだったからだ。
差出人は馬軍領域の僧侶。おそらくはルクスに魔術をかけた僧侶なのだろう。
受け取った額はかなり高額である。正直、ルクスが野良仕事に出て稼ぎを出すより何倍も。
そんな額の金が定期的に届くのだから、家の人間はルクスを疎ましく思いつつも、口減らしなどの極端な手段に出られないのであった。
ミーナが馬車を呼び、ルクスを領域へ連れていくと提言した時には、きっと内心、強く喜んだだろう。
「ミーナ様には心より感謝しています。いろいろとご尽力してくださって……」
「いえいえ、元はといえば神火宗の同胞がやらかしたことですから。後始末は私たちの仕事です」
笑って手を振るミーナだったが、諸悪の根源たる僧侶のことは気がかりだ。
領域から送られた金品は間違いなくこの家にある。しかも相当な額だ。
それだけの資産を動かせる人間となれば数は限られる。だが、その中に行脚をするような僧侶はいないのだ。
各地を行脚して援助を行うのは、まだ修行中の身である下っ端の僧侶だけだ。そんな下っ端には大した蓄えもない。どれだけ身銭を削っても、この家に送られた金品を自由にできる程の金は捻出できまい。
件の僧侶が現れたのは十年前ということを考慮に入れても、この十年で飛躍的に出世した人間も思い当たらない。
件の僧侶の正体は謎のままであった。
そもそも少年の視力を奪う魔術を施す意味もわからない。そこにどんな理由があるのか。
ただ単に自分の編み出した魔術を試しただけなのか、それともまた別の意味があるのか。
わからないことだらけであったが、もし、今も何かしらの活動を行っているのだとしたら、どこかで問い質すチャンスはあるかもしれない。
(わからないことはともかく、今はルクスくんを助けることを考えよう)
いくら考えていても、わからないことはわからない。
ミーナは思考を切り替え、これからのことを考えることにした。
「ではスリネイさん。家事をお手伝いしますよ。これでも私、そこそこ――」
「おばさま!」
ミーナが家事手伝いを申し出たタイミングで、家のドアが勢いよく開けられた。
そこに立っていたのはルクスと同じくらいの年恰好をした少女であった。
「あら、ハルモちゃん。今日も来てくれたのね」
「ええ、今日こそルクスを外へ連れ出す準備を整えて来たわ!」
ハルモと呼ばれた少女は、近所の家に住む少女である。
年齢はルクスと変わらず、いわゆる幼馴染である。とはいっても、村単位で見れば同い年の人間は数人存在しているため、二人が特別強い関係であるとは言えない。
だが、それでも失明しているルクスの環境に同情してか、ハルモは何かとルクスに気を使ってくれていた。
今回もその一環なのだろうが……なぜか傍らに改造された椅子を持ってきていた。
その椅子の足には不細工な車輪がつけられており、何とか転がす事が可能なようである。
「私が作ったこの椅子に座れば、ルクスも外へ出かけられるはずよ!」
「え、ええ……」
ハルモの椅子を見て、スリネイは困ったように笑う。
正直な感想としては、その椅子は今にも壊れそうで、ルクスを乗せるのはかなり不安があったのだ。
しかし、そんなことは気にせず、ハルモはルクスの手をぐいぐいと引っ張り、お手製の椅子へといざなう。
「さぁさ、ルクス! 座ってみて!」
「う、うん」
「る、ルクス、気を付けて……」
満面の笑みであるハルモの前で、『危ないからやめろ』と開けっぴろげでいうことも出来ないスリネイは、内心冷や冷やでルクスの様子を見ていた。
ルクスはハルモの手をとり、なんとか椅子を座りなおす。
足元の車輪のせいでぐらつく椅子だったが、それでも何とか落ち着いたようだった。
「どう、ルクス? 私特製の椅子の座り心地は?」
「案外悪くないよ。これならどこへでも行けそうだ」
「ふふ! じゃあ私が連れて行ってあげる!」
ハルモは椅子の背もたれについた取っ手をつかみ、そのまま椅子を押して家から出て行ってしまう。
「あ、ハルモちゃん!」
スリネイが止めるのも間に合わず、二人は外へ飛び出し、車輪が上げるガラガラという音はあっという間に遠ざかって行ってしまう。
「し、心配だわ……」
「安心してください、スリネイさん。私がついていきますから」
「ミーナ様が? そんな、悪いですわ」
「気にしないでください。もともとスリネイさんのお手伝いのつもりで来たんですから。私たちが外で遊んでいる間に、家事を済ませちゃってくださいな」
そういいつつ、ミーナはスリネイに会釈し、遠ざかって行ったルクスたちを追いかける。
慌ただしく消えていった一団の名残を感じながら、スリネイはそれでもため息をついた。
「……心配だわ」
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