より良い世界のために ~薄幸少年と放蕩領主の世界を正す旅~

シトール

プロローグ

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――神はすでに去った。

 雷覇帝らいはていが放ったその言葉、世にいう『人の時代宣言』。それはまさに現在のアスラティカを示しているかのようであった。

 アスラティカに降り立ち、祝福を授けていた神々はすでに姿を消し、異界へと去っていった。

 残された人間は自らの力で立つ事を余儀なくされ、縋るものがなくとも生き続けねばならない。

 それを独り立ちという華々しい言葉で飾ることははばかられ、荒野に放り出されたことに対する恨み事の様ですらあった。

 そんな中でも人々は助け合うのではなく、競い合い、殺し合い、終わらない争いの中でか細い生を繋いだ。


****


 アスラティカと呼ばれる世界には、確認されているだけで三つの国、四つの地方があった。

 大陸の西部に広がる平地を治めるアガールス。

 大陸の中部、山岳に囲まれた険しい土地を治めるルヤーピヤーシャ。

 大陸の北部にはルヤーピヤーシャに支配された、荒廃の流刑地るけいちラスマルスク。

 そして航海技術の発展により最近になって交流が始まった、東の海に浮く新たな大陸、倭州わしゅう

 それら四つの勢力は、それぞれの思惑を抱きながら、いつ終わるとも知れない争いに明け暮れていた。

 争いは神代の頃より激しさを増し、人の時代とは争いの時代であるとも言えた。

 各国境線では大小ざまざまな戦が起き、周辺の村などは焼かれ、跡には砦が築かれる。

 逃げ延びた民衆は国の内地へと流れ着くも、そこでも戦のための仕事を強いられる。

 兵糧ひょうろうのための食べ物を作り、武具を鍛え、また戦に参加する民兵として徴兵されたのだ。

 そんな争いが断続的に何十年、何百年、いやさ神代から数えれば数千年と続いているのが、現在のアスラティカである。

 当然のように人々も、そして土地も見る見るうちに疲れ、痩せていく。

 永遠に続くかに思われる戦乱の中、疲弊ひへいした人々は心身を癒すために小さな憩いを見つけ、それを心の支えとした。

 その憩いには『信仰』も含まれていた。


 大陸に広く信仰される『神火宗しんかしゅう』という宗教があった。

 神代にもたらされた神の火を信仰の対象とし、そこから力を得ることで『魔術師』を育成するための組織でもある。

 雷覇帝の『人の時代宣言』は信仰を蔑ろにするような発言であったが、神代から続く歴史の長い宗教である神火宗は、未だに強い力を持っていた。

 各地に神の分け火が灯る燭台がおかれ、そこを『領域りょういき』と呼んで、民衆からの信仰を保ち続けていたのである。

 また、彼らは巡業もおこたらず、戦乱に疲弊した民のもとへ赴いて魔術を行使し、その生活の補助も行っていた。

 そのため、特に各国の僻地へきちからは強い信仰を受けていたのである。

 アガールスの農村であったフレシュも、そんな神火宗に強い信仰を抱く村の一つであった。


****


「こんな夜中に巡業とは……ご精が出ますな」

「いやなに……本当ならまっすぐ領域にまで帰るのですが」

「いえいえ、ここで出会えましたのも何かの縁です。お体に無理があっては大事ですぞ。今宵はこの村で休んでいってくだされ」

 とっぷりと暮れた夜。

 薄い月の光が闇に紛れてしまいそうな、暗い夜であった。

 そんな日に近所を僧侶が歩いていたなら、信仰の厚いフレシュの村人ならば、一晩の宿を提供するのもやぶさかでなかったのだ。

 僧侶は村長の家へと招かれ、僻地の寒村にしては豪勢な食事でもてなし、今は就寝前に少し歓談でも、といったところであった。

 僧侶は床に旅の装備を広げ、こまごまとメンテナンスを行いながら、村長と会話を続ける。

「村長殿のお気遣い、心に痛み入ります。きっと領域からも感謝の気持ちを送りましょう」

「そんなつもりで僧侶様をお泊めしたわけでは……」

「いやいや、そんなものでは終わりませんぞ。領域からの謝意だけでは、私の気持ちが収まりませんからな」

 僧侶は言葉を続けながら、荷物の中から一つ、透き通った石のかけらを手に取った。

 それは美しい石で、宝石と言っても過言ではない程であったが、村長にはその価値も判然としなかった。

「私からは一つ、預言を差し上げましょう。神火から授かった、正当なものです」

「そんな、恐れ多い……」

「いえ、是非聞いてください。これはこの村の存亡にも関する、重要な預言です」

「……この村の、存亡?」

 僧侶から聞かされた言葉から感じる寒気に、村長は姿勢を正した。

 僧侶も一度、メンテナンスの手を止め、村長へと向き直る。

「十余年ほどのち、アガールスは未曽有みぞうの事件に巻き込まれるでしょう。闇の軍勢が西の海岸より現れ、炎が乾いた木を巻き込むが如くに東進し、侵攻の途上にあるすべてのモノを喰らいつくして行くでしょう。この村も、その一つとなります」

「そ、そんな!」

 フレシュはアガールスでも西方にある村である。

 もし、僧侶の預言が現実となり、闇の軍勢とやらが大陸の西岸から現れて東進した場合、早いうちにフレシュは被害者となるだろう。

「わ、我々はどうしたら……!?」

「ご心配めされるな。十年もあればアガールスの諸侯も対策を打ちましょう。我々神火宗も、彼らにこの預言を共有し、事態を打破できるように尽力いたします」

「そ、それならば安心だ……」

「しかし、この村はアガールスでも西に位置しています。万が一、後手に回り対策が間に合わなかった場合、村を放棄する以外に手はありますまい」

「馬鹿な! 神代より続く我らの村を放棄するなど……ッ!!」

「わかります。ですので、私から万が一のための策を授けましょう」

 柔和に微笑む僧侶が、もう一度、きれいな石を掲げたのと同時、村長の家のドアが叩かれた。

 戸を開けると、そこには母子が。

「来たか、スリネイ、ルクス」

「あの、村長様……こんな夜中に、どのような用件でしょうか……?」

 いつもならば、明日に備えて床に就いている時間である。

 そんな時間に呼び出され、母スリネイは不安を隠さず表情に出し、また連れてこられた子、ルクスは眠い目をこすりこすりしていた。

 ルクスの反応も仕方ないだろう。何せ彼はまだ三歳ほどの幼子なのだから。

 そんな二人……いや、ルクスの様子を見て、僧侶はもう一度、笑む。

「ご心配めされるな、ご婦人。これから貴女のご子息は、この村の救い主となりましょう」

「救い主……? いったい何を……?」

 要領を得ない僧侶の言葉に困惑しきりのスリネイであったが、僧侶はそれ以上の説明をせずに二人を家の中へと招き入れる。

 静かに家の戸が閉じられると、再び夜の闇が訪れた。

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