20ー1 偽りの外套 1
20 偽りの外套
神槍領域の社務所は、飾り気はないが大きな建物であった。
隣にある武僧の訓練所と比較しても敷地面積には遜色なく、背の高さでいえばそれを凌駕している。
だが壁面も屋根も、窓もドアも一切の飾りはなく、建物として必要最低限のモノだけで構成されているようであった。旅の途中で利用した神火宗の派出所の方がまだ見栄えという点では勝っていたと思える。
その趣向は内部にも浸透しており、まっすぐな廊下、その両脇にキレイに並ぶ同じような部屋、調度品の類は一つもなく、掲示板には連絡事項が味気なく並んでいるのみ。
照明としていたるところに備え付けられている魔力灯が、かろうじておしゃれと言えるものだろうか。
ミーナとルクスが通された応接室も、そんな飾り気のない部屋であった。
****
イスとテーブルが一揃いあるだけの質素な応接室で待つことしばらく。
廊下のほうから足音が聞こえたかと思うと、ドアが叩かれる。
静かにドアを開いて現れたのは、受付にいた男性の僧侶。
「
「は、はい!」
僧侶に言われ、ミーナははじかれたように立ち上がる。
それを見て、ルクスも同じように立ち上がった。
僧侶がドアの傍から離れて道を開けると、廊下の奥から滑るようにして身なりの良い男性が入ってきた。
年恰好はアガールス人換算で三十半ばくらいであろうか。戦乱の世のアスラティカでは全盛期を過ぎ、人生の下り坂に差し掛かった年ごろである。いや、彼がルヤーピヤーシャの人間であるならば、実年齢は更に上だと見ていいだろう。
浅黒い肌に明るい金髪はルヤーピヤーシャ人に多く見られる特徴であり、彼もその一人である。顔に刻まれた皺はいかついモノではなく、むしろ柔和な笑みによって出来たものであるかのように、彼の表情は柔らかい。
痩身で高身長、優しい笑みを湛えた表情などは端的に美男と評して良い雰囲気である。
また彼の羽織っている、質の良い黒の生地に豪華な金刺繍が所狭しと施されたローブは、見るからに高僧であることを表現している。
その金刺繍には龍の意匠がちりばめられており、そのローブを着ている人間の名を雄弁に語っているようであった。
「お待たせした。顕世権僧、龍戴です」
「お、おおお、お初にお目にかかります! 修士のミーナと申します! こっちの少年がルクスです!」
ゆっくりと落着きを持ち、優しげな声で名乗った龍戴に対し、上ずった声でミーナが答えた。
それはまさに、アイドルと対面したファンの様相である。
龍戴はミーナに会釈したあと、ルクスを見やる。
ルクスのほうも軽く会釈し、龍戴の顔をよく見る。
神火宗の人間ではない、どこのジャリガキかもわからないルクスに対しても、龍戴は穏やかな笑みでもって相対している。
(この人が、顕世権僧……)
『なるほど』
ルクスの頭の中で、魔王がそうつぶやく。
『わかるか、ルクス。この男とお前の魔力量の差が』
(……なんとなくわかる)
ルクスの答えに、魔王は満足そうに小さく笑う。
ルクスにも手に取るようにわかる。
龍戴よりも、ルクスの魔力のほうが強い。
顕世権僧などと大層な肩書のわりに、大したことがない、と拍子抜けしてしまった。
『だが侮るなよ。お前のように魔力を隠している可能性もなくはない』
(あ、そうか。僕に出来るんだから、この人が出来ないわけないもんな)
『それに、魔術師の強弱は、なにも魔力量だけに因るわけではない。複雑な術式を組む技量などでも変わってくるのだからな』
魔王に釘を刺され、気を引き締めつつ、ルクスは慎重に龍戴の様子を窺った。
何しろ、どこに敵が潜んでいるのかわからないという状況は続いているのだ。
顕世権僧であろうと、疑っても良いだろう。
「ふむ」
ルクスが龍戴の様子を窺っていると、龍戴が小さく唸った。
「なるほど、一目でわかったが、相当複雑な術式が付与されているね」
「お、おわかりになりますか」
龍戴の感想に、ミーナがどもりながらも答える。
「ふふ、これでも顕世権僧に就く前には
「し、失礼しました!」
総魔権僧というのは神火宗の魔術師の中でもトップの人間である。
当然、その技術も魔力出力量も桁違いに高いはず。
やはり、ルクスが感じている龍戴の魔力量は、どうやらまだ全力ではないのだろう。
隠し事があるのは魔術師の性か、それともやましい事があるからか。
今のところ、どこに蓮姫の間者がいるかもわからない状況であるため、龍戴であれど油断を見せるわけにはいかない。
なにせ、鎮波姫の話を聞くに、神火宗と蓮姫にはどこか関係があるらしいのだ。
神火宗のトップが蓮姫と繋がっていてもおかしくはない。
警戒を強めるルクスに対し、浮足立っているミーナは、おそらく龍戴に対して警戒などしていない様子だ。
(でも、それを促すのも難しいか)
ミーナは龍戴を無条件で敬っている。それはミーナだけでなく、神火宗の人間であれば例外なくそうなのであろう。
だとすれば、『警戒して』などと言えば反発されこそすれ、同意を得られるわけもない。
(僕がしっかりしなくちゃ……)
口を真一文字に結び、ルクスは龍戴に一歩近づく。
「ルクスと申します。アガールスの農村フレシュから来ました。今日は龍戴様にお伺いしたいことがあって参りました」
「ああ、聞いているよ。君にかけられた魔術のことと、ボゥアードという権僧についてだったか」
そう言いながら、龍戴は空中に指を滑らせる。
それは体言語と呼ばれる詠唱技法であり、ベルディリーが魔法陣の上で踊ったような、ジェスチャーによる詠唱である。
人やモノの動きには、意味が付随するモノがある。例えばピースサインやサムズアップなどには好意的な意味が、中指を立てたり、親指を下に向けたりすれば否定的な意味がついてくる。
それと同じように、アスラティカでもハンドサインに意味がもたらされ、声による詠唱を行うのと同じように、術式を構築するように念じれば魔術が発動する仕組みだ。
龍戴の素早いハンドサインで瞬く間に組まれた術式は、軽く魔力を流すだけで発動した。
彼の手の上にいくつもの文字が浮き上がり、リストのようなものを作り上げる。
「これまでの数十年の間に権僧に昇格した者の名簿だ。……だが、ボゥアードという名の権僧はやはり存在しない」
「そんな!」
龍戴の言葉に、ミーナが強く反応した。
「そんなはずはありません! 私は確かに、ボゥアードと名乗る権僧の羽織りを着た人間を見ました!」
「落ち着きたまえ、ミーナ修士。……名簿に存在していないが、君たちを疑っているわけではない。事実、ルクス少年に付与された魔術は、凡百の魔術師が組めるような術式ではない。権僧、あるいは大権僧でもなければ無理だろう」
「で、ではその名簿に存在していないのは……」
「偽名、もしくは権僧の羽織りをどこかで不正に入手した可能性、かな」
ボゥアードというのは本人が名乗っただけの名前である。それがもし、偽の名前であれば、当然名簿には記載されていない。
また、仮にボゥアードが本名であったとしても、権僧という地位が嘘であれば、やはり名簿には記載されない。ボゥアードが正規のものでない何らかの手段によって権僧のローブをまとっていたならば、可能性はゼロではない。
しかし、現時点ではどちらの可能性も捨てられない。どちらも、という可能性すらある。
「そのボゥアードという人物の情報を得るのに、少しルクス少年に付与された魔術を解析させてもらえないか?」
「何かわかるんですか?」
「術式の構築に癖があれば、どこの流派か察しが付くだろうし、もし独自性のあるモノならば、それこそ本人に至る癖を確認することができるだろう」
「術式の癖、なんてものがあるんですか?」
「ああ、君もそのうち、わかるようになる」
遥か高みから微笑みかける龍戴。ミーナにはその境地が理解できていなかった。
術式というのは魔術を発動させるために必要なものだ。魔術の内容を決めるのは術式の内容と複雑さに依拠している。
どんな魔術も術式を通さなければ、単なる魔力の放出にしかならない。それだけでは世界に影響することが出来ないのだ。
そして、多くの魔術師は術式の開発に日夜を徹して腐心している。
神代の頃から研究開発は続いており、腕の良い開発者には師事する魔術師も多くいた。結果、今日に至るまでにいくつもの流派が生まれたのだ。
それは武術の型のようなモノであり、もしくは地方特有の方言のようなモノである。
脈々と受け継がれた開発手法や構築手段などは、どこかで癖のような特徴を発現する。
術式の鑑定を長く続けた人間ならば、その癖を見抜き、『ああ、これはどこそこの流派の癖が強いね』などと判別出来たりするわけだ。
もちろん、その境地に至るには百や二百の場数だけでは足りないだろうが、龍戴は顕世権僧にまで至った魔術師である。
多くの流派の癖はつかんでいるし、特徴的な魔術師数人の個人的な癖すら覚えていたりするのだ。
「よろしいかな、ルクスくん?」
「え、あ、はい」
おそらく、危険はあるまい、と判断し、ルクスは小さくうなずく。
もし何か危害が加えられそうならば、すぐに対応できるよう、警戒だけは解かないでおこう。
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