16ー1 還り来るもの 1

16 還り来るもの


 異常なまでの、と形容すべきか。

 まるで限界まで砂漠に追いやって、水分を完膚なきまでに失ってしまった結果のような声が複数、辺りに響き渡る。

 その数、数十。

「声、どこから!?」

 ミーナが周りを見回す。

 彼女と同様に、一行は状況を把握するためにきょろきょろと視線を巡らせていた。

 ただ一人、ルクスだけを除いて。

「上です!」

 ルクスが指さす先、つい先ほどまで光塵がきらめいていた空を見上げれば、すでに光塵は消えて、代わりに謎の存在が現れていた。

「あ、あれは……」

「人間……いや、魔物なのか!?」

 空を浮遊している謎の存在。

 目を凝らしてみれば、それはかろうじて人間の形をしているように見える。

 そして、それらは一様に同じような服装――具体的には神火宗のローブを纏っているように見えた。

 だが異様なのは浮遊している事だけではなく、その身体はローブを含めて半透明であり、人相は酷く痩せこけていて、なんなら骸骨のようにすら見えるのだ。

 極めつけは、明らかにわかるほどの敵意と殺意。あれらは確実に一行に対して、敵対意識を持っている。それは戦場慣れしていないルクスやミーナですら肌で理解できるほどであった。

 明らかに異常。魔物と形容してしまってもおかしくはない。

 だが、神火宗の書物に、あんな魔物は記録されていない。

「ルヤーピヤーシャの神火宗では、ああいうのが流行っているのか?」

「そんなわけないでしょう!」

 グンケルの軽口に、ユキーネィが言葉を荒げた。

 ユキーネィはルヤーピヤーシャの僧侶であるが、僧侶の間であんな奇行が流行っているなんて聞いたことはない。

 当然だ。浮遊の魔術も、外見変化の魔術も、半透明化の魔術も、一つとして易々と使える魔術ではない。高位の知識と技術、膨大な魔力を必要とする高等魔術なのだ。それらを同時使用するとなると、さらに難易度が急上昇する。

「あんな魔術を複数人で使用できるなどと……」

『マオウノ ウツワ……コワスベシ!!』

 ルヤーピヤーシャ側の僧侶、エイサンが魔術を解析しようとしたが、それよりも速く、謎の存在は高高度から一斉に急降下を始めた。

 数十体のローブの集団は、滝のように一直線に地面へ降り、そして地面を滑るかのように一行へと殺到してきた。

「グンケル、姫を頼む!」

「おうよ!」

 アラドは帯びていた剣を抜き、ローブの集団へと向き直る。

 永常との戦いで負ったダメージは抜けていないが、泣き言は言っていられない。

「私も……ぐっ!」

「む、無理しないでください!」

 永常の方は立ち上がるのもままならず、傍で回復魔術を使っていたミーナが寄り添っていた。

(相手が何者かわからないが、まともな戦力は少ないか……)

 手早く状況を把握したアラドは、護衛についていた騎士たちやエイサンとユキーネィも構えているのを見て、それでも心許なさを感じる。

 何せ、相手は数十もの頭数を揃えている。

 対してこちらはアラド、ワッソン、ユキーネィ、エイサン、そして護衛の騎士が五騎。グンケルは鎮波姫を守っており、永常は戦える状態ではなく、ミーナとルクスはそもそも戦闘員として数えられない。なんならルクスにも護衛をつけたいぐらいだが、それほど戦力を割いている余裕もない。

「ルクスくんはどこか物陰に隠れていてくれ!」

「え、あ、はい」

 どうにか自己防衛してもらうしかない。

 手短に指示を飛ばした後、もうすぐ目の前までやって来ている謎のローブの集団へと向き直る。


(確かに聞こえた……!)

 馬車の影に隠れつつ、ルクスは空を見上げる。

 ここからでは見えないが、声を発したあの謎の存在……あれらは確かに『魔王の器』と口走っていた。

(しかし、なぜだ……!?)

 だからこそ、疑問が湧く。

(どうして僕を見ていない!?)

 謎の存在は、全くこちらを見ていないのだ。

 ボゥアードも、ルクスの中から聞こえる声も、確かにルクスを魔王の器と呼称した。

 それを信じれば、今まさに降りかかってこようとしている謎の存在が目標としているのは、ルクスのはずなのだ。

 ならば誰を見ているかと言えば、

(鎮波姫さんなのか!?)

 謎の存在の進行方向を、そのまま直進したとしたならば、グンケルと鎮波姫の方向になる。

 グンケルの可能性がないわけではないが、どちらにしろ、謎の存在はそちらしか見ていない。

『ふむ、なるほどな。魔力の強い存在を見ているわけか』

(わかるんですか!?)

 ルクスの中の謎の声が、得心したように唸る。

『光塵とやらが呼び出した、不完全な存在なのだろうな。さしずめ、死の淵から帰還した者たちだろう』

(死の淵から蘇ったって……そんな馬鹿な!?)

『やつらからは生者の気配を感じない。ゆえに眼は光を失い、追いかけているのは魔力の強さだけなのだろう。……だが、魔王の器の存在まで知っているとなると……』

(何か問題なんですか?)

『くく、貴様には関係ないことかもな』

 ごまかすように笑い、ルクスの質問をかわした声。どうやら教えてくれないらしい。

 だが、謎の集団の判断材料が魔力ということなら、なんとなく納得できた。

 現状でルクスは自分の魔力を抑えている。これは声による教導により得た技術であり、第三の瞳を閉じることで、なんとか行えるようになった。これによって抑えられたルクスの魔力は、一般人と大差がない。

 そうなれば、一行の中で魔力が高いのは神火宗の僧侶二人とワッソン、鎮波姫ぐらいだろう。

 そして、突出して魔力が高いのはやはり、鎮波姫であった。

「となれば――」

『やめておけ』

「何を!?」

 ルクスの思いついた策を、謎の声が止める。

『貴様は魔力を解放して囮になるつもりなのだろうが、それは今後を考えれば悪手だ』

(今の事を解決しないうちに、後のことを考えるんですか!?)

『むしろ、後のことを考えずに今だけをしのいでも仕方があるまい。もっと頭を使え』

(そう言われても、僕には後の何が悪いのかがわかりません!)

『貴様が抱える魔力の量を考えろ。それは可視化出来るほど強大で膨大だ』

 確かに、最初にルクスがこの魔力に覚醒した時、周りの瘴気を吹き飛ばしてしまうほどの圧力を持ち、光を放つほどに強烈であった。

 あれは尋常の魔力量では到底起きない現象である。それだけルクスの持っている魔力量は膨大である事の証拠である。

『それを見てルヤーピヤーシャの人間がどう考えるかを予想してみろ。貴様をいつ爆発するとも知れない爆弾として、処理にかかるかもしれん。そうでなくとも、それを秘密裏に持ち込んだとして、クレイリアの領主は問題に問われるだろうな』

 魔術師とは、呪文一つで人間を殺すことが出来る、とりわけ優れた暗殺者でもある。

 見かけは普通の人間と変わらないが、その身に宿る魔力と培われた知識と技術を駆使したならば、全く無警戒のままの人間を一瞬で殺すことも可能なのだ。

 ルヤーピヤーシャ側は、ワッソンやミーナ、例外として鎮波姫がいたとしても、三人を抑えられるだけの自負があったのだろう。エイサンとユキーネィという僧侶が同伴しているのは、アガールス側の魔術師に対する抑止力だ。

 しかし、そこに加えて、膨大すぎる魔力を有したルクスの存在が発覚したならば、これは国際問題に発展しかねない。

 何せルクスの魔力は常識外の量である。魔術を介さず魔力を撃ち出すだけでも、下手な鈍器を振りかぶるより威力が出るはずだ。

 そんな存在を隠して越境させたとなれば、示威行為と取られても仕方あるまい。

 アラドが『戦争の意思はない』とルヤーピヤーシャに渡ってきたはずなのに、むしろ爆弾を抱えて宣戦布告に来たようにしか見えなくなるだろう。

(じゃあどうしろっていうんですか!?)

『機を見るのだ。今ここで魔力を解放するのは愚策だが、好機は必ず訪れるだろう』

 声になだめられ、ルクスは魔力の解放をあきらめる。

 自分だけの問題であればまだいいが、それがアラドの問題にも繋がるとなれば、軽々に行動は起こせないだろう。

 機を見る。そうするしかなかった。

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