ルヤーピヤーシャ上陸編

13ー1 とある神の名 1

13 とある神の名


 翌日、エーテルベンにある港にやってきた一行。

 そこで待ち構えていたのは、領主スコットジョーと彼の部下、そして巨大な鉄の船であった。

「こりゃすごいな。俺も見るのは初めてだ」

「やぁ、アラドラド卿。お早いお着きだ」

 山のように聳える船を見上げるアラドを見つけたスコットジョーはさわやかな笑顔で迎えた。

 トゥーハット領の持つ船は、領主である彼にとっても自慢だったのだ。感嘆する一行を見れば気分も上がるのだろう。

「トゥーハット領が誇る鉄甲船てつこうせん、ジョット・ヨッツ! この船が君たちをルヤーピヤーシャに送り届ける!」

「大きな船ですね……」

「倭州にもこんな大きな船はありませんでした」

「僕もこれに乗れるんですか……なんだかすごいな」

 誇らしげに自慢するスコットジョーに対し、感想を述べたのはミーナ、鎮波姫、ルクス。

 アラドも永常も、ついでに見送りにやってきたフィムも感心するように鉄甲船を眺めているが、そのメンツを見てスコットジョーは少し乾いた笑いを漏らした。

「いや、改めてみると異色の顔ぶれだな、アラドラド卿」

「ああ、他所じゃそうそう見られないだろ?」

 もしこれがポーカーの手札ならばブタに限りなく近い何かではあるが、しかしそこに眠れる才能の原石が存在していることを、アラドもスコットジョーも気付いていない。

 その二人が、というよりは他の誰にも知られていない事だが、ルクスは魔術が使える。

 本来ならば神火宗の僧侶に見出され、領域の神火に適合しなければ使えない魔術を、ルクスは使うことが出来るのである。

 ルクスは旅の途中で立ち寄った町に住む子供たちにしか、この技術を見せてはいない。ミーナですらその事実をしっかりと把握できていないのだった。

 ゆえに、他の誰もがルクスを『不幸な生い立ちを背負った普通の少年』としか認識していないのである。アラドやミーナであれば『類稀なる膨大な魔力を持ち合わせている』という情報が付け加えられるであろうが、その程度の差異だ。

 ともすれば戦力に数えうるのだが、ルクスもそれを黙っているために、誰もこの事実に気付かないまま、事態が進行していく。

(頭の中の声のこと……誰かに話すべきだろうか。いやでも、話すとしても誰に……?)

 ルクスがこの事実を黙っているのは、身に宿る謎の声を危惧しているからだ。

 おそらく、ルクスが急に魔術を使えるようになったのは額の目が覚醒したから、ひいては頭の声が影響したからだろう。

 だがこの声、どこか胡散臭さがあり、手放しでは信用できない。

 ルクスに協力してくれているうちは良いが、その状況が崩れたなら、どう転ぶかは予想がつかないのだ。

 謎の声は何も言わないが、声の事を誰かに話す事がきっかけで、ルクスに不利益な行動を取り始めるかもしれない。

 声の方は変に『仲良くやろう』と擦り寄ってきている現状、それを無理に突き放せばどんな行動に出るか、予測がつかないのだ。

 であればここは静観しよう、というのがルクスなりの判断である。

 これから神槍領域にたどり着くことが出来れば、きっと腕の良い魔術師がどうにか状況を改善してくれる。そう願って。

(あなたは何を望んでいるんだ? 僕の中で、何を待っている?)

『くくっ……さてね』

 笑って誤魔化す声は、真実を語ってくれない。

 ルクスは諦めてため息をついだ。

「どうしたの、ルクスくん?」

「あ、ミーナさん」

 ミーナにだけは話しておくべきだろうか。

 彼女はルクスにとって、とても大事な人である。

 隠し事をしている後ろめたさは、どうにも消えてくれない。

 ……だが、声の事を話すことで彼女に危害が加えられる可能性はないだろうか?

 頭の中の声が何を、どの程度、影響することが可能なのかは未知数だ。

 もしルクスの身体の自由を奪い、意識を乗っ取って思うがままに動けるようなことがあれば。

 身に余るような魔力を使って、破壊の限りを尽くすかもしれない。

 そうなれば一番傍にいてくれるミーナも安全ではあるまい。

(声の事を信用できるまでは、うかつに話さない方がいい)

「ルクスくん?」

「いえ、なんでもありません」

 後ろめたさはある。しかし、それを引きずりながら、ルクスは閉口した。

「ルクスくん、ミーナさん、あの鉄甲船というのは、どういうものなんですか?」

 そこへ、興味津々の鎮波姫が尋ねかけてくる。

 彼女は長い間、ずっと倭州の奥地、征流殿でほとんどの時間を過ごしているため、少々世事に疎い所がある。

 倭州内の事も伝え聞く事がほとんどであり、たまに有事の際には現地に赴くことはあっても、それも稀だ。

 ゆえに今回、思いがけなく外に出たことは、彼女にとって大きな刺激になっているのだ。

「大きな鉄が海に浮くだなんて、信じられません。倭州の船は大概が木製でした」

「えっと、私たちもよくわからないんですよ。何せ、鉄甲船はアガールスでもルヤーピヤーシャでも相当高い技術をもって建造された、技術のすいですので」

「なるほど、自国民であってもおいそれと外部に情報を漏らすことは出来ない、ということですね」

「そうらしいです」

 説明を求められても、ミーナもルクスも、アラドですらもその詳細を知ることはない。

 それを知るのは実際に運用する人間のみで良いのだ。単なる乗客に詳しい話をしても理解が出来ないだろう、というのもある。

 実際、鉄甲船は様々な技術が盛り込まれた時代の最先端を往く技術の結晶。

 一から説明していては日が暮れても足りず、全てを理解をするならば何十年と勉強しなければなるまい。

 そんな鉄甲船を見て、永常は目をすがめる。

「もしかしてこれも蓮姫の罠で、鉄の船に見せかけた棺桶にするつもりでは? 鉄では海から浮き上がれないからな」

「そんなことありませんよ! 永常さんは疑り深いなぁ」

「……ミーナ修士と言ったか。余り馴れ馴れしくしないでいただきたい。私の事は馳側と呼び、適切な距離を……」

「でも永常さんは私の事ミーナって呼ぶじゃないですか」

「……そう言えば、君たちには苗字はないのか?」

「苗字を持っているのは、ある程度の地位がある方のみですよ。アガールスでは常識です」

「な、なるほど……」

 実はミーナは良いところの出自ゆえに、苗字を持ってはいるのだが、あの家に帰らない事を決めた時点でその苗字は捨てており、二度と名乗ることはない。

 ルクスは元々田舎の農村の出であるため、当然のように苗字はない。名乗る際は故郷の名前を冠につけるぐらいで、フレシュ村のルクス、などという風になろうか。

 対して、倭州ではほとんどの人間が苗字を持つ。

 鎮波姫は特殊な家系であるために、苗字を持つことはないが、永常であれば馳側、金象は金が苗字で象が名前となる。

「やはり海を隔てた外国なのだな……様々な風習が違う」

「面白いですよねぇ」

 戸惑う永常に対し、クスクス笑うミーナ。反応の明暗も土地柄ということだろうか。

 そんな一行を眺めつつ、スコットジョーは呆れたように乾いた笑みを浮かべる。

「まぁいいさ。ジョット・ヨッツは乗客を選んだりしないからね」

「……にしても、なんだかみょうちきりんな名前だな、それ」

「アラドラド卿……本気で言ってるのか?」

 鉄甲船の名前にいちゃもんをつけるアラドに、スコットジョーは呆れるようにため息をついた。

 それを見て、フィムが慌てて割って入る。

「も、申し訳ありませんトゥーハット様! アラドラドの不勉強は私の不徳の致すところ!」

「フィムフィリス殿の心労も慮るよ。流石に今の発言はいくらアラドラド卿と言えど、度を越している」

「え……そんなにか?」

 自分が言った言葉に、二人がドン引きしているのを見て、流石のアラドも大きな失態を犯したのだと悟る。

 それを見ながら、仕方ないとため息をつきつつスコットジョーはミーナを見た。

「ちょうど、神火宗の修士がいるのだから、彼女に教えてもらおう」

「え? あ、はい」

 急に指名されたミーナであったが、すぐに笑顔で応じる。

「ジョット・ヨッツというのは、神代に実在した海の神様のお名前です。全ての海を支配し、敬虔なるものには海の恵みを、不敬なるものには大波の罰を下した、厳正なる神です。ジョット・ヨッツには複数の子供がおり、一族で湖や川、雨など、水に関する地形や事柄を司ったとされています」

「へぇ、神代の神様の名前だったのか。初めて知った」

「アラドラド様、よろしければ、船に乗っている間、私が神話を教えて差し上げますよ」

「やめてくれ。座学なんて退屈なこと、海の上でまでやりたくない」

「そんなことを言わずに! 領主様ともなれば、神話に登場する神様ぐらいそらんじられなければ、ルヤーピヤーシャでも笑われてしまいますよ!」

 拒絶するアラドに対し、ミーナはお姉さん根性なのだろうか、ぐいぐいと強引に神話の勉強を勧めてくる。

 アガールスの筆頭領主に対してとんでもない態度であるのだが、それもアラドの人柄の所為か、全く不自然に見えない。フィムもそんな様子を笑って見ているだけである。

 そのうち、逃げ出すようにその場から駆けだすアラドと、それを追いかけるミーナという光景も、なんだか微笑ましかった。

 それを見つつ、鎮波姫はふむと唸る。

「ジョット・ヨッツ、海の神ですか……」

「どうかしましたか?」

 一人で呟く鎮波姫に対し、ルクスが不思議に思って声をかける。

「あ、いえ……倭州ではずっと、海を支配しているのは魔海公と教わってきましたから、神代と呼ばれる時代に、海を支配していた神がいたと言うのは不思議だな、と」

「言われてみればそうですね。……神代というのは何千年も前の話です。もしかしたら、その中で代替わりがあったのかも? 神代の神様たちは、別の世界へと旅だったと言いますし、そのあとに海を治めたのが魔海公、とか」

「神々は別の世界へ去ったのですか?」

「神火宗の神話ではそう記されています。僕も聞いた話ですけどね」

 神話とは言え、神代というのは確実に存在した時代である。

 数千年前、人々と神は同じ世界で生活をしていた。

 神は人間をはるかに超える力で世界に祝福を授け、人々はそれを享受しながら文明を発展させた。

 人々は祝福を受けることで神に感謝し、信仰を捧げることで神はその力を増幅させ、存在を確かなものとした。

 二つの存在はお互いに支えあって生きていたのだった。

 だが、そんな中で文明を発展させた人間は、いつしか神への信仰を忘れ、力を持った人間たちは神の祝福を得なくとも生きていけるようになった。

 結果として信仰を得られなくなった神々はアスラティカから去り、別世界へと旅立ったと言われている。

 現在の世界に神が存在していないのはそう言うことだ。

「ですが、ルクスくんたちも、神を実際に見たことはないのですよね? それでも神の存在は信じているのですか?」

「はい。神が存在した証拠もあるんですよ。世界各地に存在している神具と呼ばれる強大な力を持った道具や、わかりやすいのは神の子孫とされる存在ですかね」

「神の子孫! そんな方がいらっしゃるのですね」

「ルヤーピヤーシャの人々は、神の血を受け継いでいると言います。帝は特に血が濃く、神人と呼ばれる存在ですね」

「へぇ……ルクスくんは賢いのですね。いろいろなことを知っています」

「そ、そんなことないですよ。僕なんか知らないことばかりで……」

 謙遜するルクスであったが、実際、ルクスは同じ歳の少年よりは博識であった。

 それは彼がついこないだまで全く目が見えず、耳による情報が世界のすべてであった事と、ミーナが教えたがりだったこともあって、良く神火宗の神話などの話を聞かせてくれたことによる。

 結果として修士が知りえる教養のほとんどはミーナから聞かされており、それを知っているわけだ。野良仕事を手伝う少年や、神火宗に入りたての人間よりも博識なのは確かであった。

 それに加え、今は――

『くくく……まるで本当に子供のようじゃないか』

 ルクスの中に響く声。

 先ほど確認した通り、胡散臭い上に手放しで信用できない、正体不明で底の知れない存在である。

 十年前から頭の中に響き続け、そしてつい最近、意思をもってルクスと会話するようになったその声によって、新たに知識を得続けている。

 それはミーナから話してもらった歴史や一般常識などではなく、もっぱら戦う方法や生きるための知識であるのだが。

(黙っていてください……!)

『ああ、気にしないでくれ。単なる独り言さ』

 だったら聞こえるように言わないでくれ、とは思ったが、伝えないでおく。

 この声に助けられたことも多い。ならばいくらかの皮肉などスルーするべきだ。

(この声の正体も、ボゥアードは知っているんだろうか……?)

 おそらく、ボゥアードの魔術によって聞こえるようになったこの声。

 一度、自分のことを魔王と名乗ったことがあったが、それ以降は名前すら名乗ろうとしない。

 正体不明の声の言うことを、いつまで信用して良いものか、不安もある。

 声の主が誰なのかがわかれば、まだ判断する材料にもなるのだが……。

(いや、今はこの声も僕の力だ。利用できるならするしかない。僕はまだ何の力もない、本当にただの子供だ)

 ボゥアードの魔術によって授けられた膨大な魔力、そしてその力の使い方を教えてくれる謎の声。それらがなければ、ルクスは無力である。

 誰かの思惑によって与えられたモノだが、それによって窮地を乗り切ったことは何度もある。

 生きるため、そして恩人であるミーナを助けるため、利用できるならそうするべきだ。

(いつかきっと、全てがわかる時が来る。その時になって後悔しないように、しっかりと見定めないとな……)

 きっと声もルクスを利用している。

 しかし、利用されるばかりではいけないのだ。

 もし声が悪しき目的をもってルクスを利用しているならば、声の口車に乗るべきラインを見定めなければならない。

 利用されるだけの駒になり下がらないよう、気を付けなければ。

 そんなことを考えていると、ふいに馬のいななきが聞こえた。

「どうどう!」

 港にやってきた騎馬が二騎。

 乗っているのはクレイリアの人間のようであった。

 馬の背から降りた二人はアラドに、そしてフィムに挨拶する。

「グンケル、およびワッソン、到着いたしました」

「おう、遠路はるばるご苦労」

「いえ、仕事ですので」

 グンケルと名乗った体つきの良い男は、馴れ馴れしくもアラドと拳を合わせる。

 馴れ馴れしい、とは言ったが、アラドの性格を考えれば部下ともフランクな接し方をしていてもおかしくはない。きっと彼らにとっては当然の挨拶なのだろう。

 そしてもう一人、ワッソンという名の線の細い男性は、恭しく頭を下げる。

 着ている服の一部に神火宗の刺繍が入っているところを見るに、おそらくは神火宗の魔術師なのだろう。

 神火宗以外に所属していたとしても、神火宗で学んだ事を忘れないために、魔術師はどこかしらに刺繍を入れいていることが多い。彼もその類なのだろう。

「あの、お二人は?」

 急に現れた二人の男を見て、永常がアラドに尋ねた。

「ああ、二人は一応、俺たちの護衛だ。なんたって、向かう先はちょっと前まで敵国だった場所だからな。警戒するに越したことはない、ってフィムが」

「当然の処置だよ。私が行けない分、クレイリアから応援を呼んだんだ」

 フィムはクレイリアの政治も担当している。彼がいなくなると、領の政務に滞りが生じるだろう。そのため、今回の旅に同行は出来ない。

 だが、その代わりにクレイリアから応援を呼び、アラドの護衛につけることになったのだ。

「本当ならアラドと護衛二人で良かったはずなんだが、変に大所帯になってしまったから、これでもまだ足りないくらいだ」

「仮に荒事があったとしても、俺一人で充分だと思うんだがな」

「君が矢面に立つようなことは一番避けなきゃならないんだよ!」

 フィムとしてもアラドの能力に疑いを持っているわけではない。アラドの武人としての素質は相当なものである。

 それでもこれから行く先はルヤーピヤーシャ。全く土地勘のない場所で何が起こるかわからないとなれば、慎重に慎重を重ねても臆病とは言えまい。

「良いか、グンケル、ワッソン。アラドが無茶をしないように、くれぐれも注意してくれ」

「了解」「わかりました」

 二人の返事を受け、それでも心配が募るフィムは、静かにため息をついた。


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