6ー1 最前線に至る脅威 1
6 最前線に至る脅威
ルクスとミーナが旅を続けている頃、ベルエナにて。
「ベルディリー様、難民輸送のための馬車が準備できました」
「よろしい、ではエメリエに向けて順次出発させてください」
「了解しました」
ベルエナの領主執務室で、最低限の受け答えをしていたベルディリー。
報告に来た自警団が去っていったのを見て、少し窓の外へと目を向ける。
西の空には、未だに赤黒い雲が停滞していたのだ。
「あれから何日経っただろうか……」
ベルエナから瘴気の雲を確認して、すでに七日ほど経過していた。
難民たちをベルエナの付近に滞在させておくのも無理が来て、ベルエナから他の領へと輸送する計画が立てられ、それも今しがた実行に移され始めた。
近隣領も快く難民を受け入れてくれるらしく、これでベルエナの負担も軽くなるだろう。
だが、それにしても少し行動が遅すぎたのかもしれない。
「ベルエナ領の生産力は激減している……。今後、この損害を回復するのに、どれだけの時間が必要になるか……」
ベルエナよりも西側にある農村は全滅である。これは間違いない。
自警団が瘴気の中へ突っ込み、ざっと状況を確認してきたのだが、結果を言えば酷い有様であった。
農地はほとんど踏み荒らされ、今年収穫される予定であった作物は全滅、建物も軒並み打ち壊されており、農村の再建をするにしても、一つの村だけで相当なリソースを要求するだろう。
そこからさらに農業や酪農を軌道に乗せるとなると、数年を要する事業になる。
それまで、ベルエナは今あるものだけでやりくりしなければならない。
ベルエナに備蓄されていた食料などは、今回発生した難民のために相当数が消費され、これを元の量に戻すのにもかなり時間を食うだろう。
それまでは近隣領に支援をもらいながら立て直していくしかない。その借りを返す事も考えれば、ベルディリーの代では収まらないほどの負債となるだろう。
「ふぅ……頭が重たいな」
やること、考えることは山積されている。
一つ一つこなしていかなければならない……のだが、目下の問題と言えば、瘴気そのものである。
西から逃げてきた領民の証言からするに、瘴気が発生してから十数日。
それだけ経過しても一向に晴れる気配はなく、瘴気の中には今でも魔物がうごめいている。
魔物たちを討伐し、瘴気を晴らす手段を考えなければ、ベルエナの再生どころの話ではないのだ。
現在は馬軍領域からやってきた魔術師によって、瘴気の調査もしてもらっているが、その成果も芳しくない。
そもそも、大陸北部にある暗黒郷以外で瘴気が発生すること自体が未曽有の出来事である。
魔術師に調査しろ、と言われても、そう簡単に結果が出るようなものでもない。
どうしようにも、じっくりと腰を据えるしかなさそうだった。
「ベルディリー様!」
「……どうしたんですか、騒々しい」
今後の展望に頭を悩ませていると、執務室のドアが勢いよく開けられ、自警団の団員が入ってきた。
血相を変えたその表情に、ベルディリーは努めていつも通りに応対する。
「一度深呼吸をしてください。そして、落ち着いて、手短に報告を」
「は、はい」
冷静なベルディリーに言われ、団員は少し自分を落ち着ける
「瘴気の中から魔物が現れ始めました。数は、ざっと見ても五百はいます」
「五百……自警団だけで撃退するのは厳しいでしょうか」
「自警団の全戦力をもってしても、難しいかと……」
ベルエナの自警団は総勢でも百人を超える程度だ。それが瘴気発生という緊急事態が長く続いたことにより、シフトをローテーションして運用している。現在、詰所にいる人間は数十人しかいないだろう。
非番の人間を総動員しても、百対五百。人数差は五倍だ。
いくら魔物は愚鈍だとは言え、五倍の頭数を覆すとなると相当の被害を覚悟しなければならない。
「エメリエからの援軍のほとんどは、難民輸送の護衛についてしまいましたし、ここは防衛に徹した方が良いかと思われます」
「そうですね。町の付近の民を一時的にベルエナの中へ収容してください。動ける自警団員は全員、西部の防壁へ集合。私も向かいます」
「了解しました!」
****
ベルエナの町をぐるりと囲む防壁。大きな石を積み重ね、巨大な門と跳ね橋、そして深い堀を持つ。その防衛力は、長いベルエナの歴史が物語っているだろう。
そんな防壁の西側に、ベルエナの戦力のほとんどが集まっていた。
「では、これより作戦を伝えます」
指揮を執るのはベルエナの領主、ベルディリー・ワイス。女性でありながら高い魔術師の適性を持ち、神火宗の権僧まで上り詰めた
彼女のもとに集まったのは、ベルエナの持つ戦力である自警団が百余人。そして馬軍領域から派遣された魔術師が数十名、合わせて二百に満たない数である。
「
元は街道に沿って出来上がった宿場であったベルエナ。その町の真ん中に街道が走っているため、このまま魔物の侵攻を眺めていては、その行軍にど真ん中を突っ切られることになる。
しかし、それを許すわけもない。
「魔物たちは緩い縦隊で進行中とのこと。隊列がしっかりしていないのは、指揮官の能力が低いか、構成員の練度が低いか、そのどちらもか。いずれにせよ、付け入るスキはいくらでもあります」
斥候が魔物たちの様子を窺ったところ、街道をだらだらと歩いてくる獣人たちが見えたそうな。
その数は五百を数えるというが、それでも統率の取れていない兵士は、頭数以上の脅威にはならない。
「そこで我々がとる戦法は、専守防衛。ベルエナの防壁の上から敵に射掛ければ、こちらは全く損害を出さずに敵を壊滅させられるでしょう」
「しかし、相手が統率の低い縦隊ならば、側面から突撃することで、相手に大打撃を与えられるのでは?」
「地の利は我らにあります。無駄に危険を冒す必要はありません。それに、攻勢に出るにも懸念事項はあります。情報では敵の数は五百でしたが、見通しのきかない瘴気の中には増援がいないとも限りません。そうなった時、側面を突かれるのは我が方でしょう」
敵の縦隊に突撃をかければ、戦列を分断し、敵に大打撃を与えるのは容易だ。
だが、もし万が一、それが敵の罠で、瘴気の中から練度の高い兵が現れた場合、側面を突かれるのはこちら側だ。
ならばまだ見通しの良い、瘴気の雲が侵食してきていないベルエナ側で戦う方が、展開に対処しやすいだろう、という算段である。
消極的ではあるが、そもそも頭数の差はあるのである。慎重になっても悪いことはない。
「自警団の八割と馬軍領域の魔術師隊を防壁の上に展開し、近づいてくる魔物たちを順次、遠距離攻撃にて撃破します。残りは門の内側で待機し、万が一の場合に備えてください。作戦は以上。質問は?」
ベルディリーの説明を受け、納得した自警団や魔術師たちは、各々頷く。
質問が返ってこない事を確認したのち、ベルディリーは手を掲げた。
「では、作戦開始!」
鬨の声を受け、周りの兵たちは景気づけに威勢のいい返事を返した。
そのややしばらくしたのち、防壁の上から敵の様子が見えてきた。
「本当にバラバラね……」
防壁の上で魔術師隊として参陣したベルディリーは、敵の様子を見てため息をついた。
街道を歩いてくる獣人たちは、隊列と呼べるような陣形を組んでいるわけではない。
各々が思い思いに歩いてきているだけだ。
それはもはや、旅人や行商人が歩いているのと変わらない様子ですらある。
ただ違うのは、彼らは手に手にボロボロの武器を持ち、殺意を纏ってベルエナに向かってきている事ぐらいか。
「攻城兵器の類も見受けられないし、近づいてくる魔物を順次迎撃していけば、予定通りほとんど損害なく撃退できそうね……。弓兵、魔術師隊、準備は良いですか?」
ベルディリーの声に、周りの兵士たちは次々に返事を返す。
つがえられた矢、そして魔力の集中を促す杖は、魔物たちに照準を合わせている。
「敵が近づいてきたら、一番から順に射撃を開始します。私の合図を待ってください」
「了解!」
ダラダラと行軍してくる魔物たちは、その進みもあまり速くはない。
有効な射程範囲に入るまで、もうしばらくかかりそうだ。
そう思って魔物たちとの距離を測っていると、
「……ん?」
「どうした?」
「いや、あの雲の奥……」
弓兵の一部が、少しどよめく。
「何かありましたか?」
「あ、いえ、瘴気の雲の中に何か大きな影が……」
そう言われて、ベルディリーも瘴気の雲の方へ目を向けた。
すると、確かに何か大きな影が空中に浮かんでいるのが見えた。
「あの影……もしかして」
ベルディリーも含め、神火宗で知識を得た人間たちは少し冷や汗を浮かべる。
瘴気の中に浮く影は、とても巨大で、そもそも地面を歩いてすらいない。
他の魔物、獣人などとは確実に別物であることが、
そして、神火宗の人間であれば魔物の文献を読んだこともあるだろう。
その中に記述される、巨大で、空中に浮く存在というのも。
「まさか、
神火宗の文献において、怪鳥と呼ばれる魔物が記されていた。
その
「ベルディリー殿、怪鳥に対抗するとなると……」
「わ、わかっています。しかし……・」
文献に記された怪鳥は、それに対抗するための戦力についても記されていた。
空を跳ぶ怪鳥に対し、地上戦力はほとんど意味をなさない。かといって弓矢などの遠距離攻撃では羽ばたきによって無効化されてしまう。
怪鳥に対抗するには、魔術師が中隊規模で必要となってくるだろう。
ベルエナ側の魔術師は、怪鳥に対抗できるギリギリの戦力である。
だが、これを怪鳥への対処にあてれば、地上を侵攻してくる獣人たちへの対抗力が損なわれる。頭数の差がある現状、他へ戦力を回している余裕は、本来ない。
かといって怪鳥を放置していては空から襲撃され、たった一羽とは言ってもベルエナに降りかかってきたならば、町に相当な被害が出る。町の内部に近隣住民を収容している現状、それは避けなければならない。
ここにきて窮地である。
「ベルディリー様! 獣人たちが進行速度を上げました!」
「こんな時に……ッ!」
見ると、怪鳥の影を見て鼓舞されたのか、獣人たちは手に持っていた武器を掲げ、奇声を上げて地面を蹴り上げ、ベルエナに向かって走りこんできている。
その突撃に統率性は全く感じられないが、手近な敵から速めに迎撃しなければ、いくら跳ね橋を上げていても堀を突破されるかもしれない。
(どうする……どうしたら……ッ!?)
敵の戦力を甘く見た代償が、ここにきて重くのしかかった。
これはもう、ある程度の被害は覚悟しなければならないだろう。
「魔術師隊を怪鳥への対処へ集中させます。私もそちらに回りますので、自警団の団長は弓兵の指揮を。予定通り、順番に敵へ矢を射かけてください」
「りょ、了解しました……!」
それでは心許ない。それは自警団の団長も理解していた。
だが、それをここで言っても仕方がないこともまた、理解している。ゆえに、口答えはしない。
こちらは全力を尽くし、最善をこなすしかないのである。
最悪、門が突破され、町の内部に魔物が侵入してしまったなら、その時は後手になるが、怪鳥を対処したのちに殲滅するしかないだろう。その間に被害がどれほど出るのか、あまり考えたくもない。
苦渋の決断ではあるが、しかしこれが今できる最善である。
「べ、ベルディリー様!」
「今度は何!?」
努めて冷静でいたベルディリーも、次々と投げられる報告に対して声を荒げる。
「町の北部から騎兵です!」
「騎兵!? また魔物が!?」
「い、いえ、紋章が掲げられています!」
町の北部を窺うと、丘の稜線にいくつもの影が見えた。
それらは鉄の鎧に身を包んだ、まぎれもなく人間。
馬にまたがり、槍を構え、一直線に獣人の縦隊を見据えている。
彼らが掲げている旗には、間違いなく紋章が。
「あれは……クレイリアの紋章!? あんな遠方から!?」
掲げられた紋章は、アガールスの東部にある領地、クレイリアのものであった。
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