第4話(終)「ただ、それだけの話」
勝文は勉強に励むだけでなく、元々得意だった運動面でも更に才覚を発揮した。地元のサッカークラブに入団し、地区大会で優勝した。全国的大会では惜しくも第二試合で破れたが、その時の悔しさが勝文にとっての心の火種となった。
「24……25……26……フフッ」
勝文は部屋に多くのトロフィーを並べ、自分の優位性を自他問わず見せつけた。全ては瑞希に振り向いてもらえるような、知也を越えた魅力的な男になるためだ。
当然学習面も怠ることなく、運動時以外は机にかじりついた。自費で手に入れた問題集を休むことなく解き漁り、いつの間にかもやは苦手科目という概念すら無くなっていた。
テストは常に100点満点を維持し、学年トップクラスの成績を叩き出した。知也の真似事のように生徒会長へと就任し、名門大学へと合格するためのキャリアを積んだ。中学高校と進んでも努力を途切れさせることなく、完璧な人間であり続けた。
「諦めないことが大事……だよな、瑞希姉さん」
こうなっては他の女子から好意を持たれることも多くなり、勝文は全校生徒の憧れの的となった。
しかし、当然そこらの向けら同然の女子生徒など、彼の眼中にはない。勝文の完璧な人間性は、瑞希の心を掴むために存在している。どれだけ美人で気の合う女性と知り合おうと、勝文が恋愛対象として見ることはなかった。
「姉さん……俺……頑張ってるよ」
中学に入った後、好成績を維持できた御褒美に、母親からスマフォを買ってもらった。知也の存在を知ったあの日から、瑞希とは定期的に連絡を取り合っているが、面と向かって会ったことは一度もない。
彼女は無事知也と共に志望大学に合格し、楽しいキャンパスライフを満喫しているようだ。時折二人で旅行やデートに行った写真が送られ、幸せな笑顔を浮かべる彼女の姿を見る。
『知君とドリームアイランドパークに行ったよ~♪』
高校生の頃よりも美しさがぐんと上がり、モデル並みの美貌を誇っている。彼女の魅力に変わらずうっとりとする勝文だが、写真に写る彼女の隣で、同じく幸せそうな笑みを浮かべる知也がちらつく。今も円満な交際は続いているようだ。
「クッ……いつか俺が瑞希さんを……」
知也の姿を見ると、悔しさを感じつつもありがたい。瑞希への恋心を忘れずにいられるからだ。
いや、もはや彼女との結婚を夢見ているため、愛情と言ってもいいだろう。いつかこの写真に写る隣の男の枠に、自分が収まることができたら。そう願って止まない日の連続だ。
今は恋人という関係にいる二人だが、結婚さえ叶えてしまえば逆転できる。いつか必ず瑞希にプロポーズし、彼女の夫になるのだ。
「おっと、いけないいけない、今日の課題っと……」
勝文はスマフォの電源を切り、自主勉強へと戻った。休んでいる暇などない。次なる高みを目指さねば。彼は額の汗を拭い、志望大学の過去問の問題集を睨み付けた。
自分の受験番号が載っていることなど、結果を見る前から知っていた。勝文は志望校に楽々と合格し、余裕の笑みを浮かべた。成績優秀、運動神経抜群、才色兼備……ありとあらゆる優れた勲章を抱え、勝文は大学生となった。
「瑞希姉さん、俺……大学生になったよ」
瑞希とは大学受験の多忙な時期に突入してから、あまり連絡が取れなくなってしまった。お互いの日常の詳細が語り合われることは少なくなった。しかし、これはいい機会だと考え、勝文はプロポーズの準備をした。
美しく整えた容姿を生かし、ホストや塾講師などの高額なアルバイトを掛け持ちし、数ヶ月かけて費用を稼いで婚約指輪を購入した。なりたての大学生でも購入できる最安値の粗悪な指輪だ。喜んでもらえるかどうか、心に不安が引っ掛かる。
しかし、行動するまでは分からない。諦めなければ必ず叶うと、瑞希が言っていたのだ。9年間捧げてきた自分の愛の強さを証明してみせる。
「待ってて、瑞希姉さん。俺が貴女を幸せにしてみせます」
塾講師のアルバイトの帰りの夜道。秋の終わりを告げる外の冷気が、勝文の肌を執拗に刺す。勝文はイルミネーションに照らされる商店街を歩きながら、瑞希へのプロポーズのための誘い文句を考えていた。
「豪華なディナー? いや、ありきたりすぎるか……」
長らく連絡が途切れてしまっているだけでなく、彼女が今どこで暮らしているかが不明だ。一応念願の教師の夢を叶え、苦労しつつも美人教師として小学生から人気を博しているようだ。自分と同じく彼女に恋に落ちる男子児童が続出していることだろう。
しかし、勝ち誇るのは自分だと、何度も心に言い聞かせる。
“瑞希姉さんを手に入れるのは、この俺だ!”
ピロンッ
スマフォの通知音が鳴った。ズボンのポケットから取り出して確認してみると、一件のLINEのメッセージの通知だった。勝文はロック画面を解除し、何気なくメッセージを表示した。
『勝文君、久しぶり』
「瑞希姉さん!」
丁度いいところに、瑞希からのメッセージだった。寒気で沈みかけていた活気が、勝文の体の中でもくもくと沸き上がった。上手く会話を誘導し、プロポーズの機会を得るとしよう。俺はウキウキと心を踊らせながら、フリックで返信文章を入力する。
『私ね、結婚するんだ』
バリッ
スマフォが地面に落ちた音だと気付くのに、数秒間遅れてしまった。画面にはヒビが入っている。そのヒビに重なるように、瑞希のメッセージが無慈悲に表示される。
「……え」
勝文は返信文章の入力を中断し、急いで通話ボタンを押した。メッセージだけでは信じられない。彼女の声から直接聞きたい。結婚とはどういうことか。
「久しぶり……瑞希姉さん……」
『勝文君、元気? もうすっかり男の人だね』
「そんなことより、結婚って……」
瑞希の何気ない会話の切り出しを強引にはね除け、勝文は本題に迫った。体中の至るところから汗が吹き出し、またもやスマフォを落としてしまいそうだ。必死に冷静さを保ちながら、勝文は瑞希に尋ねる。
『うん。私、知君と結婚することになったの。覚えてる? 私の彼氏の……』
「……覚えてる」
覚えてるも何も、忘れたことなど一時もなかった。あの男を越えるため、瑞希に認めてもらえる男になるために、今まで死に物狂いで生きてきたのだ。
しかし、考えたくなくて目を反らしていた可能性が現実となり、勝文の心を揺さぶる。いや、もはや崩壊しかけている。それを瑞希に悟らせないよう、話し声だけは冷静さを落とさずに維持した。
『よかった。近いうちに招待状送るから、よかったら来てもらえると嬉しいな』
「……」
勝文は黙り混んだ。勝機は一瞬にして消え去った。トートバッグに大事にしまわれた指輪のケースが、悔しさで震える体に揺らされ、カタカタと音を鳴らす。完全に知也に先を越されてしまった。
いや、まだだ。諦めたくない。諦めなければ、必ず成し遂げられる。
「瑞希姉さん、聞いて」
『何?』
往生際の悪い勝文は、最後のなけなしの運に賭けた。
「俺も、貴女のことが好きです。瑞希姉さん、いや……瑞希さん、俺と結婚してください」
『勝文君……』
瑞希は案の定困った声色で名前を呼ぶ。当然だ。別の男性との結婚が決まった時点でプロポーズを強行されても、ただ迷惑なだけである。
しかし、来るであろう返事は分かりきっているものの、言葉にせずにはいられなかった。言わなければ、何のためにこの9年間の時間を瑞希のために捧げてきたのだろうか。
勝文は涙をこらえながら、返事を待った。
『ありがとう。でも、ごめんね……勝文君とは結婚はできません』
「それは……どうして? 俺がガキだから? 知也さんみたいに優れた人間じゃないから? 大学生だから? 社会人じゃないから?」
再びこのやり取りだ。自分はまだ学生で、安定した収入を得ていない。18歳で成人はしているものの、まだまだ世間の「せ」の字を学び始めたばかりの小僧だ。完璧な男として君臨したつもりが、やはり自分は未熟な存在であるというのか。
「ねぇ、なんで? 俺に足りないところがあったら、直すよ。ちゃんとした大人になるから。俺のどこがダメなの?」
『ううん、勝文君は充分素敵な男の子よ。でも結婚できないの』
どれだけ足掻いても変わらない現実。だが、勝文はかろうじて涙を流さない。まだ挽回できる。可能性は残されている。諦めなければ実現すると、尚足掻く。
「じゃあ、なんで……?」
勝文は理由を尋ねた。
『私が、勝文君を好きじゃないから……』
その時、ようやく涙が溢れてくれた。まるでその言葉を待ち望んでいたように、なぜか勝文の口許は緩み始めた。ようやく楽になれた。言葉にするなら、そういった状態となった。
そうか、自分が未熟だからではない。初めから恋愛対象として見られていなかったのだ。最初に出会った時から、瑞希の心は知也に向けられており、勝文に向けられるはずかない。
それは確定していた未来だったのだ。好きでなければ、恋人にも夫婦にもなりたいと望むはずがない。
最初から自分のことは好きではなかった。ただ、それだけの話だった。
『ごめんね、勝文君……ほんとに……ごめん……』
「……分かった」
そう言って、勝文は通話を切った。結婚式に出席するかどうかの返事もせず、ただ行き場を失ったままの愛情を抱え、ひたすら泣いた。
「うぅぅ……どうして……なんでだよ……瑞希姉さん……」
好きでないと分かっても、次にどうしてと聞きたくなる。ただ自分のことを好きではないという現実を、作り上げた要因の正体を知りたくなる。そんなものは存在しない。ただ好きではなかったという話で、この現実は終わりのはず。
だが、勝文の未来も失われたも同然。ひたすら瑞希のために生きてきた人生を、この先どう進めていけばいいのだろうか。瑞希という行き先を失った彼のレールは、続きを敷かれることはなかった。
「瑞希……姉さん……なんでだよ……あぁぁ……」
勝文の泣き声は誰にも届かず、いつの間にか人通りの無くなった商店街の真ん中で、冷たい夜風に吹かれるだけだった。
KMT『ただ、それだけの話』 完
ただ、それだけの話 KMT @kmt1116
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