第1章(3)

ツネさんと出会って、3度目の春。わたしは家を出てひとり暮らしをすることになった。


高校3年生になり、卒業後の進路を考えたときに「父のように、人になにかを教える人になりたい」そう思ったことがきっかけで、わたしは英語講師を目指すことにした。

天国では「なんだ、教師にはならないのか」と不満そうにこちらを見つめているかもしれないけれど、学校の中で働く教員ではなく、外部講師として色々な年代、環境の中で自分の知識や想いを伝えていくやり方がわたしの性には合っていると思い、この道を選んだ。


東京の学校に通うため、母にひとり暮らしを打診してみると、「お父さんが生きてたらもっと反対したかもしれないけどね」とあっさり了承してくれた。


高校の卒業式を終えた次の日から、わたしは引越し準備に追われていた。

新居エリアまでは電車で3時間以上かかったので、1日に5軒の内見を詰め込んで、1日で終わらせた。内見して、その中から借りる家を決めて、賃貸契約を結ぶ。人生で最も大きな一歩を踏み出す瞬間のはずなのに、どういうわけか全く躊躇することなくトントン拍子で進めていった。


内見当日は、「やっぱり心配だから着いていく」と当日の朝に急いで支度をし始めた母と、「準備できたか〜?」と当たり前のように家まで迎えに来てくれたツネさんとわたしの3人で電車に乗り、東京へ向かった。


「ツネさん、わたし今日内見着いてきてってお願いしてたっけ?」

「愛子がこの日に東京へ行くって言うから、そりゃあ空けといたんだっぺよー。ひとりじゃあどうしていいかわかんないだろー?」

「そうだったんだ。ありがとう。」

「お前のお母さんだけじゃ頼りないしよぉ。」

「はいはい。」


ツネさんはいつも私たち家族によくしてくれる。優しくしてくれる。細やかな気遣いをしてくれる。けれどお礼を言うと決まって、照れ隠しのための悪態をつく。はじめは、「どうしてそんなことを言うんだろう」と思っていたけれど、何年も一緒にいたらわかる。これはツネさんの愛情だ。


結局、ほとんどの引越し準備に付き添ってくれて、新生活で必要な家具や小物も買ってくれた。ここまでしてもらうのは悪い気がしてしまって一度断ったのだけど「いいから、いいから」と言ってお金を渡してくれた。

わたしの新居は、母と2人でリサイクルショップで買い集めた綺麗めの家電と、自分のお年玉とお小遣いで買ったチェスト、ツネさんが買ってくれた新品の家具とキッチン雑貨や日用品ですぐにスペースが埋まった。


新生活のはじまりは胸の高鳴りや期待感よりも、初めて親元を離れてひとりで過ごさなくてはいけないという不安感が優った。

そんなときにツネさんと母が一緒に選んで、私にプレゼントしてくれたこの部屋の家具たちを見ると、心は落ち着いてなんとか頑張ることができた。


とはいえ、会いに行けないほどの距離感ではなかったので、隔週で実家に帰った。

私が帰る日はツネさんもうちへ来ていて、母と3人だったり、弟も交えたりして食事をした。兄も1年前から一人暮らしを始めたため、ほとんど会うことはなかったが、実家には顔を出すこともあるらしく、母やツネさん伝いで元気なことは知っていた。


ツネさんは生まれてからずっと地元を離れたことがないらしく、東京へ出た私の話を興味津々で聞いてくれた。

学校は楽しいか、どんな先生がいるんだ、友達は出来たか、ちゃんとご飯は食べてるか、なんて子供に聞くようなことばかりを聞いてくるから、つい笑ってしまった。


「なにがおかしいんだよ?」

「いや…だって子供に聞くようなことばかり聞いてくるから、可笑しくて。」

「愛子は俺の娘みたいなもんだろ〜。娘の心配して何が悪いんだよ。」


ぶっきらぼうに怒ったような顔でそう言ったツネさんの顔は、いつも日に焼けて真っ黒な肌がさらに赤くなっているように見えた。




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ツネさん あけぼの @haluwaakebono

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