鎌倉とティラミス
その日は、朝からなんだかバタバタと忙しく、やっと一息ついたのが昼をとっくに過ぎた頃だった。かえって店が空いている頃で良かったのではないかと思いながら、昼食を取りに事務所を出た。
少し歩いた所で、後ろから声をかけられた。
「長谷川さん?」
「ああ。あれ? こんな時間にお昼ですか?」
僕が言うと、彼女は笑う。
「私のセリフです」
「あ……ホントだ」
「もし、まだでしたら、ご一緒させて頂いて宜しいですか?」
彼女が言うので、少し驚きながらも、
「あ、ええ。勿論です」
答えた。
彼女に連れていって貰った店はパスタの美味しい店で、流石に男一人では入りくいような佇まいだった。
「美味しいです、とても。いつもはラーメンとかで済ませちゃうので」
「そうですよね。お昼はどうしても簡単なものになっちゃいますよね」
パスタを褒めた後は、やっぱり先日のシュルレアリスム展の話になる。好きなものが同じというのは、とても話がはずむもので、僕もとても楽しい時間を過ごさせてもらった。
「そうだ」
彼女が何かを思い出したように言う。
「鎌倉に、ダリの『宝飾美術館』があるのはご存知ですか?」
「えっ、そうなんですか?」
「人に場所だけは聞いていたんですが、なかなか行く機会がなくて」
「鎌倉までは、意外と遠いなって感じですもんね」
「よかったら、一緒に行きませんか?」
意外と積極的な人だと思ったが、そのハキハキしたところが、かえって気持ちいい。
「迷惑でなければ」
僕は答えた。
レジの前でサッと財布を出し、彼女は自分の食事代を出してきた。その行動に彼女の誠実さを感じて、より好意を持ったのだった。女性に払わせるような真似はしなかったけれど。
スケジュールを合わせ、駅で待ち合わせた。彼女は、白の半袖シャツに濃紺のロングスカート。ショートボブの髪型に、とても似合うバランス。シンプルさが品の良さを感じさせる。
ふと、「あれ? もしかして……これってデート?」今更気付いて、ちょっと照れくさくなる。前の彼女と別れて、もう3年くらい恋愛感情なんて忘れていた。
二人で沢山の話をしながら鎌倉に着くと、彼女は教えられたという場所を探す。けれど、ないのだ。
「ありませんね」
「場所が移ったのかも?」
「聞いてきます」
彼女は近辺の店に入って行った。そして、出てきて、申し訳無さそうに言った。
「10年以上も前になくなっていたそうです」
「えっ?」
「私が教えられたのも数年前で、知人の記憶そのものも相当古かったんですね」
「そっか……残念ですね」
「ごめんなさい。私がもっとちゃんと調べておくべきでした」
とても
「構いませんよ。このまま、鎌倉散策にしませんか?」
「……いいんですか?」
「迷惑でなければ」
可笑しそうに、彼女が笑って、頷く。
「コーヒーでも飲みましょう。お詫びに奢って下さいね」
僕がふざけて言う。
「行きましょう」
彼女は、楽しそうな顔になった。
鎌倉へは、思わず楽しい日帰りデートになった。
「一緒に食事に行ってもらえませんか?」
数日後、今度は僕から電話で誘った。
「今日……ですか?」
もう夕方だったので、少し困ったように言われる。
「いえ、都合の良い日で構わないので」
「ああ、それなら、喜んで。ちょっと仕事のスケジュールを確認します」
翌日の夕方、予約していた店の前で落ち合う。
「イタリアン、ですか」
「一人で入れないので」
僕は少し笑いながら、ドアを開けた。
「どうぞ。お願いします」
彼女は、ふふっと楽しそうに笑った。
「実は、今度、ここで会食があるんです」
「はい」
「それで、下見につきあって頂こうと」
「うふふ。なんだあ、そんなことでしたか」
「甘いものは」
恐る恐る彼女に聞いてみる。
「基本的に好きです。でも、やたら甘いだけのは、ちょっと……」
「そうですか」
「それが、何か?」
「実は、ここのコースの、デザートのティラミスが絶品らしいんです」
「まあ!」
「でも、僕は実は甘い物が苦手で、食べられるかどうだか、と思って」
「あら、そうなんですか」
「甘すぎなければ食べられるんです。普通に」
「それで、私に味見を、と?」
彼女を見ると大笑いしている。
「わかりました。頑張って食レポします」
彼女との食事は最高に美味しかったし、楽しかった。
さて、難関、ティラミスだ。
「うわ。ホント、美味しい〜」
彼女が絶賛の声を上げた。
「確かに甘みは勿論ありますけど、マスカルポーネの味が強いので、嫌な甘さではありませんね。ビスコッティも、上品な甘さと焼き加減。恐らく、コーヒーリキュールも上等な物を使っているのでしょう。ココアパウダーの苦味が上手く全体を整えてくれていると思います」
有り難過ぎる食レポだ。
「僕でも食べられそうですか?」
「さあ? それは流石に私にも。でも、本当に美味しいですよ。試す価値はあると思います」
僕はフォークを手に取り、食べ始めた。
「ホントだ。僕にも食べられる甘さです。食べられるっていうか、寧ろ好きな味だ。美味しいです、凄く」
「良かったです」
彼女はニッコリと微笑んだ。
帰り、駅前で、離れづらく思いながら彼女を真っ直ぐに見る。
「あの……もし、迷惑でなければ……」
彼女が先に口を開いた。
「ごめんっ!」
僕は咄嗟に彼女の言葉を遮った。そして、びっくりして、息を呑んだ彼女に、
「いや、そうじゃなくて、ごめん……そこだけは、僕から言わせてくれないかな……」
改めて、彼女に正面から向き合った。
「もし、迷惑でなければ、僕と付き合って下さい」
一瞬、間があって、
「はい……」
彼女は、もっとびっくりして、泣きそうな顔になっていた。
2年付き合って、結婚を決めた。式は簡素なものにし、その分旅行に充てた。
二人でスペインに行き、ちゃんとダリの宝飾美術館も見に行ってきた。ミロやガウディ……沢山の美術館巡りをしたのだ。勿論、ブリュッセルのマグリット美術館にも行ってきた。『ピレネーの城』は、イスラエル博物館の所蔵ということで見られなかったが、他の絵画も、本当に素晴らしかった。
帰って、安価だったけれど、『ピレネーの城』のポスターを買って、飾った。本物はまだ見られていないけれど、僕たちを繋いでくれた物だったから。
「パパおかえりぃいい!!」
パタパタと娘の
「ばあばとお電話したよ」
「そっか。よかった。楽しかった?」
「うん!」
台所に行くと、瞳が料理を用意してくれていた。
「あのお土産のケーキ、やっぱり美味しかった。ね〜、智恵」
北海道土産に一口サイズのチーズケーキが4つ入ったものを買ってきていた。
「うん!! パパのはここよ」
智恵が自分のお腹をポンポンとたたく。
「ママのも食べたんじゃないの〜?」
笑って娘に問いかけると、瞳が助け舟を出した。
「智恵ったらね、凄いのよ。『これはベビちゃんの!』って、私にちゃんと2個くれたの」
「そっか。偉かったな〜、智恵」
瞳さん、君のおかげで、今日もうちは平和で温かいです。
君と出逢えて、本当によかった。
『ピレネーの城』(スィートメモリー・スピンオフ) 緋雪 @hiyuki0714
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