43 盾と矛



 隧道の西端から父と宇迦之うかのを見送る長鳴ながなきの背に、小声で彼の名を呼ばう声がかかった。振り返ると予想にたがわずかじがいた。

 首尾を確認したところ、祠へは八咫やあたが向かったそうだ。それを「西」へ伝えに行くと、食国おすくには自分がその援護に向かうといって飛び出して行ったのだという。では、宇迦之が言っていた、子は行ってしまったというのは邑内に向けてだったのかと、長鳴は頭を抱えた。

「なんでこう、うちにいる主人達は退路というものを考えた行動をしないんだ……」

「しょうがねぇさ。だからこそ時代が動くんだろうぜ」

 笑って言う梶火に、長鳴はじとりとした視線を送る。

「今更気に入ったんでしょ、食国の事。あと八咫も」

「そうだな。あいつ等は案外やる奴だったな」

 それを受けて、梶火は寝棲ねすみの下へ荷を手に単独で状況説明に向かったという。寝棲はどんな様子だったかと問えば、今のお前と同じような顔して頭抱えてたぜと言うので、もありなんと頭を一つ振るった。

 それから二人は、取り残されている邑人がないかを確認しながら「西」から中央に向けて駆けた。おおよその邑人は既に邑長邸付近に逃げ込んだか、自宅奥に潜んでいた。

 今更になって思い至るが、矢張りあの道祖神は邑と外部を隔てる為の物ではなかった。

 邑長邸は邑の中心に位置する。道祖神は、この長邸のぐるりを取り巻いた後、そこから真っすぐに祠へと続く石段に向けて、幅九尺の道幅を取り伸びていく。更にそれは石段の左右をてんてんと守り、終には祠とその裏の堂にまで及び、囲んでいるのだ。


 ――つまりあれは、自分達邑人を護る為の物ではなく、月人の生死の境を示す物だったのだ。


 ここより先は三寶合祀の死屍散華の毒が侵す領域。立ち入れば命の保証はできぬという、警告の為の目印だったのだ。故に、その境界を境に黄師は踏み込んできていない。


「つまり、被害が出てるのは東側だけって事かよ⁉」


 梶火の叫びに長鳴は首肯した。彼の言わんとするところを察する。梶火の住居は東側の半ばにあるのだ。

「おじいさんには会えたの⁉」

 梶火の養い親である南方みなかたについて問うと、「ああ!」と荒く梶火は頷く。

「長邸の状況見てから家の方に向かってった。ウチの近所にゃ蔓斑つるまだらの親戚がいるからな。あそこはあいつのとばっちりで一家丸ごと村八分食らってやがるから、こういう時にじじいみてぇな仲介ができる助け手がねぇとまずいんだよ!」

 言わんとするところを理解し、長鳴は眉をひそめた。この邑の閉鎖性の高さは否定のしようがない。その家の事は長鳴も知っている。自分達と大して年の変わらぬ娘がいたはずだが、例の騒ぎの後から姿を見かけなくなっている。三人だけの弱い世帯だ。困窮も並々ならず、長鳴は父が頭を抱えているのを何度か見た。

 前を睨みながら梶火は「ちっ」と舌を打つ。

「あの筋肉達磨に滅多な事なんざあり得ねぇが、血の気が多いヤツも近所にゃ多いからな――とっとと逃げててくれりゃいいんだが……」

 梶火自身も二人だけの世帯だ。心配は尽きないだろう。

 長鳴もきっと前を睨む。

「他の邑がどうかは知らないけれど、あれだけの量の不死石を調達させるなんて相当な事のはずだよ! 歴代の長が余程服従の意を示し続けてきていたから優遇されたか、もしくは――」

「余程、ここに三つの玉が合祀されてるのが奴等にとっては脅威って事だな!」

「うん!」

 二人はようやっとの思いで邑長邸の近くにまで至った。道祖神の境界を越えようとして、長鳴は自分の中から、ざっと血の気が引く音を聞いた。

 未だ燃え盛る邑長邸の表門の前に、数人の鎧姿が見られた。――境界を越えている――つまり、彼等は知り得た手段で死屍散華の害がないと確信を得ているのだ。そしてその先頭に立つ男の前に、一人の少女が立ち尽くしていた。

「おい長鳴あれ⁉」

「なんって事するんだよもう‼」

 ぐんっと長鳴の速度が増した。彼は確かに足腰と体幹が弱いとされてきたが、本気で走れば梶火には追いつく事などできないのだ。ふと見ればすぐそばに下がりの品の籠がある。遅れついでに一番上にあった目についた一枚を手に取り、長鳴の後を追った。

 長鳴は、目の前に落ちていた瓦礫の一つを飛び越えると、勢いそのまま先頭に立つ黄師と少女の間に滑り込んだ。

「どうか、どうかお待ち下さい‼」

「貴様、何者だ」

えいしゅう邑長が次子、長鳴ちょうめいにございます!」

「――邑長の子か。長は一体何処におる」

 長鳴には与り知らぬ事だが、間諜である『とう』を見失ったため、隊長自らが赴いて出て来たのである。他の兵は隊長の命で、東の半ばにて控えている状態にあった。

 周囲に悲鳴がないのと、そこにいる三人の黄師以外には兵の姿がない事を見て取るや否や、長鳴は膝を折り、地に手と額を付けた。

「申し訳ございませぬ。父は囚人に襲われ医者が介抱しております。本来であれば継嗣たる兄が奏上させていただくべきところではございますが、現在その所在が掴めておりませぬ。故にわたくしで平に御容赦賜りたく存じます!」

 長鳴の決死の嘆願に、しばし間をおいてから、隊長は剣を下げた。

「其方の兄であれば、我らが捕らえておる」

「っ」

 長鳴は土に額を付けたまま、眼を見開いた。冷たい汗が、つるりと額から滴る。

「其方が兄は、我等が兵に刀を向けた。黄師に反する行為は決して赦されぬ。宮城に引き立て、皇より沙汰が下される。お前達はそれまで黙して待て」


「――なんや」


 耳に届いた声に、思わずびくりとする。

「なんなんや、お前等……」

 長鳴の背後で、そのか細く震える声は言葉を続ける。慌てて後ろに顔を向ければ、そこには、ぶるぶると震えながら拳を握る八重がいた。きっと鋭い眼差しで黄師を見据えるその瞳には、今にも零れ落ちんばかりの涙が湛えられていた。

「ま、待て、八重」

「急に人の邑に刀ぶら下げて飛び込んできよって! こっちは囚人が火ぃつけるわ親父を殺すわでそれどころやないんやぞ!」

 途端、隊長がまなじりを釣り上げて気炎を上げた。

「なんだこの小娘は! 貴様、我等に立て付くと申すか‼」

「我等とか知らんねん! 誰やねんあんたら‼」

 気付くと長鳴は八重の前に飛んでいた。八重の口元を後ろに回した左手で覆いながら、まだ幼いその背で姿を囲う。身をていして、必死に隊長の視界から隠す。

「何を致して居る、其方も我等に刃を向けると言うのか⁉」

「いいえいいえ! そうではございませぬ。この者は今しがた自身の父親を亡くし、気が動転致しているのでございます。どうぞ御寛恕ごかんじょ下さいませ! ――それに、何よりも」

 その瞬間、遅れて梶火が長鳴の隣に滑り込んだ。片膝を付きながら、こちらは長鳴の身を隠すように右腕を出し、右半身で彼を守る。ぐいと黄師の目の前に突き出したその左手には一枚の布がはためいていた。



 白地の布に刺繍が施されている。複雑で規則性のないその文様は、風に吹かれ、炎に照らされて、黒一色に彩られていた。それは、まごう方なき八重やえおう本人の布であった。


 

 梶火の隣で地に膝を付けながらも、長鳴は毅然と顔を上げていた。

「これは器の娘です。この二十年の内に、兄を置いて初参りを為した只一人の娘です! 皇に忠誠あればこそ、わたくしにはこの娘を命に代えて守る責務があるのです‼ どうぞ、どうぞご寛恕願います‼」


          *


 隊長の了承を得た後、八重は梶火に連れられ悟堂の邸に留め置かれた。一旦梶火は一人で出ていったが、やがて邸に戻ってきた。

 一切の事情を知らなかった八重は、そこで漸く梶火から一通りの説明を受けた。

 正座した膝の上で拳を固く握りしめ、少女は唇を噛み締める。

「器って、なんやねん……」

「――ああ」

「布の色が変わらんで、女やったら玉様にされるて、そんな意味わからん話があるか?」

「あるから、今の俺達の邑があるって事だよ」

「――せやから、兄々は邑から出て行くんか」

「そうだな」

「……うちのためか」

「まあ、それだけじゃないだろうがな」

 含みを持たせた言い方をしてから、梶火は「あ」と八重の方へ振り返った。

「お前、長鳴に後で礼言っとけよ。あいつがあそこで体張って止めてなきゃ、お前の首と胴は玉にされる前に泣き別れしてるとこだぜ」

「――今、坊……あの人、何してはんの」

「馬鹿共の尻拭いだ。しばらくは――いや、下手したら、このままあいつが邑長に落ち着くかも知れねぇ」

「え、なんで? 若は?」

「黄師の兵に拳を向けやがったんだぞ? 邑長ゆうちょう継嗣けいしがだ。たった今しがた、長も身内から叛意はんい有りと疑われても止むなき者を出した咎とやらで引き立てられていった。――もう、この邑には、あいつしか残ってねぇんだよ」

「そんな、嘘やろ」

「こんな事、お前なら嘘でも言えるか?」

 鼻で笑い飛ばした梶火に、八重は唇を噛み締めた。

「なんで若はそんな事――いや待って? 御付きのあのおっきい人、どないしたん? 若の傍にいてはらへんかったん?」

 八重の問いに、梶火は顔を強張らせて八重から顔を背けた。

「――師範の事は、今は言いたくねぇ」

 怒気を孕んだ梶火の言葉に、八重も思わず口を閉ざした。重すぎる沈黙が泥の様に沈殿したかと思われた頃になって、戸口の外で軽い物音がした。梶火が戸を引くと、そこに長鳴の姿があった。

「お前、どうなった」

南辰なんしんが――あの、叔父が代わりに動いてくれてる。僕も息子だから、疑いがない訳じゃない、と。しばらくここで待機命令だってさ」

「――そうか」

 三人の間に重い沈黙が垂れ込める。

 長鳴は、上がりかまちへりに正座していた八重の前へ歩み寄ると、そのまま土間の上で膝を突いた。俯いた八重の顔を見上げる。

「八重。本当に申し訳ない事をした。お父上の事、どう詫びても詫び切れない」

「――そんなん、あんたの所為やないやないか。そもそもは、おとん達が勝手に色々決めて、そんで恨まれた報いやん。あんたが謝るのは筋違いやっ……!」

 ぼたぼたと、堪え切れぬ涙が膝の上の拳に落ちる。

「八重」

「ここはなんや。あいつらの玩具を継ぎ接ぎする為の部品作りの工場こうばかなんかか? うちらの、うちらの命と体は、その辺の木っ端とちゃうぞ……っ」

「うまいこと言うじゃねぇかお前」

 笑って言う梶火を長鳴がたしなめる。

「八重、そんな事はさせない。これ以上そうはさせない為に、君の父上も、僕の父も、きっとそれ以前の長達も皆が息を殺して耐えたんだ。結果はこうなってしまった。それはもう変えられない。――だけど、ここからを投げ出すという選択肢は、誰にもないんだ」

 長鳴の頬を涙が落ちる。目の当たりにして、八重もようやく気付く。父を、兄を奪われたのは、彼も同じなのだ。

「あんたも、若とおんなしように戦うんか」

「いや、僕は刃は向けない。刃には刃が向けられる。僕までがそれをやれば切られるのは邑の皆だ。僕の責務は、君や皆を守る事だ」

 長鳴は握り締められた八重の拳の上に手を乗せた。

「いいかい。今の白玉は交代した時期から見ておよそ四十歳前後。ここからまだ十年二十年は寿命の猶予があるはず。それまでの間に、君が器になる事を回避する手段を探る。どうか、僕にその猶予をくれないか」

 涙に濡れた長鳴の眼差しは、恐ろしく澄んでいた。八重は、自身の拳の上に乗せられた手を外し、今度は自らが長鳴の手を上から握り締めた。じっとりとめ付けながら唇を軽く尖らせた。

「――器にしよったら、毎晩化けて出てやるからな」

 その答えに、ふっと笑ってから「わかった」と長鳴は呟いた。 

 梶火は笑い交じりの「くそっ」という悪態を吐く。

「こんだけやって捕まりやがったら承知しねぇぞあいつら」

 長鳴はこんな時になんて事を言うんだとばかりに情けなく顔をしかめる。

「今そんな事言わないでよ。縁起悪過ぎだよ」

 梶火は帯の背中側に差していた木刀二本を抜き、壁にかけた。いつもの定位置だ。そして、それ以外の木刀が掛けられるべき場所は空になっている。それが埋まる日は、もう帰ってこないのかもしれない。梶火は壁に顔を向けたまま、自身の肩をバリバリと引っ掻いた。

「まさか、あんな役立たずの二人に俺達全員の命運が託されるなんてな。冗談にしちゃ度が過ぎてるぜ、畜生」

 吐き捨てるように言う梶火に、長鳴は膝を払って立ち上がった。

「二人の無事と達成を祈ろうよ。今の僕達に出来るのはそれだけなんだから」

「――結局、ここに残ったって事は、そういう事なんだよな」

 梶火は、握り締めていた拳を、力なく下に下ろした。

「他人に下駄預けて手前てめえじゃ何にもしねぇ。だから動いた奴のいいようにされちまうんだ。どうしても、自分から渦中に飛び込んだ奴には負けるっ……!」

 突然、すっくと八重が立ち上がった。つかつかと梶火に近付いていく。長鳴が呆気に取られて見ていると、突然脈絡もなく梶火の襟元を掴んで自分の方へ顔を向けさせ、そのままの勢いで顔面を殴り飛ばした。突然の事に身を持ち崩して梶火は土間に倒れた。

「ちょ、八重――」

 あわあわと慌てた長鳴に、八重は寸分置かず向かい、同じ拳でその顔面を打擲ちょうちゃくした。

「八重、お前、いきなりは止めろよ。痛ぇよ……」

「っつう……」

 鈴を張ったような、黒目勝ちで、どこか濡れたような八重の眼が、涙の残滓をたたえたまま、床に這った二人をじっと見下ろした。

「これは、今まで散々兄々を馬鹿にしくさった分のお返しや。梶火、長鳴。あんたらは、うちの盾と矛になって」

「は?」

「うちの役に立たせたるって言うとるんや。うちがいる限り、この邑は守られるって事やろ? せやったら、死ぬ気で生きたるわ」

 八重は二人に手を差し伸べた。梶火と長鳴は顔を見合わせて少し笑ってからその手を掴み立ち上がった。二人を助け起こした小さな少女は、二人を見上げながら花がほころぶように微笑んだ。

「一緒に邑の皆を守ろう。兄々達が帰ってくるまで、なんとかうちらで持ち堪えるんや。お願い。うちの事、守ってな」



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