42 長鳴、推測する


 東馬とうまを支えて長鳴ながなきは隧道を進む。

「――熊掌ゆうひは、どこへ行った」

「……わかりません。師範が御傍についているとは思うのですが」

 長鳴の言葉は歯切れが悪い。それも無理からぬ事だろう。実際はあの時、長鳴は闇夜に飛ぶ悟堂ごどうと熊掌の姿を視認していた。父にその事を告げなかったのは、隠し立てをしたかったからではない。他でもない長鳴自身が、己の目が捉えた物を未だ信じられずにいた。


 ――あんな跳躍は、尋常のものではない。


 あれを目にした途端に顔色を変えて前言を撤回した黒氏の事も気に掛かったが、今は一刻も早くおすくに達を邑から出さなくてはならない。その後は早急に母子が邑にあった痕跡を消す。やらなくてはならない事は山積しているのだ。

 万一にも黄師こうしに「西」の最奥へ踏み込まれでもしたら、このえいしゅうの存続自体が危うくなるだろう。それほどに大きな背信だ。よくも五百年も隠し通せたものだと長鳴は半ば呆れてもいた。自分の祖は、慎重なのか執念深いのか豪胆なのか分からぬと、皮肉りたくもなる。

 ――しかし、と思う。

 長鳴の胸中には疑問が残っている。


 果たして、姮娥こうがはこの瀛洲を滅ぼすことができるのだろうか?


 兄達から聞き及んだ話では、白玉の力はあまりに強大すぎて、分祀ぶんししない事には人の手に余るという話だった。現時点で既に二邑が失われ、ここにはさんぽう、つまり三つ分の白玉が合祀されている。そこに集約された力はどれほど強大だというのか。背信が明るみに出たからと言って、こんな手も付けられぬような莫大な力を、邑を滅ぼした後に黄師はどう処理するというのだろうか。いや、そもそも――


 長鳴は、こくりと生唾を吞み込む。


 いくら強大だとは言え、五百年にも渡って邑人が毎日懸命にその力を布とお供え物に移し取って来たのだ。現在は三邑しかないとは言え、それはつまり今でも三か所で三人が毎日お参りをしている事を意味する。それなのに、


 ――減らないものなのだろうか?


 寝棲の話では、布の洗濯で水に溶けだした死屍散華によって姮娥の土地は毒され、民は海にも入れぬ始末だと言うではないか。つまりそれだけの力が白玉から散逸している訳だろう。この海がどれ程の大きさのものかは知れぬが、それでも視界に入るだけでも尋常の広さではない。そこに踏み入れぬというのだ。命に関わるからと。

 そもそも、一個の人体に死屍しし散華さんげを留め置き切れないからと言って、器の肉体を五つに切り分けるというのに違和感がある。あれは――



 あれは、本当は、五か所に分散させて、力を削いでいたのではなかろうか? 



 姮娥への献上の為というのは無論大前提だが、長鳴にはそれ以上に、器にかかる負担を軽減するためという側面がより重要だったのではないかと思われてならない。この推論が正しければ、話しは全く変わってくる。五百年削いでも一向に減る気配のない強大な力。減らないだけならまだしも、万一にも――


 ――増えて行くものだとしたら?

 

 長鳴の全身に怖気おぞけが走った。

 万一にもその力が無尽蔵に増えて行くものなのだとしたら、もしかしなくとも、器に留めると言う仕組み自体にもう無理があるのではなかろうか。


 これは、自分達が思う以上に、限界が近いのかも知れない。


 長鳴はぎゅっと眼をつむり、それから前を睨んだ。

 今は憶測で不安に駆られていても仕方がない。為すべきを為そう。

 東馬の肩を覆う布を見る。血の滲みは僅かだが、腫れが酷い。骨を砕かれているのかも知れない。

「お前ももう、熊掌から話は聞いたのだな」

 長鳴は一瞬躊躇ためらってから「はい」と答える。

「――父上。この邑は、一体どうなってしまうのでしょうか」

「分からぬ。儂等が守ってきた事も、所詮はつもりに過ぎなかったのやも知れぬ」

「そんな事は……」

「天の差配は、何処いずこに向くのだろうな――恐らく、儂はそれを目にする事なく絶えるだろう」

「何と言う事を仰るのです」

「長鳴。これより儂に何かあった時には、熊掌と共にこの邑を導け。そして万一、万が一にも熊掌の身に何か事が起きた場合は――」

 東馬達は、隧道の西の果てから足を踏み出した。

大陀だいだ――悟堂ごどうに、全ての判断を委ねてくれ」

「師範に、ですか?」

 東馬は苦し気な目で首肯する。



「あれが全てを決する鍵だ。あれこそ、全てを終わらせるために生まれた者なのだ」



 二人が「西の端」の入り口に至ったその時はまだ、その周辺には喧噪けんそうはなかった。急ぎ母子の住居に至ると、果たしてそこにあったのは武装に改めた宇迦之うかの一人の姿であった。長いその髪も結われ束ねられている。

「御母堂、御子は……」

 東馬の問いに、宇迦之は静かに「あの子は、行きました」とささやいた。

「御母堂、それは」

「構いませぬ。あの子は、己の意志で進むべき先を決めたのです」

「しかし」

 尚も言い募ろうとする父に、長鳴が「申し訳ございませぬ」と噛み殺すように言った。

「長鳴――お前」

「知っておりました。食国おすくには全てを知った上で、八咫やあたと共に員嶠いんきょうへ行くと決めたのです」

「まさか」

「今員嶠いんきょうは、蓬莱ほうらいの有志と共に仙山せんざんという衆を名乗っております。彼等は死屍しし散華さんげの力をもちいて、近日の内にたい輿に残された古文献を回収し、過去に隠された真実を紐解いた上で先朝遺臣を探し当て、彼等と同盟を結ぶ事を目的としております」

「長鳴」

「御母堂様には申し訳ない事ですが、僕には白浪はくろうを完全に信頼する事は難しい。彼等は先朝の遺臣です。彼等によって権の奪還が為されたとしても、それで僕達が即座に白玉の使役から解放されるとは考え難い。寧ろ、絶対的な武力として現朝廷に与した者を屠り尽くさない限り、同じ事が繰り返されるとしか思えません」

「それは、誰の考えだ」

「僕です。僕自身の考えです。――僕は、駒としてしか扱われず、その矜持きょうじを踏みにじられ続けてきた者の一人として、我等の行く末を、国の覇を争う者に委ねたくはない。行き着く先は同じやも知れませんが、食国の身の置き場として白浪を選ぶ事は――望ましいとは思えません」

 東馬は、「そうか」と小さく呟いた。己が息子の成長に胸を打たれてもいた。

「――しかしそれでは、白浪は首を縦にはふるまい。先朝復古を掲げているのに、そこに肝心の御子がいないでは――」

 言い淀んだ東馬に、宇迦之が「問題ありません」と告げた。そして、自身の腹部をそっと撫でる。

「ここに、白皇の種があります。間もなくあの子を産んで五百年となりますが、わたくし達は、三交の一に、かしこくも我等が祖神、せきぎょくの種を頂きました。赤玉の種は、五百年を周期として芽吹くのです。もう間もなく、次の子を授かる事でしょう」



 山中に走る隧道の最東端は、実は邑の外へ繋がっている。極々細い道であり、しかも一部は海中に没していたため、月人にとっては通過する事の能わない道と思われていた。最初に誰がその道を知ったのかは、ようとして知れない。

 水から上がり、息も絶え絶えに先に待つ僅かな光を目指した。全身濡れそぼった体が重い。

「もう間もなくです」

「――ええ」

 そして、ようやく落ち合う場所に辿り着いた。

 そこは、切り立った崖に挟まれた極細い隙間であった。天井は迫り出した崖に覆われて上から発見される事も難しく、潜伏するには格好の場所であった。

 その場所にのぞんだのは、東馬と宇迦之の二人だけであった。

 長鳴は邑長邸に向かわせた。こちらについて来させた場合、隊長の邑長邸到着までに戻る事はできないだろう。その時、その場に全ての邑長の血縁が不在であれば、謀反の意志あり也と後程大きな疑いを抱かれかねない。そうであれば、動くのは己一人に限られるべきであると東馬は言った。

 長鳴は即時に是とそれを受け入れた。東馬の意図を理解しての早急さっきゅうの判断に、父として誇らしく思った。

 もう一人の息子を思いながら、後を委ねられる子が二人もある事に東馬は感謝した。それと同時に、それが如何いかな犠牲の上に成り立つ物なのかという事を思い――僅かに苦いものを覚えた。

「御母堂。今しばし、此方こちらで待ちましょう」

 東馬が声を発した時だった。

「待つ必要はないぞ!」

 明朗快活な声音だが突如として浴びせられたそれに、濡れそぼつ者達はびくりと体を震わせた。


 東馬達を見下ろしていたのは二人の見慣れぬ男だった。


 二人の顔形はとてもよく似通っていた。長さこそ異なれど、どちらも白髪だった。違いと言えば、頭髪を短く刈り上げたほうの男は、肌の色が褐色でその双眸が黒色をしていた事。長髪の男は白眼に白い肌をしていた事にある。

 短髪褐色肌の男のほうが、「ん?」と小首を傾げた。

「お前が白の側室だな。子はどうした?」

「あ、貴方方は――」

 東馬が警戒しながら二人を伺っていると、短髪の男は自身の肩に止まらせていた鳩の喉を撫でた。クルクルと嬉しそうに喉を鳴らす。

「俺はらい。こっちはりょう。で、ついでにこれは百雷びゃくらい

 臥雷は男の方を指して臥龍、鳩を指して百雷びゃくらいと告げる。

野犴やかんが手間取っていると報せを受けたよし、俺自ら迎えに上がった次第だ」

 にい、と笑い、腰に下げた大刀の柄に手をかける。


「見知り置いてもらおう。俺が白浪はくろうが頭領、琅邪王ろうやおうらいだ」


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