28 三寶合祀

「白浪、といったか。やつらは食国とその母親を連れていく気なんだよな?」

「そうだ」

「ぼくはいかないよ」

 するり、と横から食国が呟いた。熊掌は唇を「あ」と震わせた。

「本気ですか?」

「うん。ぼくはぜったいにそちらにはいかない」

 唇を僅か曲げた食国は、その意志の揺らがない事を示し合わせるかのように、八咫と視線を合わせ頷き合った。

「ああ、俺も行かせるつもりはねぇよ」

 寝棲がにやりと笑う、長い腕を伸ばして食国の頭をがしゃがしゃと乱暴に撫でた。かつらがずれるのではと一瞬熊掌は案じたが、どうやら寝棲の方も承知の上らしく、力は加減して乱れないようにしていた。

「こいつは、一番に俺と一緒に行くと決めてくれた。俺は必ずこいつを連れて仙山に帰ると決めている」

 隣から八咫も真摯な眼差しを向けた。

「俺も食国を知らない奴等のところには行かせたくない。この一月の間に二人からここで少しずつ文字も教えてもらったし、これからは戦えるようにもなる。正直に言って俺なんざ糞の役にも立たねぇけどさ……でもここにいたままじゃ、今の俺じゃ八重やえを守れないんだよ」

 八咫の言葉に、熊掌達は彼等の覚悟の程を理解した。もう何があろうと彼等の心は変わらないのだと、その言葉と眼差しで理解できた。

「ところで熊掌、黄師が邑に留まっている事はこいつらからも聞いていたんだが、まだ本隊は引かないか」

 寝棲の問いに熊掌が首肯する。

「ああ。先日邑内で産があったので、今は邑の外に全員が撤退しているが、陣が引く気配はない。そこで、産んだ女と子が僕の妻子になったので――」


「「「はあ⁉」」」


 長鳴、梶火、八咫が同時に声を上げて立ち上がる。熊掌は五月蠅うるさそうに眉間に皺を寄せて耳を塞いだ。

「お前達、そろいもそろって耳のそばで大声を上げるな! 鼓膜が破れる!」

「そんな事言ったって! そんな話僕は聞いていませんよ兄上⁉」

 珍しい長鳴の怒声での抗議に熊掌は怒声で返す。

「ああ、だから今言った! 汐埜しおのの産んだ子は僕の実子という事になったから、これで邑長邸から出す理由がなくなったわけだ!」

「待て大兄! 実子って、事実と認めたのか⁉ んな馬鹿な‼ んな事――ありえねえだろうが⁉」

 長鳴に重ねて梶火も負けじと叫ぶ。此方こちらの顔は険しくも青褪めている。

「仕方がないだろうが!」

「仕方がないって……!」

 執拗に食い下がる梶火に、熊掌は――心底厭そうな顔で――犬の仔を追いやるような素振りで手を振った。

「そういう事にしておけと言っている! これ以上は聞くな!」

 騒ぐ三人の傍で寝棲が「ふぅむ」と顎を撫でさする。

「成程、そうか。黄師の邑内滞在を完全阻止する策に出た訳だ」

「そういう事です。――実力行使が最善最短とはいえ、我が父もえげつない事を考える」

「まあどの道、俺を狩る気はあるらしいな」

 寝棲の言に「お互い、事が露見したら命がないのは同じという事です」と熊掌は顔を顰めた。

「父達が確認した限り、百人はあるようです。今話を聞いて納得したけれど、やはり貴方方仙山の策に手を割かれて、未確認の白浪の方には大勢を割けないでいるみたいですね」

 熊掌の言葉に寝棲は笑った。「正しく好機を産んでもらったわけだ」と呟いてから、寝棲は前髪を掻き揚げた。

「千鶴の件が露見した後、黄師の奴等は員嶠いんきょう邑長の子――仙鸞せんらんの末子を使い『御髪みぐし』を何処かへ搬出した」

 寝棲の言葉に、八咫が微かに身を固くする。その理由を知る熊掌と食国もまた、微かに息を吞む。それに気付く事のない寝棲は話を続ける。

「その行方を長年追ってきて、ようやくこのえいしゅうの『玉体』と合祀されているらしい事を掴んだ。朝廷に対して翻意を見せないえいしゅうが祀ってきたのが白玉の『玉体』である以上、合祀先にここが選ばれたのは合理と言えば合理だったんだろうな。かくして『玉体』は『子宮』と『御髪』を一体に取り戻したのでした、という事だ」

 寝棲は指を折りつつ数え上げる。

方丈ほうじょう蓬莱ほうらい、それからお前たちの邑――えいしゅう。残存するのはこの三邑のみになった」

「あの、兄上」

「どうした?」

 長鳴が不安な顔で実兄を見る。

「あの、昼にも少し伺いましたが、玉様が複数ある事は理解できました。しかし、その『子宮』や『御髪』というのは、どういう意味なのでしょうか?」

 寝棲と熊掌は互いの顔を見合わせた。答えたのは寝棲だった。

「文字通りだ。白玉の力を納めた女の肉体を、その名称通りに切り分けているんだ」

「うげえっ」

 梶火と長鳴の顔色が変わる。

「そんな残酷な話がありますか⁉」

「あるんだよ。本来、ここえいしゅうに祀られていた『玉体』は、首から下の肉体しか存在しなかった」

「馬鹿な!」

 長鳴と梶火が声をそろえた。

 八咫がわずかに面食らって「おい、どうしたんだよ」と三人の顔を見る。熊掌がその目に答える。

「この邑の玉様は、そのお顔にこそ黒い穴が穿たれてはいるが、銀の美しい髪を背に流した姫君だ。僕は父達から話を聞いたから凡その理解はできるが、実物しか見ていないこいつらからしたら、首から下しかなかったなんて想像も付かないんだよ」

「そう。かつてはそうだったんだよ。そしてそもそもは『子宮』もなかった」

 熊掌の顔から、ざっと色が引いたが、表情は変わらなかった。そしてそれは正に一瞬の出来事で、それを目にしていたのは食国だけだった。

「前にこいつら二人には少し話したが、白玉は本来五邑に分けて祀られていた。鉢の方丈には『真名』、玉枝の蓬莱に『顔』、裘の員嶠いんきょうに『御髪』、ここ龍玉のえいしゅうに『玉体』、そして貝のたい輿の『子宮』だ。白玉の肉体に寿命の限界が来る毎に、参拝時の布に刺した髪の色が変わらなかった女の中から新たな器を選んで力を差し替える。そして再び、死屍散華と同体化した器をこの、名前、顔、髪、身体、子宮、の五つに切り分け各邑で祀る。それが、俺達が参拝してきたものだ」

 梶火がけっと侮蔑交じりの冷笑を露わにした。

「つまり、布の色が変わらなかった女に力を移しては切り刻んで、年取って死にそうになったら次に力を移してはまた切り刻んで、そうやってできた死にぞこないの肉を俺達は馬鹿みてぇに綺麗にしてさしあげてたって訳だろ」

「まあ、そういう事だな。お前表現は最低だが理解は早いな」

「おう。褒めてもなんもでねぇぞ」

「いや梶火、あれは褒めてないと思うよ……」

 と、寝棲が突如居住まいを正した。

「――最初はああだこうだ言ったが、お前達がここに来てくれて良かった。お陰で有益な情報をたくさん得る事ができた。本当にありがとう、心から礼を言わせてもらう。正しく潮時という奴だな。ありがたい事に、俺の脚ももう動く。産があった事は幸甚こうじんだった。白浪がこいつを連れていく気なら、奴等が事を起こす前に俺達はここを離れる」

 八咫と食国が共に首肯する。

 寝棲は、その場にいる全員に順に視線を向けてから、「ふっ」と大きく息を吐いた。


「――俺の本当の任務を伝える。俺は、白玉の『玉体』に間違いなく『御髪』と『子宮』が合祀されているかを確認する為ここにきた」


 全員の顔を見渡し続けながら、寝棲は言った。

「確かにこれは大本営の動きを達成するための陽動の一つの役ではあったが、仙山としての最終的な本懐にはこの確認がどうしても必要なんだ」

 寝棲は、自身の左拳を右の掌で握りしめた。

「全ての白玉は、祠に繋がれている」

「ああ、確かに」

 長鳴の呟きに、八咫は「そうなのか?」と問う。長鳴は首肯する。

「玉様の左足には石の鎖が付いている。鎖の先がどうなっているのかは見えた事がない。祠のどこかに繋がっているような気はするんだけど、どうしてだか眼では確認ができないんだよ」

 寝棲がその先を引き受ける。

「白玉を捉えている鎖の先端は闇に呑まれている。その先は、宮中にある方丈の祠に繋がっていると言われている。そしてその鎖を核として束ねるのが、方丈の『真名』だ」

「『真名』、ですか」

「そうだ。その名の如く白玉の真実の名がそこにあるという。しかし、その形態が何かは知られていない」

 しばらく思案顔で顎を撫でていた熊掌が「つまり」と目を寝棲に向ける。

「その鎖を解除できれば、黄師の支配から玉様を解放できる事を意味しますか?」

「そうだ」

「――それは同時に僕達自身も朝廷の支配から」

 寝棲はぎらと眼を光らせた。


「解放される、って事だ」


 その場の空気にいかずちが走った。

「この鎖の事を『かん』と呼ぶ。この『環』は五人の男の肉体をして作られたものだそうだ。白玉本体は女の肉体を器とし、たからと呼ばれる。それをこの『環』をしてこの地に留め、月朝は支配下に置いた」

痺れを切らしたように梶火が頭を掻き毟った

「ああもう! まだるっこしいんだよ! どうやったらその『環』が壊せるんだよ!」

 寝棲は、手にしていた椀の中に揺蕩っていた水を一口嚥下し、事も無げに「にえだ」と言った。

「にえ? って何だ」



「生贄の事だ。『環』を解除するには、寶一つにつき一人の贄がいる。『環』を作るのと同じに、男を贄にして白玉から外すんだよ」



 もう一口をすすってから、皮肉気に口元を笑みに歪めた。

「勿論、俺達邑人の中からだぞ。『環』も月人じゃなくて五邑から作られているからな」

 少年達は言葉を失う。寝棲は全員に視線を向けてから続けた。

「この情報は黄師から直接聞き出した。俺達の仲間で保食うけもちという奴がいるんだが、こいつがやった。奴は捉えた黄師を地下に繋いで拷問にかけた上でその情報を聞き出した」

「拷問って――」

 熊掌の中に厭な物がずるりと湧いた。その言葉を聞いて悟堂を思い出さないはずもない。それを受けるのが例え敵対する月人であったとしても、やはり嫌悪を覚えざるをえない。

「一つの『環』の解除につき一人の贄がいる。本来なら五体の贄が必要だった。が、貝のたい輿は四百年前に、裘の員嶠いんきょうは二十年前に、その保持していた白玉を『環』から外されている。捉えた黄師から、その二寶がこの村の一寶と合祀されているらしいと聞いた。これを聞き出したのも保食だ。だから俺達はここに確かめに来た。合祀されているなら、五寶は三寶となっているから用意する贄も三体で済む。お前達が見知っている白玉に顔の抉れた銀髪があるならば、それは員嶠いんきょうの『御髪』が合祀されているという事だ」

 そこで、長鳴が手を挙げた「あの、少し確認したい事が」と震える事で呟く。

「何だ」

「その、四百年前と、二十年前にも、それぞれの玉様は『環』という物から外されているんですよね?」

「ああ」

「では、その時にも……」

「ああ。『子宮』の時も『御髪』の時も、『環』を解除する時には贄を必要とした。二十年前には、員嶠邑長の長子が犠牲になった」

 食国の手を掴んでいた八咫の手に我知らず力が籠る。それはつまり、父の兄にあたる人物だ。

 長鳴が奮える指先を上げて、どこをともなく指す。

「あ、貴方達は、誰か三人の男性を生贄にして、玉様を自分達の武器として取り戻そうとしてる、のですか?」

「そうだ」

「そんな、横暴な」

「横暴というならば、これまで犠牲を強いられてきた器の女達をこそ憐れんでやれよ」

 吐き捨てるように寝棲は言った。

「『御髪』が合祀されているのは、お前達の話のおかげで分かったが――さあて、もう一寶はそうはいかんからな。あれはさすがに外からでは見分けがつかんもんだ。かといって、俺が邑内に入るのは黄師がいなくともまずいだろう。何より俺ではあの孔は潜れない」

 かた、と椀を岩の上に置いて、寝棲は少年達に向き直った。

「と言う訳で、お前達をこころざしあるものと見込んで頼みたい。間違いなく『子宮』も合祀されているのか、俺に代わって確かめてきてほしい。――頼めるか?」

「僕が行こう」

 即座に熊掌が手を上げた。

「行ってくれるか」

「僕が適任だと思うからね。それに――」

 そこから熊掌は、苦笑を漏らす。

「子供にやらせるにはさわりがあるだろう」

 寝棲は苦笑した。

「お前もこいつらと大差ないように見えるが?」

「おかげさまで立場上、産の立ち合いは経験済みです。少なくとも怯みはしませんよ」

 熊掌は腹を括った。彼等に与するという事は、父達に叛意はんいするという事だ。例えどんな経過があろうと、自分の目と耳で見知ったこれらの事から、出す答えが変わる事はなかったであろうと思う。

「決行は明日夜。そのまま貴方方も邑を出るつもりでいてください。一刻でも早いほうがいいだろうから」

 熊掌の言葉に、寝棲、八咫、食国が首肯した。

 これでもう、本当に引き返す道は――なくなった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る