27 寝棲、五百年の支配について語る


「この五百年の支配において、最初に反旗をひるがえしたのは貝のたい輿だった」


 ざわりと風が鳴る。全員の肌を生温いものが撫でていった。

首領しゅりょうの名はりょしんがんたい輿の邑長嫡子だった男だ。その名をってがんぺきの乱と呼ばれている。今から四百年は前の事だ。こいつの直系子孫に当たるのが千鶴ちづるだ。たい輿五邑ごゆうの中でも民が多かった。それこそ一邑単独で乱を起こせるくらいにはな。結果、たい輿有する州の虹江こうこう県を制圧するに至る。しかし、春に起きた乱は、秋が過ぎる前に鎮圧され、邑は消失した」

 そこで一指を立てた。

「そんなにかんたんにほろぼされるほど、てきはつよいのか」

 食国の問いに、寝棲は是と答える。

「当然強い。そもそも兵力の規模が違う。――雁碧の乱の場合、当初は上手く動いていた。情報戦に長けていたからだ。が、夏を過ぎる前に方丈ほうじょうたい輿を裏切った。情報伝達経路を逆手に取られたんだ」

「裏切りって……」

「同胞であるか否かは、何に与するかに左右されないという事だ」

 皮肉げな笑みが寝棲の目元に浮かぶ。

たい輿を裏切って朝に与して以降、方丈の扱いは特殊なものになった。奴らは宮城の中で直轄され、連中の王侯貴族に類する扱いを受けている。あれはもう、五邑ではなく黄師に与していると考えていい」

 八咫がちらりと自身の唇を舐める。緊張で口の中が乾いていた。

「それを除いた四邑の中では、ここえいしゅうが一番得体が知れなかった。実際、俺達もかなり警戒してきたんだ。姮娥こうがに反抗するでもなく、何かを画策するでもない。只管ひたすら沈黙を守り、唯々諾々と奴らに従っている。――そう見えていたよ。遺児をかくまっていたとは想定外だった」

 その言わんとするところを理解し、熊掌は頷いて見せた。

「ここからは、こちらがお前達の知らない話をしよう。胸を開いてくれた礼だ」

 熊掌は頷いた。勝った、と思った。と同時にここから自分達は本当に一蓮托生の身となるのだと背筋を冷たい物が伝い落ちた気がした。

「俺の名はじょ寝棲しんせい。ねすみ、と言うのは通り名だ。かつて員嶠いんきょうの反乱の折に頭領を務めた男、じょ郷凱ごうがいは俺の叔父にあたる。――これが千鶴の夫だった」

「なん、だと」

「つまりあの乱勃発の直接の原因は、千鶴を方丈に『妻問つまどい』に引き立てた黄師に対する報復だったと理解してくれていい」

 長鳴が「あの、すいません」と手を上げて中断した。

「その『妻問い』と言うのは?」

 熊掌も寝棲に視線を向けた。それは自分も知らぬ話だ。

「簡単に言えば嫁取りだ」

「嫁――」

「白玉の器を多く輩出するのは各邑長の家系だが、それだけでは血が濃くなりすぎる。そのためにそれ以外の血を混ぜる必要があった。異地いちの帝が、祖先に追加して月皇に与えたのが、邑長一族以外の邑人という訳だ。そんな中でも取り分け方丈は『色変わり』なき者の輩出が極めて多い。完全不完全の違いはあれど、男の全ては『色変わり』がないと思っていい」

「そんなに⁉」

「そも本来、三十年前の器替わりの時には、方丈の娘から器が出される事になっていたらしい。そうすると方丈の『色変わり』なき娘が減る。方丈は『色変わり』なき者同士を掛け合わせ、より濃い血を維持する事を大前提に動く。千鶴は最初から器ではなく、方丈の『妻問い』に出される予定だったんだ。これが結局黄師に連れていかれた。――妻を無理矢理奪われた叔父が黙っていられる訳がなかった」

「じゃあちづるは、まだいきている……」

 食国の小さな呟きに「多分な」と寝棲は返した。

「先、熊掌も――もうそう呼ぶがいいか?」

「どうぞ」

 熊掌の首肯に寝棲は「ありがとう」と返す。

「熊掌も言っていたが、白玉にはほうそれぞれに特有の力がある。たい輿の『子宮』に繁殖力があったように、員嶠いんきょうの『御髪みぐし』にも強い特色があった」

「それは、何だったのですか?」

 長鳴の問いに、寝棲は右掌を自身の目の前に掲げて、ぐっと拳を作った。

「一言で言えば、必滅だ」

 食国が「ひつ、めつ」と口の中で呟いた。

「――そうだ。『御髪』はほうの中でも、取り分け月人の殺傷力が高い。白皇の命をほふったのは、『御髪』の力を附帯した矛だったそうだ」

 それはつまり食国の父を屠った物という事を意味する。八咫は思わず食国の手を握った。青い顔をしていた食国が、小さく笑って見せた。それが痛々しかった。

「その武力の過信から俺達は黄師に敗れたと言っても過言ではないかも知れん。員嶠いんきょうが失われて後、俺達敗残兵は蓬莱を頼った。郷凱ごうがいと蓬莱との間で話はついていたんだ。員嶠いんきょう残党と蓬莱の有志連合隊は、今、仙山せんざんを名乗っている」

「仙山」

 八咫と熊掌の視線が我知らず合う。この辺りは既に少し共有した部分だ。

「今、仙山の大本営陣は、小隊に分けた部隊を各州に送り込んでいる。仙山は――というか蓬莱だな、が、水米塩の下がりの品を少しずつ納めずに残しておいたものを発酵させて、これを各地の水源に少しずつ落とし込んで病態を作り出している」

 怪訝そうに「は?」と梶火が呟く隣で、「そうか」と熊掌が顔を上げた。

「月人にとって下がりの品は猛毒だ。これを水源に混ぜたなら、効果は自ずと想像がつく、という事だね?」

 寝棲は座した大岩の上にとん、と指を突いた。

「そういう事だ。姮娥の連中もそんな事は知る由もなかったろうな。水で濯げば残滓が消せると思っていた死屍しし散華さんげが、水そのものに残留して決して薄まらないなんて」

 父も言っていた事だ。熊掌は口元を手で覆う。

「そして、その水が行き着くのは――海だ」

 熊掌の視界の端で食国の肩が揺れる。俯いたままの彼の手を八咫が握りしめたままなのが熊掌から見えた。

「そうだ。だから奴等は絶対に海に入らない。この五百年の間に海の死屍散華の濃度はどうしようもない濃さになっているそうだ」

「――そんな事になるって知っていたら、連中もこの国に白玉を引き入れたりしなかったかも知れんな」

 ぽそりと呟いた八咫の言葉に寝棲はその言葉に首肯した。

「そうだな。――今現在、死屍散華に汚された水は、不死石しなずのいしで煮沸をしないと奴等には口も付けられないんだ。そこでだ、俺達は各地の水源を抑えて、少しずつ計画的に下がりの品を混ぜ込み、ゆっくりと不調を作っていく事にした。いくら煮沸が必須と言う知識があろうが、全ての民がそれを実行できるわけではないし、日常の水仕事に至るまで徹底するなんて不可能だ。事は計画通りに運んでいるぜ。不調を訴える民が増え、統治の機能も弱体化の一途だ。その混乱に対処する為に各地の黄師が今動いている。不死石を専門で扱うのもまた黄師だからな」

「でもそれは、仕込みに過ぎねぇんだな?」

 梶火の問いに、八咫が「ああ」と頷いた。

「そうやって、黄師の手が薄くなっている隙に、大昔にたい輿があった虹江こうこう県て場所に、本部隊の精鋭が突入するんだ」

「理由はなんだ?」

「千鶴さんが、旦那さんや寝棲達に教えていたんだよ。たい輿の邑長邸の跡地にも地下室があって、そこには凄まじい量の書物があるって事」

「そこに、何かしら事の起こりに纏わる情報があるだろう、という事か」

 寝棲が首肯した。

「そういう事だ。最終的に水源汚染部隊は集まった黄師まで弱体化してきた段階で、互いに連絡を取り合い、同時刻に示し合わせて、自分達の髪に直接死屍散華を吸わせたものに火を着け、各州城県城を煙で燻し、黄師の動きを封じて、不死石を大量に奪取する事になっている」

「石使って何をするんだ?」

 梶火の問いに寝棲は軽く首を横に振った。

「何をすると言うよりも、不死石を奴等から根こそぎ奪い取る事で民意を削ぐと言った方が正しいな」

 寝棲の言葉に「そういうことか」と熊掌が顔を上げた。

「汚染した水を浄化するためには不死石は必須。それを権力側が持っていないとなれば、民衆の中から皇帝支持に対する疑義が生まれないとも限らない。ましてや、その汚染の原因となった白玉を持ち込んだのは当の現朝廷側だ。そんな状態になってなお朝廷が白玉の継承を維持し続けようとすれば、民衆軽視と取られ、その政策と構造自体に反感が生まれる事になる。うまくすれば内乱の種にもなるな」

 熊掌の言葉に寝棲がにやりと笑う。

「さすが邑長継嗣だな。頭の回転が速い」

 寝棲の言葉に、熊掌は苦笑を浮かべながら首を横に振った。

「――ありがとうございます」

 その隣で、梶火は腕を組みつつ「成程な」とうなずいた。

「さすがの民衆も自分達の命がかかってりゃ、そら反旗もひるがえすわな」

「そういう事だ。我々大本営の最終目標は、奪取した不死石と自分達が持つ死屍散華の武力、加えてたい輿から得られるだろう情報を手土産に、白朝遺臣を探し当て同盟を結ぶ事だった。仙山はどうしても規模が小さいからな。共闘を張れる大きな集と手を組み、無勢ぶぜいを解消するというのが喫緊きっきんの課題だった。予定通りなら、いぶし作戦はここ数日の内に実行される」

 寝棲はにやりと笑いながら、「おかげさんで、ここで上手く結ぶ糸が見つかった」と言ってのけた。


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