26 徒党を組む


          *


「お前! なんで勝手にぺらっぺらしゃべっちまうんだよ‼」

「助けが必要だからだよ! 三人しかいないってのに実質邑で動けるのは俺だけじゃねぇか! 土台からが無茶なんだよ! 味方は多いに越した事ないだろうが!」

「にしたって独断専行が過ぎるぞこの馬鹿たれがぁ‼」


 怒鳴り合う寝棲ねすみ八咫やあたを前に、熊掌ゆうひは複雑な表情をしていた。

 ちらと左隣に視線を向ける。視線の先には――食国おすくにがいた。こちらも中々に気まずい顔で熊掌の隣に立ち並んでいる。熊掌の視線を感じたか、食国も熊掌に目を向けた。

 ――互いに昨日の今日で顔を合わせるとはさすがに予想していなかった。

 そして今日の食国の髪は黒い。じっと頭部を見詰めている熊掌に気が付いたのか、食国が唇だけで「かつら」と答えた。

 熊掌もまた声には出さずに唇だけで「そんな表情もするんですね」と呟いてみた。食国は心底不快気にぼそりと、今度は声に出して呟いた。

「――どうしてかじほたちまでいるの」

「ああ⁉ 俺がいちゃ悪いのかよ⁉」

 熊掌は自身の右隣を睨み付ける。噛みつきそうな勢いで食国に食って掛かるのは梶火かじほだ。それを更に向こうから長鳴ながなきが腕を掴んで抑えている。

「もうっ梶火! 昼間に兄上が説明してくれただろう⁉ この方は代々の邑長が守ってきた御子様でっ」

「ンな事ぁどうでもいいんだよ! こいつが参拝しない理由にはならねぇだろうが」

「いや、なるよ」

 八咫が顔を向ける。見れば寝棲と取っ組み合いになっている。

「熊掌、お前まだそこは説明しとらんかったんか」

「ああ、忘れていた」

「いや忘れんなよ大前提じゃん。そこ分かってなかったら、そらこいつじゃ納得しねえって」

「んだとこの無参拝野郎!」

 八咫に唇の端を掴まれていた寝棲が手を引っ剥がして説明する。

「月の民が白玉に接触すると最悪肉体が雲散霧消する。つまり粉微塵になって死んじまうって事だ」

「……そうなのか?」

 梶火が目を向けると、食国は頷いて見せた。顔は極めて凶悪に不機嫌である。

「さいきんまで、ぼくもしらなかったけどね。おまいりはきんじられていたから」

「んだよ、じゃあ意地でもやってやるって気概がなかったのは事実じゃねぇか」

「おまえ、もうしゃべるな。ばかがうつる」

「んだと⁉」

「二人とも、もういい加減にしなさい!」

 間に挟まれた熊掌が溜まりかねて双方の頭頂にがつんと拳を下ろした。その大きな音に寝棲と八咫が動きを止める。長鳴は恐れて後退あとずさる。

「梶火は僕の顔に泥を塗るな! 御子は要人である自覚を持ちなさい!」

 想定以上の威力に、二人とも頭を抱えてうずくまった。

「いてぇよ大兄……」

「ゆうひは、ぼくをうやまうきがない……」

「加減はしたぞ! この馬鹿が‼ 御子は敬われたいならそれなりの人物になりなさい! あんたの為にうちの一族がどれだけ心身すり減らして散ったと思ってんだ!」

「もう、みこはきもちわるいから、おすくにってよんでほしい」

「言われなくてもそうさせてもらうよ!」

 唇を曲げながら盛大な溜息を吐く熊掌に、溜まり兼ねたのか寝棲が噴き出した。

「ああもう、わかったわかった。話が進まねぇや。誰がどこまでどう知ってんのか分からねぇから、確認がてら話とっとと進めるぞ」

「うん。よろしくお願いします」

 熊掌が梶火の頭を掴んで自分と一緒に頭を下げさせた。その隣で慌てて長鳴も頭を垂れる。



 今朝の内に話を詰めた八咫と熊掌は、その足で二手に分かれた。

 熊掌は悟堂ごどうの元へゆき、その場で朝稽古をつけてもらっていた梶火と長鳴を指差して、この二人にも情報開示し、自分の麾下につけると断言した。突然の宣言に面食らう悟堂に対し、ついては今宵御子の所へ二人を連れて行き面会させる。父達には内密にしてもらいたい。今宵ここでお前と共にいた事にしろと命じた。実際に連れて行くのは寝棲の元であるので、この時点では方便であった。

「若、しかしそれは」

「万一だ」

 何の話をしているのか分からずきょとんとした梶火と長鳴の前で、熊掌は声を低めた。


「――万一この先奴等に「西」の事が知れてみろ。父は祖父の二の舞になる」


 熊掌の指摘に悟堂は息を呑んだ。

「そうなった時に僕一人で何が出来る? どう考えてもどうしようもないだろうが。どの道この先僕が長として立つならば、僕の手足として働く者が絶対に必要になる。それがお前一人では心許ないって言ってるんだよ。それにお前が言ったんだろうが? 人の使い方を知れと」

「若」

「だったら手駒を確保する邪魔をするな。使い方を覚える機会を与えろ」

 熊掌の意志が固いのを理解したか、悟堂はふっと笑って頷いた。

「わかりました。本当に誰に似たのやら……すっかり頑迷に育ったもんだ」

「鏡を見せてやろうか?」

 挑発的な笑いを浮かべて小首を傾げて見せる熊掌に悟堂は噴き出した。

「いやはや、参りましたよ。わかりました。お好きになさい。――ただし」

「ただし、なんだ?」

「交換条件として、若には一つ俺の頼みを聞いてもらいましょうかね」

 そう言って悟堂は熊掌の頭にぽんと手を置いた。

 何時もと変わらない仕草だったが、ただ、見下ろす悟堂の眼差しが、何処か痛みを押し殺したもののように見えたのが……熊掌には気掛かりだった。


 ――その条件とやらを聞くのは後でいいというので、その後熊掌は悟堂の邸内に二人を上げ、三人で車座になり、ここ数日の内に見聞きした事を明かした。

 悟堂は自ら席を外した。食国に引き合わせるというのは員嶠の者の事を隠すための方便だったのだが、結果的に真実になった。

 話す内に長鳴の顔色は青くなっていたが、梶火はただ静かに聞くばかりだった。粗方話し終えたところで、梶火は腕を組みながら天を仰いだ。

「あ――なんか、分かったわ。大体さ、やっぱりおかしいんだって」

「何がだよ」

たまが邑守ってくれるったって」

「不敬!」

 眉間に皺を寄せて長鳴が抗議するが、梶火にすれば知った事ではない。

「毎日お参りして下げたもんを、なんで商人が物々交換で持って行っちまうんだよ。そこは神社統括だかなんだか、そんなもんがあるんかは知らんが、そういうのがまとめて引き下げるってもんだろうがよ」

「ああ、まあ確かに」

「その方が、道理、だよね」

「なんつーかこう、俺等を騙すにしろ何にしろ、穴だらけっつーか、おそまつっつーか、俺等が馬鹿だから気が付かないとでも思ったのか、理に適うようにちゃんと考えてねえ気がする。急場凌ぎでやっつけちまったのを、五百年間も無理矢理押し通してきたっつーか。だから何となく厭な感じがあるんじゃね?」

 その言葉で、熊掌は梶火を連れていく事に決めた。本当は悟堂と長鳴の二人にするべきかと少し迷っていたのだ。

 今後の事を見据えるならば、年代が近い者で助けになり事情に精通していて聡い者が少しでも多く欲しい。全員に明かす事は過剰な怒りと反乱の嚆矢こうしとなり兼ねないので避けたかった。梶火は傍若無人だが、信頼がおけて、こう見えて口が堅い。最適解だろうと熊掌は判断した。


 悟堂邸には亥の刻に集った。保管小屋の地下から行くのは躊躇われた。すると梶火が良い抜け道を知っているという。長鳴と共に西へ抜ける時にいつも使うのだと言うので思わず弟を睨むと長鳴は縮み上がった。

「も、申し訳ありません――あまり酷い事にならないように気を付けて見てはいたのですが」

 熊掌は頭を掻きながらううんと唸った。

「お前の考えも分かるが、そこまでになっているならもっと早く報告が欲しかったな」

「本当に、面目ありません」

「ほら、行くならとっとと行こうぜ」

 兄弟の葛藤など歯牙にもかけずに梶火は先に進んだ。彼の言う抜け道というのは、まさかの東に流れる河から通じていた。上流に向かって幾分進んだところで茂みを掻き分け左に折れる。しばらく行くと垂れ下がる蔦の塊が繁茂している場所があり、梶火は迷わずそこに突っ込んでいった。続けばその先は天然の隧道になっている。

「ここを通れば、石段の地下を潜って西側まで抜けられるんだよ。ただ途中の分岐が多いから大兄一人で来ようとするなよ。長鳴でも未だに一人じゃ抜けられねぇからな」

 言葉の通り、隧道の分岐は上下左右に幾度となく振れていて、これは初見では間違いなく通過できないだろうと肝を冷やした。

「梶火。お前どうやってこれを知った?」

「あ? 穴を見つけたのは偶々だ。縄を入り口にある木と自分の腰紐に繋いで全部の穴行けばどれがどこに繋がってるかわかるだろ? その内の一本が西の近くに出るやつだった」

 事も無げに言い放つ梶火の背中を、熊掌と長鳴は黙って追った。



 ――一方、八咫やあたゆうと別れた後、真っ直ぐにおすくにの元へ向かった。

 ここ数日続いていた食国の不調はようやく落ち着きを取り戻しつつあったが、それでもその顔色は良くはなかった。

 結局、繰り返し続けてきた八咫の提案は、食国には受け入れられなかった。

 この不調は今回に限ったものではない。この一年の間に数回は起きている。だから何度も父に診てもらうよう掛け合った。それでもだめだった。

 無理強いできるようなものではない事は分かっている。しかし気がかりを気がかりにしておいたまま旅立たねばならないというのは酷な事だった。心配だった。諦めが付かなかった。

 八咫の心の底には焦燥と怒りがあった。

 それは当然八重やえの事が大きかった。あの妹は自身の知らぬ間に命の危機に晒されている。そしてそれは彼女のみならず、家族全て、更には邑の皆全てに及んでいる事なのだ。

 父の言っていた事は本当だった。己は確かにこの状態に逆上している。身内を害される事に激しい怒りを覚えている。食国が――自分自身を粗略に扱っている事にいきどおっている。彼が抱えているものを理解できていない己に対して憤懣ふんまん遣るかたない思いを抱いている。苦しい時辛い時に、彼がそれを自分に対してすぐに打ち明けてくれない事に、まるで自身の血肉を削り取られているような痛みを覚えている。

 淋しかった。

 孤独だった。


 だから、状況を打開できる何かが欲しかった。

 自分達の立場を優位にできる手応えが欲しかった。


 だから、「信頼できる奴が仲間になりそうだから、今夜寝棲の所へ連れていく」と第一声に告げた。

 さしもの食国も面食らっていたが、口を挟もうとはしなかった。それだけ、八咫の顔に鬼気迫る物があったのだろう。ここのところ、これまでとは違う形で上手く立ち回れていない己を自覚していた。だからこそ準備だけはと思い、万全を期すよう努めていた。そしてその焦りは食国にも伝わっているのだろう。

 それでも何とかしたかった。

 そのために八咫が選んだ手駒が――熊掌だった。

 その結果、亥の刻に西で顔を合わせたのが昨日の今日の熊掌と、選りにも選って梶火と長鳴の三人だったのである。互いに顔を合わせた瞬間に食国の踵が梶火の頭頂に振り下ろされ、それを梶火の腕が弾くという一触即発の幕開けとなった。



 八咫の誘導で全員は例の穿ち孔を抜けて裏の川に至った。孔を潜りながら熊掌が「これじゃあ大人は抜けられないな」と独り言ちた。熊掌ですら這うようにしなければ抜けられない。肩幅がある梶火などは身体を歪めないとならない箇所が二、三あった。

 そうして通り過ぎた彼等を見た瞬間の寝棲の顔は、まるで猿の威嚇顔のようで思わず熊掌は吹き出した。

 そうこうして今に至る訳だが、八咫は不思議な思いでここに臨んだ。こうして六人もが膝を付き合わせていると、この数日でこの六人に降りかかった状況変化は天変地異に等しい気がした。夫々が名を名乗り、自分が何者かを語る。

 八咫は自らが員嶠いんきょうに連なる事をあえて口にはしなかった。今朝の内に熊掌には、しばらくこの事は伏せてほしいと伝えてあった。だから、熊掌からは梶火と長鳴には伝えていない。しかし、今この場に食国がいた事で話は少し違ってしまった。食国が既にその事を知っていると、当の八咫が知らないのだ。熊掌はちらと見やったが食国も言及する気はなさそうだった。

 最後に、食国の番になった。

「ぼくは、はくおすくに。いみなは、そんや。つきびと、らしい」

 その後を熊掌が継いで「そして、ここえいしゅうの歴代邑長がお守りしてきた、先朝の統治者である白皇の唯一の遺児に当たる。――僕等も昨日、父達から聞かされたばかりだ」と補足した。

 寝棲は下顔を覆って眉間に皺を寄せた。

「そういう事だったか……これでようやく合点が行った。母親もいるんだな?」

「ああ。御母堂も共にいらっしゃる」

 そこから一呼吸を置いて、熊掌は口を開いた。

 この先は、本気にならなくては口に出せない話になる。

「そろそろ本題に入りたい。ここからは多分間違いなく貴方達が知り得ない話だ。重要なので心して聞いてほしい」

「分かった。なんだ」

 寝棲の視線にひたと己のそれを合わせると、熊掌はすうと深く息を吸い込み、一息にその事実を告げた。


「先朝遺臣団が邑に接触してきている。食国達を迎えに来ているんだ」


「は⁉」

 寝棲と八咫が同時に声を上げた。

「ちょっと待て、どういうことだそれは」

「四百年前の乱の後、白臣がたい輿残党と合流したんだ。そしてたい輿の白玉だった『子宮』の持つ力により、白臣はたい輿の民と子を成すのに成功した。交が成った、と父は言っていた。この夜見と五邑の間に生まれた混血は、死屍散華の力に害され難いそうだ。今や彼等がこの一団の主導権を握っていると見て間違いないらしい。そしてこの混血は思考や価値観が我々に近いらしく、お二人を自陣に迎え入れ、近く月朝に反旗を翻すべく動いている。現在彼等は白浪はくろうを名乗り、迎えの使者が邑の傍で待機している。使者は三十年前まで我等と共に母子をお守りしていた夜見の民の方だ。父達とも知己の間柄だという。黄師は員嶠いんきょうの残党――つまり貴方の探索の為にという名目で邑に滞在していたが、この白浪の動きも疑っているらしい節がある」

「そんな事になってやがったか……そうか、たい輿は生きていたか」

 寝棲は口の端に薄く笑みを浮かべた。

「つまり、商人が居付いてやがったのは、このおっさんの所為かも知れねぇし、邑長とこいつら親子の所為かもしれねぇ、もしくは両方って事か」

 梶火の言に「だから言い方!」と長鳴が諫める。

たい輿が生きていたなら、千鶴ちづるが喜んだかも知れねぇな」

 ふと寝棲が零した言葉に、全員が目を向ける。

「貴方は、りょの娘の事を知っているんだな」

「俺は、千鶴と暮らしてたんだ」

「え」

「千鶴を村から助け出してくれたのは、夜見の民だと言っていた。それがお前だったんだな、食国」

 食国は黙って俯いたまま頷いた。

「ありがとうな。あいつは感謝していたよ。あいつを連れてきてくれた奴は、先の朝廷の遺臣だと名乗っていた。やっと全部が繋がったよ。俺も当時は餓鬼で、全部又聞きだったからな」

 寝棲は胡坐をかきなおしながら腕を組んだ。

「正直なところ、俺はお前達の邑に疑惑を抱いていた。千鶴の件もあったから余計にだな。――お前達が、事をどれだけ理解しているかまだ分からんから、初めから話していくぞ。既に知っている事と重複するかも知れんし、長くもなるが聞いてくれ」

 寝棲の前述に全員が首肯して話は始まった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る