24 三交と『受け皿』
「わたくし達は、貴方方のように男と女の二性に分かたれる訳ではないのです。皇は完全雄性でしたが、月は雄性に近い両性でした。そもそも政略の側面が強い契約としての三交でしたので、月の『受け皿』に皇の種は乗っていないのです」
「ええと……『受け皿』、ですか?」
「はい。皇と月の間においては懐妊の可能性があるのは月の側だけだったのですが、本性が雄性寄りである上、月自身にもすでに実質の三交がありました。故に、母体選択からして行われる事もなく……」
「母体……? 選択?」
宇迦之は、言葉を探る様に僅かに目を伏せてから、再び顔を上げた。
「先も申し上げましたが、皇は完全雄性でしたので母体となる選択肢がありません。わたくしは完全雌性でしたので、母体選択で揉める事がなかったのです」
熊掌は完全に混乱した。
「済みませんが、全く理解が及びません。母体を選ぶとはどういう事ですか?」
さすがに、これを初聞で理解させるのは無理だと東馬も理解しているのだろう。横から説明を加えた。
「夜見の民が子を生すには三交が必要なのだ。これはつまり親となる個体が三人必要だという事を意味する。完全雄性とは即ち男性しかない事を意味し、懐妊能力を持たないのだ。先の白皇がこれにあたる。反対に御母堂は完全雌性。つまり、女性しかない事を意味し、他人に種を与える事ができない。月皇は雄性に近い両性で、懐妊する事も種を与える事もできるが、本性が雄性に近いため懐妊する側に回る事を拒否した、という事だ。その段階で決裂したのだから、三人目の交を探す余地もない」
「少し、飲み込めました」
が、困惑は止まない。
「母体となる者が体内に持つ『受け皿』は二つある。ここに雄性の種を貯蔵する。この貯蔵は新たにより強い雄性の種が入れられぬ限り永久に種として保存されるそうだ。二つの『受け皿』が埋まり、自身が持つ卵と交配が成れば子が産まれるが、これが成立する事が恐ろしく稀なのだ」
「父上、御母堂様、理解に乏しいわたくしをお許しください。とても下世話な表現かもしれませんが、女が妊娠するためには、二人の男の子種を得ないとならないという」
「――有体に言えばそういう事だ」
熊掌は思わず深く長い溜息を吐いた。これは理解が及ばずとも致し方ない。自身が知る人間の生殖構造とはあまりに違い過ぎる。混乱するはずだ。
「話が逸れたな。つまり夜見の民は本来不死と呼んで差し障りがない長命種であるが故、血族関係による権力移譲は本来その発想にない。しかし二月前に、三十年前まで我等と共にお二人をお守りしていた侍従の
「その
「そうだ」
「――お二人は、邑を出られる、という事ですか?」
「そうだ。この二月、その為に内密に事を進めてきた。が、お前も知っての通り、
「やはり、黄師はまだ」
「はい。邑から離れる気配はございません」
東馬は顔を上げる。
「黄師は、邑の者に対して、常ならざる状態に対する忌避意識を募らせるべく、滞在を長引かせて無言の圧力を敷こうとしておりました。万一の残党侵入で邑人が事の真偽を知れば、再び
「ええ、そうでしょうね」
「委縮と牽制を意図してのものですから、軽々と武力を以って踏み込み、この邑奥まで荒そうとはしますまい。邑内に留まっていたのは三人ですが、汐埜という娘の産を機に邑外に引いております。今、邑の境には百の隊が駐屯しております」
「百――の隊とは? 父上」
「良いか熊掌。我らが
「は」
「白玉の参拝に使う布は黄師へ納める前に必ず水に
「――それで
「そうだ」と東馬は首肯した。
「黄師の誤算は、その水の方に死屍散華が残留する事だったのだ」
熊掌は目を見張った。
「水に、」
「死屍散華を洗い流した水はこの五百年であまりに多く蓄積され、それは土地そのものにも残留した。死屍散華によって汚れた土地では作物を育てられない。育つが姮娥には食えんのだ。この為、五邑を抱えた州県では終にその下流に民を住まわせる事ができなくなった」
東馬の言葉に、宇迦之もまた首肯して見せた。
「わたくしたちがこの「西」に居りますのは、地下深くにその水源がある井戸があるからなのです。十代ほど前の長であった方がその存在を突き止めて下さったお陰で、わたくし達はこうして生き延びる事ができました」
宇迦之は眉を曇らせつつ口元を袖で覆った。顔色は――あまりよくはないように熊掌には見えた。東馬にも恐らくそう見えているのだろう。宇迦之の肩にかかっていた被衣を掛け直した。それから熊掌に再び目を向ける。
「――最終的に流れた水は全て海に行き着く。死屍散華は海に集積する。分かるか? あの海は既に彼奴等にとっては
「それではお二人も通過できないのでは?」
「三十年前に、無事に潜り抜けた方がいるだろう」
あ、と熊掌は声なく唇を開いては閉じた。
「黒氏は無事に通り抜ける術をご存知だ。時は成った。先程、御母堂は御子に事の全てをお伝えになったと仰った。後は日時を定め実行に移すばかりなのだ」
母子と父が、熊掌に眼を向ける。熊掌は――口元を手で覆い黙った。眉間を険しくしている。ふわりと触れた違和があったからだ。しばらくそれを明確に言語化できずにいたが、やがて繋がった。
「あ、あの」
「なんだ」
「父上は先程、夜見の民には血族移譲の発想がないと仰いませんでしたか? それなのに、何故お二人を迎えようなどという話になるのですか?」
東馬と
「確かに、本来はな。お前の言う通りだ」
「では、本来ではない事が起きていると?」
「そうだ。五百年前、散り散りに白臣と係累は遁走した訳だが、その内で最も大きく五千の民を抱えていた集団が偶然にも
「それは、では」
「四百年前に乱を起した
「では、雀の郎党全てが滅びた訳ではなかったのですね」
「そうだ。肝心なのはここだ。
「繁殖、ですか」
「この力により、白臣は
「我々と彼等がですか⁉」
「そう。交が成ったのだ。要は母親がどうかだった。夜見の民が母体なら三交が必要だが、五邑の民が母体なら二交で済む。後者の場合、白臣のみで子を生すよりはるかに多く早く子産みを為せたのだ。中でも取り分け『子宮』の力を強く体に貯め込んだ『色変わり』のない
熊掌は思わず食国の方を見た。彼は齢五百を数えるらしいが、未だ十四程度かそれ以下の外見に留まっているとしか見えなかった。その熊掌の感想は誤っていない。食国の成長は夜見の民のみの繁殖と比較しても格段に成長が遅い部類に入る。
引き続く東馬の説明によると、白臣の混血青年達の自称自覚は、直接の遺臣である親達とは少し違い、より複雑化しているそうだ。何より大きな違いは、彼等は死屍散華の影響を非常に受け難く、攻撃を受ければ負傷はするが即死はしないという事らしい。これは、彼等の発言力や存在感を集団内で増すのに無理からぬ要因となった。
彼等が生まれて初めの頃には差別対象に近い扱いを受けていたようだが、その有力性が露見するに従い、白臣内での立ち位置は変わっていった。更には、そこへ
そして終に、母子を白朝復古の旗印として担ぎ上げようと、彼等の保護が計画に上がった。計画は迅速に立てられた。そしてその先鋒として、かつて
東馬は一息吐くと、改めて姿勢を正した。
「そして今現在、彼等は
熊掌は食国の顔を見た。その表情をなんと読み解けばよかったろうか。二人の視線は互いの内を探り合っていた。そしてその親達は、それに気付くべくもなかった。
「先朝遺臣団である白浪と、我等五邑の本懐は同じだ。月朝を倒し、白朝復古を為し、死屍散華の継承を終わらせる」
「それは、」
果たして可能なのでしょうか、という言葉を熊掌は飲み込んだ。それは口にしてはならない事なのだろう。敵が同じである事は分かった。しかし邑が持つこの白玉が強大な武力の元であると分かった以上、邑人との混血が進んでいるとはいえ、白浪が易々とそれを手放すとは熊掌には思えなかった。
遠くを見やるような父の眼にも見て見ぬふりを感じた。
いずれは訪れるであろう
父は、やおら熊掌の顔をじっと見た。
「よいか熊掌。お二人を邑より出奔させるに従い、この「西の端」には身代わりとなる『影』を置かねばならない」
「え」
「かつて
「影、ですか」
「焚き上げられる煙の数からの報告、下がりの品と布の数、それと交換される品の量で、黄師は邑人の数を把握している。お二人は白玉の参拝こそしておらぬが、ここに生活の痕跡は色濃く残っている。そこから暴かれ邑が潰される可能性は皆無ではない。その痕跡を引き継がせるため、八俣は、将来我が子が生まれた時に煙を上げず、黄師より存在を隠すと言った」
「あ、あのそれは、まさか」
「
熊掌は思わず後ろに手を突いた。
「――なんと、いう事を」
じっと、東馬が熊掌の目を射る。
「理由はそれだけではない。そもそも天照に男児が生まれた時には決して朝に知られてはならない決まりだ。そもそもあれは隠匿すべき存在なのだ。故に八俣は天照の娘を妻とした。――実際に男児が生まれたのは想定外だった」
熊掌は言葉を失い、ただ膝の上で掌を握りしめた。
「八俣の息子には確かに横着なところがあるが、それでも参拝が不可能な程ではないのだ。しかし、生まれついて存在を数から省き、参拝を阻止すれば、人の数から省いたものとして西においても黄師は気に留めない。況してや男児だ。あれらは、器足り得るものにしか本来関心がないのだ。――故に、白玉から遠ざけた」
熊掌は胸の奥に割けるような痛みを覚えた。常からそうとは感じさせぬように振舞ってはいるが、八咫がお参りの出来ぬ事に傷付き苦しんでいた事は熊掌にも見て取れた。それが本当は父達の画策によってその立場に貶められていたのだ。
「――意図については理解しましたが、何故に、天照の男児は隠さねばならないのですか」
「……それについては、いずれまた」
父の目が左右に揺れてから伏せられた。それは父が隠し事をする時の癖だ。――つまり、今この場で口にすべき事ではないと考えているという事だ。これは恐らく熊掌にではなく、この母子に対して詳細は伏せておきたいという事なのだろう。
やはり、ここも完全な一枚岩ではないのだ。恐らく場所を変えれば父はまた違う見解を熊掌に聞かせる事だろう。一朝一夕で片のつく単純な話ではないのだ。何せ五百年に渡る物語なのだから。
熊掌は――嘆息した。
脳裏に八咫の屈託のない表情が浮かぶ。生まれついての理不尽があるとしたら、自分などより余程彼の方がそれに晒されているではないか。熊掌は額を手で覆った。その不遇が憐れだった。
「貴方方は、何という
「ああ。酷かろう。しかし他に手立てはなかった。御母堂の『影』には、侶雀が名乗りを上げてくれている」
「――雀女士が」
「あれ自身を長邸に置いてきたのは、この為でもある。生活痕跡は既に消した」
雀があの夜、自身はもう「西」に入る頃合いなのだと口にしたのはこういう事だったのか。熊掌は恐ろしさに震えた。この連中は平然とした顔でおくびにも出さずに、ここまで粛々と事を進めるのか。人の心など歯牙にもかけずに。
ふと、食国に目が向いた。彼は、静かな眼差しで床の一点を見詰めていた。つい、とその視線が熊掌に向く。ふわり、と薄く笑った。確かにそう見えた。
「八咫には、折よく私と黄師が話しているところを耳に挟ませる事ができた」
熊掌は驚いて顔を上げる。
「御存知だったのですか」
「知っていた。そう仕向けた。お前が居合わせたのは予定外だったがな。ここに入ってもらう時には、あれにも事の真実を伝えねばならぬ。雀からも折々に言葉をかけさせていた。隠したとはいえあれを軽く見ている訳ではない。あれはこの邑を、いや、我々五邑全体を、朝、延いては黄師より護り切るための最後の切り札であり屋台骨なのだ」
東馬はそれから、熊掌を襲った者を牢に捕らえし事。熊掌がその凶状より食国の手で救われた事、そしてその感謝を告げて立ち上がった。
「黒氏より文が参りましたら、すぐにお知らせ致します。それもこの一両日中の可能性、無きにしも非ず。お二人とも、お心に留め置き下さい」
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