19 帝の国、遠つ国
かつて五百の昔に、我等が祖先を支配した
帝は歴代に渡り自らの国を治めてきたが、強大な近隣国からの干渉に
そこへ、
帝の国が持つ神は
遠つ国が持つ神は
これを取り換える時に帝は告げた。「白玉が持つ栄え滅ぶ力は産み増やす女の力であり、女の民の肉体に収めねば霧消する」と。故に神に加え、力を留める肉体を持つ五つの民がそこに添えられ、譲り渡された。
――それが、我等の祖であるという。
白玉の神力は強大であった。この力を掌握するために、帝は五つの男の民の肉体を石の鎖へと変幻させ、これによって人の手に繋ぎ止めていた。これもこのまま譲り渡されたが、白玉の力はあまりに強く、慣れぬ遠つ国の民が扱うには手に余ったのである。このため、力を納めた肉体を五つに切り分ける事となった。それを五つの民が守り、得た力を遠つ国の民へ分け与える事となった。
五つの民は五つの邑で囲い込まれた。
使者の
白玉の力はあまりに強く、あまりに多くの人を殺した。故に
やがて新たな難が明らかとなる。五邑の民に子が生されないのだ。国を移り土地を変わった事が原因であった。五邑の民は、遠つ国の民と比べ
百年が過ぎた頃に、
次は、
『御髪』が
そうして、今の五百年に至る。
神の力と祖を朝に引き渡し、天長地久の力を手にした帝の国がどうなったのかは
「――長い」
父の話をそこまで聞き、最初に熊掌が発した感想がその一言だった。
「……お前、もう少し他に言う事は何かないのか」
「そりゃありますよ。色々合点が行った事も沢山ありますし、何よりこの邑に名前があった事が知れましたしね。
「そうだ」
「つまりこの村の名は、朝廷と黄師が我々人畜を管理監視する為だけに使われてるという事でしょうが」
東馬は、呆れたように頸を横に振った。
「お前の言葉には、その性根がよく現れる」
「どういう意味ですか」
「荒々しく猛々しいという事だ。名は体を現すというが限度という物があろう。人前では隠しなさい」
「言われずとも。確認したい事が幾つか有りますが、宜しいか」
「構わん」
「黄師は、子が生まれた後の七日は母子共に産屋に留まる事は知っている?」
「ああ、此度の産は難産であった、故に滞在日数が伸びるやも知れんとはお伝えした」
「それでその後は、実は子の親が俺だったと判明したために邸内に留め置くことになった、とでも言うんでしょう」
東馬は目を丸くした。
「よく気付いたな」
「産婦と赤子が彼等に害となる期間は概算で如何程」
「良くて一月だ。悪露がある内はそこから遠ざけられる。本来二月は見るべきだが、それでは長すぎる。訝しがられる訳には行かぬ」
「彼等を邸内から、否、邑内から遠ざけたい理由があるのですね」
「そうだ」
「理由は」
「――それは今宵、別の場を設け、改めて伝える」
一月前に
「分かりました。今赤煙を焚いているのは、確かに娘が生まれた事を知らせる為であったと。そしてこれは白玉の器足り得るかも知れない者が生まれた事の伝達であると。白玉の正体は何れかの邑で生まれた娘で、故に、白玉は我等が犠牲の象徴だと仰ったわけか」
「そうだ」
「
「ああ」
「名は」
「
「では、
「
「――では、死んだと言う忠臣は」
「当時
「どうして死んだ事にできたのです」
「当時も地下に封じていた咎人がいた。それの名が陀羅と言った。折よく死んでくれたので、その死体を焼いて黄師に見せた」
熊掌の頭にかっと血が上る。
「死んでくれた⁉ それを俺がはいそうですかと素直に聞き入れると⁉ 俺はそこまで察しは悪くない! そうやって、都合良く咎人の命を扱ってきたわけか」
「悟堂は、我等にとってなくてはならないものだ」
「人一人の命を犠牲にしてでもですか!」
「そうだ!」
常にない強い父の断言に、熊掌は僅か
「どうして、そこまで」
「――お前も聞き及んでいよう。三十年前に、白玉に命と体を取られた娘がいるという話は」
「それは、はい。知っておりますが」
「娘の名は
「――は」
「今宵お前に引き合わせる御方と、
東馬の視線は熊掌から外れ、天に昇り行く赤い煙に向けられた。
「千鶴は聡い子で、己が身に何かが起きる事を察知して逃げ、足を滑らせ海に落ちて死んだ事になった。我が父はその責として朝に赴き、そこから残りの生涯を幽閉の身として過ごした。骨となって邑に戻ったのは五年後の事だ。骨と言ったところで粉でしかなかったがな。余程満足な食も与えられなかったと見える。しかし決めたのは父だ。父は自分で決めた事の責任を取って死んだのだ。――分かるか。そこから十年、千鶴は
熊掌は父の発した強い憤りに、言葉を失った。
ぎり、と握りしめられた拳が、東馬の
「……父上は、その御方、という人を憎みはしなかったのですか」
東馬は、ふ、と自虐に似た笑みを浮かべた。
「憎むなどあろうはずもない。あの御方こそが我等が唯一の光、唯一つの
熊掌は――嘆息した。父の言葉から熊掌に分かったのは、己が本当にこの邑の事を何も知らなかった事と、想像以上の物を父が抱えていたという事だった。父の思いが、覚悟が痛ましかった。
――だが、最後に一つ、どうしても確認せねばならない事があった。これを知らぬまま看過する事は、決してあってはならなかった。
「雀女士は岱輿の邑長の系譜で、八俣も員嶠の邑長の血を引く」
「――ああ」
「彼等が識字に通じているのは、そも邑長の系譜であったからなのですね」
「そうだ」
「
東馬は、長い、長い沈黙の後、「――そうだ」と肯定した。
「参拝に使う布に髪を刺すのは、その色を以てして器に能うか否かを判別するからだ。髪の色が白くならなかった者を『色変わり』なき者と呼ぶ」
「俺が生まれた日にも、貴方はここを訪れた。――その時に、常にはない事を、したんではないですか?」
父は、静かに眼を伏せた。
「貴方は、生まれたばかりの俺の髪を持ってここに来た。そして、白玉に髪を触れさせて、確かめた」
疑いは確信となり、震える手を抑え込む為に強く強く拳を握る。
「そして黒煙を上げた訳ですね」
「そうだ」
渾身の力を込めて父の顔面に拳を叩きつけた。
鈍い音を立てて父の身体が吹き飛ぶ。樹の幹にぶち当たり、その体は止まった。幹に身体を預けたまま動かない父を熊掌は無言で睨み付け、ぎりぎりと歯噛みする。熊掌は父を撃った拳を見詰めた。その一撃では放ち切れずに残った憤怒と絶望があまりに重く、いくら力を込めて耐えようとしても、溢れる物を堪え切れない。
「――うらぎりもの」
熊掌の声には、抗い切れぬ怒気が孕まれていた。
「……何を、言う」
「あんたは、俺だけじゃない、皆を裏切ったんだ」
「儂は、真実に即して、すべき事を行ったまでだ」
「どこがだ⁉ これのどこが真実なんだよ‼ だったら」
父の鋭い眼差しが熊掌を射抜く。
「何で俺の身体は女なんだよ‼」
するり、と火元から燻る赤煙が消える。棚引いたそれも、やがて天に昇り、薄く雲に紛れた。
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