19 帝の国、遠つ国


 かつて五百の昔に、我等が祖先を支配したみかどがあった。

 帝は歴代に渡り自らの国を治めてきたが、強大な近隣国からの干渉にさらされ続ける事に苦慮し続けてきた。せめて飲み込まれる事だけは避けたいという思いから、隣接する大国の弱体化と滅亡を望んだ。

 そこへ、とおくにより死者が降り立った。その望みを叶えよう。我々にはその力を持つ神があり譲り渡す用意がある。その対価として、お前達が持つ神とその力とを置き換えるのだ、と。果たしてその誓約は成った。


 帝の国が持つ神は白玉はくぎょくと言った。その力は栄え滅ぶ力だった。

 遠つ国が持つ神はせきぎょくと言った。その力は天長地久の力だった。

 これを取り換える時に帝は告げた。「白玉が持つ栄え滅ぶ力は産み増やす女の力であり、女の民の肉体に収めねば霧消する」と。故に神に加え、力を留める肉体を持つ五つの民がそこに添えられ、譲り渡された。


 ――それが、我等の祖であるという。


 白玉の神力は強大であった。この力を掌握するために、帝は五つの男の民の肉体を石の鎖へと変幻させ、これによって人の手に繋ぎ止めていた。これもこのまま譲り渡されたが、白玉の力はあまりに強く、慣れぬ遠つ国の民が扱うには手に余ったのである。このため、力を納めた肉体を五つに切り分ける事となった。それを五つの民が守り、得た力を遠つ国の民へ分け与える事となった。


 五つの民は五つの邑で囲い込まれた。夫々それぞれ名を得て白玉を祠に祀り守った。はち方丈ほうじょうは『真名まな』を。玉枝ぎょくし蓬莱ほうらいは『かんばせ』を。かわごろも員嶠いんきょうは『御髪みぐし』を。龍玉りゅうぎょくえいしゅうは『玉体ぎょくたい』を。かいたい輿は『子宮しきゅう』を受け持つ事となった。総じてこれを五邑ごゆうと称した。

 使者のあるじはその力を用い時の朝廷を討った。簒奪を行ったのである。先朝は倒れ、易姓革命は成り、新たな朝が開かれた。五邑はかつてせきぎょくを護った黄師こうしにより管理される事となった。


 白玉の力はあまりに強く、あまりに多くの人を殺した。故に死屍しし散華さんげと呼ばれるようになった。その力を納めた人の器は、神の名そのままに、白玉はくぎょく、と呼ばれるようになった。


 やがて新たな難が明らかとなる。五邑の民に子が生されないのだ。国を移り土地を変わった事が原因であった。五邑の民は、遠つ国の民と比べはなはだしく短命であり、新たな器となる子がなくば死屍散華は霧消してしまう。後に黄師が、自身等が持つ天長地久の力の礎である寶石ほうせき不死石しなずのいしを邑人の肉体に取り込ませる事で、遠つ国の土地に五邑が適合する事を見出した。しかし、それでも生まれた全ての女が器足り得るには至らなかった。死屍散華に接して髪色が白くなる者は髪に力が吸われて終わり、肉体に力を留め置く事は叶わなかった。肉体に力を集積出来る者は髪の色が変わらない。器足り得る肉体を持つ女を多数産む事が必須となり、黄師は五邑に子産みを勅命として課した。増えた邑人を養う事も黄師の役となった。子が生まれた事を知らせる術として、男が生まれれば黒煙を、女が生まれれば赤煙を上げる事が邑の長に課せられた。こうして、邑と民を維持する術が明らかとなってから、僅かな間は平穏な日々が続いた。


 百年が過ぎた頃に、たい輿が乱を起こした。民多く栄えた邑で、戦略甚だしく鋭く、何より諜報に長けた。死屍散華の力を巧みに用い、終には邑を構えた地の県城を攻め落とし、愈々いよいよ朝に刃を向ける段に至った。しかしここに思わぬ伏兵が生ずる。方丈ほうじょうの民が諜報のからくりを暴き、黄師伝いに朝に奏上したのである。果たして黄師はこれを焼き滅ぼした。祀られていた『子宮』は行き場を失った。たい輿の長の継嗣の血筋であった娘二人がその咎を赦される代わりにえいしゅうへ運ぶ任を与えられ、後に一人が白玉の器となった。果たしてたい輿の『子宮』は『玉体』と合祀される事となった。方丈は取り立てられ、朝廷内にその居住を許された。

 

 次は、かわごろも員嶠いんきょうにて事が起きた。二十年前、彼の邑にて死屍散華の器たりうる娘が隠されていた事が明らかとなったのである。娘の生まれた頃に員嶠いんきょうで赤煙の上がった事はなく、明白なる隠匿であった。その事実を知った黄師の小隊は怒り狂った。すわたい輿が乱の再来か、反逆の意志あり也と、邑長一族とその側近多数を見せしめに惨殺した。継嗣と、その十に満たぬ末弟を残すところとなったが、忠臣が末弟を身を挺して守り、代わりに拷問を受け切り刻まれた。命だけは取り留めた忠臣が、員嶠いんきょうの『御髪みぐし』をかつてのたい輿の如くえいしゅうへ合祀する事を進言し、翻意無き事を証明すると言い募った。黄師は即断できずに朝に持ち帰った。聞いた皇帝が黄師小隊の独断専行に激怒し、小隊は殲滅させられた。皇帝は忠臣の奏上を受け入れ、忠臣と弟をその運搬の任に当たらせた。事の発端となった娘は朝廷内にある方丈に取り上げられた。

 『御髪』がえいしゅうへ到着し、合祀が果たされた段になり、遺された員嶠いんきょうの民が乱を起こした。黄師はこれを鎮圧し、邑は焼き滅ぼされた。合祀を奏上した忠臣に本来偽りあり也と黄師は誅罰にえいしゅうへと向かったが、大いに身体を傷付けられていた臣はえいしゅうに着くと時を同じくして死亡し、荼毘に付したと知らされた。疑義と乱はこうして顛末を迎えた。

 そうして、今の五百年に至る。

 神の力と祖を朝に引き渡し、天長地久の力を手にした帝の国がどうなったのかはようとして知れない――。



「――長い」



 父の話をそこまで聞き、最初に熊掌が発した感想がその一言だった。

「……お前、もう少し他に言う事は何かないのか」

「そりゃありますよ。色々合点が行った事も沢山ありますし、何よりこの邑に名前があった事が知れましたしね。瀛洲えいしゅう、でしたか?」

「そうだ」

「つまりこの村の名は、朝廷と黄師が我々人畜を管理監視する為だけに使われてるという事でしょうが」

 東馬は、呆れたように頸を横に振った。

「お前の言葉には、その性根がよく現れる」

「どういう意味ですか」

「荒々しく猛々しいという事だ。名は体を現すというが限度という物があろう。人前では隠しなさい」

「言われずとも。確認したい事が幾つか有りますが、宜しいか」

「構わん」

「黄師は、子が生まれた後の七日は母子共に産屋に留まる事は知っている?」

「ああ、此度の産は難産であった、故に滞在日数が伸びるやも知れんとはお伝えした」

「それでその後は、実は子の親が俺だったと判明したために邸内に留め置くことになった、とでも言うんでしょう」

 東馬は目を丸くした。

「よく気付いたな」

「産婦と赤子が彼等に害となる期間は概算で如何程」

「良くて一月だ。悪露がある内はそこから遠ざけられる。本来二月は見るべきだが、それでは長すぎる。訝しがられる訳には行かぬ」

「彼等を邸内から、否、邑内から遠ざけたい理由があるのですね」

「そうだ」

「理由は」

「――それは今宵、別の場を設け、改めて伝える」

 一月前に員嶠いんきょうの残党が出た、と言う話を父と黄師がしていた事は八咫と聞いている。知った上で黄師を邑から遠ざけたいと言うならば、何かしら父には意図があるに違いない。これについては一先ず今宵に預ける事とした。

「分かりました。今赤煙を焚いているのは、確かに娘が生まれた事を知らせる為であったと。そしてこれは白玉の器足り得るかも知れない者が生まれた事の伝達であると。白玉の正体は何れかの邑で生まれた娘で、故に、白玉は我等が犠牲の象徴だと仰ったわけか」

「そうだ」

岱輿たいよの長の娘の一人はこの邑内に無事に留まった訳ですね」

「ああ」

「名は」

りょ銀鶯ぎんえんという」

「では、員嶠いんきょうからきた長の子の名は」

仙鸞せんらん八俣だ。今は妻の側の姓を名乗り天照之八俣を名乗っている」

「――では、死んだと言う忠臣は」

「当時だい悟堂ごどうと名乗った。今は大陀羅を名乗らせている」

「どうして死んだ事にできたのです」

「当時も地下に封じていた咎人がいた。それの名が陀羅と言った。折よく死んでくれたので、その死体を焼いて黄師に見せた」

 熊掌の頭にかっと血が上る。

「死んでくれた⁉ それを俺がはいそうですかと素直に聞き入れると⁉ 俺はそこまで察しは悪くない! そうやって、都合良く咎人の命を扱ってきたわけか」

「悟堂は、我等にとってなくてはならないものだ」

「人一人の命を犠牲にしてでもですか!」

「そうだ!」

 常にない強い父の断言に、熊掌は僅かひるんだ。

「どうして、そこまで」

「――お前も聞き及んでいよう。三十年前に、白玉に命と体を取られた娘がいるという話は」

「それは、はい。知っておりますが」

「娘の名はりょ千鶴せんかくじゃくの姪にあたる」

「――は」

「今宵お前に引き合わせる御方と、千鶴ちづるは懇意にしていた。黄師から、千鶴を宮城へ引き渡すようにと触れが出た。千鶴は当時十だった。あの御方は、いずれかからその話を知り、当時長であった父に断固許せぬとお怒りになった。あの御方は自身の配下をお使いになり、千鶴を邑から逃がした。――その行き着いた先が員嶠いんきょうだ」

 東馬の視線は熊掌から外れ、天に昇り行く赤い煙に向けられた。

「千鶴は聡い子で、己が身に何かが起きる事を察知して逃げ、足を滑らせ海に落ちて死んだ事になった。我が父はその責として朝に赴き、そこから残りの生涯を幽閉の身として過ごした。骨となって邑に戻ったのは五年後の事だ。骨と言ったところで粉でしかなかったがな。余程満足な食も与えられなかったと見える。しかし決めたのは父だ。父は自分で決めた事の責任を取って死んだのだ。――分かるか。そこから十年、千鶴は員嶠いんきょうで生き延びたが、その存在を知られた結果、八俣は己が係累を悉く失い、悟堂は拷問に掛けられ生死の境を彷徨う程に全身を損傷した。嚆矢こうしを放ったのは我等なのだ。その彼等に僅かなりとも報いずして何が長か! ――何を以てして、赦されると言うのか……」

 熊掌は父の発した強い憤りに、言葉を失った。

 ぎり、と握りしめられた拳が、東馬の憤懣ふんまんるかたなきを現していた。

「……父上は、その御方、という人を憎みはしなかったのですか」

 東馬は、ふ、と自虐に似た笑みを浮かべた。

「憎むなどあろうはずもない。あの御方こそが我等が唯一の光、唯一つのすがるべき糸なのだ。代々の祖がその糸に縋り、この五百年守り通したのだ」

 熊掌は――嘆息した。父の言葉から熊掌に分かったのは、己が本当にこの邑の事を何も知らなかった事と、想像以上の物を父が抱えていたという事だった。父の思いが、覚悟が痛ましかった。

 ――だが、最後に一つ、どうしても確認せねばならない事があった。これを知らぬまま看過する事は、決してあってはならなかった。

「雀女士は岱輿の邑長の系譜で、八俣も員嶠の邑長の血を引く」

「――ああ」

「彼等が識字に通じているのは、そも邑長の系譜であったからなのですね」

「そうだ」

五邑ごゆう、でしたか。その、邑長の家系に特別な特徴はありますか? 例えば――器に足り得るものが多く輩出される、など」

 東馬は、長い、長い沈黙の後、「――そうだ」と肯定した。

「参拝に使う布に髪を刺すのは、その色を以てして器に能うか否かを判別するからだ。髪の色が白くならなかった者を『色変わり』なき者と呼ぶ」

「俺が生まれた日にも、貴方はここを訪れた。――その時に、常にはない事を、したんではないですか?」

 父は、静かに眼を伏せた。

「貴方は、生まれたばかりの俺の髪を持ってここに来た。そして、白玉に髪を触れさせて、確かめた」

 疑いは確信となり、震える手を抑え込む為に強く強く拳を握る。


「そして黒煙を上げた訳ですね」


「そうだ」

 渾身の力を込めて父の顔面に拳を叩きつけた。

 鈍い音を立てて父の身体が吹き飛ぶ。樹の幹にぶち当たり、その体は止まった。幹に身体を預けたまま動かない父を熊掌は無言で睨み付け、ぎりぎりと歯噛みする。熊掌は父を撃った拳を見詰めた。その一撃では放ち切れずに残った憤怒と絶望があまりに重く、いくら力を込めて耐えようとしても、溢れる物を堪え切れない。

「――うらぎりもの」

 熊掌の声には、抗い切れぬ怒気が孕まれていた。

「……何を、言う」

「あんたは、俺だけじゃない、皆を裏切ったんだ」

「儂は、真実に即して、すべき事を行ったまでだ」

「どこがだ⁉ これのどこが真実なんだよ‼ だったら」

 父の鋭い眼差しが熊掌を射抜く。



「何で俺の身体は女なんだよ‼」



 するり、と火元から燻る赤煙が消える。棚引いたそれも、やがて天に昇り、薄く雲に紛れた。


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