18 赤煙
雀は、先端が極細い
「良いか、女児においては子宮内に、男児においては睾丸の隙間に切開をしてこの不死石を安置する。男児の場合は切開術になる故縫合が必要になる。針の扱いに長けるよう励むように」
雀の手際は迅速で、その処置は瞬時に終わった。
「あとは目が覚めれば母の元へ戻す。南辰、あとの始末は頼む」
「ええ」
熊掌は、穏やかな寝息を立てる赤子の頭にそっと手をおいた。柔らかい頭髪は、まだ濡れている。
「雀女士。分からない。今のは一体何なんだ。この処置は一体何のために行われた?」
手を桶で洗い、水を拭ってから雀は酒精を掛けて熊掌に向き直った。
「儂らは、
棚から白い産着が取り出され、雀がそれで赤子を包む。
「ここ奴等の庭にいる限り、儂等は自然繁殖が叶わぬ。五百より以前に我等の祖が
「そんな、馬鹿な。そんな、生物の摂理に反するような話が」
「覚えておおき。これは奴等にとっても必要な事で、奴らは我等を生かして飼い続けねばならぬ。そういう都合で我等は繋がっておるのじゃ。ここ長邸を取り巻いている道祖神も、石段の両脇の石塔も、玉様の祠を取り巻いている石碑も、全て奴等から与えられた不死石なのじゃ」
後、目覚めた赤子を抱いて、雀と熊掌は退室し、産屋へ戻った。見ると、産屋の奥に続く扉から、父と大陀羅が姿を現した。
「父上、大陀羅も」
父は「後の事は汐埜に話した」とだけ言い、大陀羅と共に産屋を出ていった。
汐埜は産の部屋からその隣室に移り、褥に伏していた。
ぼろぼろと、大粒の涙が後から後へ流れ落ちている。
熊掌の心は、この一晩で何重にも塗り替えられたようだった。思いもしなかった村の秘部に触れ、存在すら知らなかった血縁と対面し、かつて妻にと望んだ女の夫に殺されかけ、その男と女の子を今抱いている。そして、この命が受け継がれてゆくためには、体内にあの見慣れた冷たい石を入れねばならないという。
赤子を抱え、熊掌は汐埜の傍らに座す。
「――若、お聞きになりましたか?」
「……いや、父からは、汐埜に後の事は話したとだけ」
「夫は――あの人は、私の安産祈願をしに、白い玉様のところへ真夜中にお参りに行ったそうです」
「なん、何だと」
「いつものように泥酔しながら石段の方へ向かっているところを大陀羅様がご覧になっていたそうですよ。昨夜から皆で探してくれたようですが――祠の前に、あの人の履物が落ちていた、と……」
熊掌は震えた。
「それは」
「酔って、手順を間違えたのだろうと、村長がっ……!」
汐埜は、ばたばたと涙を落とす。未だ痛みの抜けぬであろう体を無理矢理引き上げ熊掌に這い寄る。赤子を抱えたままの熊掌の胸襟をその右手で掴み揺さぶる。
「どうして⁉ ねえ何でなの⁉ なんであの人がいなくなって私とこの子で若の元に入る事になるの⁉ どうしてそんな事になるの!」
発せられた言葉の意味を理解し、熊掌は愕然とする。つまり父は、この赤子ごと汐埜を自分の妻として邸に迎え入れると、そう決めたという事か。
「しお、の。まさか、本当に父がそんな事を――」
「ねぇ返して! あの人返してよ‼ 私の夫を返してよっ……!」
ずるずると汐埜の身が
自分の視界に入らぬ場所で、与り知らぬ場所で、彼女と蔓斑は、傍からはどう見えようと
腕の中の赤子の重さと温もりが、すがりつく汐埜の慟哭が、熊掌の心の臓を貫く。己は、この手に抱えきれない程の暴虐によって、激しく望みながら決して得られるはずもなかった妻子を、蔓斑から収奪したのだ。
――地下の処置室から出る直前に、雀と交わした言葉が耳に張り付いて離れない。
「婆は先日、僕には宿業があるとそう言った。婆にもそれはあるのだと。婆は、僕が知らぬ僕の事を知っているのか?」
雀は、赤子の頭を撫で、それから手を伸ばして熊掌の頭を撫でた。どんな感情も読み取れない、ただ静かな眼差しだった。
「――十七年前、若を取り上げたのは、この婆ですからな」
泣く赤子と、泣き叫ぶ汐埜。
その前で、熊掌は、ただ無言のまま項垂れるより他なかった。
*
その日の正午、新しい赤子が無事に生まれた事を
従い熊掌が纏う衣も改まった。今までは
装束を改めた長とその嫡子が
今まで身形の豪奢に頓着のない性分で会った己が、いかに装束と言う物に対して見識がないかという事も、実際に纏う事で初めて理解する。
赤煙は、熾した火に父が薬包に包まれていた粉を落とす事で発生した。赤い煙が高く高く天に昇っていく。
「熊掌。これより邑人の前では次期長である己を決して忘れてはならぬ。纏う物で人はお前を認識するようになる。この衣でお前は認識されるようになるのだ」
「それは、
「彼等と我等との間にあるものについてお前に語る事は、取りも直さずその渦中の当事者となる事を意味する。儂はその覚悟ができなかった。
「では、ようやく巻き込んでいただける気になったと言う事で宜しいか?」
熊掌の顔を見、東馬は淋し気に笑った。
「一晩ですっかり面構えが変わったな」
「そりゃ変わりもしますよ。殺されかかるわ一遍に妻子ができるわ、挙句に叔父まで湧いて出た」
「確かに、違いない」
「いくら何でも酷くはないですか?」
「それは何に対してだ?」
「俺に対しても、汐埜に対しても、蔓斑に対してもです」
「そう思うか」
「俺に対して蔓斑が行った事が咎ならば公にして裁くべきでしょう。それを生涯地下に幽閉の挙句、事実を秘して白い玉様に獲られたなどと、それは玉様に対しても不敬ではないですか」
「
白玉、と。白い玉様ではなく、父は確かにそう称した。
「どういう事ですか」
「お前も長となれば、あるいは朝廷に参内する事も起きえよう。この世がいかなるものかについて伝える」
そこから東馬が語り聞かせたものは、熊掌の想像を超えていた。
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