16 参拝に失敗すれば、白い玉様に命と体を獲られる


 じじ、と炎が揺れた。

 食国の瞳の中で、炎が映り揺れる。涙のように。

「やあたとやえをみるたび、ぼくはじぶんのとがをおもいしる。そして、またふたたび、やまたからかぞくをうばうはめになっている」

 ゆっくりと、東馬は息を吸い込んだ後、「御子」と頭を傾げた。

「この、我が子への情に溺れる愚かな父共を、どうかお赦し下さい。ただでさえ、あれらは重すぎる枷を嵌めている……」

 食国は、淋し気に微笑んで首を横に振った。

「ぼくには、ちちたちのきおくがないから、きみたちがうらやましい」

 と、そこへ「長」と東馬を呼ばう声があった。階段を下りてきた大陀羅に、東馬は首肯して見せる。

「八俣は」

「先程産屋に入りました。若も湯を使い次第同席させるそうです」

「分かった。それでよい」

 食国と東馬は、目配せをし、小さく頷き合った。

 大陀羅は、隧道の片隅に置かれていた大きなかめに手桶を入れ、そこに水を汲むと牢の中の蔓斑に格子の外から浴びせかけた。ぐう、という音ともにしばし噎せる音が続いた後、中から「ここは、なんだ……」と意識を取り戻した声が届いた。

 す、と東馬が牢の前に動く。そこならば中からでも姿が見えるだろう場所だ。

「邑の地下だ」

「――なに?」

「心配をせずとも、ここでどんな大声を上げようが暴れようが、外に音が漏れる事はない」

 ぎりぎりと、奥から歯噛みする音が微か届いた。

「テメェら……」

「蔓斑、何故このような凶行に出た。いやそれより、十二年前にあれに手を掛けたのもお主というのはまことか」

 蔓斑は、にいと口の端を歪ませてから、べっと血痰を吐いた。

「ああ俺だよ。俺がやり損なったんだよ、クソが! あん時も邪魔が入ったんだ。もう少しってところで誰かが後ろから殴ってきやがったんだ!」

「ちがう。なぐってない。かかとをおとした」

 食国が挟んだ口に、蔓斑は噛みつくような勢いで睨みを見せた。

「テメェか……あん時も、今回も」

「ねぇ、なんで? ゆうひのなにがきにいらない」

「なんもかんもに決まってっだろうが! ただでさえお綺麗で優秀な若様に比べて、こちとら親父は俺が赤ん坊の時に吞んだくれた挙句に川にはまっておっんじまってんだ。どう足掻いたって、俺等ぁあんたらみてえな真っ当な暮らしになりようがなかった。憎たらしくて憎たらしくて堪らなかったぜ。消え失せちまえと思わねぇ日なんかなかったよ!」

 憎悪の籠った眼差しが、東馬を、大陀羅を、食国を順にめつける。

「まあ、どんだけお大事にされてようが、初参りだけはそうはいかねぇ。最後はてめえ一人で夜の闇に勝てるか負けるか、自分を信じられるかだ。そんなもん五歳のワッパにできるわけがねぇし、俺の周りにだっていた例がねぇ。諦めて心折れて帰る泣きっ面見て溜飲下げてやろうと物陰に隠れて見てたらよぉ」

 じゃりじゃりと枷を引きずり、蔓斑は格子にかじりついて叫んだ。「そいつだよ! そこのあんたらお抱えの衛士が後ろから護衛よろしく付いて行きやがった! 俺は、震えたね。こんなところにも贔屓と差別が付いて来やがる。長の家に生まれたからって、これだけ有利なようにお膳立てされてりゃ、そりゃ優秀な若様が出来上がるに決まってら‼」

「だから、ころそうとしたの」

「ああそうだよ‼ こんな偏り赦されるわけがねぇ。俺は赦せねぇ納得いかねぇ騙され続けてきたってことだろうがよお前等によォ‼」

 格子から伸びた手が東馬の鼻先を掠める。起きた風圧が東馬の髪を絡めて揺らした。――ただ、それだけだった。

 ふう、と東馬は瞼を閉ざす。

「そうだな、お主の言う通りかも知れんな。儂等は皆をたばかり続けてきたのやも知れぬ」

「そうに決まってんだろうが‼」

 唸る蔓斑に、食国は記憶の糸を手繰り巻き戻した。


 ――十二年前。


 本来、邑長嫡子が五歳を迎え、初参りを終えれば、その後すぐに次期後継として食国と母に面会を執り行う事が慣例として定められてきた。当然、熊掌もそうするはずだった。

 食国が彼等の訪問を待たずに自ら邑長邸に向かったのは、当時は気まぐれとしか言いようがなかったが、今にして思えば、千鶴ちづるの件があって以降の食国の心理的変化が大きく起因していたのだろうと思われた。

 食国が邑の陸上を歩く事はない。邑人の目に触れる事が決してないよう、移動は必ずこの地下通路を以てして行われる。また、この地下通路は「西の端」から邑長邸へ直接つなげられてはいない。出口が保管小屋なのは、ここならば黄師こうしの手が入る恐れがないからだ。

 黄師にとってしても、保管小屋に収められた布や下がりの品は命に係わる危険物である。目視では、どれが完全に封をされていて、どの布が水で洗われているのか見分けが付かないからだ。だから食国も、余計な物には決して手を触れないようにしてきた。しかし、何故触れてはならないのかの正確な理由を聞かされてはいなかった。寝棲ねすみに死屍散華の事を聞かされなければ、恐らくこの先も真実を知る事はなかったやも知れぬと食国は思った。

 当時、やけに胸騒ぎがしたのは確かだった。

 隧道を抜けた先の保管小屋で、首を締め上げられている子供がいるのを目にし、咄嗟に助けた。それが熊掌であったと知ったのはその後の事である。あの時は慌てていて、熊掌を抱き上げた食国は邑長邸の裏門に回り、叩扉して東馬の名を呼んだ。

 開門され、食国の腕の中でぐったりとした熊掌を見た東馬と奥方は形相を変えて体を硬直させた。そうだ、あの時もぜるように真っ先に動いたのは他でもない大陀羅だった。食国の腕から熊掌を奪い取るように引き取った彼の目に浮かんでいたのは、底知れぬ恐怖と憎悪だった。それらが入り混じったぎらりと鋭い視線を向けられた時の感覚を、食国はよく覚えている。ああ、この子は愛されているんだな、と、その時はそう思った。

 その後、熊掌は奥方の腕に渡され、大陀羅、東馬、食国で保管小屋に駆け付けた。しかし時すでに遅し。小屋の中はもぬけの殻で、終に熊掌を手にかけた者を探り当てる事はできなかった。

 それが今になって、消す事も出来ずにくすぶり続けた殺意と憎悪によって、自ら白日の下にさらされに来た……。その巡り合わせに、食国は心底不思議な心持ちがした。

 本来ならあの時にあったはずの、犯人たる蔓斑と、熊掌の父たる東馬との対峙が、時を越えて今ここにあるのだ。

「蔓斑よ、それを見知ったが故に殺害を計ったと、そう言うのだな」

「ああそうだよ! それ以外の何だってんだよ! ……それともなんだ、その程度の事だとでもいう気か? ふざけんなよ畜生が‼ 事の不公平に大小も多寡もねぇんだよ!」

 がしゃん、と再び格子に全身でぶつかりに来る男の顔は――醜悪だった。

「これが知れたら村の奴等はさぞかしお前等に失望するだろうなぁ。あぁ⁉ 違うか⁉ だからお前等にとって都合が悪ぃ事を知った俺をここに繋いでんだろうが⁉ 今から殺すか⁉」

 東馬の冷ややかな眼差しが蔓斑を見下ろした。

「お主は今宵、泥酔して、白い玉様の元へ汐埜の安産祈願に行った」

「――は」

「もちろん、泥酔したお主が正気でない事は常から周知の事で、故に手順を守れようはずもない。誤ったお前は、玉様にその命と体を獲られた」

「お、おい」

「明日、村の者達は、お前の事をそうして失踪したと理解する」

「ふ、ざけんなおいこら!」

「お前には、その命が果てるまで、ここで静かに時を過ごしてもらう」

「出せ! 汐埜のところに行かせろ‼ 汐埜‼」

「安心しろ。汐埜とその子は、熊掌の妻子として丁重に我がやしきに迎えさせてもらう」

 東馬は、手燭を取り上げた。炎が揺れ、視覚が認知できる領域は歪み、揺れ、惑った。蔓斑はその先に、白く淡く揺れる食国の侮蔑と憐みの入り混じった眼を見た。

 それが、その明かりで最後に視認したものとなった。

「白い玉様も、お主のような者の命と体など欲しくはなかろうにな」

 ふ、と明かりは吹き消され、男達は暗闇の狭間に姿を眩ました。



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