12 長鳴と梶火


 大陀羅の住まいは邸からほど近い場所にある。普段は邸内に常駐しているが、商人が邸に留まるようになってから自邸に戻る様になった。そういえば何故だったのだろうか。熊掌の傍に異分子が入り込んでいると言えるこの状況下で、彼が熊掌から距離をとるというのは、常時からかんがみればおよそあり得ない事だ。

 大陀羅は、商人と顔を合わせたくないのか。いや、そも父が指示しない限り彼が熊掌から離れるなどという事があるだろうか? ならば、父が大陀羅と彼等を引き離しておきたいのか?

 分からない。どう足掻あがいても思考の袋小路にはまる。

 ややあって、大陀羅の邸宅の裏を囲う柴垣が見えた。内からがんがんとかしましい音が響いている。誰かが打ち合っているようだ。熊掌は怪訝な表情を浮かべた。大陀羅は村で剣術指南も請け負っているが、こんな早朝からやるものではなかったはずだ。

 裏門から敷地内に踏み込むと、果たして中庭で木刀を打ち合う少年二人の影があった。その傍らで声を飛ばしている大陀羅もいる。と、大陀羅がこちらへ視線を向けた。熊掌の姿を認めて、彼は少しく目を丸くした。

「あ、大兄たいけい!」

 少年の一人が熊掌に気付き、ぱっと顔を明るくした。

「え、兄上?」

 もう一人の少年もこちらに顔を向けて目を丸くした。頼りなく下がったその眉にまなじりが、よく似ていると言われる。それがあまり嬉しくも好ましくもないというのが熊掌の本音だった。彼に咎は一切ないのだが。

長鳴ながなき。それに梶火かじほも」

「おや若。今日は随分お早い起床で」

 大陀羅の言葉に苦笑しながら熊掌は中庭に入った。中庭は邸の露台に面している。大陀羅はその露台から二人を見下ろしていた。熊掌の方へ向かい、そこから降りてくる。

「失礼だな。僕だって毎日寝坊している訳ではないのに」

「こんな時間に目が明いていた事なんてないでしょう。昨夜は寝付けませんでしたか?」

「お前ね、僕が寝たら起きられないという前提で話すのやめてくれないかな」

 大陀羅が言うので間違いはないのだが、素直に認めるのはしゃくだった。

「こんな早くから朝稽古をつけていたか?」

「いえ、俺が帰邸しているのを嗅ぎつけられましてね、ここ半月ほど押しかけられているんですよ」

 誰が、と言うならば梶火の方だろう。熊掌は察しがつき、じとりと実弟の顔をねめつける。

「長鳴」

「は、はい」

「お前ね、邸内の衛士の動向を外に漏らしてどうするの」

「も、申し訳ございません」

 慌てて長鳴は頭を下げる。大方梶火に力尽くで聞き出されたのだろうが、だからと言って軽々と口を割ってはならぬものだ。

「分をわきまえなさい。気安い間柄である事と、職域の話の流布の許容は混在させてはならん。大陀羅にも迷惑をかけている」

「まあ私は一向に」

「大陀羅は黙ってて」

「はい」

 項垂れた実弟の頭に、熊掌は掌をぽんと置いた。また背が伸びたようだ。自分が追い抜かれる日も近いかも知れない。長鳴は兄を見上げた。笑って見せてやりたかった。でもそれは、どうしても母が自分を見る時に浮かべるそれに似通った。

「いつも大陀羅の時間を多く僕に割かせているのは申し訳ないと思っているよ。隠れてやらせるような事になってすまない」

「いえ、兄上、いえ……」

「励んでくれている事は、僕は素直に嬉しい」

「はい。お言葉肝に銘じておきます」

「うん」

 今度こそ、うまく笑って首肯してやれた。そんな気がした。

 それから、苦い顔をもう一人に向ける。

「梶火。お前だよ、お前」

「大兄!」

 熊掌の表情に反して、熊掌を見る梶火の顔はぱっと明るい。

「どうしてこうお前は強引なんだ。人に何かを頼むにしろ、もっとやりようがあるだろう。今何刻だと思ってるんだ。まさか毎朝この時刻にやっているのか?」

「俺は寧ろ、今日まで大兄が長鳴の朝稽古に気付いてなかった事のほうに驚くぜ。長鳴から聞いてはいたけど、ほんとに寝汚いぎたないんだな?」

「――長鳴」

「すみませんすみません御免なさい! でも俺兄上の事寝汚いとは言ってないよ⁉」

 横で大陀羅が堪え切れずに噴き出す。熊掌は髪をかき上げながら溜息を吐いた。

「それから梶火お前、ついでに聞こうと思っていたから言うが、「西の端」の者に狼藉を働くのは止めたろうね」

「なんだよ、大兄もあいつら庇うのかよ」

「という事はまだあちらに迷惑をかけているんだな? 僕はお前に止めろと言ったんだが?」

「あいつら自分の責務から逃げてる不心得ふこころえもんじゃねぇか」

「お前はまたそういう聞き分けのない事を――個別に事情があるという事が分からんのか?」

「事情があるなら改善案を出して実行すべきだぜ、大兄。事情が個別にあるのはみんな同じだ。そこをおしてお参りしてる奴等が大半なんだ。責務の比重に不平等があれば、そこから人心はほころびる。やらなくていい奴がいるなら俺もやりたくねぇって考えるのが人情だ。でも不満は口にしにくいからやらない奴に蔑視と憎しみを向けるんだろ? その発想が歪めば、許容してる村長や大兄に矛が向くぜ。俺はただ、さぼってねぇでお参りやれって喝入れに行ってやってるだけだ」

 嘆息する熊掌の前で、梶火は手にしていた二本の棒を構える。

「そんな事より大兄、久しぶりに手合わせしてくれよ。俺、大分腕を上げたんだぜ」

 梶火が二刀流に切り替えたのは昨年の話だ。一刀ではどうあっても熊掌に敵わないと思い至った故らしい。

 加えて、師の大陀羅が二刀流の使い手である。なるほど、それで習得を急ぐべくこんな早朝から汗を流しているのだろう。

 本来なら熊掌は大陀羅以外の者と手を合わせてはならない事になっている。あれは確か、梶火がまだ十一、熊掌は十二の時だったか。村長の嫡子だからと調子に乗るな、俺の方が強くて偉いのだと証明してやると挑みかかってきたので、振り上げてきた木刀を咄嗟に掴んでしまった。どうやら彼が全力で打ち下ろしたものを、熊掌はいとも容易く素手で受け止めてしまったらしい。梶火は愕然とした顔をしていた。実際、熊掌には何の痛手にもならなかった。

 危ない事をさせて怪我をさせてはいけないし、ここで手合わせてしまっても拙い、と咄嗟の判断で木刀を上に掲げてしまった。結果、そこに手をしっかり握って放さなかった梶火がついてきた。彼ごと片手で持ち上げてしまったのである。しかも木刀を掴んでいた向きの都合で、梶火の身体はぐるりと反転し、熊掌に背を向けて宙づりになるという状態になってしまった。あまりに間の抜けた光景の中、二人は呆然として暫時をすごした。ややあって、熊掌はゆっくりと木刀を下げて梶火を地面に下ろし「すまない」と小声で謝った。振り返り、唖然とした梶火と、しまったという顔の熊掌が、互いにしばし見つめあった。

「すまない」

 改めてあやまった熊掌に、梶火はぱちくりと瞬きして、「うん」と小さく頷いた。

 以来、梶火は完全に立場を鞍替えし、熊掌の舎弟を気取り、大兄大兄と付いて回るようになった。困った気性ではあるが、根は素直なのだ。

 眼を輝かせながら、梶火は二刀をがちんと打ち鳴らす。

「俺、絶対に大兄の一番の右腕になるんだ。弱っちい奴等も甘えた奴等も媚び売るしかない女共もどうでもいい。一番大兄の役に立てる男になれたらそれでいい!」

 一途に慕ってくれる弟同然の梶火が、かわいくない訳ではなかったが、彼の物の考えは危うく思えて、熊掌は憂慮していた。

「お前の強さは、僕のためではなく村のために使っておくれよ」

「なんでだ。俺が大兄の右腕になって大兄がより強くなれば、それは村も強くなって守られるって事じゃねぇのか?」

 熊掌は困ったように顔を顰めて、梶火の頭をぽんぽんと撫でた。

「もう少し、大人になったら分かるよ。お前も」



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