7 寝棲、白玉の器とお参りのからくりについて語る


 八咫は食国の顔を見た。その顔色は白く青褪めている。視線を寝棲に移し睨んだ。

「あんた昨日、食国がそうだって言ってたよな? それ、一体何なんだ」

 岩を突いていた寝棲の指先が、つい、と食国の顔に向けられた。じっと、強い視線が食国の眼を射る。


「白い髪、白い眼、白い肌、その寿命は果て無く長く、千とも万とも言われる。――不死の民だ」


 食国の表情は硬く、更に青褪めていく。それを受けて寝棲は苦々しげに口を結んだ。

「まあそれは俺達に比べれば、という話だ。不死に比するほどの甚大な長命種というだけで、時間はかかるが成長するし老化もする。ただし、異常に治癒力が高く、また病にたおれる事もない。つまり月人つきびとの連中は、俺達のように死屍散華の理の枠内には当てはまらないんだ。だから、奴等が死屍散華の力をその身に受けると、不適合を引き起こして肉体が破壊される。その力を武器や呪具の核として利用すれば、月人の命は容易たやすく奪えるんだ」

 食国は苦し気に喉を鳴らしながら、身体を前に倒した。その痛々しい背に、八咫は手を添える。その自身の手もまた酷く震えていた。

 寝棲もすでに呼吸が苦しいのを耐えて言葉を続ける。食国は、身体を歪めながらも、口の動きを読み漏らさないように、その眼だけはかっと見開いて寝棲の顔に向け続けている。

 寝棲は大きく一つ頷き、深く息を吸った。

「かつて、長きに渡りこの国を治めた朝があった。これに対し簒奪さんだつを行った者がある。この簒奪者が死屍しし散華さんげの力を手にしていた。先帝は、簒奪者自らが振るった死屍散華によって雲散霧消し、易姓革命えきせいかくめいは成った。先帝の遺臣達は、死屍散華を手にした簒奪者達の郎党に追われて敗残のくよりなかった。――以来五百年、その簒奪者による治世が続いている」

 その言葉に、食国は、ぽかんと口を開けた。

「――は」

「何? 五百年?」

 寝棲の人差し指が、天を突いた。

「この国を治めているのは月の民だ。心して聞け。ここは俺達の国ではない。奴等がおさめ支配する国だ。五邑ごゆう全体で邑人の数はおよそ二千から三千だが、奴らの総数は五千万を下らない」

 苦々しい笑いが、寝棲の頬を歪める。

「俺達五邑の人間はな、朝廷に武力のいきとして飼われている家畜なんだよ」

「飼われてるって、それ」

「邑人が白玉に参拝し、三つの供え物に力を移す。また、白玉を布でぬぐう事で、より強力な力がそこに移し取られる。それが奴等の欲しているものだ」

 がさがさとどこか高い場所で枝が鳴り、鳥が鳴いて羽ばたいていく。日は更に暑く照り付け、八咫の喉は酷く乾いていった。

「死屍散華は奴等にとっては同胞をほふる事ができる唯一の武力だ。革命から五百年を経たが、逃亡した先朝の遺臣達の行方は未だ掴めず、本当の意味での革命終息は為されていない。遺臣を掃討するためには、死屍散華を維持せざるを得ない。これしか敵を死に至らしめる武力がないからだ。その為に奴らは邑を作り、俺達をその中に囲い込んだ。邑人の命と体を白玉にまかない続けなければ、白玉は維持し続ける事ができないからだ。――つまりおすくに

 寝棲の目に、苦し気なものが浮かぶ。

「お前に死屍散華は覿面てきめんに効く。死屍散華を含ませた布で肌を撫でるだけで、お前は生死の境に立たされる事になるだろう」

 再び指を折り、寝棲は数え上げる。

「勿論、供物の水、塩、米、いずれもお前にとっては猛毒となる。いいか。俺達とお前とでは、同じ人であれど、生物としての種は全く違うと考えろ」

 「じゃあ」と、八咫は震え声を漏らす。

「――じゃあ、もし、もしも、食国がお参りをしてたら……」

「一発で蒸散していたろうな」

 寝棲は、そうはっきりと断言した。

 食国の手が岩の上に置かれている。強く握りしめられ、小刻みに震えている。八咫は、その上に自身の手を伸ばして強く握った。はっとした顔で食国はこちらを見るが、その頬も唇も痛ましい程に青褪めている。八咫はそこで初めてある事に思い至り、全身に鳥肌が立った。おずおずと寝棲に視線を向ける。

「なぁ――もし、もしも俺が普通にお参りが出来ていて、白玉の力が少しでも俺にまとわりついて残っていて、その状態で食国に触れていたら、どうなってた?」

「――それこそ残量次第だな。普通にしていればどうという事はないはずだが、白玉に参拝した直後だったなら、或いは無事では済まない事もある」

 八咫の眉間が苦痛に歪み蒼白に染まる。

「……布に、布に移った力は」

「当然有効だが、何故だ」

「お、俺は、父さんと村長の取り決めで、お参りができない代わりに布の洗濯をやらされている。お参りはしていなくても、かなりの数の布には、触れているんだ……。それ、万一その、せいで、食国の身体を害していたら……」

 「ああ」と寝棲の頬が軽くゆるんだ。

「そういう事なら、まあ大丈夫だろう」

「本当か⁉」

「ああ。依り代、つまり布からあふれた死屍散華は水に溶け出すんだ」

「水に」

 こくりと首肯しながら、寝棲は川の水を指さした。

「布を水にさらせば、表に揺蕩たゆたっていた力は流され、吸収された力は布の内側で固まる。水で洗い終えたものならば月人も道具として手を触れる事が可能になる。――大体、見た所、現時点でこいつの命に別状はなさそうだろうが?」

「ああ、そうだ、そうだよな……食国、お前、どこかおかしいところや痛むところはないか?」

 食国は青褪めながらうつむいて、小さくこくりと頷いた。

「――うん、どこも、いたくはない、よ」

「よかった――ほんとうに、よかった……」

 ほう、とわずかながらもたらされた安堵で胸を撫で下ろし、まなじりに滲んだ涙を誤魔化しながら食国を抱き締めた。

 八咫は心底恐怖した。知らぬ間に知らぬ事で、己が原因で食国を殺すかも知れなかったのだから。

 知らぬという事は、それだけでそれ程に恐ろしい。

 食国は青褪めたままだったが、小さく微笑んで八咫の背中をとんとんと叩いた。

「あー、続きを話してもいいか?」

 咳払いをしながら問う寝棲に、二人ははっとして顔を向けた。八咫が「頼む」とうなずくと、寝棲は難しい顔で髪を掻き揚げた。

「そうやって、参拝時に当人の髪を刺した布で白玉をぬぐう事で、布に死屍散華の力が移るわけだが、まれに死屍散華が全く吸い込まれない髪がある。これは、布に力が吸い込まれる前に、参拝者本人が死屍散華のうつわとして力を吸収してしまう事からおきる。切り捨てた髪よりも、本体の方が死屍散華との融和度が高いという事だ」

 少年二人は無言で頷いた。

「死屍散華は強大な神の力だ。それを肉体に完璧に吸収し引き継げる程の、莫大な力のうつわ足りうる人間はそう多く出ない。五邑全体の中から、三百年に一人出ればいいほうだ」

「三百年……」

「そこまでには至らなくとも、ある程度の物であれば三十年に一人は出る――これらの人間を、白玉はくぎょくうつわ、と呼ぶ」

「はくぎょくの、うつわ」

 寝棲は、懐かしい顔を幾つも思い出していた。

 この力を巡り、失われたあまりに多くの者達。その記憶と手触りが、今なお寝棲の憎悪を駆り立てて止まない。そして、この犠牲の最たる象徴の瀬戸際にある女性の顔を思い出し、全身が怒りに震えた。

 己自身の為ではない、奴等の都合の為に支配され、犠牲にされる命だ。それに対して怒りの生まれないはずがあろうか。


「いいか。つまり白玉というのは、死屍散華という力を宿した人体を器とし、それを分割したものをいうんだ。力が強すぎて分祀ぶんししない事には、人が手にするにあたわなかったんだ」


「ぶ――分割って」

 再び、寝棲は指先を水に浸し、すらすらと文字は書きつけられた。川のせせらぎの冷たさが、心をわずかばかり冷静にしていく。


 はち方丈ほうじょう、『真名まな

 玉枝ぎょくし蓬莱ほうらい、『かんばせ

 かわごろも員嶠いんきょう、『御髪みぐし

 龍玉りゅうぎょくえいしゅう、『玉体ぎょくたい

 かいたい輿、『子宮しきゅう


「名前、顔、髪、身体、そして子宮。それぞれに異なる特色の力が附帯ふたいされているが、基本的に主たる力が殺傷である事は変わらない」

 数え折られる五指を見るにつけ、少年達は吐き気が込み上げる。その意味するところがもう理解できていたからだ。つまり、その部位ごとに人体を切り分けるという事だ。

「死屍散華をその一身に同体化した選ばれし器を、定められたこの五つに切り分けて、各邑で祀る。それが、俺達が参拝してきたものの正体だ」

「そんな馬鹿な事が――そんなのひと」

 ひとごろしじゃないか、と、言いあぐねて八咫は口を閉じた。

「さっき、しなない、っていったじゃないか」

 食国が噛みつくような眼で寝棲を睨みながら小声でいう。確かに、最初に寝棲はそう言った。

「なあ八咫、お前はさっき、死とは息を止めて心の臓が止まって、肉が崩れる事だと言った。だから俺は、その理解なら、白玉との同化は死ではない事になる、と言ったんだ」

 寝棲は額の汗を拭った。発熱がぶり返していた。

「白玉の器は神と同化しているからその肉体は切り刻んでも崩れない。呼吸もしているし心の臓も止まらない。ただし、一旦死屍散華を引き継がせた後には、器の主の魂や心、いわゆる「識」はそこに反映されないという。名を呼んでも、それを己の名とは認識しない。だから、そこに「識」が留まっているのか、それとも消え去ったものかは誰にも判別がつかない。そして、器そのものは人の肉だから、寿命がくれば死ぬ。死ねば死屍散華を留める器がなくなる。だからその前に、死屍散華を留められる新たな器を用意し、これへ引き継ぎをしなくてはならない。――これが継承だ」

 我知らず、食国の手を掴んだ手に更に力がもる。震えが止まらない。

「……その継承の為に、条件が満たされたやつが必要で、その選別の為だけに俺達はお参りをさせられてきた、って事? 五百年間も?」

「そうだ」

「どうやって選ぶのかが俺達に知られないように、一人だけでのお参りを全員に守らせて、向こうだけが器になれる奴を知ってて選んでて、そいつが一人でお参りしている時に捕まえて連れて行って、バラバラに切り刻んで、俺達はそれを白い玉様って言ってお参りしてたって事?」

「その通りだが――そこには邑の為政者も関わる」

「為政者って」

むらおさだ」

 つい、と、首筋に冷たいものが過った。

 予感というにはあまりに確信に迫った何かに、八咫の直観が触れた感触だった。

 今月のお参りを全て一人でやったのは? それを指示したのは?

「な、なあ、――さっき、布を見たら条件が満たされているかは誰にでも分かる、って言ってたよな?」

「ああ。布にまったく力が残らず、参拝者本人の肉体のほうに吸収されていると分かれば、そいつが次の器の候補になる」

「布の……どこを見て、判断するんだ」

「――色だ」

「い、」

 八咫の肩の裏側に、ぞっとしたものが這い上がった。蛇に撫で上げられたような、耐え難い悪寒だった。

「色って、まさか」

「布には扱う者、自らの髪で刺繍が施されるだろう。その刺された髪の色で判断されるんだ」

 寝棲は、言いながら己の前髪を掻き揚げると、指先にまとわりついてきた一本の抜けた髪をつまんで見せた。

「白玉の力を吸収すると、刺繍された髪の色は白くなる」

 指先に挟まれていた髪が、風にからめとられて、するりと滑り落ちていった。

「大抵のやつは一月の内に全て白くなる。髪が白くなった布は白玉の力を蓄えているんだ。分かるか? 俺達の髪は白玉の力を吸い上げると通常は白色化するんだ。これはつまり髪の老化だ。俺達は肉体よりも髪の方が死屍散華の影響を受けやすい。――だが、白玉の器はそうはならない。ならないくらいに、死屍散華との親和性が高い肉体を持って生まれついてくるんだ」

 八咫はようやく追いついた理解に、しんから震えが来るのを感じた。脳がした理解を心が拒絶している。しかし、知覚し推測した事実は消えない。言葉は口の端から零れ落ちた。

「――俺、見た。布の洗濯をしてる時に、見た。何人か黒いままだったり、少ししか白くなってない奴が、いた」

 半分程の『色変わり』が二人。一筋二筋しか色が白くなっていない者が二人、そして、全く『色変わり』をしていない者が、一名。

「そうだ。そいつらが器の候補になる。だが」

「だが?」

「そのうち、割合で言うならば、半数は脱落する」

「え? な、なんで」



「死屍散華を継承できる白玉のうつわは女に限られるからだ。昔からそう決まっている」



 どっ、と心の臓が激しく脈拍した。

「うそ――だ」

「どうした八咫」

 八咫の手が震えだす。

 半分程の『色変わり』が二人。これは、長鳴ながなき梶火かじほだ。

 一筋二筋しか色が白くなっていない者が二人。熊掌ゆうひと、父だ。

 そして、全く『色変わり』をしていない者が一名。それは、

 寝棲がすっと息を吸い、鋭い視線を八咫に向けた。

「――お前、氏名は何という」

天照之あまてらすの八咫やあた

 寝棲は、一瞬間を置くと、はぁと一息零して頭を横に振った。

「邑の長達には黄師こうしから通達が下りている。俺も聞かされた。――次の白玉の器候補として名が挙げられている筆頭――『色変わり』が皆無の、よわいとおを数える娘、天照之あまてらすの八重桜やえおう――八咫、これはお前の妹の名だな」

 八咫の全身が総毛立った。次いで間を置かず腹の底から憤怒が沸き上がった。全身から汗が噴き出す。

「駄目だだめだ嘘だ‼ そんな馬鹿な話があるか‼ 許せるわけないだろうが! 八重を切り刻まれてたまるかよ‼」

「だったら俺についてこい!」

 寝棲は八咫の胸倉を掴んだ。

「この血塗られた継承を断絶するんだよ! 奴等の都合で犠牲にされた同胞の報復を為し、俺達自らの手でむら死屍しし散華さんげの力を取り戻すんだ。我らが悲願ひがん誓願せいがんに、お前達もくみするか。今ここで、選べ!」


「する」


 横から即答した食国に、八咫はぎょっとした。

「お、食国」

「――なに」

「お前――本気か?」

 食国は頷く。

「だれかがやらないと、やえがころされるってことでしょ。そうでなくても、ほかのだれかが、かならずぎせいになる」

「お前……それは、この村から出る、って事だぞ?」

「ここにいても、ぼくたちにやれることある? ないでしょ?」

「お、お袋さんは、どうするんだ? 一人になっちまうだろ……」

「もんだいないよ。あのひとは、じぶんのことはじぶんでやれる」

 きっぱりと、食国は断言した。

 八咫は額に手をやって黙り込んでしまった。

 この村に暮らして十二年。いや、まもなく十三年になる。居心地が悪かろうが、扱き下ろされようが、不当に存在を軽視されていようが、ここは家族と共に暮らしてきた地だ。生まれ育った場所だ。食国のように、そう易々と出奔しゅっぽんするとは即断できなかった。

 頭を抱え込んで黙り込む八咫の背を、食国が撫でる。その温かさに、ほとほとと涙が落ちた。

 八重の顔が浮かぶ。


 ――兄々にいにいはお荷物だ。


 ああ、こんな事なら、あの軽口も殴らずに許してやれば良かった。


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