6 寝棲、白玉の正体と五邑について語る


          *


「なあおい。商人だと思ってた奴らが実は商人じゃないらしくて、お前の事追ってきてるぞ」

「……寝起きで聞きたい話じゃねぇぞ。報せてくれた事には感謝するが」

 日は既に高く空気は暑く重い。怪我による発熱も手伝い朦朧もうろうとしていた最中さなか、揺り起こされたと思ったら今度こそ八咫やあたで、しかも持ち込まれた話がこうだったので、寝棲ねすみは完全に脱力した。

 眉間を険しくしたまま、ゆっくりと寝返りを打ちつつ、ちらとだけ視線を向けた。

 八咫の横には食国おすくにも共にいた。二人は八咫に隠れて一瞬の内に目配せで意志を確認し合う。昨夜の事は内密にする事になっているので、今のような状況になっても素知らぬ顔をすると決めていた。

 そうとは知らぬ八咫が、寝棲の首筋に手を当てる。

「ほら見ろ、やっぱ熱出してたな。親父の棚から薬くすねてきたから飲め」

 寝棲の肩に腕を回して身体を助け起こし、懐に入れていた薬包を開き飲ませる。次いで水を口に含ませた。そこで寝棲もようやく人心地着いたようだった。

「――助かる。お前の親父は医者か?」

「あー……どうだろうな。薬師は薬師だが、医者程の事かどうかまでは知らん。多分真似事程度の事ならしてるんじゃねぇかな。産とか何かがあれば村長の邸に呼ばれてくから」

「――そうか」

「とりあえず、まずい事になった」

「と言うと?」

「おっさんと接触した奴は、まとめて殺せって事になりやがった」

 なかなか物騒な事を少年が言い出した。

「ほう? そりゃなんでまた……」

 寝棲が片眉を上げて見せると、赤銅色の首筋をばりばりと掻きながら八咫は下唇を噛んだ。

「商人が村長にそうしろって指示出したんだよ。なんか知らんが、村の外の事は村人には極力知られねぇように村長のほうで操作してたみてぇなんだ。なのにおっさんが村に近寄って来た。あんたと村人が関わって色々知ったらややこしい事になりかねねぇから殺して始末つけろだとよ。――イカれてるぜ全く……」

 八咫の話を理解し、寝棲は苦笑した。

「全く、連中らしい極端さだな」

「だから俺と食国、今立場的に相当にヤバいんだよ。だってのに、俺達自分達の事も村の事も何も分かってねぇじゃねぇか。下手したらなんで殺されなきゃならないのか分からないまま死んじまう事になるだろ? そんなんは御免だよ」

「当事者になっちまったか」

「ほんと、あんたのお陰でえらい事になっちまったよ。でも、んな事言ってても仕方ねぇから、おっさんが知ってる事全部教えてくれ。頼む」

 軽口を叩いているが、八咫の表情が真剣である事は見て取れた。

 少年の両拳は、固く握りしめられていた。それを両膝の上において、寝棲の前で頭を垂れた。

「詳しい事を教えてください。お願いします」

 その隣で、食国もまた同様に頭を垂れる。並ぶ二人の少年の姿に、寝棲の胸は痛んだ。ここへ来る前の、自分達の姿が重なったのだ。

 自分の隣に共に座し、彼がこの無謀な隠密作戦を提案し同行してくれた。あれは――明らかに自分の為だった。自分の思いを汲んだ上で、運命を共にすると覚悟し、渦中に飛び込んでくれたのだ。

 

 そして、永久に失われた。

 

 全く――たった一晩を経ただけで、ここまで状況が好転するものかと寝棲は不思議に思った。不条理とも思った。この好転が――もう数日前に自分達の身に訪れていたらと、そう考えても詮方ない事を考えてしまう。見捨ててきた友の亡骸なきがらを思い、その悔恨を溜息と共に吐き出した。

 進めよう。彼に報いるためにも、今は進む時だ。

「よしわかった。腹をくくれよ、お前等。約束通り、お前等の天地をひっくり返してやる」

 言うと、寝棲は改めて少年達に向かいなおした。体はひどきしんだが、それどころではなかった。じっと、彼等の目を見据えた。

「お前達、これまで考えた事はないか? なぜ白玉はくぎょくの参拝には一人で行かねばならないのか、と」

 初手の問いに、二人顔を見合わせて小首を傾げる。

「いや――つっても、俺達お参り行った事がねぇから、そこまで真剣に決まりがどうとか考えた事ないんだよな。俺なんかまともに手順覚えてもねぇし」

 横でこくりと食国も頷く。事情に接する事が薄く、当事者でもなければこんなものだろう。寝棲は首肯した。

「いいか。帰れなかった奴らはな、別に手順をしくじった訳じゃないんだ」

「どういう事だ?」

「実際に参拝作法を間違えたかどうかなんて証明のしようがないんだよ。考えても見ろ。この五百年間、お前達は一人での参拝を厳守させられてきているだろうが?」


 そう。この五百年間、その真偽を目視できた者は存在しないのだ。


 姿を消したのは手順を間違えたからで、間違えたから命と体を白い玉様にられた。そういうものなのだと村では説明されてきた。だから自分達はそう理解してきたし、疑わずに今日まできた。

 しかし、それを確かめる術はない。

 八咫は眉を曇らせながらあごを撫でさすった。

「つまり、本当のところがどうなのかを誰にも見せないために、一人でお参りさせてるってことか?」

「そうだ。最初から一人でしかほこらへ行ってはならんという決まりがあり、なおかつ人が姿を消す理由がはっきりと言明されていれば、いざ変事があっても誰も疑問に思わず吞み込むからな」

 確かに、言われてみればその通りだ。八咫は更に眉をしかめる。

「それから、下がりの品を小屋に収めるまで誰とも接触してはならないというのにも当然意図がある。これは布の目撃を相互にさせないためだ」

「お参りの布を……?」

 八咫の心に、その形、手触り、においがありありと浮かび上がる。村人達自らの髪で刺繍をほどこした、白と黒の不可思議な模様の布。飽きる程に洗い、干し、そして片付けてきた、何百枚という数の布。

 寝棲の視線が、じっと八咫やあたに注がれる。

「消えた者達は手順を間違えたんじゃない。条件を満たしたから連れていかれたんだ。そして、布を見る事で何をもってして条件が満たされるのかが誰にでも簡単に見分けられてしまうから、村人から互いの布を見る機会を奪い、そして隠した」

 八咫の顔から血の気が引く。

「――まさか、勾引かどわかしなのか?」

 寝棲はゆっくりと首肯した。

「当たりだ」

「だれをつれてゆくかは、ぬのしだいできまるってこと?」

 更に首肯しながら「そうだ」と寝棲は肯定した。

「つまり――条件を満たしても、どこかに連れて行かれるだけなんだな? それは、命と体をられてるわけじゃなかったのか? そいつらは、どこかで生きてるのか?」

 かすかに顎を引くと、寝棲は真顔でじっと二人を交互に見据えた。

「――半々だな」

「はんはん?」

 食国が小首を傾げる。八咫は少し身を乗り出す。

「どういうことだよ。半分はやっぱり殺されてるって意味か?」

 切羽詰まった表情の少年達に、寝棲は不思議な感覚を覚えた。

 これは、まるで過去の再現だ。

 かつて、自分も彼等と同じように大人達に問うた記憶がある。これは一体何なのだ、どういう事なのだ、と。そしてそれに対して与えられた答えとそれを知った衝撃は、今も耳と心の奥底にこびり付いている。秘匿され続けた真実は、強く求めた者にのみ開陳される。そして今、己はあの時の事をなぞるようにして彼等に語り聞かせている。真実とは、こうして、繰り返しひっそりと引き継がれてゆくものなのかも知れない。


「お前達、死とはなんだと考える」


 ぼそりと投げかけられた質問に、八咫は一瞬面食らった。

「え、死? 死ぬってそりゃ、息を止めて心の臓が止まって、肉がぐずぐずに崩れて泥と骨になる事……じゃねぇのか」

 寝棲はかすかに微笑みながらうなずいた。かつての自分も似たような答え方をしていた。

「お前のその理解なら、条件を満たした者は全て死なない事になる」

「なんか、それじゃ意味わかんねぇよ……」

 寝棲は、しばし黙考した後、「そもそも」と小さく呟いた。

「恐らくお前達二人は、大きく心得こころえちがいをしているはずだ」

 少年二人のおもてに、わずかばかりむかりとした色が浮かぶ。

「こころえちがいって、なに?」

「そうだよ。違ってんなら言ってくれよ」

「お前等、白玉とは、なんだと思ってる?」

 え、と八咫は面食らい、食国と顔を見合わせた。

「え、と……白い玉様ってくらいなんだから、村の五穀豊穣と、漁の安全を守ってくださると言い伝えられている、白い、なんか綺麗で貴重な玉、じゃないのか?」

 その答えに、寝棲は「ふふ」と笑った。熱の残る彼の目元は、熱く潤んでいた。呼吸はややもすれば浅くなりがちだ。

 少年二人の眼差しを見ていると、遠い子供時分の己を思い出す。本当に、自分は今の彼等と同じく何も知らなかった。何も知らずに諾々だくだくと従い、諾々と命を差し出させられてきた。その事実を知った時の衝撃と、悲しみと、失望と――それから、怒り。

 今己は、それと同じものを彼等に差し出すのだ。残酷な事と知りながら。


「白玉は――たまじゃない」


「――はぁ?」

 八咫の口から気の抜けた声が漏れた。

「玉じゃ、ないって――なんだよそれ」

「あれはな、玉の形なんかしてないんだよ」

「じゃあ、なんなんだよ」

「あれは――」

 寝棲のまなうらに、おぞましくも美しい欠片かけらが蘇る。

 あれと最後にまみえたのは、もう随分前の事になる。

 美しい、両掌で支えられる大きさの白く半透明なそれは、鎖に繋がれた上で、三方さんぽうに安置されていた。触れると柔く、ほんのりと冷えていて、そっと注意深く手に取ると、ふぅ、とまぶたを開いて、あれは――ゆっくりとほほえんだのだ。

 寝棲は、あの時のように両掌を己が胸の前に掲げた。


「あれは、神の肉を切り刻んだものだ」


「かみの、にく?」

 食国の顔がどんどんと険しくなっていくのを、八咫は見た。

「ごめん寝棲、それじゃあ俺にはよくわからん」

「――ああ、ちゃんと説明をする」

 寝棲は、目の前に蘇った禍々まがまがしくも美しい光景を振り払うように首を横に振った。

 それは、長い長い、あまりに長い物語だった。

 寝棲は左掌の指を開いて見せた。

「白玉の祀りは、五百年の前にその起源があるとされている。始め、それは五つのむらに分けて祀られていたそうだ」

 そう言って、寝棲は自身の五指を示す。

「邑の名は、かいたい輿かわごろも員嶠いんきょうはち方丈ほうじょう玉枝ぎょくし蓬莱ほうらい――そしてここ、龍玉りゅうぎょくえいしゅう。総じてこれを五邑ごゆうと称する」

 指を折りながら、寝棲は五つの邑名を上げた。

「白玉はこの五つの邑に分祀ぶんしされていた。が、四百年前に一つ、二十年前に一つ、合計二邑にゆうが消されている」

「消されているって……」

「四百年前にたい輿。二十年前に、俺の出身邑である員嶠いんきょうは潰されているんだ」

 食国は、ぐっと拳を握る。

「つぶされたって、だれに」

「朝廷だ」

 朝、つまり為政者によって二つの邑が潰されたという事か。食国がうつむいている横で、八咫がついと手を上げる。

「なあ、話の腰を折ってすまねぇが、なんでかいとかかわごろもとかがつくんだ?」

「枕のようなものだな。何故そういうのかは知られていない」

 あ、と八咫がぽかんと口を開ける。

「寝棲」

「なんだ」

「カイノタイヨハツイエテヒサシイ。カワゴロモノインキョウマデモガ、ってのと」

 八咫は生来人の話が耳に残り難く、また頭にも残り難い質だが。

「シイギャクヲハカルナド。ヨモヤセンチョウノイシンガマダ……ってやつ、意味、わかるか?」

 毎日毎日繰り返し聞かされてきた事は、いくらなんでも忘れない。婆に憶えたかと問われた。是と答えた。あれは嘘ではなかったのだ。

 寝棲の形相が険しくなる。

「お前、それはなんだ。どこで聞いた」

「隣の畑の婆が毎日繰り返すんだよ。――あ、そうだ。これ商人と、何時の時のかは知らんが村長が話してた事らしいぞ。大昔に婆が盗み聞きしたんだって」

 寝棲はしばらくの間八咫の顔をじっと見据えてから、次いで食国の顔を見て、「恐らく、それはこうだ」と、川に指をひたして、岩の上に指先を走らせた。


 貝のたい輿は潰えて久しい。

 かわごろも員嶠いんきょうまでもが。

 弑逆を諮るなど。

 よもや先朝の遺臣がまだ。


「これ、どういう意味だ?」

 寝棲は頭を低くして、密事ひそかごとを話す体勢をとった。二人もそれにならう。

「これはな、岱輿が潰されてから長い月日が過ぎた。だというのに今更になって員嶠までもがこうの殺害をたくらむなど。まさか先の王朝の家臣たちがまだ――という意味だ」

「つまり、今寝棲が言ってた事か?」

「そうだ」

 そこで一呼吸くと、寝棲は一気にそれを口にした。


「いいか。白玉は、五穀豊穣と漁の安全なんか守らない。あれはな、むらを護ったりなんかしやしないんだよ」


「は」

 沈黙が、垂れた。

 その場に訪れた空隙は、音が止まるほどに短く、せせらぎが引き延ばされる程に長かった。少年二人は、全身に粟が立つのを止められない。

「――そんな、ばかな」

 食国の我知らず漏れた言葉に、寝棲は「そう言いたくもなるよな」とわらった。それが二人には信じられなかった。嗤ったのだ。少年二人にとっては、足元が瓦解する音を聞いた気さえするような重大事だと言うのに。

 頬を引き攣らせながら、八咫は顔を上げた。

「え、違うのか?」

「違う」

「嘘、なのか?」

「そうだ」

「じゃあ、じゃあ俺達の……って、いや、俺はしてないけど、村の連中が今まで信じてお参りしてきたものって、一体何だったんだ?」

「ありもしないもの、って事だ」

「そんなの――」

 両手で口元を抑える食国に、八咫は腕を伸ばしてその肩を抱きよせた。完全に顔が青褪めている。夏だというのに、肌がすっかり冷えていた。

ひでぇじゃねぇか、あんまりにも……」

「あんまりにも、なんだ」

 ひそめられた眉の下で、八咫の目が微かにうるむ。

「……あんまり馬鹿にし過ぎじゃねぇか? そんな、ありもしない法螺ほらの為のお参りがうまくやれねぇからって、俺等はずっと、馬鹿にされて見下されてきたって事かよ……」

 寝棲は皮肉気に口元を笑ませた。自分もかつてそう思ったのだから。懐かしさに反吐へどが出そうだと、内心毒吐く。

「そうだ。これはそういう不条理の上に成り立っている残虐なんだよ」

「――ざん、ぎゃく?」

「いいか。白玉の力は何も守りやしない。あれはそういったたぐいのものじゃないんだ。――あれはな、命と肉体そのものに干渉し、その働きを極限まで速め、そして破壊する力なんだ」

 寝棲は掌をぐっと握りしめた。掌の内にもしっとりと汗が滲む。折れた脚がじくじくと脈打って痛んだ。

「生命には始まりと終わりがある。成長は老化であり、死は再生と一対をす。死にゆくものがあればこそ誕生するものがある。移ろい変化しほろび育まれるがゆえに、生命の命脈は朽ちない。そういった表裏一体となった在り様の根源的な宿命。生と死の力の核たる集積。それが白玉の力の正体だ。

 ――名を、死屍しし散華さんげという」


「……ししさんげ」


 半ば呆然とした眼差しで、食国の唇がその言葉を紡ぐ。

 寝棲が記した水文字は、記されるそばから岩に吸われて消えていく。その文字の禍々まがまがしさに、おすくに眩暈めまいを覚えたのだ。

「――どういう意味だ?」

 八咫の問いに、食国は口籠くちごもりながら答える。

「しかばねがちる、といういみ、だとおもう。ばらばらに、にくもほねも、ふはいして、くだける、ような――」

 寝棲は首肯する。

「そうだ。死屍散華は、生と死の循環のことわりそのものだ。老化速度を極度に速めるものだと言い換えてもいい。そもそも、生命とはそうして受け継がれていくものだからな。――だが、それは俺達にしか適応されていないんだ」

 八咫は焦って諸手もろてを挙げた。あまりの話に理解が追いつかない。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、意味が分からない。早く老化させるって、それって、お参りすればするほど、村の奴らの命を削ってくって事じゃないのか⁉」

「ないとは言わないが、今言っただろう。死屍散華のことわりは俺達にしか適応されていないと。つまり俺達の肉体とは適応する力なんだ。そもそも俺達生命体は微弱な死屍散華で出来ている。循環が早まるといっても瞬時に命をられるわけじゃない。白玉の死屍散華に毎日直接触れても、精々五年程寿命が縮まるだけだ。子をし、次に生命を譲ってゆくのにさわりはないようにできている」

 寝棲の目の前を、一頭の蝶がよぎる。ひらひらと舞うそれは、次いで八咫と食国の傍らをたぶらかすように舞い、離れていった。

「――死屍散華によって存在を損なわれるのは、俺達じゃない。俺達五邑ごゆうの人間はそもそも短命で、百年を超えて生きる個体は、まあ滅多に存在しない。生まれ生き死んでゆく運命さだめにある、極めて脆弱な生物だ」

 とん、と足元の岩を指さす。寝棲の眼が、食国の眼を射る。


「だが、月人つきびとは違う」


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