第10話 二人の軌跡
劉は獣の尻尾のようなものを振っていた。長さ十センチほど、薄い茶褐色で狐のものに似ている。
「九尾の一房です。たったこれだけでも、地質に影響を与えるには十分ですね」
洞窟全体が振動し、岩に赤い亀裂が走る。亀裂から瘴気が吹き出し、つぐみは口を覆った。ここは
そして九尾といえば、怪異の格としては申し分ない。
つぐみの全力を持ってすれば対峙は難しくないのだが、今は時が悪い。頼雅がいないからだ。
(あの時とおんなじじゃ。儂はなにも変わっておらぬ)
つぐみは平安京の内裏に忍び込んだことがある。人の身であった頃、物心もつかない童子だった。雨風をしのごうと迷い込み、警備の者に見つかった。怒号が飛び交う。
足下もおぼつかない闇の中、恐怖に駆られてしっぽを巻いて逃げた。
『おのづから花の下にしやすらへば逢はばやと思ふ人も来にけり』
歌が聞こえたと思うと、首を矢が貫いていた。命の火が消える。
つぐみを殺した男は緋色の羽織を着た偉丈夫だった。酒臭い息を吐いても、天下無双の弓の腕。彼の名を源頼政という。
彼が宮中に出た化け物を退治したという噂は瞬く間に広がった。
それからつぐみは、鵺になった。理由などない。雨が降っていたから、寒かったから、死んだのだ。
「人は闇に理由を求める。儂にはそんなもの必要ない。儂は儂じゃ。鵺で、怪異の、つぐみじゃ!」
力の行使は、湯水のごとく因果を使う。無から有は生み出せない。光に対する影のようなもの。頼雅がいない今、つぐみの容量には限りがある。
「ぐっ……!?」
つぐみが片膝をつくと、劉は眉をひそめた。
「おや、もう限界ですか。どうやら貴方は本物の鵺ではないようだ。私の問いに答えないなら用はない」
劉の失望に呼応するように、瘴気が強まる。
攻勢に身を固くしたつぐみだが、すぐに気を緩める。劉の背後に金色の光を見た。光は瞬く間に伸び代を強め、縦横無尽に岩を貫通し瘴気を打ち消した。
「この矢には、軌跡しかない。終わりも始まりもない。射ぬかれたら最後、終わりのない因果に囚われる」
燐光の軌跡をまといながらやってきたのは、頼雅だった。不意の来訪者にも、劉は落ち着いて振り返る。
「あなた、誰ですか」
頼雅は少し迷った後、不敵な顔でこう言った。
「そいつの飼い主だ。誘拐犯を、ぶちのめしにきた」
劉は手駒を無力化されても、気落ちせずに踏みとどまっていた。むしろ、感極まって天を仰ぐ。
「一つ聞かせてください。あなたのその力、怪異のものですよね。どうやって手に入れたのですか」
まとわりつく光を手で払い、頼雅はうるさそうに答える。
「答える義理はねえな。俺はあんたがどこの誰かなんて興味がない。大人しく投降しろ。そうすれば顔の形が変わる程度で許してやる」
おおよそ交換条件とはいえない脅しに、劉は肩をすくめた。
「ははあ、あなたは頼雅さんですね。聞き及んでますよ。でも今はつぐみさんとイチャイチャの邪魔なので消えてください」
劉は懐から取り出した銃を頼雅に向ける。放たれた銃弾はしなやかな動きでかわされ、逆に劉を壁際に追いつめる。
頼雅はハイキックで拳銃をはじいた。衝撃で劉は倒れ、動かなくなった。岩に頭をぶつけたらしい。
「ちっ、倒しがいのねえ野郎だ。散々振り回してこれかよ。つまらん相手に惚れられたな、つぐみ」
目線の先にいたつぐみもまたへたりこみ、返事をする余裕もないようだ。
腹立ち紛れに骨の一本でも折っておこうと屈んだ際、スマホの着信が鳴った。
言葉少なに通話した後、長いため息。つぐみを起こしに行く。
「起きろ。撤収だ」
劉を連れ地上に出て、遅れてきた警察に引き渡す。手柄を横取りされたと感じた蓮次は腹を立てる。
「釈然としないなー。社長にしちゃ甘いじゃない。てっきり生き埋めにしたかと」
「人殺しみたいに言うな。正直、腹の虫は収まっちゃいねえがな。大人の世界には色々あんだよ」
警察車両に乗せられそうになっていた劉が振り返る。
「つぐみさーん! また遊びましょうね。必ずですよ。それと頼雅さんも、ね」
とってつけた笑顔の劉を尻目に、つぐみは車に乗り込む。頼雅は無視。
翌日に調書を取られることになった彼らは、ひとまず帰途につく。つぐみは簡単な経緯を車の中で説明した。
運転しながら話に耳を傾けていた蓮次は、あれこれ考えを巡らせる。
「あの男は拡大自殺でもねらってたのかね。自暴自棄になって」
つぐみの力が暴走すれば、大規模な被害をもたらした可能性がある。自身の境遇に絶望したとしたら、それもありうるが、頼雅は別の解釈を示す。
「どうだろうな。あの男はおそらくスパイだ」
劉の身分は留学生だが、調べると本国に情報を送っていた節がある。その証拠に大使館からクレームが入った。そのため、頼雅は手を引くしかなかった。一介の学生を守るにしては大仰だし、対応が早すぎる。その上、つぐみが監禁されていた家にはこれでもかとヒントが残されていた。あれがなければ、石切場にたどり着くことはできなかった。
「つぐみを餌に日本の警察の対応を探るのが目的だったとしたら、まんまと一杯食わされたってわけだ」
「仮にそうだったとしてもつぐみちゃんは戻ってきたんだし、ひとまずよかったじゃない」
疲れて眠ってしまったつぐみを、蓮次がやさしく見守る。怪異嫌いの彼だが、探偵社の仲間として気を揉んでいたようだ。
「俺はあんまり心配してなかったけどな。殺しても死なんし。まったく、脳天気な顔で寝やがって」
頼雅は強情な振りをして、やわらかな頬をつつく。薄目を開けたつぐみは、こぎざみに揺れ動く手に触れた。
「んあ……、頼雅、どうしてここに」
「傘を届けに来たんだよ。無駄足にならなくてよかったぜ」
蓮次を途中で下ろし、マンションについた時には日付が変わっていた。
つぐみは崩れるようにソファーに座り、頼雅の入れたショウガ湯とリゾットを貪った。空腹と、冷えた体に染みいる
「頼雅、弓を使ったな?」
苛むような視線から、頼雅はばつがわるそうに顔を背ける。
「悪いかよ。刀を持ってなかったし、助けてやったんだから文句いうな」
「言い訳ばかりで情けない。あれを使うと寿命が縮むからやめよというたのに」
頼雅が傘を受け取ったあの日には続きがある。外はひどい豪雨だった。風も強く、踏ん張っていないと吹き飛ばされそうな程だ。
父親が来てくれたと喜んだ頼雅は、我を忘れ、車道に飛び出した。そこに前方不注意のトラックが現れ、跳ねられた。
事故の過失はともかく、瀕死の彼の前に現れたのがつぐみだった。
つぐみは頼雅の命を救い、代わりに現世に干渉できる肉体を得た。それから二人は一心同体だ。
「頼雅よ。もっと苦しんで儂を楽しませよ。すぐに終わったらつまらんではないか」
理由もなく殺されたのだから、理由もなく生かす。それがつぐみの復讐だ。頼雅からしたら自棄になりたい時もある。
「口の減らねえ野郎だ。一思いにさっさとやれよ」
「それこそ野暮というものよ。ごちそうはゆっくり味わわんとな。ほれ、冷蔵庫にプリンがあったじゃろ。持ってくるのじゃ」
頼雅は召使いのように働きながら、この時間がいつまで続くか考えていた。頼雅が源頼政の生まれ変わりなら、つぐみが現れた辻褄は合う。
今のところつぐみは落ち着いているが、いつ心変わりしてもおかくしない。頼雅は常に気を張っている。同時に、つぐみを憐れに思い、解放する道を探していた。
どちらかが斃れるまで、この軌跡は続いていくのだろう。
アストラルパーティー〜幽幻探偵社活動記録〜 濱野乱 @h2o
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