黒飴

@yanadamiuchi

黒飴


あ、鳥がパンを突いている。

どうやらこれは現実で間違い無さそうだ。

実際に、今日は草の駅に停まったようだ。




駅を出てみると、太陽がこの白い街を煌々と照らしている。辺りは誰一人もいなかった。代わりに、セミが鳴いていた。ただ、横断歩道の縞々たちが、何も言わずにシンとしている。ここで彼らが楽しそうに踊りでもしていたら、暑さで私はブチ切れていただろう。



少し歩くと、交差点右斜め前の歩道橋の目の前で、百姓の姿をしたおばあちゃんが、ブルーシートをひき、毛糸でニットを編んでいた。

なぜこんな猛暑に毛糸なのだろうと気になったが、この暑さと私の気の短さを引き換えに、光が反射し続ける世界でこのボケ老人と話すのは気が引けた。


ただ、ここの歩道橋を通らなければ、予定の飴が買えないではないか!


汚い婆の横を通りすぎないと飴が買えない。

別の道を探そうとしたが、携帯の電源も切れている。遠回りして別の道から行ったとして、猛暑ではぐれる可能性があるし、外で数時間歩くのは危険である。こうやって考えている瞬間にも頭が沸騰しそうだ。早足で老婆を横切ることに決めた。ただ、決めたはいいものの歩道橋前の信号機が中々青にならない。もう考えるな。

待てばいいのです。静かな交差点には動いている物は何一つなかったので、老婆の口のくちゃくちゃする音と、ニット編みの際に出る脇と服が擦れる音を聞かなければならなかった。それがとても小さな音で、小音だからこそ聞かなければならないと体が勘違いした。ジリ、スー、ジリ、くちゃ、くちゃ、ジリ、スー、ジリ、くちゃ。

脇から汗が出る。ジリ、スー、ジリ、ジリ。


くそ!



老婆の目の前を通った。アサリの嫌な匂いがした。毛糸が絡まないように細心の注意を払いながら、残りの体力と短気を使って大股で乗り越えた。後頭部が熱くなる。脇が強張る。


ふと、お前は気が短い!と言ってくる母の声を

思い出した。今なら言い返せる。今なら言い返せるぞ。お前は脇が強張ることもないし、服が擦れることがここまで不快に思わないなんて、いい人生を送っているそうじゃないかと。



おかげで私は水滴の音と、ショベルカーの音が交互に鳴る夢を何度も見る羽目になった。

それが車酔いしている時にたびたび見させられるのである。見てる間は脇が強張り、次は肩が、その次は肘が折れるまで反対側に曲げないと気がすまないのだ。その次に腹筋を強張せようとも、どこもどこで効果はない。それを治す薬はどこにもないのである。



私は不思議だったのです。

なぜ全員が暑さをここまで不快にならないのか。


なぜ強張ってしまうのか原因が知りたいのです。

思えば幼少期の頃はまだ脇のことなど何も気にしてなかったはずです。筋肉が強張ってしまって、誤魔化しにデコを親指で押さえると少しは落ち着くのですが。

ただ、この暑さには頭にもう血が上りすぎていて、そんなことを考えている暇はありません。

暑さは着々と私のリンパを蝕んでいきました。



いつの間にか目的地の銀行についた。

中に入ると、ぬるい風が肌を通した。強張った右肩をほぐそうと、3度強く捻った。

ここはどうやら節電中らしい。

早く仕事を終わらせてしまおう。



私 すみません。飴はありませんか?


銀行員 飴ですか?すみません飴は売っていないですね。お金のお取り扱いしかしていなくて。


私 あ、そうではなくて借りた後にもらう特典があるでしょう?あれに飴がついてくるはずです。


銀行員 

あぁ、あの黒飴のことですか。

たしかにありますが...すみません当店では1000万円以上のお金のやり取りがないと、あの黒飴はついてこないのです。大変な金額ですし、手続きも必要です。


私 それでは私が今から1000万円を借ります。

 その後当日返却すれば飴が手に入れられますよね?


銀行員 なるほどわかりました。ただ、支払利息が0.001パーセントあるので、1万円ほどかかりますがよろしいでしょうか?


私 大丈夫です。


銀行員 それではこちらで手続きを。住所と名前と、電話番号を書いてください。


僕が申請書席に足速に腰掛けた。殴り書きで名前を書いていると、銀行員が「あっ!」

と声を出した。


銀行員 お客様、当店はお金のやり取りが1000万を超えた時ですので、返却も含まれます。

つまり、500万円あれば、借りて返してで、

ちょうど1000万円です!


私 たしかにその通りでした!これは得をしました。銀行員さん、ありがとうございます。


銀行員 それではここに斜線をしてもらって、希望金額を500万円にして...あとは住所と電話番号です。はい、承りました。


銀行員は席を外して10分ほど経ったあと、500万円の札束を持ってきてくれた。


銀行員 それではこれを一度お客様がそのまま受取って、その後返しの手続きを。


私 ありがとうございます。


銀行員 

それでは今度はこの紙にサインをお願いします。


返却用紙にサインを書き、銀行員に500万円と支払利息の5000円を余分に払った。手続きの紙が入ったファイルの中に黒飴が3つ挟まっていた。今日のおつかいは成功である。


銀行を出ると、何か飲み物を飲みたかったが、自販機がひとつもなかった。自販機のない、無機質な四角形の白い白い街である。

石灰とコンクリートでできたこの街。散らかった路地裏も、木陰もない。あるのは照り照りとした太陽だけである。僕は来た道を迷わないようにそのままなぞるように歩いた。

飴を食べても余計に口が乾くだけなので、舐めなかった。脇と服が擦れるのが嫌だったので、肩をこわばらせながら歩いた。


老婆の背中を想像した。


アサリの嫌な匂いがする老婆と、信号機の長い待ち時間と、黙った縞々横断歩道たちが

僕を待っている。黒飴は今でも溶けてしまいそうだった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒飴 @yanadamiuchi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ