赤谷誠 VS 雨男 2 その3

 赤谷誠にとって喜ばしくない状況だった。

 

(白鹿、赤鹿、どちらの人造人間もチェインが連れてきた個体とは比べ物にならないほど高性能。Dレベル30ポメラニアンを”処理”できるつもりでいたけど……なお足りないのだ。いま手元にアノマリースフィアがないのがキツい)


 志波姫心景の消えた空間を見やる。

 

(ダンジョンホールを誘発するスキル、ってとこか。もしそうなら心景さんはいまダンジョンに放り込まれたってことになる。あの人なら、大丈夫だろう。いまは自分の心配をするべきだ。とにかく時間を稼ぐ。そうすれば異変を察知した誰かがきっと駆けつけてくれる)


 褐色肌の男は腕時計をチラッと見やる。


「ふむ、もう30秒も使っている。我々に残された時間はあと30秒といったところだろう。これは君の責任。……手早くいくぞ、雨男」

「あぁ、こんなに痛がっているのに。先生、もうすこし手心を見せてほしいものですな」


(時間を気にしている? 30秒? そうか。こいつらだって敵地の真ん中で暴れられる時間が無尽蔵ではないことはわかっているんだ)


 褐色肌の男と雨男との会話、その間、わずかにできた一息いれる猶予。

 志波姫心景がダンジョンへ消えてから1秒間の猶予。戦闘がとまる束の間。

 赤谷誠はそれさえ理由して、素早く、鋼材プレートを4枚取り出した。

 常日頃から持ち歩いている護身用だ。かさばらず、最低限の役割をこなす。

 

 (『防衛系統・衛星立方体ガーディアンシステム・サテライトキューブ』──オンライン」)


 起動した瞬間、赤鹿が踏み込んだ。

 ぶん回される巨腕。拳が人間の頭部より大きい。


(速い……やっぱり、悠長にやってる暇はないか)


 『狩人の足捌きハンターフットワーク二式』で回避を試みる。

 赤鹿の攻撃速度は異常。回避は不可能。この状況の最善手は致命傷を防ぐことのみ。赤谷誠は腕で頭部を守った。

 頭は守れた。クリンヒットも奇跡的に逃れた。殴られた瞬間に、体軸を起点に回転することで威力を逃がしたのだ。赤鹿の拳骨は赤谷誠の軸をとらえることはなく、カス当たりにとどまる。だが、そのカス当たりのせいで、赤谷誠の腕は、摩擦で皮膚が剥げた。裂け、焼け、血が飛散する。


(こんなのなんでもない)


 痛みに強い赤谷誠。

 表情ひとつ変えず、素早くスキルを発動。

 左腕から『筋力の投射実験』でヒダリを射出、狙う先は崩壊論者たちだ。


 まだダメージから復帰しきっていない様子の雨男、それと褐色肌の男。

 

(そっちもすぐに攻撃してくるんだろ。ケアしておかないと)


 赤谷誠からの射出攻撃にビクッとする褐色肌の男。

 その時、突風が吹いた。

 白鹿が全速力でヒダリを追いかけ、空中で掴んだのだ。主を守るように。

 

(……まじかよ。だったらこうだ)


 ヒダリが展開。触手が増大していき、白鹿の太い腕にからみついた。

 白鹿は振りほどこうとするが、粘着質な化け物は離れようとしない。

 

 『粘液』+『ベタベタ』+『放水』+『くっつく』


 ──『最大の不快感マキシマム・ディスコンフォート


 ヒダリは白鹿を全霊でもって押さえようと触手の腕で、鹿角に触手を伸ばし、顔面を引きよせようとする。


(これでいい。一旦、白鹿はヒダリに任せる。頼んだぞ、耐えてくれ)


 赤谷誠、一瞬だけ状況が有利になる。

 だが、それは意識を逸らしたのと同義だった。


 彼が対峙する赤鹿の人造人間はそれを許さない。


 ヒダリを射出するために伸ばした腕。

 それを巨腕でガシッと掴んだ。

 

 赤谷誠は目を見開く。

 ベギッ。破砕した。


 果てしない握力。

 腕が原型をとどめていないことは痛みが教えてくれた。

 

 腕の欠損。それは人間にとって到底、耐えがたいダメージになる。

 肉体的にも、精神的にも。計り知れない負荷である。


 同時に腕が破壊されるそのイベントは、破壊される側だけでなく、破壊する側の意識にも作用する。つまるところ『やった!』そういう意識だ。


 致命的なダメージを与えてやった。

 もうお前は終わりだ。

 決着だ。


 そういう心の揺らぎ、意識の揺らぎ、それこそが猶予を与える。


 その猶予は、腕の一本では動揺しない精神をもつ者には好都合に働く。

 赤谷誠という死線を越えてきた少年は、そこに活路を見出した。


(腕をやられた……いや、これでいい)


 あまりに冷静な思考。

 腕を失ってなお動揺はない。

 彼はその刹那さえ勝機に繋がる一本の輝く糸を探そうしていた。


「オクトーバー! やめろ! そいつを破壊するな! ツリーがどこにあるかわからないだろう!」


 褐色肌の男が叫んだのも赤谷誠に有利に働いた。

 彼は人造人間の攻撃を咎めたのだ。


「これだから……やはり、雨男、君がやらねばなるまい。もういけるだろう」

 

 赤谷誠の右手が赤鹿の強靭な腹直筋にあてられる。

 それらは本来、鉄球を撃ちだすためのスキルコンボだ。

 だが、実際のところ、鉄球しか撃ちださないわけではない。彼の使うスキルは鉄球ほどのサイズしか飛ばせなかった『筋力で飛ばす』ではなく、複数のスキルを融合させた上位スキル『筋力の投射実験』なのだ。


 『浮遊』により赤鹿を浮いた。このスキル『浮遊』がもたらす体験は、翼をもたぬ生き物にとって未知の領域だ。初見での対応は困難。ハイスペックな人造人間とて、例外ではない。浮いてしまえば、地上の生き物は無力になるものだ。


(これなら流石に踏ん張れないよな?)


 赤谷誠の精神力、褐色肌の男の叱責、それらが生み出した猶予。

 彼は準備をすることができた。『筋力増強』×3による人体変態の準備を。

 ほかのパワー系スキル『膂力強化Ⅱ』『超人』とあわせた今、本来なら膨れ上がり、自壊する3重の重ね掛けは、『高密度化』により強引に抑制されている。


 赤谷誠は体型をほとんど変化させずに、筋肉の密度を数十倍に変化させた。

 身体から蒸気が溢れだし、口から火傷するような吐息がもれる。

 

「腕の一本、くれてやる……ッ!」


 『浮遊』+『筋力の投射実験』+『筋力増強』×3+『高密度化』+『膂力強化Ⅱ』+『超人』+『遠隔攻撃強化』


 赤鹿は撃ちだされた。

 推定体重900kg。それだけの質量が前触れもなく射出された


 赤谷誠からみて、敵は直線上に並んでいた。赤鹿、白鹿、褐色肌の男と雨男という順番で。これは必然ではない。かといって偶然でもない。白鹿は先ほど赤谷誠が放ったヒダリをキャッチャーフライのように取るために、その直線状に移動した。


 そこまでは計画外。

 そこからは計画内。


 そこで彼には見えたのだ。

 一本の道筋が。


 ゆえに可能だった。

 すべてを巻き込むことが。


 射出された赤鹿は、ヒダリを床に叩きつけて始末していた白鹿をまず巻き込んだ。

 褐色肌の男は反応できなかった。

 白鹿と赤鹿に巻き込まれ、崩壊論者はエントランスの外へ、さらに隣の建物へ、激しい雨の壁を貫通して、視界外へと吹っ飛んでいった。

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