聖地への羅針盤

 彼はそういい、前のめりになる。

 そして、俺の暗黒フラペチーノを奪いとると飲み始めた。


「それ俺の……」

「答えてくれるまで返さないよ。俺はそういう男なんだ」

「いや、もう口つけられてるし、返さなくていいですけど」

「じゅるるるるるる」


 緊張感がほぐれていく。こちらが勝手にピリピリしてただけで、眼前の男はなにもペースを崩していない。大人の余裕ってやつか。


「何のことを言ってるかわかりません」

「本当にそれでいいのかい。血に濡れた樹をもっていないというんだね」

「血に濡れた樹ってどういう意味ですか?」

「そのままだよ。血を吸って育ったような濡れた樹」

「それが僕の右手に入っているとでも? そんな馬鹿なことがありますか?」

「入っているとまではいっていないけどね」

「揚げ足をとろうたって無駄ですよ。あなたは僕の右腕をしめしながらいった。こっちにあるって疑っている証じゃあないですか」


 どうしてわかったのだ。それも右腕にあるって。俺にはわからない。この不審者がどこまで知っているのか。どこまで正確につかんでいるのか。どのように知り得たのか。なぜ知ろうとしたのか。なにも。


「否定してもいいが、そうなると、俺は確認をしたくなってしまう」

「確認ってどうやって」

「普通にだよ。君の腕を掴んで……開く。中になにが入っているのか確かめる」


 聞いただけで痛いなぁ。

  

 俺は「うーん」と唸り、口元に手をもっていく。

 ツリーキャットとの約束。我が恩猫は俺がスキルツリーをもっていることや、その周辺について誰にも知られたくなさそうだった。特にダンジョン財団方面には。

 そのために『血に枯れた種子アダムズシード』だって必死こいて回収してきた。ツリーガーディアンの時だって現着したダンジョン財団を回避して、俺に種をとどけた。


 不審者を見やる。

 長谷川学長の知り合い。学校関係者。

 英雄高校がダンジョン財団資本下にあることを思えば、この不審者がそっち方面であることは十分に考えられる。そうじゃなくても露見させるべきではない。


「やっぱり、何のことを言ってるかわかりません」


 道理を通す。それは人間としての教義だ。俺はツリーキャットにすべてをもらった。あの子を裏切ることはできない。


「ふむ。じゅるるるるる」

「アルバイトの話をしましょうよ。どれだけ稼げるバイトなんですか?」


 話を移す。意味のない抵抗だと冷静な部分ではわかっているけれど。


「給料は1000万だよ。拘束時間は1日か2日か。もしかしたら数分かもしれない」

「い、1000万!?」


 闇バイトってそんなに稼げるのか!?

 思わず声が上擦ってしまう。


「うん。足らないのなら、そうだね、交渉もアリだよ。自分の生み出した価値が1000万どころではないと思うのなら、もっと要求してもいいかもしれないね」

「……一体、なにをやらせるつもりなんですか?」

「言っただろう。ある場所へいきたい。でも、そこに辿りつくためには、羅針盤が必要なんだよ」


 俺は首をかしげる。話が見えない。

 

「赤谷誠くん、君は羅針盤だ。厳密にいえば君のもつ血に濡れた樹がね」

「そこに連れていったら1000万もらえるんですか?」

「そうだよ。導いてくれるだけでいいんだよ。簡単な話だろう?」


 そんな大金あったら俺がこれまで起こした学内の不祥事すべてを清算できるじゃあねーか。アルバイト地獄からも解放される。


 俺の心は揺れ動く。

 

「でも、まずは君が羅針盤としての能力を示してもらわないと依頼できない」

「言ってる意味はわかりました。でも、あまりに不誠実じゃないですか」

「不誠実?」


 不審者は眉根をあげて問いかけてくる。


「ええ、これじゃあ、封筒を駅から所定の場所へ運べっていってるようなものですよ。犯罪の片棒を担がされている気分です。あなたはどこへ行こうとしていて、そこで何をしようとしているのか、そもそもあなたは何者なんです? 僕に知らせたくないみたいですけど」

「……。じゅるるるるる」

「答えてくださいよ」


 秘密にしているのは俺だけじゃない。この人は自分の正体を探られたくないようなそぶりをみせた。秘密があるのだ。不都合な秘密が。


「そうだね、都合のいい部分だけ知らせるというのは大人として不誠実かもしれないね。──目的地は、『聖地』と呼ばれている場所だ」

「聖地……?」

「そこには祝福の樹があるとされている。頭のいい学者たちが古い文献から推測をたてたんだ」

「祝福の樹ってなんですか」

「探索者見習いなら馴染みのあるステータス、スキル。そうしたものを与えてくれたとされてる生物だ。植物だと思うけど、もしかしたら動物かもしれない。あるいは無機物の可能性もあるし、人類の学では分類できないナニかかもしれない」


 まるで神話でも聞いている気分だ。

 

「なんのためにそれを見つけようとしているんですか? 悪さするつもりでも?」

「逆さ。悪から異常物質アノマリーを守る。収容するんだよ。世界の平和のためにね」

「収容……まさか特別収容? SCCL適用異常物質なんですか?」


 SCCL適用異常物質。教科書に載っていた単語。ダンジョン財団が管理するべきとされる異常物質アノマリーのことを示してる。異常性アブノーマリティが強くコントロールの難しいもの、探索者が運用できないものなどがこれにあてはまるとされているやつだ。

 ダンジョン財団は怪しげな噂が絶えないが、英雄高校の生徒は知っている。彼らが異常物質の危険性を隔離して、コントロールし、世界を守っていることを。


「勉強家だ。流石は学年12位の知能だな」

「あなたはダンジョン財団の人なんですか? 収容の専門家?」

「だいたいそんなところだよ。多くを話せないのはそういう身分があるからだとわかってくれるとありがたいよ、少年」


 秘密主義なのは財団職員だったからなのか。

 夜に溶けこむ色合いに、マフラー、サングラス。

 思えばエージェントKと雰囲気が似てなくもない。


「祝福の樹の場所を見つけ出し、収容する……そのために必要なのが僕なんですか」

「ここまで話してしまったのでついでに言うと、なるべく急ぎたいんだ」


 俺は視線で続きをうながす。


「夏休みに事件があっただろう」

「ツリーガーディアン……?」

「……。そうだ、それだよ。巨大な怪物だったらしいね。あれは君も知っている悪党たちの仕業だ。彼らは祝福の樹について独自の研究を進めているみたいでね。財団のあずかり知らぬところで聖地にいたる手段を見つけている懸念がある。いますぐというわけじゃないかもしれないが、いつかはたどり着く。そういう恐さがある」

「ダンジョン財団は『蒼い笑顔ペイルドスマイル』よりはやく祝福の樹を見つけたい、と」

「大事な仕事だ。聖地への巡礼を果たせば、俺たちはスキルやステータス、神の秘密を明らかにできるかもしれない。人類にとって有益だ。わかるかい、少年」


 ダンジョン財団の男はそういうと真摯な声で再び、俺の右腕を示した。


「血に濡れた樹、それがあれば財団は聖地を見つけられる。もっているね?」


 再びされた問いは、俺に大きな迷いをもたらした。

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