予約が殺到する男
「赤谷、ちょっと待って」
第一訓練棟の外まで逃げてきたところで呼び止められた。
振り返るとヴィルトがたっていた。
マッチョたちの報復を恐れ周囲をキョロキョロ見渡す。
ほかに気配はない。ひとまず危機は去ったとみていいか。
「なんだよ、ヴィルト」
ヴィルトは先ほどまでの異文化力をひそめて、腕を組み唸りだした。組んだ腕に大きなお胸が乗っている。球体と重力ってどうしてこうも魅力的なのだろう。
「英雄祭」
「おん」
「英雄祭、赤谷は暇なはず」
「メイドカフェで飯を提供するという使命があるんだけどな」
どうしてどいつもこいつも俺を暇と決めつけるのだ。
「いっしょに回ろう。ん、それが良いと思う」
ヴィルトは目をきらーんと輝かせて名案を思い付いたように言った。
林道に先約をもらってしまっている。これは安請け合いしないほうがいいのか。そんなことを一瞬だけ思ったが、別に何時間も拘束されるわけでもないと思いなおす。
なんなら林道とヴィルトは仲が良い。
3人で一緒に英雄祭をまわればよろしい。
「あぁいいぞ」
「ん、じゃあ、決定。赤谷は英雄祭を私とまわる。それで確定」
「逆にいいのかよ。俺で。林道とかとまわったほうが楽しいんじゃないか。ほら、花火大会の時だってそうしてただろう?」
「琴音はちょっとキテるから危険だよ」
「なんだよキテるって」
ヴィルトは背を向ける。銀毛の尻尾がフリフリ揺れる。
「それじゃあ、おやすみ」
「おう、じゃあな」
ちいさく手をふるヴィルト。俺は軽く手をあげるだけにとどめる。手を振るのはちょっと抵抗感があったからだ。
「まさか林道にヴィルトに、英雄祭での行動を予約されるとは」
頭がフワフワしていた。身体が熱に浮かされている。筋トレのせいかな。
「赤谷君」
「へ?」
男子寮への帰り道、声をかけられた。
気配のない背後からだ。びっくりして振り返ると黒毛のお耳がぴょこぴょこ。志波姫が真後ろにたたずんでいた。
「うわぁ!? いつからそこに!?」
「別に。たまたま見かけたから話かけただけれど」
「いや、距離、おかしいだろ……」
振り返った時点で俺の尻尾が志波姫のお腹あたりを叩いていた。一歩分ほどの距離だ。近すぎる。もっと遠くから声をかけられただろうに。
「あなたを試したのよ。やっぱり警戒心がないのね。そんなでは崩壊論者に背後をとられても気が付かないんじゃないかしら」
「学園でそんな不審者はでないだろ。場所が場所ならちゃんと気を張るって」
俺は距離を離し、爆音でなる心音を鎮めようとする。
が、志波姫により俺の服の襟がつかまれることで阻止される。
「な、なんだよ、引っ張るなよ、服伸びちゃうだろ」
「英雄祭、あなたどうせ暇なのでしょ」
「え?」
「楽しいイベントごとで浮足立った赤谷君がトラブルを起こすのは火を見るよりも明らかよ。わたしが監視してあげるわ。必要になれば介錯も担当する」
「待て待て待て、おかしな前提で話が進んでないか。2学期に入ってから俺ってかなり優等生だろうが。最後にトラブルに見舞われたのも花火大会だし」
「だからこそよ。時期を考えればそろそろ事件の予感がするもの。あなたはトラブルなしでは生きられない。この不安な時期に英雄祭。お膳立ては済んでいるわ」
ぐぬぬ、言わんとしているがわかる。
確かにこの赤谷誠、あらゆるイベントごとで予期せぬ事態に陥ってきた。
なんのジンクスか、神の悪戯か、俺はそういう星の元に生まれているのかもしれない。英雄祭でなにか起こりそうと思われてしまうのは仕方がない。
「わかったよ。確かに志波姫がいれば心強いもんな」
「……もう一回言いなさい」
「え?」
「もう一回言うのよ、赤谷君」
志波姫は真面目くさった顔でキリッと眉を凄める。
俺は気圧されて「志波姫がいれば心強い、です」とつぶやく。
彼女は肩にかかった黒髪を手ではらい「ふん」と鼻をならした。得意げな表情で。
「そうでしょうね」
「なんだよ、お前……てか、お前さ、俺の服!」
ふと、思い出した。この猫女の今朝の狼藉を。
「もっていきすぎだろ! どんだけ持って行ったんだ! かなり服が少なくなってたぞ!」
「記憶にないわ。適当に選んで、適当に着込んだだけだもの」
澄ました顔で彼女はいう。どこ吹く風だ。
「とにかく英雄祭はわたしといるということでいいわね。それが学校のため、公共の福祉のため、そして赤谷君自身のためでもあるもの」
志波姫は俺の襟を離した。
「女子寮まで送ってくれる?」
志波姫は楽しげに聞いてくる。俺は襟を正しながら「仕方ないやつだな。服返せよ?」と釘をさし、彼女を女子寮までおくっていった。
「はいこれ」
女子寮から志波姫がでてくる。手には白いシャツが一着。綺麗に畳まれている。
「仕方がないから返してあげるわ。特別よ」
「どういう感性してるんだよ……」
シャツを受け取ると、俺は違和感を感じた。
いい匂いがするのだ。これは俺の匂いじゃない。
それじゃあ一体こりゃ……冷静に考えて志波姫の匂いだった。
「くんくん、みゃあ」
気が付いたら俺はシャツを鼻に押し当て、喉をゴロゴロ鳴らしていた。しまった。キャットガールのようにはなるまいと抑制していた猫しぐさが発動してしまった。猫は匂いが気になる生き物なのだ!
「赤谷君、それセクハラとみてもいいかしら?」
志波姫は薄っすらと頬を赤らめて眉をピクピクさせていた。
「い、いやいや、そ、そんな、つもりはないんだ。ただ、変わった匂いがするなぁって……」
「しっかり洗って返しているのだから香りが違うのは当たり前でしょう」
「ですよね」
「変態。匂いに発情する雄猫」
「うぐ、別に発情してるわけじゃ……」
「どうしようもないオス猫赤谷君。このことはオズモンド先生に報告させてもらうわ」
「ちょま! 待ってい!」
「嫌なら貸し一つということになるわ」
「一体どんな邪悪な方法で精算させるつもりだ、志波姫……!」
「それはわたしの気分次第ね」
冷たい微笑みを浮かべる志波姫。ヒラヒラとちいさく手をふって行ってしまう。絶対にろくなことにならない。なんと迂闊なことをしてしまったのだ。
「しかし、本当にいい匂いだな……くんくん、志波姫の匂い、か……みゃお」
誰もいなくなった女子寮前で俺はシャツに再び鼻を近づけた。いいものだな。
「女子の香りがする衣服に興味津々とみえる」
「みゃおッ!?」
突然だった。声が聞こえた。驚いて鳴き声が漏れてしまった。
建物の影、薄暗闇からヌルッと姿があらわれる。
その男は暗色のトレンチコートを着込んでいた。白いシャツ。深紅のネクタイ。黒のスキニー。黒いサングラス。洒落たハット。首には手作りっぽいマフラー。おしゃれだが、ひどく不審者である。なんで夜にサングラスを。
彼はガムを噛んでいた。絶え間なく口元を動かし、しばし沈黙する。
服装はいささか違うが、雰囲気で察した。
この男……サングラスの猫男だ。
「奇妙だな。猫の耳と尻尾を生やした生徒を何名かみた。学生の間で流行っているのかい?」
非常に恥ずかしい現場を押さえられたうえでの、間の抜けた質問。
「そういうわけじゃない、と思います……」
それだけ答えて俺はあとずさる。本能的な後退だった。
サングラスの猫男はさがった分だけ前進してきた。
「恐がることはない。俺は怪しい人間じゃない」
「怪しい人間はみんなそういいますけど」
「以前、一度会ってる。覚えていないかい? 体育祭の前だったから、もうずいぶん前になるが」
「覚えてますよ。あの時もサングラスをしてましたよね」
「そうそう。学校関係者ってやつだ。学長ともとても仲が良いんだよ」
先日、すごい喧嘩してたけどな。
「実はね、君にすごい良い話をもってきたんだ。アルバイトだよ。すごく割のいいバイトだ。楽して大金を稼げる。君にしかできない。そういうお話だ」
死ぬほど胡散臭い言い回しに、俺の警戒心はいっそう高まっていた。
「どうだい。ちょっとおじさんと一緒に喫茶店までいかないかい。時間があるのなら、だけど。なんでも奢るよ。こう見えてお金持ちなんだから」
「遠慮しておきます。忙しいので。課題やらないと」
そう言うと猫男は足をとめて、肩を落とす。
「そうか。それは残念だ」
猫男は言いながらスマホを操作し、画面をこちらへ見せてくる。
画面には動画が再生されていた。画面のなかの俺は志波姫とのやりとりをして別れたあと、シャツに顔を押し付けて、匂いを堪能していた。
「この動画を先ほどの志波姫さんに送信してもいいんだけどな~」
「……課題は明日でも構わないです。そのすごく儲かるアルバイトについて話しを聞きたいです」
「よし来た、それじゃあいこう。おじさんと楽しい話をしようか、少年」
サングラスの猫男は口元に笑みをたたえ、ポケットにスマホごと手をつっこむと校門のほうへ歩きだした。俺は処刑台に運ばれる死刑囚のような気分であとをついていった。
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