スイス人と猫があわさって最強になる

 その夜、俺は林道と別れて第一訓練棟へ向かった。

 まだ夕食まで時間があったので運動をしようと思ったからだ。


 エントランスで足を止める。

 訓練場でスキルと向き合ってもいい、トレーニングルームでウェイトを使った筋トレをしてもいい、疑似ダンジョンで攻略演習をしてもいい。


「……燃え尽きてるのかな」


 漠然とやる気が起きなかった。

 厳密にいえばやる気はあるのだが、何へ向かへばいいのかわからなかった。

 この1カ月半、俺のなかに確かにあった目標、樹人の剣士。それは倒せた。

 やや肩透かしな勝利ではあったが、勝ててしまった。


 ランナーは自身の走る距離に応じて体力を配分するものだ。

 ゴールが見えなくなると、宙ぶらりんにされたような気分になる。


「とりあえずジムいくか」


 トレーニングルームに足を踏み入れる。

 ガチャコン。ガラン。器具をあげたりさげたりする音が響いている。

 今夜もマッチョたちが己の筋肉と向き合っている。


 向こうのほうでヴィルトがランニングマシンで軽快に走っているのが見える。

 束ねた銀色のポニーテールが揺れるのを眺めつつ、スクワットをパワーラックのほうへ。肩の高さからすこし低いくらいの位置にあるバーベルを担いで、エビ反りを意識して腰に負荷がかからないように、下半身に効かせておこなうまずは30kg×10から。これで身体を温めていく。


 俺も素体での筋力がけっこうあがったきたように思う。

 祝福をオフにするのも上手になった。いまでは少ない重量でも効果的な筋トレができるようになった。これは目覚ましい成長である。


 105kgで本番をおこなう。

 10回×3セット。たぶんできない。3セット目の後半でバテる。自分の筋肉のことは自分が一番わかっている。


 ここから試練だ。筋トレの終わりは疲労によって辛さと向き合うことになる。辛い時にどれだけ頑張れるかでそのトレーニングの質が決まる。完全燃焼を目指してひた走るぞ。


 まずは10回。よし、これは余裕だな。

 まず1セット目完了だ。

 

「赤谷」


 ヴィルトが背後にいた。自分のトレーニングが終わったのだろうか。

 汗が髪の毛を濡れらし、白肌に張り付いている。いけませんいけません。

 彼女は耳をピコピコ動かし、尻尾を楽しげに揺らしていた。


「なぁーご」


 ヴィルトは俺の両肩に手を置くと、お辞儀するみたいに状態をさげて、ぐーっと伸びをした。顔からあがってきたので、俺の鼻先に綺麗なお顔がやってくる。エビ反りのような姿勢なので、豊かな丸みが俺の胸筋に肉薄してしまう。むわっといい匂いが香った。これはいけません! いけません! あぁ! いけません!


「な、なな、なんだよ……」

「いまのは猫しぐさ」

「そうか……」


 俺の研究によればマッチョの半分は『会の皆さん』だ。会の戦士たちは聖女をお守りする崇高な使命のために日々、肉体鍛錬に励んでいらっしゃるのである。もっともトレーニングルームにくるヴィルトを見たいだけ……という説もあるが。


 何が言いたいかというと、今朝のあのにゃんにゃんパニックをここで起こされると余裕で禁忌に触れ、恐ろしい報復が待っているということだ。


「補助してあげるよ」

「補助だと?」

「うん。そのセット、メインセットでしょ」

「え? よくわかったな」

「ずっと見てた」


 ヴィルトはむふーっと自慢げにいう。

 俺は「ずっと?」と繰り返す。

 すると、彼女はこくりとうなづく。

 だが、ふとした瞬間、頬がポッと染まった。

 自分の言っていることが恥ずかしくなったのだろう。

 

「そっかぁ、ずっとかぁ」

「……なぁご!」


 丸めた拳でコツンっと俺の鼻を叩いてくる。やめろ、と抗議をしているようだ。

 

「わかったよ。ん、休憩終わり」


 セット間の休憩は1分と決まっている。

 俺はスクワットに向き合う。


 俺がハーベルをもちあげても背後の気配はなくならなかった。

 それどころか近くなっていた。「なぁーごなぁーご」可愛い鳴き声も聞こえる。


 いかんいかん、集中だ、集中するんだ、赤谷誠。

 ふんぬ。俺は10回の拳上に成功する。ラスト1セット。


「はぁ、はぁ、ふう」

「やるね、赤谷。私より持ちあがる」

「まぁ、男子だからな……」

「ん、でも、私も頑張ってる。けっこう筋肉ついた」


 ヴィルトは前かがみになって己の足をぺちぺち叩いた。

 かがんだせいでトレーニングウェアの胸元へ視線が自然と吸い込まれる。あまりにも膨らみが大きすぎるため、胸元に空間ができているのだ。深き渓谷の暗黒。これはいかん。ギルティだ。俺は本能と宇宙の引力にあらがい視線をしたへ逃がした。


 だが、そこにもまた宇宙はあった。

 引力の原因は健康的な白い太ももだ。鍛えられ引き締まっている。

 汗を吸い込んだホットパンツはトレーニングでパンプアップした足筋に押されむちっと張っており、美しく神秘的な輪郭を象っていた。背後からにょろんッと伸びているのは銀毛の猫尻尾。それは嬉しそうに左右に揺れてはパワーラックの支柱をぺちんぺちんと叩いていた。


「ん、赤谷すごく見てる」

「見てない」

「なぁーご! 見てた」

「そんなこと言われたって見てないものは見てない。あっ、休憩終わりだ」


 救われるようにして俺はスクワットに取りかかった。

 太ももに効かせることを意識して慎重に拳上する。

 7回目できつくなってきた。太ももが灼熱だ。

 8回目で限界が訪れる。いまの俺ではこいつを上段のラックにひっかけるほどもちあげる力が残っていない。


「ん、補助の出番」


 ふにゃ。背中に柔らかい感触。

 

「ぷはぁ!? ヴィルトさん!?」

「補助」


 汗でいっぱいのヴィルトが密着している。

 耳元で「ゴロゴロゴロ~」と猫喉が鳴っている音が響く。


「集中できるかぁあ!?」


 オフになっていた祝福を素早くオンにした。

 スイッチが切り替わった瞬間、バーベルに感じていた重さはペットボトル飲料ほどになり、ストーンといともたやすくもちあげることができた。


「ん、赤谷、動揺してる?」

「当たり前だろーが……! その、近いって……!」


 こっちは羞恥で顔が燃え上がりそうだった。

 だというのにヴィルトのほうは、ちょこっと頬を染めているだけ。

 彼女は輝く銀髪を指でいじりながらつげる。


「補助に男女は関係ない。スイスでは普通」

「凄すぎんだろ、スイス……」

「赤谷が意識しすぎ。いっぱい動揺しちゃったんだ」

「それでも近すぎじゃねか?」

「ん……猫しぐさのせいでちょっと距離感は近くなってたかも」


 勝ち誇った顔でそう告げるヴィルト。非常に自慢げだ。

 なるほど、異文化のスイスと異文化のニャン。

 どちらか一方でも理解しがたいのに、ふたつあわさって最強になってしまったのか。いやはや、猫も、スイス人も、すごい。異文化交流って難しいな。

 

「ぐぬぬぬぬ! おのれぇぇ、赤谷、まこどぉぉぉ!」

「聖女様とあれほどの密着を!」

「しかも汗だく聖女様の聖水をあれほどつけていただけるなんて!」

「しかし、聖女様からの接触だ、教典には、反していない……」

「知ったことか、とうにラインを越えておるわ……!」


 マッチョたちが使っている筋トレ器具を握りつぶし始めた。俺は「そろそろ、帰るわ……!」といたずら猫に告げて、さっさとトレーニングルームを退出した。


 

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