猫たちの静かな縄張り争い
その朝、俺は手ぶらで学校へと登校した。
ポケットにはスマホだけ。それで十分だ。
グレたわけではない。俺は優等生のままだ。
でも、必要ないのだ。今日に限ってはタブレットも教科書もな。
朝、1年4組の教室にいくと、すでに気の早い連中たちによる文化祭準備がはじまっていた。昨晩からはじまった作業を引き続きおこなっているようだ。
明日は文化祭。
よって本日一日かけて我らは備える。
だから、今日は授業がないのである。ゆえに教科書は必要ない。
多くの者にとっては教室が職場となるが、俺の担当はココではない。
教室から足を向けるのは家庭科室だ。
そこに俺以外にも生徒たちが集まっていた。
人数は10名ほどだ。全員女子である。
女子たちはエプロンを身に着け、食材の並んだ机のまえにいた。
俺も遅れてエプロンをつけて女子たちに混ざる。奇異の目で見られるが動じない。
「料理長、今日はひと通りメニューを再現してもらうからね!」
「おう、任せておけ」
俺の本日の業務、それは当日のメニューを履修することだった。
難しい料理はない。だからといってぶっつけ本番というわけにはいかない。
我がメイドカフェで料理できる人材は限りられている。また全員が同じ練度で料理へ造詣があるわけじゃない。技術の差、知識の差、得意不得意などがある。
数少ない人材に適切な仕事をわりふるのだ。
切る者、おろす者、煮込む者、焼く者──という具合にな。
つまり取り仕切る者もまた必要になる。
今回、家庭科室に集められた料理技能保有者たちは、メニューの予習と役割分担、メイドカフェの料理長決定などを行わなければいけない。
「料理長はあたしだよ、琴音」
「ふふ、真紀でもうちの赤谷には敵わないと思うけどね!」
「ぐぬぬ、すっかり琴音の胃袋を掴んでるんだ、赤谷誠。あんたが料理できるって噂は琴音から聞いてるけど、今日はこの子の心、取り返させてもらうよ」
芥真紀は俺へ挑戦的に包丁を向けてきた。
「料理にならけっこう自信あるんだから。負けないから」
「ふっ、浅いな、芥よ」
「な、なんですって?」
「料理は競うものじゃない。想うものさ」
俺は芥へ薄く笑みを向け、己に割り当てられたメニューをこなすことにした。
「なにあいつぅ」
「イキりすぎでしょ」
「赤谷ってあんただっけ?」
「悟った顔しちゃってさ。ちょっときも」
女子たちの笑いを含んだ声。割れたガラスみたいな切れ味だ。効くぅ~。
「ぐぬぬ、赤谷めえ……私のオムレツでうならせてやる!」
「かかってこい」
芥の挑戦を受け入れ、俺は第一品目『にゃんにゃんオムレツ』にとりかかった。
「くんくん、すんすん」
おや、なんだ?
「すんすん、うーん、これは」
「うわぁっ、な、なにしてるんだよ、林道。こっちは大事な料理中だぞ? 食べる係はあっちで待ってろって」
俺の背後に林道がぴったりとくっついて鼻を近づけてきていた。
「すごく猫の香りがする! たくさん触れ合った証だよ!」
「っ! な、なんのことだかな……」
「赤谷、動揺してない?」
「してねえよ。あぁまったくしてないね!」
「本当にー?」
林道は尻尾を俺の背中にこすりつけてくる。くすぐったい。
「本当になにしてるんだ……?」
「別にたいしたことじゃないよ! 上書きしてるだけ!」
「上書き? 訳のわからないことを……」
これもまた猫しぐさだというのかな?
「すぅー」
「ん?」
すぐそばにもうひとつ気配があることに気づいた。
林道とは反対側をみると、輝く銀髪が俺の肩にかかっていた。
ヴィルトは目を閉じ、匂いを吟味しているようだった。
「すぅーすぅー……ん、赤谷は志波姫にマーキングされてる、間違いない」
「だよね! 絶対にひめりんにたくさんマークされちゃってるよね!」
林道はともに声をあげた。尻尾のこすりつけが激しくなる。
ヴィルトは「ん、由々しき事態」とつぶやくと、背後に移動した。
俺は何が起こるのかとちょっと恐怖感を覚えながら、最高のオムレツをつくるために集中を絶やさない。祝福飯は集中を切らしたらいけないのだ。首尾一貫して能力を行使しつづけることで素晴らしい一皿をつくだすことができるのだ。
その時だった。
未曾有の災害が俺を襲った。
むにゅ。そんな音が聞こえた気がした。
背中に押し当てられる柔らかな感触。重み。温かさ。
完全にあたっている。このスケールは慎ましき者とは比較にならない。
「ちょ、おま、ヴィルト……!? なにを……!?」
「ごろにゃーん」
俺の胴にまわされる白い手。耳元に届く吐息。甘えるような鳴き声。柔らかな双丘が卑猥に形を変えて、ぎゅーっと押しつけられてくる。
林道は唖然とし、石のように固まって「そ、そんな鬼手が!? マーオ! マーオ!」と焦った様子で声をあげた。俺の料理の手も当然止まった。集中できるかぁ!
「ごろごろにゃーん、にゃんにゃーん♪」
ヴィルトは変わらず、俺の背中に顔を埋めてくるのだった。
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