答え合わせの先送り

 志波姫の足取りは遅々としたものだった。俺は奴隷のように主人の歩幅にあわせて、チビチビと隣を歩く。彼女の尻尾が規則的に俺を打つが、やがてこれが鞭のように思えてきた。ほら、歩けよ、って言ってるみたいな。


 とはいえ痛くない。攻撃の意図がある尻尾ではない。

 なので気にするものではない。気にはなるけど。


「兄とのこと考えていたわ」


 静寂は突然に破られた。

 俺は志波姫のほうを見やり「おん」と相槌を打つ。


「剣聖はひとりだけって話を以前したわよね」

「そうだな。それはお前から聞いたことだな」

「『剣聖』のスキルは代々ひとりだけが継ぐことを許される大事なものなの。代を重ねるその力には、重大な責任がともなう。だから、継承者は慎重に選出されるわ」

「……。兄貴はその慎重な選出に受かったってことか」

「そうよ。分家含めて適性のあるもの7人の優秀な剣士が集められ、そして選ばれたのよ」

「人間ってすぐ成長するから、なんとも言えないけどよ、あの樹人を見るかぎりは、剣士としてお前より優れていたわけじゃなさそうだけど」

「いまならわたしもそう思えるわ。……御前試合をしたの。いま『剣聖』をもっている人の前で。兄とわたしで。それが最後の戦いだった」

「今の時代に御前試合ってあるのな」

「赤谷君には馴染みのないものでしょうね。その戦いで負けてしまったの。でも、すべてを尽くして戦えなかったとあとから思ってしまったの。だから、確かめたかった。099号室の剣士は、あの時の兄に近かったから。全力を尽くしてもなお負けてしまうのか」

「それで俺は毎日のように、お前のために秘密の訓練場へいたる道を開けたり閉めたりしていたのか」

「根に持っているの?」

「別に。ただ、ようやく訳を話してくれただろう。お前が気づいてるかわからないけど、ついさっきだって俺が理由を聞いても教えてくれなかった。件の剣士を倒してようやくだ」

「……気分の問題ね。気分屋なのよ、たぶん」

「猫みたいなやつだな」

「猫よ」


 志波姫はそう言って、拳を丸めた。それをじーっと見つめ、少し迷った風にしながらも、丸めた拳で俺の肩を突いてきた。


「にゃーん」

「……」


 いや、おまっ……なんかすごく身体が熱くなってきた。おかしいな。11月の寒々しい空気のなかであるというのに。このまま雪山行けそうなくらいポカポカだ。


 動揺のせいで言葉をうまく繋げられない。

 志波姫のほうをうかがう。

 彼女は早々に拳をひっこめて、手を口元に持っていき「こほん」とひとつ咳払い、視線を泳がせ、決してこちらを見ようとはしない。


「こほん。ほらね。猫じゃない」

「……そうだな。いまは猫だった、な」


 後悔するならやらなきゃいいのに。どうして迷った時、アクセルを踏んでしまったのだ。これもご機嫌のなせる技か。これじゃあ、まともに顔すらみれない。


「こほん。あなたへの道理は通しておこうと思っただけかもしれないわ。優秀なドアマンには一切合切を教えるべき。たしかにその通りかもしれなかったわね」

「お前がドアマンの働きを評価してくれて嬉しいよ。ついでひとつ聞いていいか」

「なにかしら」

「どうしてお前では樹人の剣士に勝てないんだ。3日前だって負けたって言ってたよな」


 志波姫は歩むペースを変えずに、前を見据えながら答える。


「間違いを間違いにしないため、じゃないかしら」

「……IQ3でもわかるように嚙み砕けないか」

「仕方のない淡水魚ね。いま考えれば簡単にわかるわ。今まではどうして負けてしまうのかわからなかったけれど……認めたくなかったのよ、きっと。御前試合で力を尽くさなかったことを後悔していると」


 いまでも挑んで負ける続けるのなら、御前試合の結果は正しかった。

 しかし、もし勝ててしまったのなら、御前試合でも勝てたかもしれない。


 それはつまり、己の責任で、本来手に入れられた『剣聖』を手放してしまったということ。逆に負け続けているかぎりは、答え合わせを先送りにし続けることができる。そうすればパラドックスは起こらない。御前試合に間違いはなかった。そう思い続けることができる。


「理性的かつ戦略的な敗北だな」

「からかっているの?」

「いいや、別に」

「子どもっぽいって思っているのでしょう。知っているのよ」

「い、いや、思ってねえって、マジで」


 志波姫は目元に影を落とし、いまにも引っ掻いてきそうだった。

 と、そこでようやく女子寮のまえにたどりついた。


「まあ、人様の難しそうな事情に首をつっこむのは気が引けるが、答え合わせが済んだのなら、よかったじゃねえか」

「あなたのせいで強制的に、だけれど」

「そんな悪いことでもないだろう? これで未来へ目を向けられる」

「ええ、そうね。まだ取り返しがつくとわかったわ。それは兄のおかげだけれど……とにかくもう気分も晴れたわ」


 志波姫はもう話すことはないという風に背を向けた。俺の隣を離れる時、黒い猫尻尾は俺の太ももにひっかかるように撫でてきた。惜しむかのように。彼女は尻尾力が低いことで有名なので、操作などできようはずがないだが。


 数歩進んで、こちらへふりかった。


「そういうわけだから、あなたには感謝しているのよ」

「さっきはいきなり感謝されてびっくりしたが、なるほど、理由を聞けば、俺に感謝して当然だとわかるな。なんならもっと感謝しろ。報酬をよこせ」

「はぁ、後悔してきたわ。ありがとうなんて言うんじゃなかった。わたしの人生の唯一の汚点ね」


 おでこを押さえながらちいさく首を横に振り、彼女は寮に入っていく。

 見送っていると、またしても彼女はふりかえってくる。


「なんだよ、まだ悪口を思いついたのか」

「いえ、そうではなくて」


 志波姫は思案げにしつつ、けれど意を決したように、ちょこんっと手をあげた。


「おやすみなさい、赤谷君」


 あぁぁ……。動揺から俺は反射的にあげて「おう」とかえすだけにとどまった。もっと別の言葉を使えばよかった。いや、普通におやすみとかえせばよかったんだけど。じんわりとした後悔、己のコミュ力の低さに失望を抱きながら、誰もいなくなった女子寮玄関をあとにした。


 男子寮にもどり、夕飯を食堂で食したあと、俺はベッドに飛び込んだ。

 仰向けに寝転がって、俺は自分の手をひらを見つめた。


「おやすみなさい、か。ばいばいよりレアだな」


 強敵と戦い、疲れているはずなのにやたら目が冴えていた。

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