志波姫神華は送ってほしい

 尻尾で最後に叩いたほうが勝ちのゲームでもしているのだろうか。

 俺と志波姫は互いにぺちぺちしながら第一訓練棟をでた。


 外はすでに暗くなっていた。夜空には星々が冷たく輝き、11月を目前にした乾燥した寒風が優しく前髪を揺らしてくれている。

 文化祭準備をおのおの切り上げて帰宅する生徒たちがチラホラ見えた。男子と女子が楽しそうに話しながら、いちゃいちゃと。けしからん。風紀が乱れている。


「なんだか浮かれてるな」

「英雄祭を楽しみにしているのでしょうね」

「やれやれ、これだからガキは。風紀委員に突き出してやったほうがいいかな」

「誰も取り合ってくれないわよ。憐れな日陰者の嫉妬心なんて」


 悲しいが正論だ。

 俺に革命を起こす力はない。

 

「思ったよりはやく勝負がついた。夕食前には帰れそうだ」

「あなたのおかげね」


 今日はご機嫌さんだ。素直に褒めてくれる。これほどのご機嫌かつてないのではなかろうか。尻尾を見やる。うん。間違いない。史上最ご機嫌だ。


 いまなら本人の口から聞けたりするかな。八神の推測が正しかったのかどうか。

 志波姫は自分のコトを話さない。剣聖のことも。兄のことも。

 それを知りたがるのはおかしなことだ。俺には関係がないのだから。

 でも、どうしてだろう。道理がないのに、俺はそれが気になる。おかしな話なのだが。そういう風に思ってしまうので仕方がない。


「……」

「……」


 もっと知りたい。

 でも切り口がわからない。


 どんなタイミングでも己の望んだ話題を展開できる特殊能力を俺は有していない。


 八神経由で得た情報から話題をつかめば、聞きやすいだろう。しかし、彼から情報を引き出したことを知られるわけにはいかない。八神の安全のためにもな。


 考えすぎた結果、いまさら沈黙を破るには気まずい空気になってきた。若き日の俺はよくこの空気に陥っていた。成熟した陰キャはこの空気になるまえに会話を切り上げることを学ぶわけだが……話をしたい欲望のせいで、普段、無意識におこなえているテクニックをし損なってしまった。


 潮時だ。もう気まずさのスリップダメージが俺の心を蝕みはじめてる。


「……それじゃあな」


 俺は言って、男子寮のほうを指差す。

 志波姫は俺を一瞥すると、尻尾の揺れをピタリと止める。あれご機嫌モードが終わった?


「もう暗いわね」

「そうだな」

「暗いということは治安が悪いということね」

「んあ? あぁ、まぁ、そうかもな」

「治安が悪いということは、不審者がでる可能性があるということね」

「まぁそうかも」

「不審者はか弱い女の子を狙うものだわ」

「そうだな。男を襲ってもしゃーない」

「なんだか不審者がでる気がするわ」

「英雄高校の敷地内に?」

「ええ」

「それはないだろ」

「最近は変態レッドスモークという弩級の無法生徒があらわれたのよ。女子寮への侵入、しかも一糸まとわぬ姿で。現代最高の無法生徒といわれる薬膳卓に次ぐ校則違反といわれているわ」

「それでも越えられない薬膳先輩って……?」

「とにかく、嫌な予感がするわ」


 ふむ。この会話。間違いなく目的をもって行われている。俺にはわかる。論理のもと展開されるこれは、相手から引き出したい言葉があるときに使われる。


 そして、俺には志波姫がなにを言わせたいのかもわかる。


「大丈夫だろ。お前は強い。不審者が万が一にでも現れたらぶっとばせばいい」


 志波姫は己の強さへの疑心を抱いていたにちがいない。ゆえに肯定すればよろしい。


「そうじゃないわよ、赤谷君」

「へ?」

「はあ……わたしを女子寮まで送ってくれないかしら」

「……え? なんで?」


 予想外のセリフが飛び出した。

 思わず志波姫のほうを見やる。

 彼女の視線のさきは帰宅するカップルへ注がれていた。


「変態レッドスモークがでるかもしれないでしょう?」

「いや、でもお前なら……」

「恐いのよ。変態は」

「そうかもしれないけど」


 なんていうんだろうな。

 些細な問題だろうに。お前にとっては。

 というか恐いものを素直に恐いと言うのも怪しい。


「だから、送ってくれないかしら」


 志波姫は艶やかな黒い毛束を指でいじりながら、横目にお願いしてくる。

 怯えてしまっている、か。ほかならぬ本人が言ってるんだしな。女子寮に全裸の男が出現した事件は、俺にも責任がある。というか俺にしか責任がないというか……であるならば、その贖罪として彼女を女子寮におくるのもやぶさかではないか。それは道理が通っている。


「わかった、送るよ」

「そう。よかったわ」

「でも、お前を送っていったら夕食に遅れちゃうかもな」

「女子寮で食べていけばいいんじゃないかしら?」

「それじゃあ、そうしよう。エリアル寮長にお願いしたらいけるかもしれないし」

「無理よ。普通に考えなさい」

「……なんだよコイツ」


 志波姫はくすりと笑む。薄い微笑みは楽しげで、その尻尾は俺の太ももを後ろからぺちぺちして行動をうながしてきた。またご機嫌再突入だ。やれやれ、他人をからかいよるからに。

 仕方がないのでこのわがままなお嬢猫を家まで送り届けることにした。

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