真の猫を決める戦い
衝撃波がかけぬけ、学長室のガラス張りの窓が吹き飛んで破裂した。
何が起こったのか正確に認識するのに一瞬の時間を要した。それは拳圧だ。拳が空気を叩いたことにより起きた風圧だ。それにより俺は窓ガラスごと飛ばされそうになった。爪で建物にしがみついて『くっつく』で軽い体を建物に接着して耐える。
「みゃお(訳:学長が人を殺しちゃったみゃ!?)」
ここまでド派手な殺人があっただろうか。
そう思ったが、サングラスの男は存外ケロッとして立っていた。
棒立ち……という表現が正しいのだろうか。
長谷川学長の黒く変色した硬そうな前腕を顔面に打ち込まれている。てか、なんで黒いんだ? スキル効果? スキルを乗せた腕で殴りかかった?
そんなこと思ってると、サングラスの男が「次は俺の番ですね」と、ズレたサングラスの位置を直し、長谷川学長へ腹パン──。さして衝撃波が起きることはなく、ゴンッという重たい金属同士がぶつかったような音が響いた。
長谷川学長が崩れ落ちた。
「伝わりましたよ、長谷川さんの気持ち。俺ももう少し検討してみます」
「みゃお!?(訳:今度こそ死んだみゃ!?)」
「ん、誰だ?」
サングラスの男がこちらを見た。
俺は慌てて顔をひっこめて屋上にのぼった。
中央棟は4階からなる建物。屋上は4階のすぐ上だったので、顔をひっこめればすぎに撤退できた。屋上でほっと一息をつく。
「視線の正体はにゃんか」
背後から声が聞こえた。
俺はびっくりして「み゛ゃ゛お゛!?」と叫んで飛び上がる。
後ろを見やればサングラスの男がいた。
「みゃ、みゃーお……(訳:いつの間に背後をとられたみゃ!?)」
「こんなところまで登ってきちゃったんだな、野生のにゃん」
「みゃお……(訳:幸い、俺が人間だとか気づかれてないっぽい? いや、まぁ当然か。猫を見かけて『さてはお前人間か?』なんて疑うやつはいないよな)」
サングラスの男は俺をじーっと見つめるなり「そういうことか。完全に理解」と納得した風にうなずく。こいつ何かに気づいた? まさか人間なことがバレた? さっきの会話を聞かれたくなかったとしたら、俺はここで口封じのために抹消される!?
俺はいつでも逃げれるような姿勢をとり、警戒するように低くうなる。俺はこいつを無力化してしまおうとも考えたが、それはすぐに諦めた。俺の本能が告げているのだ。この目の前の怪しげな男とは競ってはいけないと。
サングラスの男は両手の拳をまるめると屋上に押し当てた。
そして顔の位置を低くして、腰を高くあげる。いわゆる女豹のポーズというやつ。可愛い女の子がそれをすれば魅惑的に映るだろう。が、こんないい歳した成人男性では減点はあっても加点はまったくない。なにが始まった。なにこれ。
「にゃーお、にゃーお!」
「……」
「にゃお、にゃぁぁご!」
誤解なきように。
いま鳴いているのは俺ではない。
サングラスの男だ。彼は俺に対して今にも飛びかかる猫みたいに腰をフリフリしながら威嚇をしてきているのだ。なにが始まったんだ。誰か説明をしてほしい。
「にゃぁぁあご! さぁかかってこいよ、どっちが真の猫か決めようぜ」
頭痛がしてきた。気分が悪い。風邪でもひいたのかな。インフルエンザで高温をだして寝込んだ時に見る悪夢のようだ。
いや、待てよ? 真の猫を決める、だと?
「みゃお!(訳:そういうことか。完全に理解したみゃ!)」
「ほう、やる気がでたようにゃ。にゃごぉぉ!」
「みゃーお、おみゃ~お!」
これこそが真の猫を決める戦いだった。
俺がそれを理解するのに時間は必要なかった。
言葉も必要ではなかった。
なぜなら彼の動きからすべてが伝わったから。
彼はまさしく『猫』だったのだ。猫っぽいクネクネとしたしなやかな動き。
特徴てきなうがいしてるみたいな鳴き声。まるで「俺の名は猫。それ以上でもそれ以下でもない」というかのような見事な猫しぐさだった。
俺は自分を恥じた。
俺は猫になった程度で『猫』になれたと勘違いしていたのだ。
人間の姿でその領域にたどり着く──およそ想像すらできない修練の日々だったはずだ。猫よりも『猫』らしい人間になるなど普通のプロセスでは不可能だ。
数年、あるいは十数年、狂気に身を任せたのだろう。
長い年月をかけて彼は『猫』を練り上げてきた。
一体何のためにそんなことを極めたようと思ったのか理解不能ではあるが……なにかが彼を駆り立て、そして彼は走り続けたのだろう。いや、なんで?
そうして俺たちは真の猫を決める戦いを繰り広げた。
戦いのあとには禍根はなく、互いへ向けていた疑心はなくなっていた。
残ったのは尊敬、尊重、そして絆だ。
世界にはそれぞれの猫の形がある。
姿形は問題ではない。みんな猫でもいいのだ。
「みゃお(訳:素晴らしい対決だったみゃ)」
「流石に本物の猫には敵わないな。ありがとう、猫くん。俺はまたひとつ成長できたよ」
狂気の沙汰から戻ったサングラスの猫男は、俺を優しく抱っこして、地上におろしてくれた。
「もうあんなに高いところにのぼっちゃダメだぞ?」
「みゃーお」
「良い子だ。それじゃあな」
彼は最後まで俺の正体には気づいていなかった。
「みゃお(訳:ところで、なんで長谷川学長と殴り合ってたんだろう?)」
俺は漫然とした疑問を抱きながら、夕日を背に、四足歩行で「にゃごにゃご」言いながら去っていくサングラスの猫男を見送った。世の中にはいろんな変態がいる。そう思いました。まる。
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